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葬列にも似た行軍は、底知れぬ疲労を若い肉体にも容赦無く与えていた。
雪乃はその中でももっとも疲労が大きかったが、地上の光が見えると同時に駆け出していた。
後ろで雛乃が何か言ったような気もしたが、構わず走る。
一秒でも早く、病院へ。
さっきまで自分を苛んでいた心臓が過重労働に悲鳴をあげたが、
それで死ぬなら死んでしまえとばかりに走りつづけた。
桜ヶ丘中央病院へは何度か行ったことがあったから場所は判っていた。
夕暮れの新宿を血相を変えて走る女子高生に、街行く人が奇異な視線を向ける。
その全てに気付くことさえ無く病院に着いた雪乃は、ほとんど蹴破るようにして病院の扉を開けた。
病院特有のひんやりとした空気が火照った身体を冷ましたが、
灼熱した心はいささかも冷えることはなく、
患者はおろか、人がいるのかさえ解らない廊下に向かって、声の限りを尽くして叫ぶ。
「先生! 先生来てくれ!」
「なんだ、騒々しい」
病院中に足音を響かせながら、院長が姿を現す。
雪乃の切羽詰まった形相にも、病院長──というより主──
であるたか子はまるで動じることがなかった。
それがまた雪乃を苛立たせたが、今はそれどころではない。
必死で、最低限声が出せるだけの息を整えて龍麻の危急を告げた。
「龍麻が、龍麻が大変なんだ!」
「それで、患者はどこだ」
たか子の言葉に雪乃は振り返り、まだ仲間達の姿どころか気配も全く無いことを知る。
いくら醍醐でも、おさおさ体格の劣らない龍麻を一人で担いでは走ることなど出来はしない。
頭でそれは判っていても。
激発しそうになる心を抑えつつ、もう一度取って返すべきか、らしくもなく迷っていると、
ようやく醍醐と、彼に背負われた龍麻の姿が見えた。
「むッ……」
それまで面倒くさそうに醍醐達が来るのを待ち構えていたたか子の顔が、微妙に変化する。
京一に対してからかうこともせず、醍醐に向かって龍麻を治療室へ連れてくるよう告げた。
手術中の赤いランプが、顔を照らす。
もう少し気の利いた色はねぇのかよ。
手術室の上に掲げられた灯は、そう八つ当たりしたくなるほど、
その前で待つ者に不安を与える光を放っていた。
龍麻が担ぎ込まれてから既に三時間ほどが過ぎ、皆は一度家に戻っている。
納得して戻ったのではなく、たか子に最低限の人数を残して帰るように言われても、
京一や醍醐はもちろん、葵やミサまでもが頑強に残ると言い張ったのだが、
姉の心情をおもんばかった雛乃の必死の頼みにより、渋々帰ったのだった。
玄関まで皆を見送った雛乃が戻ってきて、遠慮がちに隣に座る。
雪乃は皆に頭を下げてくれた妹に礼を言う気にもなれず、
ただ額の前で手を組んで龍麻の無事を願うだけだ。
雛乃も座ったものの、明らかに理性を失っている姉になんと言って声をかければ良いか解らないまま、
しかし何かを話さなければ沈黙にとうてい耐えられず口を開くと、
その前に姉がぼそぼそと何か言うのが聞こえた。
「すまねぇ。……一人で待たせてくれねェか」
「……はい」
結局、今はそうするのが姉に一番良いと思った雛乃は、
自分自身も残りたかったことはおくびにも出さず病院を後にした。
小さな足音が遠ざかっていき、やがて沈黙が訪れる。
完全な静寂が辺りを支配した時、雪乃は妹に残って貰わなかったことをわずかながら後悔したが、
それ以上に、自分が取り乱すところを見られたくはなかった。
無事でも、無事じゃないとしても──そう考えるだけで、体温が下がるのを感じる──、
きっと自分は泣いてしまうだろうから。
そう、龍麻の無事を祈りながら、頭の片隅で別人のように冷めた心が理由を説明していた。
しかし、それさえもが偽りだということに、雪乃はまだ気付いていなかった。
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