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「許さない……ユルサナイ……!」
敵意を認識したのか、彼女の声に怒りが篭もる。
龍介がいよいよ霊を殴りつけようとしたとき、さゆりが呟いた。
「……なんだか哀しそう」
余計なことを言うなと龍介は舌打ちしたい気分だった。
覚悟をようやく汲んだ袋に穴を開けられたようなもので、これでまた溜めなおさなければならない。
できれば萌市に代わってもらいたいくらいだが、彼は掃除機にしか見えない除霊機を構えたまま、
それを駆使しようとはしなかった。
できれば穏便に済ませられないだろうかという龍介の願望を、しかし、女性の霊は無視した。
不用意に彼女の領域に近づいたまま立っている龍介を、敵性の存在とみなし、先制攻撃を仕掛けたのだ。
彼女の動きは先ほどと同様素早く、掴みかかろうとする腕から、とっさに龍介は顔を庇う。
霊の手が龍介の腕を掠めた。
腕から脳へ、冷たい痛みの信号が伝達されたとき、突然、龍介の視界が白く染まった。
何が起こったのかわからないうちに、意識に膨大な記憶が流れこんできた。
電器店の展示にも似た、何台もテレビを並べて同時に点けたように幾つもの場面が瞬く。
それらのほとんどは認識するより早く消えていったが、やがて、そのうちのひとつに焦点が合った。
公園で、彼女は誰かを待っている。
もう約束の時間を三十分は過ぎただろうか。
けれども、待つのには慣れているし、待つこと自体が幸福だった。
やがて彼が走ってくる。
スーツの上着を抱え、ネクタイを肩にかけて全力で。
形相と、走る勢いの激しさに公園に居た人々が振り向き、彼女はちょっぴり自慢気になった。
この人と、もうすぐ結婚するんです。
大声で叫びたくなる気持ちを、彼に向かって手を振ることで紛らわせた。
彼女の許に着いた彼は、しばらくは声も出ない。
膝に手をついて息を整えながら、謝罪の意志だけを顔に乗せて見上げる彼に、
彼女はもともと大して怒ってはいなかったけれど、全てを許すことにした。
「待った? ごめん、ちょっと仕事が長引いちゃって」
「ううん、大丈夫」
「この近くに新しいカフェが出来たんだ。行ってみないか?」
「えぇ、ちょうどお腹も空いてきたとこ。何か美味しいもの食べたいな」
「食事したら結婚式の衣装を見に行かないか? ブーケの色を選びたいって言ってただろ?」
「嬉しい……! 覚えててくれたんだ」
彼女の喜びが、彼女の記憶を超えて龍介の心に満ちた。
彼女と彼は肩を並べて歩きだす。
手を繋ぎ、腕を組み、踊るように歩きながら、彼女は世界に彼がいる喜びを満喫していた。
願わくば、この幸せが永遠に続くように。
「ねえ、漁ちゃん。あたし、幸せよ」
「俺もだよ、裕子」
「ずっとこの幸せが続くといいな」
「続くさ、二人一緒なら」
満腔の意をこめて彼女は頷いた。
そう、二人一緒なら、二人一緒にいるだけで、あたしは幸せ。
だから彼の言うとおり、この幸せは永遠に続くに違いない。
「ねえ、漁ちゃん」
「なんだい?」
「愛してるわ」
白昼堂々の告白に、彼は頭を掻いた。
「俺も……愛してるよ、裕子」
けれども彼は、恥ずかしがりながらもはっきり彼女に応えてくれた。
彼の手を強く握った彼女は、黄金色の幸せに満ちていた。
場面が暗転する。
今度はどこか、屋内だ。
奇妙なことに、ずいぶん低い位置から見ているようだ。
それに、目が動かせない。
居間への入り口と、居間にあるソファだけが見える全てだった。
割れるような頭の痛みが彼女に思いださせる。
自分は今まさに、死んでいくところなのだと。
息を吸おうとすると、ひゅうと鳴った。
その音が彼女を恐怖させる。
もう彼に会えない――
彼の顔を見られず、彼の声を聞けず、彼の匂いを嗅げず、彼の肌に触れることができない。
その恐ろしさは、死に勝るものだった。
彼に会いたい。
彼に会って、謝りたい。
一緒にいられなくなって、ごめんねと。
幸せを続けられなくって、ごめんねと。
けれども願いは叶わない。
薄れていく意識の中、彼女は愛する男のことだけを必死に想った。
世界が黒く染まる、その瞬間まで。
「東摩氏!」
「どうした、東摩!」
萌市と支我の声が龍介を我に返らせた。
どれが本当の自分の意識かわからないほど、いくつかの記憶が混じりあっている。
東摩龍介という自己を確立させるのに三秒ほどの時間を要した龍介は、
敵を前になんという失態をしてしまったのかと自分を叱咤すると、慌てて鉄パイプを握り直し、霊を探した。
彼女は同じ場所にいた。
絶好機であったのに、龍介に襲いかからず、目の前で、わずかに龍介より高い位置から見下ろしている。
全身は白いままだったが、敵意はもう感じられなかった。
それでも油断はできず、龍介は彼女を用心深く見る。
すると、彼女の姿が薄れはじめた。
それは数時間前に四階の教室で出会った誰かの霊と同じ現象だった。
彼女がこちらを見たような気がした。
目があった彼女は、微笑んでいるように見えた。
「ありがとう……あなたのお蔭で、あたしは想い出せた……大切なものを……」
龍介の前で彼女は消えていく。
彼女の象をしていたものがもやになり、さらに細かい粒子となって、見えなくなっていった。
全てが消える寸前に、彼女の声が聞こえた。
「彼に……伝えてくれる? ごめんなさい、って……」
龍介の返事を待たず、彼女は消えた。
部屋はもとの暗い空間に戻り、肌寒さも和らいでいく。
それでも、三人はしばらく動かなかった。
「凄い……こんなやり方で霊を退治するなんて」
萌市が呟く隣で、さゆりも呆然と部屋の中央を眺めていた。
霊とは忌まわしい存在であるはずだった。
現世に未練を残し、その未練を伝えようとして、視えない者には視てもらえない怒りを、
視える者にはすがりつこうとして必死になり、いずれにしても生者に迷惑をかける存在のはずだった。
さゆりの脳裏に苦い記憶が染みのように浮かびあがってきた。
まだ分別のつかない子供の頃、視えるものを視えると言って、大人に気味悪がられたこと。
小学生になって注意深く他人には話さないようにしていたのが、
心霊ブームに乗って視えると言った、目立ちたがりの同級生の口車につい乗ってしまい、
同じ過ちを繰り返してしまったこと。
彼女にとって霊とは怖ろしくなどない、厭わしいだけの存在だった。
中学生になり、高校生になっても、必ず一度はクラスのどこかで霊の話が交わされた。
視たがるくせに、本当に視える人間を疎む彼らを、さゆりは軽蔑し、相手にしなかった。
当然孤立したが、さゆりはむしろ歓迎した。
霊の話など好む連中と、つきあってなどいられない。
さゆりは最低限の礼儀だけを守って、ごく少数の友人とだけ友好を保つ学生生活を送った。
そうしているうちに霊も視えなくなっていき、ようやく平穏な毎日が得られたと安心していた。
さゆりの平穏が破られたのは、高校三年生になった時だ。
こんな時期に転校してきた東摩龍介という男は、さゆりにとって全く関心を惹かない人物だったが、
彼の転校の挨拶で、あろうことか学年一の秀才である支我正宗が霊を信じるかなどと訊いたのだ。
霊という言葉自体を憎むまでになっていたさゆりは、当然、それを用いた支我と、
興味のある素振りを見せた龍介を許せなかった。
彼を校舎の四階に連れだしたのも、彼が幽霊を視えるふりでもしようものなら、
断罪してやろうという気持ちが半分はあったからだ。
しかし、霊を視て動揺したのはさゆりの方だった。
目撃したのは害意は感じられない少女の霊だったが、龍介と同じものが視えていると判明したとき、
さゆりは言いようのない恐怖に囚われたのだ。
他人には信じてもらえないがゆえに、幻だと自分に言い聞かせることができた世界。
作り事の中だけに存在するはずの、彼女を苦しめる世界が、転校生と共に浸食してくる。
この世界に呑まれないためには、龍介を徹底的に打ちのめすほかなかった。
しかし、翌日の龍介の反応は、これまで彼女の周りにいた、自称霊が視える人々のどれとも違った。
霊を視たと大騒ぎするでもなく、かといって何も視ていなかったことにするでもなく、
視たものは視たと自然体で受けいれたようだった。
それは唯一彼女の理解者であった祖母の態度に似ていて、さゆりは戸惑った。
浸食してくると思っていた世界が、すでに彼女の裡にあると思いだしたからだ。
だからさゆりは龍介と支我を尾行した。
彼らの世界を確かめるために。
そして今、さゆりは三度幽霊を視た。
しばらくの間視えていなかったものが、どうしてまた視えるようになったのかは解らない。
だが重要なのは彼女と同じものを龍介も視た点だった。
さゆりに向かって襲いかかった霊から、龍介は庇おうとした。
身体を触られたのはともかくとして、少なくとも霊に関して彼は嘘をついていないと認めざるをえない。
そして同時に霊は、さゆりがこれまで住んでいた世界と重なる場所に確かに存在しているのだと
受けいれるほかはなかった。
だが、さゆりを最も驚かせたのは、最終的に龍介が霊を力尽くで退けたのではなく、納得させて成仏させた点だった。
死後の世界などあるのかどうかもわからないから、納得や成仏という言葉が正しいのかは知らない。
しかし、彼女が出現したときにまとっていた無念の想いは視えず、他者に対する憎しみも感じられなかったのだから、
殴って消滅させるよりは良い結果であるに違いない。
こんなことができる人間など見たことがないし、霊を退治する夕隙社に対しても興味が湧いたのは確かだった。
突っ立っている龍介の後ろ姿を見ながら、さゆりは決心する。
霊と、もう少しだけ関わってみようと。
「霊体反応消滅。任務完了だ、戻ってきてくれ」
「さあ、機材を片づけて撤収しましょう」
インカムからの支我の声と萌市に促されて、龍介とさゆりは真鍋家を後にした。
夕隙社の社用車には左戸井と支我が待っていた。
「お疲れ様、よくやってくれた。左戸井さん、帰ってきましたよ」
あきれたことに左戸井は眠っていたらしい。
唯一の成人なのだから、霊退治に参加しないまでも見届けるくらいはするべきではないのかと思ったのは
龍介のみならずさゆりものようで、残光式のルームランプが消える寸前に照らした彼女の眉は、
急角度につり上がっていた。
彼女の視線に気づいたか否か、左戸井は恐れ入った様子もなく伸びをしてエンジンを始動させる。
見た目に応じて使いこまれていそうなエンジンは魔女の高笑いのような音を繰り返し、
龍介が近所迷惑を心配しかけた頃にようやくかかった。
「んお? ふァ……どうだ、初めての霊退治は。チビッたりしなかったか?」
「東摩はもう昨日一体退治していますよ」
「なんでェ、つまんねぇ。ま、なんかあったらそっちの方が面倒だからな、万事そつなくこなしてくれよ」
喉の奥で笑う左戸井に、またもさゆりは非友好的な眼差しを向ける。
「明日……いや、今日か、報告書は作ってもらうとして、何があったんだ?
戦いにはならなかったようだが、霊体反応は確かに消滅した。こんなケースは珍しいぞ」
「ほら、支我君が訊いてるわよ」
左戸井にぶつけられない鬱憤を龍介に肩代わりさせようとしたさゆりだが、彼の反応は薄かった。
不審に思ったさゆりは龍介のわき腹を肘でつつく。
かなり強めに押しても、帰ってきたのは健やかな呼吸音だけだった。
「信じられない。寝てるわ」
「初めての実戦で緊張したんだろう。どうせ社に戻ったら起こすんだから、少し寝かせてやれ」
起こそうとして支我に止められ、さゆりは不満げにシートに背を預けた。
あくびをしそうになるが、意地でこらえる。
一人夢の国に旅立った同級生を見ようとして止め、代わりに別の同級生に話しかけた。
「ねえ、支我君も浅間君も……夕隙社に居る人は、皆霊が視えるの?」
何とはなしに訊いたことだったが、返事は予想外のものだった。
「昔は視えていたが、今は視えない」
「僕も視えません」
「ついでにだが、俺も視えねぇな」
支我に萌市に左戸井、三人が三人とも霊が視えないという。
霊退治を生業にしているのだから、てっきり全員視えると思っていたさゆりは、驚かずにいられなかった。
「そッ、それじゃどうしてあなた達はこんな仕事を?」
今度はすぐに返事はなかった。
信号で止まった車が再び動きだし、さゆりが焦れかけた頃、はじめに答えたのは萌市だった。
「僕は科学の力で霊を視てみたい。そんな動機で夕隙社に参加したんです。
今はまだ、科学的な反応から霊の存在を推測しているにすぎませんが、いつか必ずこの眼で霊を視てみせます」
「……支我君はどうして?」
萌市の返答は大変に興味深かったが、残念ながら、彼とは知り合って一日にも満たず、学校も異なる。
さゆりの関心はやはり支我の方にあった。
「そろそろ着くぜ」
ところが、間の悪いことに、左戸井が割って入る。
仲間同士でかばったのではないかとさゆりは怪しんだが、機会を逸したのは確かだった。
夕隙社に戻ってきても、まだ寝息を立てている龍介のつま先を踏んで下りる。
「痛ェッ!?」
罪のない男の悲鳴に少しだけ溜飲を下げ、ついでに小さなあくびをして、さゆりは社に戻った。
翌日、龍介とさゆりは再び真鍋漁作の家に居た。
同行しているのは伏頼千鶴だ。
夕隙社では霊退治の完了を、関わった当事者が行うのが通例になっているのだという。
今回は初めてということで、千鶴が同行したのだ。
「ありがとうございました。これで彼女も……ゆっくり休めると思います」
「また何かあればご依頼お待ちしています」
やり取りは短い時間で終わり、三人は真鍋の家を後にした。
マンションの入り口で、彼らを待っていた者がいる。
驚いたことに、支我正宗だった。
いつのまに彼に別行動を命じていたのか、驚く龍介とさゆりには目もくれず、彼の上司は報告を求める。
「関係者に話を聞いてきました」
「どうだった?」
「予想通りです」
そう前置いて彼が始めた話は、龍介には全く予想外のものだった。
「真鍋漁作と交流があった女性は、マンションの管理人、近隣の主婦、コンビニの女性店員など五人。
全員がここ数日の間に不可解な現象に見舞われ、怪我をしたり、間一髪で大事故を免れています。
原因はあの女性の霊と見て間違いないでしょう」
「ちょっと、それって」
さゆりが困惑気味に口を挟む。
彼女に一瞥をくれた支我は、再び手にしたノートパソコンに目を落として続けた。
「真鍋漁作は婚約者の死後、複数の女性と交際してたってことだ」
「――嘘よ、そんな」
「目撃証言がある。それに、先の五人全員が交際を認めているんだ」
さゆりは絶句した。
彼女の頬が細動するのを、龍介は見た。
春とはいえ夕方の風は、少し冷たかった。
さゆりの横顔を見ながら、龍介の裡に疑問が湧く。
死者は生者に仇なす。
だが、死者にそうさせたのは生者だ。
それでも、生者を害する限り、常に悪いのは死者なのだろうか?
龍介の心を読んだかのように、千鶴が言った。
「全ての霊が悪だとは私も思ってないわ。でも、人に害をなす霊が多いのも事実。
人を襲い、傷つけ、平穏を脅かす。この世はそういう霊達であふれかえっている」
千鶴の口調は強く、たかだか十八年程度しか生きていない若者の考えなど弾きとばす。
「ウチは霊を退治して報酬を貰う会社。依頼人が悪人だろうと犯罪者だろうと、
お金さえ払ってくれれば私は退治するわ。この世は金――ゴースト・イズ・マネーよ」
彼女の考えが正しいのかどうか、龍介にはまだわからない。
ただ、彼女は自分たちに賃金を払う雇い主であり、逆らってはいけないという分別は持ち合わせていた。
隣の少女もかろうじて反論は抑制しているが、形の良い唇が不満げに歪んでいる。
放っておけば、また彼女の矛先がこちらに向くかもしれない。
そう危惧した龍介は、ひとつ忘れていた依頼を思いだした。
「なあ、ちょっとつきあってくれ」
「あら、ずいぶん直球の告白ね」
「はあ!? どうして私があんたとつきあわないといけないのよ」
曲解する千鶴に被せるようにさゆりの怒声が響いた。
龍介は軽い頭痛をこらえ、二人を等分に眺めてそれぞれに言った。
「頼む。すぐ終わりますから、社長と支我は先に行っててください」
意味ありげな笑みを浮かべた千鶴は、それでも社員のわがままを聞きいれてくれた。
「二時間は時給つけないでおくから、どうぞごゆっくり」
「ちょっと、私はつきあうなんて言って――」
騒ぐさゆりの手を引いて、龍介は真鍋のマンションへと戻っていった。
龍介が呼び鈴を押すと、さゆりが不機嫌極まりない顔で睨みつける。
「手」
「え?」
「いつまで握ってるつもりよ。もし変なこと考えてるんだったら――」
全くそんなことは考えていない龍介は慌てて手を離した。
さゆりはわざとらしくハンカチを取りだして手を拭く。
同じことを仕返してやろうと思った龍介だが、さすがに大人げないと思い直した。
真鍋はすぐに現れた。
「ああ、君たちか、どうしたんだ、忘れ物かい?」
「ごめんなさいって伝えて欲しい。彼女は……裕子さんは最後に、そう言い残しました」
真鍋はと胸を衝かれたような表情になった。
支我は、真鍋が婚約者の死後に複数の女性と交際していたと言った。
もしその話が本当なら、彼はこんな顔をするだろうか?
龍介の疑問をさゆりが口にした。
「あッ、あの……彼女に襲われた五人は、皆真鍋さんと交際しているって」
「……事実だよ」
「そんな……!」
さゆりの悲鳴に、真鍋はほろ苦い笑みを浮かべた。
余人には決して理解できない哀しみを経験した者だけが知る苦さ。
さゆりは気づいていないようだが、龍介には分かった。
真鍋も龍介に何かを見いだしたのか、軽く目を瞠った。
「裕子が死んでしまったと知らされたとき、僕はどうしたら良いかわからなくなった。
自分の人生そのものに意味を見いだせなくなってしまったんだ。仕事も、趣味も……全てが無意味に思えた」
からからに乾いた真鍋の声が、二人の聴覚に反響する。
「そんなだから、僕は彼女たちにすがった。いわゆる深い関係には誰ともなっていないが、
裕子から誤解を受けても仕方がないくらいにはね」
真鍋が目を閉じる。
数秒の後、開かれた目は、まっすぐ龍介とさゆりを見た。
その目が少し潤んでいるように見えたのは、夕暮れのせいだったかもしれない。
「だから、彼女たちが襲われたのには僕に責任がある。近いうちに謝りに行くつもりだよ」
「ごめんなさい、私、勝手に勘違いして、あなたのことを酷い男だと思ってました」
「そう思われても仕方がないさ。でも、もう僕は……前を向いて生きる。
改めてお礼を言わせてもらうよ、彼女を成仏させてくれて、本当にありがとう」
真鍋の家を離れた二人は、駅への道を無言で歩いていた。
車が一台彼らの横を通りすぎたところで、さゆりが口を開いた。
「ねえ」
「なんだよ」
「真鍋さんが本当は女たらしじゃなかったって、支我君や編集長に報告するの?」
「いや、その必要はないだろ」
「……そうね」
賛意を表したさゆりは、それがとても恥ずかしいことであったかのように話題を変えた。
「まだ十五分くらいしか経ってないわね。どうして編集長は二時間だなんて言ったのかしら」
「ああ、それは多分」
言いかけて龍介は止めた。
一でも三でもなく、二である理由に思い至ったのだ。
正解の確率は千鶴の言動と、別れたのが龍介とさゆり――つまり、男と女だ――
であったという状況から考えると、百パーセント間違いないだろう。
セクハラというか下ネタでしかない千鶴の言動には呆れるほかないが、
それはともかくとして、さゆりに答えを教えるのは大いにはばかられた。
これは決して意地悪ではなく、むしろ善意から生じたものだった。
「何よ、知ってるんなら教えなさいよ」
「いや、言わない」
「……ずいぶん舐めた口聞くじゃない」
龍介が読んだ漫画では、こうした場合いちゃつきながら終わることになっている。
しかし、さゆりの剣幕はヒロインではなく、主人公に敵対するライバルのそれであり、龍介は背筋に冷たいものを感じた。
その寒気は霊の出現時よりも寒いような気がして、龍介の足はひとりでに動きだす。
「待ちなさい、逃げられると思ってるの!?」
さゆりの怒声を背中に聞きながら、龍介は御休憩どころか全力で逃走するのだった。
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