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散々に泣いた後、雪乃は急に身体を離した。
涙に汚れた顔を隠そうともせず鼻をすすりあげながら、臆病な想いを言葉に変える。
「……だけど、龍麻くんは……ひ、雛乃のことが……好き……なんでしょう?」
「へ? なんで?」
「だ、だって、いつも雛乃の方ばっかり見てるし、話だって、雛乃とばっかりして……」
「それは違いますわ、姉様」
まだ泣きじゃくる合間にかろうじて喋るのがやっとの雪乃に、
龍麻がどう答えたものか考えながら背中をさすってやっていると、突然背後から雛乃の声がした。
龍麻に抱き着いて、しかも泣いているところまで見られてしまった雪乃だったが、
腕を離す気にはなれず、そのまま顔だけを妹に向ける。
「龍麻様……ご無事で、何よりでございます」
雛乃は感極まった様子で目許を拭いながら、姉の方に向き直った。
姉を優しく、あやすように話しかける。
「龍麻様は、いつでも姉様のことをずっと見ておられました」
「え……?」
「お気付きにならなかったのですか?
わたくしが転んだ時に龍麻様は助けてくださいましたが、姉様は転んだことがおありですか?」
「あ……」
「龍麻様は、常に姉様のことを一番に気にかけていらしたから、
わたくし達は転んだ後にしか助けて頂けないのですよ」
妹の声には、珍しく茶化すような響きが含まれていた。
それは、嫉妬を覆い隠すためだということに、雪乃は訳もなく気付く。
それが間違いでないのは、雛乃がわずかに目を逸らせたことで解った。
けれども、再び重なった視線は、もう自分を祝福していた。
「そ……そう、なの?」
「……本当は皆護らなくちゃいけないんだけどな」
龍麻は鼻の頭を掻いて応じる。
そういえば、自分はかなり先陣を切って戦っているのに、
背後から襲われたり、複数の敵を相手どったことは一度も無い。
自分の腕に自惚れているつもりもなかったが、
闘いの基本だけに、ごく自然に出来ていると思っていたのだ。
「そうだよッ。ボクなんて怪我したって『唾つけとけ』ってしか言われたことないんだから」
病室の騒ぎを聞きつけたのか、廊下で待っていた小蒔も姿を見せた。
涙は浮かべていなかったものの、
それもかろうじて我慢できているだけのように瞳を潤ませながら。
「あ……ご、ごめん」
「エヘヘッ……お帰り。心配したんだよッ。
……でも何? 急に素直になって。病み上がりだから? それとも、雪乃の前だから?」
「小蒔様、龍麻様が姉様の前で素直になれる方でしたら、もっと話は早かったと思いますわ」
「あ……それもそだね。ホントさ、ひーちゃんがさっさと告白しないもんだから、
雪乃が怒り出した時はどうしようかと思ったよ」
「え……? 知ってた……の……?」
さっき気付いたばかりの自分の想いを、当たり前のようにさらっと言う二人に雪乃は驚きを隠せない。
しかも男女関係については自分と大差無いと思っていただけに尚更だ。
うろたえる雪乃に、少しだけの優越感と、それよりももう少し多い悔しさを足して小蒔が笑った。
「もう……知らないの雪乃だけだよッ。ひーちゃんったら暇さえあれば雪乃の方見ててさ、
そのくせ雪乃が見るとすぐどっか向いちゃうんだから」
「本当に、龍麻様がもう少し早く想いを告げておられれば、
このようなことにはならなかったですのに」
「そうだよねッ。自業自得っていうかさ、いい薬になったよねッ」
「なっ、なんだよ二人して。病人だったんだからもう少しいたわってくれよ」
矛先を雪乃から変え、本人の目の前でこき下ろす二人に、龍麻は照れも手伝ってすねてしまう。
「そんなの雪乃の仕事だもん。ねッ、雛乃」
「はい、小蒔様」
子供のように口を尖らせてムキになる龍麻を軽くあしらって仲良く顔を見合わせ、
揃って自分を見る二人に、雪乃はまだ抱きついたままであることを思い出し、
弾かれたように身体を離した。
「あァ、いいよ。ボク達もう行くからさ、もうしばらくそうやってても。行こッ、雛乃」
「皆様に、連絡してまいります」
嵐のように去っていった二人を見送りながら、
とても数分前まで死の縁をさまよっていたとは思えない扱いに
苦笑いを浮かべるしかなかった龍麻だったが、神妙な顔をしている雪乃に気付く。
「お……おい、どうしたんだよ」
「ごめんね、わたし……」
「ん? ああ、護るのは俺の役目だからな。突き飛ばして怪我とかないか?」
「違うの」
「違うって」
「わたし、雛乃にやきもち焼いてて……
そのせいで龍麻くんにまで迷惑かけちゃって、ごめん……なさい……」
「……そっか」
声にまた涙が滲むと、龍麻が頭を優しく撫でてくれる。
掌からは龍麻の想いが伝わってきたが、堰を切った感情は、
一旦全て吐き出してしまわないと止まらなかった。
自分の泣声でかき消される聴覚の中に、龍麻の声が混じる。
「俺は、最初から雪乃しか見てなかったよ」
「え……?」
「最初に会った時から、ずっと雪乃だけ見てた」
「うそ……」
「うそ……って、酷ぇな」
冗談めかしてぼやく龍麻の胸に、もう一度飛び込む。
大切な瞬間の龍麻の顔は見たかったけれど、くしゃくしゃになった自分の顔は見られたくなかったから。
「わたし……わたし、龍麻くん……好き……」
「俺も……好きだ、雪乃」
耳の後ろの辺りから、優しい声が漂ってくる。
そっと胸板に顔を押しつけると、大きな腕で包み込んでくれた。
夢ではないぬくもりに、もう少しだけ醒めないでいたいとしがみつく。
しかしそれを、地を揺るがすような声が破った。
「死にかけていたと思ったら色恋沙汰かい。全く、若いってのはいいねぇ」
「たか子先生……」
「その娘に感謝するんだな。全く一週間毎日毎日、営業妨害もいいところだったぞ」
普段から患者がいないのに営業妨害も無いだろう、そう龍麻は思ったが、
病み上がりの身に襲いかかられてはひとたまりもなかったから口にはしなかった。
代わりに口にしたのは、雪乃に対する感謝の言葉。
「そうですか……ありがとな、雪乃」
「ううん、龍麻くんが……生きて……嬉しい……」
再び見つめあい、自分達の世界に浸ろうとする二人を、呆れたようなたか子の声が留める。
「さて、どうするね? わしは別にそこのベッドで愛を交して貰ってもかまわんがね」
「せっ、先生」
「イヒヒヒヒ。冗談さ。請求は受付に回しておくからな。耳を揃えて払いなよ」
豪快に笑ったたか子は、治った患者に用は無い、とばかりにさっさと背を向ける。
その後姿に向かって龍麻が頭を下げると、背中にも目がついているかのように手を上げ、
地響きを立てて歩き去った。
残された二人は、少し中途半端な気持ちになりながらも、静かに顔を寄せていった。
「じゃーねッ、先に行ってるから、後で絶対来るんだよッ」
「お待ちいたしております」
病院を出たところで、小蒔と雛乃は退院祝いをする場所を告げ、先に行ってしまった。
呆れた手際の良さで仲間全員が集まるらしく、主役が遅れる訳にはいかない。
もう少し雪乃と二人っきりでいたかったが、それほど時間も無かった。
まあ、いいか。
ちょっとばかり危なかったらしいが、どうにか雪乃と気持ちが通じ合えたみたいだし、
これからいくらでも時間はあるだろう。
これ以上ない退院祝いを貰った龍麻は、一週間分の凝りをほぐそうと、大きく伸びをする。
その途端、ほったらかしにされていた胃袋が盛大に鳴った。
あまりに大きく響いたその音に慌てて腹を抑えると、
雪乃がもじもじしながら鞄から何かを取り出した。
「わッ、わたし、お昼のお弁当まだ食べてないの。よ……よかったら、食べない?」
「……ありがとう。……雪乃が作ったの?」
「……ううん」
少し残念そうな顔をする龍麻に、雪乃は心の中で誓う。
今日は違うけれど、今度は、わたしが作ったお弁当を食べてもらおう。
夢に見た、あの丘で。
白いドレスは、ちょっと恥ずかしくて着られないかもしれないけれど。
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