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翌日、龍介達は再び渋谷区のライブハウスに居た。
龍介とさゆりの他に今日は支我も一緒だ。
三人が到着したとき、すでに小菅も来ていて、龍介達を見つけると手を挙げたが、
その目は赤く、本当に徹夜で練習したのだと見て取れた。
「よし、それじゃ早速準備に入るぞ」
支我の指示の下、三人は霊退治の準備を始めた。
今回の霊は彼の執着から考えて、ライブハウスの外に出て行く可能性は低いが、
一応出入り口を封印して逃れられないようにする。
コンセントにも札を貼り、ライブハウス内を霊的に完全な閉鎖空間とした。
それらの作業は龍介とさゆりがほとんど行い、一時間ほどかかって終えた頃には
仮眠を取っていた小菅も起きてきて、全ての用意が整った。
「全員、配置についたか」
支我の冷静な声が龍介達の気持ちを引き締める。
小菅と龍介にはとことん強気のさゆりも、支我には従うようで、その辺りはさすがの貫禄と言うべきなのかもしれない。
支我は夕隙社の社員、つまり龍介達が持つ対霊用小型端末であるウィジャパッドを通して、
ライブハウスの外から指示を出している。
「小菅、演奏の準備はいいか? 寝オチとか勘弁してくれよ?」
「ライブを前に眠気なんて吹き飛んだぜッ!!」
小菅の大きな声が全員のインカムに響き、三人はそれぞれ顔をしかめた。
今回は小菅が練習してきた曲を弾くことでゴーストの関心を呼び、
除霊するという作戦なので、龍介の出番はないはずだった。
それは良いとしても、除霊が成功するまで小菅と霊の演奏を聴かねばならないのが龍介には苦痛だ。
小菅の演奏が嫌だというのではなく、どれほど良い曲だとしてもこれほどの至近距離で、
しかも霊の方は音響効果など考えていない爆音で聴かされては難聴になってしまう。
なるべく早く小菅が片をつけてくれるよう願う龍介の眼前に、突然手が差しだされた。
驚いて龍介が顔を上げると、さゆりが無表情で立っていた。
「どうせ何も用意していないんでしょ? 感謝しなさいよね」
彼女の掌には未開封の耳栓が乗せられていた。
こんな単純な対策を思いつかなかった自分を恥じる気持ちと、
深舟さゆりが親切にしたという、ナチスの残党が月の裏側に逃げ延びて地球に侵攻の機会をうかがっている
というのと同じくらい荒唐無稽な事実が、巨大な球となってピンボールの如く頭の中を跳ね回って、
彼女に出会ってから身につけた彼女へのあらゆる対応策を忘れ去り、龍介はもっとも基本的な感情で応じた。
「お、おう、ありがとう」
耳栓を受け取った龍介が、まだ狐につままれた表情でいると、
さゆりはさっさと踵を返し、自分の配置場所へと戻っていった。
無意識に耳栓を耳に詰めながら、龍介はもしかして昨日爆音で音楽を聴かされたせいで
彼女はおかしくなったのではないかと、口にしたらさゆりが激怒するであろうことを考えたのだった。
ステージに上がった小菅は、耳栓をしていない。
さゆりが彼の分は忘れたというのもあるが、もし渡されたとしても、彼は断固として断っただろう。
ロックか、そうでないか――全ての事象が二種類のどちらかである彼にとって、
たとえ霊をおびきだすためであっても、演奏時に耳栓をするなど、全くロックではないからだ。
全ての準備が整った小菅は、客席に向かって叫ぶ。
そこには現在、東摩龍介と深舟さゆりしかいなかったが、
この場にいない者に向かって、ライブの開始を高らかに宣告した。
「出てこいよ……この曲を探してたんだろッ? 一緒にセッションしようじゃねェかッ!!」
演奏が始まる。
霊の声を代弁するというバンド、スライヴ・ヴリックのコピーバンドであった霊が作曲した、
未発表のオリジナル曲は、昨日聴いた曲とは全く異なっていた。
早く激しいが聴きにくいわけではなく、むしろ聴きいりたくなる。
滑らかな旋律は途切れなく続き、小菅の右手は一瞬の停滞もなく動いていた。
難曲を一日で物にしてきた小菅の実力と、曲が持つ力に衝き動かされて龍介もテンションが高まっていた。
小刻みに足でリズムを取り、それが身体全体に広がっていく。
そこで隣のさゆりはどうかと見てみれば、腕を組んで静かに立ったままで、
龍介が思わず鼻白んだとき、異臭を感じた。
同時に肌寒さを覚えた龍介は、やはり異変を感じたらしいさゆりと目が合う。
対称の動きでステージに視線を戻した二人は、小菅の隣に白いもやが発生しているのを確認した。
「俺の曲……俺の……ッ!」
もやは昨日と同様にギタリストの姿となったが、昨日とは明らかに反応が違った。
苦悶するように身体を仰け反らせたかと思うと、一転して折り曲げる。
その動きを数度繰り返した霊は、小菅と同様にギターを構え、弾き始めた。
「さァ見せてみろ、お前の全てをッ!! 聴かせてみろ、お前の魂の叫びをッ!!」
小菅が叫び、さらに演奏を激しくする。
霊も同調し、二人のギタリストは競うように同じ曲を演奏した。
重なるメロディが、霊の出現によって下がった気温を上回る熱気をもたらした。
足でのリズムだけでは足りなくなった龍介が、握っている鉄パイプを振り回したいという衝動に駆られ、
実行に移そうとしたとき、背後に別の気配を感じた。
振り向くと、新たな白いもやが二つ、頭の高さに浮かんでいた。
ほとんど同時に支我から通信が入る。
「新たな霊反応をキャッチした。おそらく小菅の演奏に惹きつけられたものだろう。小菅の邪魔をさせるなッ」
言われるまでもなく、堂々と鉄パイプを振り回す機会を得た龍介は、高いテンションのまま、
ステージに向かおうとする霊にフルスイングをかました。
人の形すら取っていない、もう少し時間があれば自然に消滅したであろう霊は、
安眠を妨げられた挙げ句に両断されるという気の毒な最期を遂げた。
だが、勢い余って一回転するほどのスイングに、龍介はよろめき、二体目を見失ってしまう。
その間に両断を免れた二体目の霊はステージへと漂っていく。
「ちょっとッ、しっかりしなさいよッ」
声援とも罵倒ともつかぬさゆりの声は、演奏に紛れて龍介の耳には届かなかったが、
龍介はよろめきながらも強引にステージを目指した。
先行する霊の後ろから追いかける龍介は、霊を射程に捉えようと駆ける。
あと半歩で届くというところで、大股で間合いを詰めようとしたところ、
足がもつれてギタリストの霊と接触してしまった。
触れたのは肩の一部で、物理的な痛みは一切ない。
あったのは精神的な衝撃で、侵入してきた誰の物ともつかぬ記憶が、思考を一気に支配した。
「Rock'n Roll Suicide That's not Rock'n Roll...」
公園の芝生でギターを弾いている。
小さな手を懸命に動かし、大人でも難しいと思われる曲を演奏していた。
全て英語の歌詞も、たどたどしい発音ながら、まだ変声前の声で良く歌っていた。
顔は熱意にあふれていたが、別の子供達が通りかかると、一転、しおれた花のように身を縮めてしまった。
どこかへ向かう途中なのか、賑やかに歩いていた子供達は、少年に気づくと歩みを止めて囁き交わした。
「あの子知ってる、うちのクラスの子だよ」
「知ってる、知ってる。あいつ友達一人もいねェんだぜ」
「ああ、だからあんなところで大人に混じってギターなんか弾いてんのか。アホじゃん」
「あのギター、コンセント繋げないと音が出ないらしいぜ? おかしくね?」
「この前あいつ、フォークダンスで女役やらされてた」
「キャハハ、髪の毛長いから? おんな男だ、おんな男」
「やーい、おんな男、おんな男。へたっぴー」
「アッ、向こうでドッヂボールやってる。行こうぜ――」
根っからの悪意ではない、それだけに残酷な会話に、少年は唇を噛みしめた。
ただギターが好きで弾いているだけなのに、どうして馬鹿にされなければならないのか。
ピックを握りこんだ掌に痛みが走るまま、少年は手の甲で目を拭う。
そして、乱暴に上着の裾で手を拭うと、演奏を再開させた。
演奏したのはさっきと同じ曲だが、涙にまみれた声は抑揚が定まらず、
悲しみが宿る手は幾度も違うところを弾いてしまう。
それでも少年は弾き続けた。
彼の全てを込めて。
不意に鳴った拍手が、演奏を中断させる。
少年が驚いて顔を上げると、いつの間にか、外国の青年が立っていた。
金色の髪に、青い瞳。
初めて間近で見る外国人に、声も出せないでいると、青年は優しく語りかけた。
「Hey.I like your way.Thats sounds good」
少年はまだネイティブの英語を理解できない。
だが、男の表情から、褒められているのだとはわかった。
男は自分の胸を叩いてみせる。
「I feel a soul in your music」
あいまいに笑ってみせる少年に、男はギターを指差して言った。
「When you grow up, let's perform a session of that music」
「僕の曲を一緒に?」
セッション、という単語を少年は知っていた。
少年は目を輝かせ、返す言葉を持たないまま何度も、回数が真剣さに繋がると信じて頷いた。
青年は手を差しだし、少年の手を固く握る。
その手の温かさを、少年は決して忘れまいと誓った。
過去の情景は消え、意識が甦る。
「思いだした……あの人が、初めて俺の曲を良いと言ってくれたんだ……」
「あの人がいたから、俺はギタリストとして生きて行けたんだ」
「それなのに……俺は、約束を果たせずに死んだ……」
「それだけが、心残りだった……」
「でも……聴こえたんだ。あの日、僕が演奏していた曲が。
まるであの人が、僕との約束を果たすために弾いてくれたみたいだった」
「最後にこの曲を一緒に演奏できて良かった」
「ありがとう……」
幾つもの思考が並行して走り、消えていく。
それら全てが消え去ったあと、スイッチを消したテレビのように暗黒だけが龍介の頭の中に残った。
「おい、東摩、おいッ」
肩を揺すられ龍介は我に返った。
「おい、どうしたんだよ、いきなり動かなくなっちまって」
どうやらぼうっとしていたようで、演奏を終えた小菅が心配そうに覗きこんでいる。
頭を振って周りを見渡すと、自分たち三人しかいなかった。
「あの霊は?」
「消えたわよ、とっくに」
責めるようなさゆりの口調に龍介が反論しないでいると、彼女はどこかためらいがちに口を開いた。
「何かあったの?」
「……最期にこの曲を演奏できて良かった、ありがとうって」
「あの霊が言ったのね」
龍介が頷くと、小菅が目を丸くした。
「まさか龍介、お前霊と話ができるのか?」
「話っていうか、霊に触るとそいつの考えが流れこんでくるみたいなんです」
「ふむ……そいつァ凄ェな」
小菅は感心するが、さゆりは口を尖らせた。
「そういえば、どうしてもっと早くその力を使わなかったのよ。
そうすれば霊がどんな未練があって現世に留まっているのか、すぐに判るじゃない」
「昨日はあんな演奏聴かされながらじゃ無理だったろ。それに、いつも判るわけでもないみたいだし」
「それじゃ役に立たないじゃない」
その通りだとしても、さゆりの言い種に触発されて、龍介は反論しようとする。
それを止めたのは、小菅春吉だった。
「まァまァ、今日のところは除霊も上手くいったし、引き上げるとしようぜ。
今日はさっさと片づけて帰ってこいって社長に言われてるからな」
「何よ、何かあるの?」
さゆりの疑問に小菅はギターを鳴らした。
「まッ、行けばわかるさ」
編集部に戻ってきた龍介達は、部屋に入るなり千鶴に命じられ、夕隙社から徒歩で十分ほどの場所に移動した。
そこは焼肉店で、入る前に見た看板には「焼肉十八」とあった。
まだ開店直後とあって龍介達の他に客はなく、六人の貸し切り状態だ。
奥の個室に陣取った彼らは、目の前に置かれた生肉を、そのままでも食べそうな勢いで見つめながら、
辛抱強くスポンサーが音頭を取るのを待った。
「えー、夕隙社恒例となっているここ焼き肉牛八での除霊成功の打ち上げだけど、今回は小菅復帰も祝って――乾杯」
「乾杯ッ!!」
五人の声が勢いよく唱和し、グラスが勢いよくぶつかる音が響く。
一人足りないのは、左戸井は千鶴が乾杯といった瞬間から一人ジョッキを傾けたからだ。
そしてむろんアルコールではないグラスの中身を龍介達が三分の一ほど飲み、
モードを食い気に移行させようとするさなかに早くも二杯目を頼み、未成年者達を呆れさせていた。
「さァ、どんどん食べなさい、どんどん」
左戸井のペースには及ばないものの、ジョッキの半分ほどを空けた千鶴は上機嫌で、
口の周りに泡をつけたまま若者に肉をけしかける。
龍介達も異議など全くないので、促されるまま肉を焼き、充満する香ばしい匂いに誘われるまま食べた。
「あっ、ちょっとッ、それ私のなんだから触んないでよ」
「うるさいな、こんなの早いもの勝ちだろ」
「そんなの半生でも食べちゃうあんたに勝てるわけないじゃない」
龍介とさゆりは一歩も引く構えを見せずに睨みあう。
その隣では支我が如才なく自分の領域を確保して焼き続け、さらにその隣では小菅に焼かせた肉を千鶴が食べていた。
言い争いなどしていては時間の無駄と悟った二人は、一時休戦して猛然と肉を焼き始めた。
米飯をかきこみながら肉を喰らいつづける小菅が、米と肉の合間に言った。
「今回は俺様の徹夜の練習があったからこそ除霊が成功したってモンだな」
自画自賛する小菅に、一杯目を飲みほした千鶴が冷静に指摘した。
「それだけど、何も生演奏する必要はなかったんじゃない?」
「へっ?」
小菅は肉を飲み下す大きな音を立て、さゆりに眉をしかめさせる。
その隙に龍介はさゆりの焼いた肉を取ろうとして、箸をたたき落とされていた。
淡々と、しかし結果的に最も効率よく肉を食べている支我が、箸を止めて千鶴を見る。
「パソコンに音階を打ちこんで、アンプから流す方法もあったということさ。ですよね、社長」
千鶴の同意より早く、小菅が激しく首を振った。
ヘッドバンキング――と言えば聞こえは良いが、泥を払い落とそうとする熊にしか見えない。
「だァァァッ、んなの全然ロックじゃねェッ!!」
ジョッキに半分以上残っていたウーロン茶を一気に飲みほし、小菅は自説を開陳した。
「ロックってのは燃える魂を宿してんだよッ!!いわば魂がロックなんだよッ!!
全身全霊、魂を込めて演奏するからこそ心に響くんじゃねェかッ!! なぁ東摩ッ!!」
楽器などまるで弾けない龍介は適当に頷いておいたが、小菅は同志を得たとばかりに大声を上げた。
「ほらみろッ、分かるヤツには分かるんだよッ! んで分からねェヤツには分からねェんだッ!!」
「そんなの当たり前じゃない」
肉の焼ける音をBGMとしたさゆりの指摘は鋭く刺さったが、小菅は気にしないことにしたようだ。
そろそろ頃合いと見て肉を取ろうとする龍介の肩を抱き、激しくジョッキを打ち鳴らした。
「よし東摩ッ、今宵は俺様とロックについて熱く語ろうぜッ!!」
熱いのは肉だけで充分だと龍介は思ったが、周りは皆肉を焼き、あるいは食っている。
もっとも助けになりそうな支我が、煙をものともせず網の上に置かれた肉を凝視しているのを見て諦め、
一方的に始まったロック談義につきあうことにした。
ただし耳と口は独立して動かせるので、聞きながら食べようと、
先ほどから食べられるのを待っているはずの肉を回収しようとする。
だが、ほんの十秒ほど目を離した隙に、全ての肉はきれいさっぱり龍介の前から消え失せていた。
どこにテレポーテーション――新米とはいえ、これくらいのオカルト用語は知っている――
したのかと探す龍介の眼に、今まさにさゆりの口の中に消えようとする肉が映った。
「待てッ――」
叫びも空しく美味そうな肉は無情にも消失する。
怒りのあまり拳を震わせ、龍介は窃盗の現行犯を糾弾した。
「てめェッ、俺の焼いた肉返しやがれッ!」
彼の怒りなど歯牙にもかけず、さゆりは悠然と顎を動かす。
彼女が反論したのは、完全に肉を食べ終えてからだった。
「証拠はあるの」
「今お前が隠滅しただろうがッ」
声をうわずらせる龍介を前にして、さゆりはウーロン茶を飲んでから答えた。
「大の男がみっともないわよ」
「大の女が人のものを盗るのはみっともなくないのかよ」
「あなたのものだなんてどこに書いてあったのかしら」
内容としては小学生レベルに過ぎない言い争いを、昼のドラマでありそうなやり取りに見せているのは、
ひとえに深舟さゆりの口調によるものだ。
龍介の怒声をいなしつつ、焼き肉という原始的な食事を上品にすらこなす様は、有り体に言って龍介とは格が違った。
龍介にとって格などどうでもよく、人の物を盗っておいて、
反省どころか悪いことだとすら思っていない女には鉄槌を下さねばならない。
そのために龍介は不本意ながら一旦後退して体勢を立て直すことにした。
そこに、千鶴の拍手が割って入る。
「はいはい、見てるこっちが胸焼けするような会話はもういいから」
「どういう意味ですか」
今度はさゆりが気色ばんで千鶴に噛みついたが、怒りや羞恥心以外の成分で顔を赤くしている編集長は、
小娘の剣幕など豪快に笑い飛ばした。
「ねぇッ、カルビ五人前追加ッ」
「ごまかさないでくださいッ」
「ごまかしてなんかないわよ。ウチは仕事さえしてくれりゃ社内恋愛だって自由よ」
「どうして今のやり取りを見て恋愛だなんて言葉が出てくるんですか?」
さゆりは本気で怒っている。
それはまあ、龍介も腹立たしくはあるが、そんなにはっきり言わなくても良いではないかという
哀しい男の性がチクリと胸を刺す。
その痛みは、しつこく食い下がるさゆりと、いいからいいからなどと言って意味ありげに笑う千鶴を見て
いや増すのだった。
「カルビ五人前、まいどッ」
オーダーを受けつつ空いた皿を下げに来た店員は、牛のような大男だった。
ホルスタイン柄のエプロンを着ているが、可愛いなどということはなく、むしろ突然変異の凶暴種を思わせる。
大きな皿を軽々と持ってきた店員に、千鶴が親しく話しかけた。
「あら、店長自らホールに出るなんて、あのバイトの女の子は? 安いバイト代でこき使うからついに止めちゃったとか?」
「人聞き悪いこと言わないでくれよ、千鶴ちゃん。ただの休みだよ、休み」
千鶴はこの店の常連らしく、店長も友人のように砕けた口調だ。
「本当〜? そんなこと言って、実は故郷に帰ってるんじゃないのォ〜?」
「違うって、モウ。どこぞのちょっと怪しいオカルト出版社にバイトこき使ってるとか言われたくないよ」
「それは違うわ」
いきなり千鶴の目が据わったかと思うと、ジョッキを掴んで立ちあがった。
思わず静まりかえった一同を見渡し、彼女は声高らかに宣告した。
「うちはすごく怪しいオカルト専門の出版社。会社自体がオカルトみたいに言わないでくれる?
それから、こき使ってるんじゃなくて酷使してんの。そこんとこ間違えないでよね」
豊かな胸を反らして割と酷いことを千鶴は言ったが、若者達は途中から誰も聞いておらず、
年齢不明の左戸井はそもそも最初から聞いていなかった。
「生くれ」
「あ、私も」
「毎度ッ。生モウ二丁追加ッ」
無視された形の千鶴だが、酔いが程よく回っているのか、
気にした風もなくすとんと腰を下ろしてジョッキを振った。
ジョッキが下げられ、ほどなくビールを満たした新しいジョッキと肉の皿が運ばれてくる。
もちろん、それらも瞬く間に消費される運命を辿るのだった。
焼き肉を乗せた皿が未確認飛行物体の如く現れたり消えたりを数回繰り返したころ、
龍介もようやく食に対する欲望を満たすことができた。
すでに腹は百パーセントを超えたその先に到達しているが、
そこに肉がある限り箸は止めないという覚悟を完了させるとそうなってしまったのだ。
食欲が満ちれば次に来るのは睡眠欲で、龍介は横を向いて思い切りあくびをする。
あくびが終わったところで、さゆりが話しかけてきた。
「ねえ、私デザート頼むけど、東摩くんはどうする?」
「頼む」
先ほどの言い争いが幻であったかのような突然の親切に、龍介は答えるとき少し舌をもつれさせてしまった。
何か企みがあるのかもという勘繰りをよそに、さゆりは二人分のデザートを注文してくれた。
デザートがくるまで二人は何も話さなかったが、メロンのシャーベットを一口食べたあと、さゆりの方から話しかけた。
「ロックに魂が宿る、か……ねえ、あの霊を救ってあげたことになるのかしら」
「……だといいけどな」
殴り倒してこの世から追い出すよりは、納得して出ていってもらった方が良いに決まっている。
シャーベットを頬張りながら龍介が言うと、残った肉をたいらげていた小菅が肩をぶつけてきた。
「音楽を愛するヤツに悪いヤツはいねェ。それがたとえ霊であってもだ。
アイツはただ、みんなに聴いて欲しかっただけさ……自分自身の、魂の叫びをな」
それは二〇一五年の東京で口にするには、少し恥ずかしい台詞だったかもしれない。
しかし龍介は笑わず、さゆりも混ぜっ返したりはせず、それぞれの表情で、霊の行く末に思いを馳せたのだった。
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