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 が、その決断は遅かった。
「明日なき明日、未来なき未来を切り拓く、それこそがロックスピリットさッ!! 行くぜッ!!」
「ちょっと、止めなさいよッ!」
「野暮な忠告はノーセンキューだぜ、熱くなったハートが冷めちまわァ。
オーディエンスはそこで俺様の生き様を見ているんだなッ!」
 体躯に似合わぬ速さでステージに立った小菅は、さゆりの制止を振り切ってギターを演奏し始めたのだ。
「さァ、この音を聴けッ!! 出てきやがれ、ゴースト野郎ッ!!」
 突然の大音響にさゆりはしゃがみこんでしまい、小菅を止めるどころではない。
龍介もしゃがみはしないが耳を塞がずにはいられず、小菅の独壇場となった。
「こいつはお前のギターじゃねェが、こいつを聴きながら昇天しやがれッ!!」
 一人陶酔して演奏する小菅の指が目まぐるしく動く。
彼のテクニックは超絶とまではいかなくても、充分に上手いと言えるレベルで、
激しいながらもメロディアスな旋律が小さなライブハウスに轟いた。
 観客はたった二人しかおらず、しかも彼らはロックを愛好しているとは言い難く、
イマイチどころかイマミッツくらい盛り上がりに欠ける。
売れない芸人の地方営業のような惨状を見かねたのか、新しい観客が現れたのは、
小菅の演奏がサビを過ぎ、やや沈静化した辺りだった。
「違う……このギターじゃない……」
 どこからか声が聞こえ、龍介とさゆりは思わず顔を見合わせる。
もちろん二人の声ではなく、陶酔しきっている小菅も口は動いていない。
わずかな寒気を意識して周りを見渡すと、小菅のすぐ傍に白いもやのようなものが発生していた。
「……!」
 もやは急速に色を濃くし、一定の形を取り始めて、十数秒で明確に人間の姿となった。
細身で長身、長髪にサングラスをかけ、ギターを持った若い男の姿だ。
小菅とは全く異なるが、音楽をやっているという点では確かに共通する見た目を持つ男は、
龍介とさゆりには目もくれず小菅の演奏を眺めた。
「違う……ちがう……チガウ……」
 白い男は小菅のギターを見るなり言った。
叫びではなく、呟きに近い声量だったが、小菅はもちろんステージ下にいる龍介とさゆりにもはっきり聞こえた。
「だから違うって言ってンだろうがッ!」
 対する小菅はリズムに乗せて怒鳴り散らす。
演奏の邪魔をした霊に対する喧嘩腰は、激しい反応となって帰ってきた。
小菅の演奏に被せるように、新たなギターの演奏が始まったのだ。
「きゃッ! な、何よこれ、何とかしてよッ!!」
 合奏というにはあまりに不快な音の重なりにさゆりが悲鳴を放つ。
龍介も初めて体験する音の暴風に、とっさにどう動いて良いか判断がつかなかった。
「こいつ……自分の身体にシールドブッ刺して音出してやがる……」
 ステージ上の小菅は、演奏を始めた霊に驚愕していた。
「この弾き方、こいつは――フィードバック奏法かッ!?」
 歪ませたギターの音をスピーカーに拾わせてノイズを発生させる。
このノイズを積極的に演奏に取り入れるのがフィードバック奏法だ。
ロックのテクニックとしてはポピュラーなものだが、この霊はアンプとスピーカーを自分の身体でまかなっていた。
つまり、弾いたギターの音を、シールドを直接接続した体内で増幅させ、外に放出する。
技巧も技術も超越した、自らの思いのままの音を奏でる霊には、いくら小菅といえども対抗できなかった。
「ダッ、ダメだ……俺様のギターの音が負けてる、こいつは……本物だぜ……!」
 ゴーストが鳴らす音はもはやギターと呼べる代物ではなく、雷の轟きさながらだった。
龍介の眼前の空気が揺れ、歪み、震える。
脳を直接掴まれ、あらゆる方向に振り回されるような感覚は、長い時間続いては身が保たないだろう。
「に、逃げるぞッ――」
 小菅が叫んだような気がするが、はっきりとは聞こえない。
言っていることはわからなくても、言いたいことは明白だったので、龍介は出口に向かった。
音の圧力が背中を突き飛ばさんばかりに叩くなか、よろめきつつも進む。
扉まで来たところで、気配が足りないのに気づいて振り向くと、さゆりが両耳を押さえてしゃがみこんでいた。
何かを考え、あるいは迷うことなく、龍介は引き返す。
物理的に前進するのが困難な音圧をかき分けて進み、とっさに制服を脱いで彼女の頭にかけると、
手を掴んで再び出口へ向かった。
 二人が入り口の扉を抜けると、小菅が全力で閉める。
音はまだ聞こえてきたが、肉体にダメージが及ぶというほどではなくなり、
安全を確認した龍介は力尽き、さゆり共々へたりこんだ。
しばらくは三人とも口を開くこともできない。
 霊が扉を抜けてこないか、龍介はちらちらと視線を走らせる。
だがどうやらあの霊は追いかけてまで自分の演奏を聴かせようとはしないようで、
次第に音楽も聞こえなくなっていった。
「これじゃ逮捕された犯人みたいじゃない」
 扉を閉めてから二分以上が過ぎて、ようやく気力の回復したさゆりは、
頭から被せられた制服をむしり取りながら、開口一番そう言った。
それでも制服を床に捨てたりはせず、持ち主に手渡しで返したのは、一応感謝はしているのだろうか。
いやまさか。
愚かしい自問自答をしながら龍介は制服を受け取り、袖を通した。
「大体こんな制服一枚でどうにかなる音じゃなかったでしょ」
 無言の龍介にさゆりはつい思ったことを言ってしまう。
彼は彼なりに救おうとしてくれたのだ――まるで無意味であったとしても。
 さゆりの一言は小菅の目を瞠らせたが、言われた当人は怒るでもなく、
何やら言いたげなそぶりをするものの何も言わない。
ひとかけらほどはあった感謝の気持ちもたちまち消し飛び、さゆりは口を尖らせた。
「何よ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「……いや、頭ぼさぼさになってるぞ」
 龍介は耐えきれず笑いだした。
あれだけの音の圧力を至近距離で浴びたさゆりの髪は見るも無惨な状態だった。
それは龍介や小菅も同様なのだが、彼女の髪は長い分被害も大きく、なまじ普段がひとかたまりのように
なめらかで艶のあるだけに、どうしても滑稽な印象を与えてしまうのだ。
「……ッ!」
 顔を赤黒くしたさゆりは霊が奏でたギターの音圧にも劣らない眼圧で龍介をたじろがせると、
ブラシを取りだして有無を言わせず彼らを待たせ、髪をとかしはじめた。
 待っている間、することのない男二人は自然と話を始める。
「しかし凄ェ奴だったな。俺様のリフを完全に食ってやがった」
 小菅が感心しきりといった風に何度も頷いている。
一歩間違えれば音の嵐に呑みこまれていたかもしれないのにのんきなものだ。
龍介は呆れて首を振った。
「小菅……さんはどうやって除霊するんですか?」
「あン? 決まってるだろッ、こいつが俺の相棒よ」
 小菅はギターを振って見せた。
「俺様の魂の篭もったこいつを聴かせりゃ、どんな霊もシビれて即昇天って寸法よ」
「その割にさっきの霊は元気一杯になってたじゃない」
 さゆりの一撃は小菅の魂にまで届いたらしく、巨漢は打ちひしがれた表情で龍介を見た。
彼を慰める言葉を、龍介は持たなかった。

 三人が夕隙社に戻ってきたのは、午後六時を回った頃だった。
概要はメールで報告してあるが、とても成功とはいえない状況なので三人の足は重い。
さゆりでさえ社に戻るまで一言も口をきかなかったのは、疲労のせいもあるとしても、龍介には衝撃的だった。
「で? ロックな生き様がどうしたって?」
 改めて三人から報告を受けた伏頼千鶴は、深く吸いこんだ煙草を細く長く吹いた。
三人の中でも霊退治においては先輩にあたり、今回の失敗の原因でもある小菅は、
大柄な身体を一割ほど縮めてあごひげを掻いた。
「えーと……」
「とっさに持っていた塩を撒いたのは腐っても夕隙社の人間だと褒めてあげるけど、
一歩間違えばあんたも他のギタリストの二の舞になっていたわ」
 小菅としては新米二人にいいところを見せたいと思ったのだろうが、
鼓膜が破れでもしたら大変なことになっていたところだ。
上司として千鶴は厳しく言い含めなければならない。
「すいません……」
 とはいえ小菅は強気ではあるが打たれ弱く、あまり過度に叱って萎縮させるのも良くない。
その辺りの加減が難しいところで、もう一言釘を刺したいのをこらえて千鶴は部下に議論を任せた。
 議論の口火を切ったのは、気力が回復したらしいさゆりだった。
「あの強力な霊は明らかに自分のギターを探していたわ」
 霊が「このギターじゃない」と言ったのは全員が聞いている。
その旨は報告書にも記してあり、ページをめくりながら千鶴が頷いた。
「そのようね」
「霊が探しているギターがわかれば、除霊することもできるんじゃない?」
 でもどうやって。
当然の疑問を龍介が発しようとしたとき、それまで黙っていた支我が口を開いた。
「そこなんだが」
 車椅子の左側に置いたノートPCを見ながら、小菅に向かって訪ねる。
「霊はフィードバック奏法というのを使ったんだよな?」
「ああ」
「霊は知識を蓄積することはない。生きている人間のように何かを変えるということもない。
つまり、あの霊は、四ヶ月前に亡くなった、フィードバック奏法を得意とするギタリストで、
しかもあのライブハウスに所縁のある者、ということになる」
「なるほど……あそこはそんなに大きいハコじゃねェから絞りこむのは難しくなさそうだな」
「その線で調べてみたら、ひとつのバンドが浮かびあがったよ」
 支我の仕事の速さに、三人はそれぞれ驚きの表情を浮かべて彼を見た。
 支我は得意げになることもなく、淡々と調査の成果を披露した。
「スライヴ・ヴリックというイギリスのインディーズバンドを知っているか」
「ああ、もちろんだぜッ!! 社用車にカセットだって積んであるぜ」
「カセットって何?」
 意気込む小菅に、水を差したのはさゆりだった。
彼女の疑問に小菅がアンビリーバブルとばかりに大きく目を見開く。
「深舟チャン、マジでカセットテープって知らないのか!?」
「だから何って聞いてるでしょ」
「オー、ノー……」
 小菅は同意を求めるように千鶴を見る。
千鶴は部下の視線を完全に無視し、沈黙を保った。
説明したのはさゆりと同年齢の支我だ。
「カセットテープというのはだな、磁気のテープに音楽を記録して聞くためのメディアだ」
 この辺りは説明されても実物を見ないとピンとはこない。
さゆりは仲間はずれが自分一人なのかどうか素早く見渡し、間抜けな面をしている男がいるのをみてわずかに安心した。
「俺達は今でもテープに録ってるんだぜ。やっぱりデジタルじゃ魂が伝わんねェからな」
「え、でも今市販されてる音楽って、ほとんどCDかデジタルデータよね」
「……」
 泣きそうな顔をして沈黙した小菅に代わって、支我が話を再開させた。
「そのスライヴ・ヴリックのコピーを中心に演奏していたバンドのギタリストが、
四ヶ月前に病気で亡くなっている。霊は彼に間違いないだろう」
 病気なら、自分の死を意識していたことになる。
つまり、死ぬ前の執着が、彼を霊にしたということだ。
その執着の元を探しだせれば、除霊も容易になるだろう。
「スライヴは自分たちは霊の言葉を代弁するといって十三曲の曲を発表して解散したバンドなんだぜ」
 小菅の解説に支我は頷いた。
「霊の言葉を代弁か……面白いな。それはともかく、死んだギタリストはフィードバック奏法を得意として、
渋谷界隈では有名だったそうだ。ギターを百本以上も所有し、墓石もわざわざギターの形にするくらい
ギターを愛していたそうだ。ギターこそが彼の魂……そう言っても過言ではないな」
「一度に演奏できるのは一本なんだから、百本も持っていても仕方ないんじゃないの?」
「さっき言ったろう、ギターはそれぞれ出す音が違うし、デザインだって千差万別さ。
俺様だって百本には及ばないが、十本以上は持ってるぜ」
 十本でも充分多いと思われるが、そもそもギターに興味のないさゆりは小菅の小さな自慢にも全く関心を持たなかった。
 小さく落胆する小菅を横目に、支我が小さく咳払いをする。
「そのギタリストは、死の直前、コレクションを愛用していたギターごと全て自分で焼き払っている」
「そいつはおかしいぜ。コレクションや愛用していたギターってのは、いわばそいつの遺品ってヤツだ。
遺品を燃やしたり供養することで霊は成仏するってのがこの世界の常識だぜ。
なんでギターが全部燃えちまってんのに成仏しねェで出てくんだよ?
しかも、燃やしたのは自分だろ? 何が何だかわからねェぜ」
 小菅が大げさに肩をすくめる。
その傍らで支我は、左右に首を傾げている龍介に気がついた。
「どうした、東摩」
「いや……霊の演奏した曲が頭にこびりついて離れないんだ」
 自分でも訳の分からないことを言っていると龍介は思った。
 霊が演奏した曲は、後半に至っては音量が大きすぎてメロディーなど聞き浸る余裕もなかったはずだ。
なのに、編集部に戻ってきて気がついてみると、謎の演奏が頭の中で始まっていた。
衝撃を受ける、というのとも少し違う、意識の外で常に曲が鳴っているような感じは、
詳しく説明するほどおかしくなったと言われかねないだろう。
 だが、支我は一笑に付したりせず、現場に行った二人に顔を向けた。
「小菅と深舟はなんともないのか?」
「俺様はなんともないぜ」
「私も平気。頭が空っぽだからそうなるのよ」
 さゆりに龍介が反撃しようとしたとき、それまで若者同士に討論を任せ、一言も発しなかった千鶴が口を開いた。
「それよ」
 紫煙を吐きだし、吸い殻を灰皿に押しつける。
金へと続く道が彼女の前に現れるとき、彼女の顔は生気に満ちて光り輝いていた。
「それって、東摩くんの頭が空っぽってことですか?」
 澄ました顔で龍介をやりこめているつもりの小娘を、薄く笑っただけで無視した千鶴は、彼女の考えを披露した。
「成仏しないでこの世に留まってまで演奏している。それはきっと、心残りになっている曲があるからよ。
音楽っていうのは形に残らなくても、記憶には残る。そして記憶は燃やすことができないわ。
その霊が遺してきた自分の曲に縛られているとしたら、
その曲を探しだすことで除霊するための糸口が見つかるかもしれない」
 一息ついて千鶴は結論を述べた。
「おそらくは彼が作った未発表曲。彼はそれを演奏したがっている」
「でも、そんなのどうやって探すの? あるかどうかもわからないのに」
 千鶴は即答せず、新しい煙草に火を点け、一筋の煙をくゆらせる。
さっそく苛立ったさゆりが何か言おうとした寸前、絶妙のタイミングで先んじた。
「支我、彼は墓もギターの形って言ったわね」
「はい」
「それなら、そこから調べるとしましょう」
「……お墓を調べるっていうの!?」
 声を荒げたさゆりに、千鶴は冷静に説明した。
「別に墓を暴くわけじゃないわ。墓石をギターの形にするくらいだから、
死んだ後も演奏できるように譜面を刻んだ可能性がある。支我、彼の墓の場所はわかる?」
「はい」
「なら小菅と東摩君で調べてきなさい」
「どうして二人だけなんですか? この二人だけで大丈夫ですか?」
「怖くないのなら行っても構わないわよ。夜の墓場は結構雰囲気あるけど」
「行きます。墓場なんて全然怖くありません」
 断言するさゆりにやれやれといった風に千鶴が頷く。
 彼女の隣では支我正宗が、まんまと誘導に成功した老獪な女社長を、
呆れたとも感心したともつかぬ、微妙な表情で見上げていた。

 発奮したさゆりに引きずられるようにして、龍介と小菅が墓地についたとき、
彼らが一旦夕隙社に戻ってからまだ一時間と経っていなかった。
「少し休ませてくれ」という鶏の鳴き声にも似た小菅の悲鳴は儚くも無視され、
龍介に至っては嘆く権利すら与えられずに先頭を歩かされている。
せめてコンビニで小腹を満たすものくらい買いたかったが、
こうなったら一刻も早く目的の墓を探しだすしかなさそうだった。
 夜といってもまだ九時にはなっておらず、街の喧噪もどことなく漂っている。
それでも、墓という場所それ自体が持つ静謐さと気味の悪さは肌にねっとりとまとわりついてきて、
それなりに広い墓地を三人は別行動する気にはなれなかった。
「さっさと目的の墓石を探して帰りましょ」
「怖いのかよ」
「そんなわけないでしょッ。真面目にやらないと引っぱたくわよ」
「俺はいつも真面目だっての」
 返事の代わりに殺気が飛んできたので、龍介は手がかりを元に霊となったギタリストの墓を探すことにした。
 墓の形も最近は色々あるが、ギターの形をした墓というのは珍しいに違いない。
探すのにそれほど時間はかからないだろうというのは、それほど大それた望みではないはずで、
事実、十分とかからずに目的の墓を見つけることができた。
「おい、あったぜッ!!」
 小菅が小声で叫んで墓に駆け寄る。
二人も彼に倣って墓の前に立ち、ペンライトを向けた。
 ギターの形という手がかりに偽りはなく、台座の上にヘッドを上に立てられているのは、
実寸大のエレキギターそのものだった。
弦こそ張られていないものの、その他は細部に至るまで再現してある。
感心しつつヘッドから下に向けてペンライトを動かした龍介は、床に何かが彫られているのに気がついた。
「こいつは……譜面だぜ」
 しゃがみこんだ小菅が唸る。
 彼の背中ごしに床を覗きこみ、さゆりが訊ねた。
「譜面って……楽譜ってこと?」
「そうだな。こいつはエピタフってヤツだ」
「エピタフ? 何よそれ」
「墓碑銘のことさ。死んだ人間の功績を称えた詩を墓石に刻んだり、死ぬ前に自分で詩を刻んだりする。
こいつの場合はそれが譜面だったってわけさ」
「それじゃ、この譜面に書かれていた曲が、あの霊が探していたものってこと?」
「まッ、おそらくそうだな」
「じゃ、これで事件解決ね。すぐに編集部に戻って準備して、ライブハウスに行きましょ」
「ちょっと待てよ深舟チャン、そいつはまだ早いぜ」
 立ちあがった小菅が人差し指を立てて振る。
ペンライトの小さな光が作りだす陰影は、彼のアメリカナイズされた仕種を余計に苛立たせた。
「なんでよ、この譜面の曲を聴かせれば、あの霊を成仏させられるんでしょ?」
「そうなんだがな」
「何よ、煮え切らないわね、はっきり言いなさいよ」
 さゆりは早くも痺れを切らして声を高めた。
ペンライトの当たらない部分でこっそり龍介も頷く。
「この譜面――練習しねェと弾けねェッての!! ぶっつけ本番でこんな難しい曲弾けるかッ!!」
 小菅がなぜ言い渋ったのか不明だが、音楽の素養など皆無の龍介にも、
譜面を見ているだけで難しそうだという雰囲気は伝わってくる。
練習する時間が必要だという主張は妥当だと思うのだ。
なので龍介は否定しなかったが、さゆりの方は闇を味方につけたような気配を漂わせている。
「明日までッ、明日まで待ってくれッ!! 徹夜で練習すッからッ!!」
 その気配に感化されてしまったのか、小菅の訴えは卑屈なほどであり、応じたさゆりの態度は傲慢なほどだった。
「……仕方ないわね」
「YEAHッ!! 恩に着るぜッ!!」
「その代わり! 今度はドジらないでよねッ!!」
「お、おう」
 半歩後ずさった小菅は、踵を返して帰路につくさゆりの後ろを、
ハチミツを獲りそこねたクマのようにとぼとぼとついていくのだった。



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