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「霊体反応消滅。良くやった、東摩」
終わりを告げる支我の声に、最後の気力を使い果たした龍介は、糸が切れたように倒れた。
「東摩ッ!!」
支我に続いてさゆりと伊久も駆け寄る。
仰向けに倒れる龍介の顔は、さゆりよりも白くなっていた。
「トーマ君!」
伊久が龍介の身体を揺するが反応がない。
「待てッ、揺らさない方がいい」
支我は直接容態を確認できない歯がゆさに苛立ちながら、震える手でスマートフォンを取りだし、救急車を呼ぼうとする。
その傍らで、頬を紅潮させたさゆりが必死に呼びかけていた。
「ちょっとッ、どうしちゃったのよ、起きなさいよッ!」
龍介の顔をはたきそうな勢いに、支我は止めるべきかどうか迷う。
すると、驚いたことに、生気を失っている龍介の眼が重たげに開いた。
「うるさい……少し休ませろ……」
「なッ……何よ、無事なら無事って言いなさいよ」
さゆりが目を擦るのが支我からは見えたが、龍介には見えなかったようだ。
浅く息を吐いた龍介はさゆりの憎まれ口に、普段通りに顔をしかめた。
「無事なわけないだろ。身体中痛ェよ」
龍介は眼球を動かすのも億劫なようで、さゆりを見上げる瞳にも力がない。
態度を決めかねている様子のさゆりに代わって、支我が訊ねた。
「手足に痺れはないか。それから、特に頭の中が痛かったりはしないか」
「いや……力が全然入らないけど、もう少ししたら立てると思う」
受け答えも正常で、ろれつも回っている。
緊急性はなしと判断した支我は、車椅子を後退させた。
「深舟は東摩についていてくれ。楓は片付けを手伝ってくれないか? 部外者なのにすまないが」
「うん、いいよ」
龍介は目を閉じ、半ば眠っているようだ。
彼の傍に座るさゆりは、いまさらながらにこのバイトの危険を思い知らされていた。
これまでは大過なく霊を退治してきたが、それもほとんどは龍介の功績であることは分かっている。
支我の後方支援も大切だし、萌市や春吉の補助攻撃も役に立っている。
一方でさゆりは霊こそ視えるものの、退治する力は持っていない。
依頼を受けてから除霊に挑むまでの、調査や聞き取りでは役に立っているという自負はあるが、
霊との戦闘においては足手まといにしかなっていないという自己嫌悪は、ずっと意識の底をたゆたっていた。
どうしようもないことだとしても、こうして仲間が怪我を負うと、
自分一人高みの見物をしているのではないかという忸怩たる思いが芽吹くのだ。
下唇を噛むさゆりに、不意に龍介が話しかける。
「お前に身体を張って戦ってもらおうなんて思ってねェよ」
「……!!」
考えを口に出してしまったのだろうかとさゆりは訝る。
龍介は目を閉じたまま、無表情で続けた。
「聞きこみなんかはお前の方がずっと上手いだろ。適材適所ってヤツだよ」
「……でも」
「俺の代わりにぶっ倒れれば満足なのか? 悪いけど俺は絶対にそんな真似させねえぞ」
声は小さく、口調はぶっきらぼうながら、彼の気持ちは伝わってきた。
さゆりの心で幾つかの感情が混じり、一つの形になる。
だが、それをどう表現すれば良いか判らず、沈思の末、声に出しては短く言っただけだった。
「……ありがとう」
さゆりの声に呼応するように、龍介が目を開けた。
さゆりを見つけた龍介は、戸惑ったようにまばたきを繰り返した。
「……何見てんだよ。寝顔を見るなんて趣味が良くないぞ」
「……あんた、今言ったこと覚えてないの?」
さゆりは龍介を凝視する。
凝視された龍介は、彼女の目尻に水分の跡を見つけた。
眠っていた間に何かあったのか気になったが、答えが返ってくるとも思えなかったので、質問はしなかった。
「今目が覚めたところだぞ? 寝言だったら覚えてるわけねぇよ」
身体を起こそうとしたが、まだ痛みが残っていて失敗する。
さゆりに笑われると確信に近い予想をした龍介は、笑うどころか心配そうに見ている彼女に、あらぬ不安を抱いた。
「なあ、俺なんか変なところがあるのか?」
「は?」
「足がないとか、頭半分吹き飛んでるとか、内臓が出ちまってるとか。
正直に言ってくれよ、お前が心配するんだからマトモじゃないんだろ?」
「……」
エベレストの頂上から見下ろしてもこれほど冷たくはないという視線を龍介に浴びせたさゆりは、
無言で立つと支我達の方へ行ってしまった。
周りに誰もいなくなった龍介は仕方なく、五体満足かどうか、自分で確認するのだった。
龍介が目を覚ましたことを告げたさゆりは、支我に訊ねる。
「ねえ、あの女は?」
「居ない。逃げたみたいだな」
戦いのさなかに妖子はさっさと逃げだしたのだろう。
企みを暴露された時点で逃げだすタイミングを計っていたと思われ、
全員が彼女のことを失念していたわずかな隙を突いての見事な逃走だった。
これで一応龍介達は、面目を保ったことになる。
ただし、完全に解決したかというと、残念ながらそうではなかった。
「でも、五千万円は持ってかれちゃったのよね」
「あ、それ、大丈夫だよ」
さらりと答える伊久に、さゆりは眉根を寄せた。
「どういうこと?」
「あの女が話してる間にね、似たのがあったから鞄ごとすり替えちゃった。
トーマ君が惹きつけておいてくれたから簡単だったよ」
「……!!」
龍介とさゆりはもちろん、支我でさえ驚きのあまり声が出ない。
顔を見合わせた三人は、大きな驚愕の塊をなんとか飲み下して、あどけなく微笑むマジシャン志望の少女を見た。
「じゃあ、お金は全部無事?」
「うんッ、ほら、ここにあるよ。どう? 偉い?」
伊久が差しだした鞄を受け取った龍介は、左右からの視線を感じてファスナーを開けた。
そこには帯封がしてあるものの、札束がおそらく五十、無造作に突っこまれていた。
「……」
もちろん龍介の人生において、これほどの現金を見たことはない。
何か悪いものを見てしまった気がして、狼狽ぎみに龍介は左右を見渡した。
「なッ、なんで私の方を見るのよ。ちゃんと返しなさいよ」
どうやら良心の天秤が振れたのは自分だけではないと知って、龍介は安心した。
意識を取り戻した老人達に龍介達は事情を話し、五千万円を渡した。
老人達の中には妖子と守護霊に心酔しきっていた者もいて、龍介達を糾弾しようとしたが、
催眠状態にあっても妖子と守護霊の変貌を覚えている者もいて、詐欺師かそれに近い者だったのではないかというと、
老人達の間で分裂が始まりかけたのだ。
だが、とにかく金銭的な被害はなかったということで糾弾する声も小さくなり、
あわや老後の幸福を奪った若者達という立場にされそうだった龍介達は、
どうにか無事に老人ホームを後にすることができたのだった。
「失礼しちゃうよね、アタシ達はお金を守ってあげたのに」
「本当よね。お礼の言葉もないなんて」
いつのまにか同調している伊久とさゆりを、宥めるように支我が言う。
「霊は一般人には視えないからな。催眠状態にもなっていたし、
戦っているところを視てもらえれば話はもっとスムーズだったんだろうが」
まだ釈然とせず、何か言おうとする二人の前で、支我のスマートフォンが鳴った。
「編集長からだ。打ち上げ兼校了前の気合い入れをやるから早く帰ってこいってさ」
「ああ……そういえば校了前だったわね。今日もまた徹夜かしら」
さゆりが空を見て嘆く。
これが零細企業の辛いところで、現場に三人出てしまうと編集作業はストップしてしまうのだ。
他に代員もおらず、日付が変わる前に帰れるかどうかは、これからの奮闘にかかっているというわけだった。
龍介が、ふと思いだしたように伊久に言う。
「そうだ、伊久さんもどうかな。焼き肉食べるんだけど」
「いいのッ!? うん、行く行く」
言ってから龍介が同意を求めるようにさゆりを見ると、彼女はふて腐れたように応じた。
「どうして私を見るのよ。今回楓さんが東摩君より役に立ったのは明らかなんだから、別に構わないと思うわよ。
でも、最終的に決めるのは社長だから、駄目だったら楓さんの分は東摩君が自腹を切ってあげなさいよね」
「……」
今更渋るのは格好が悪すぎるので、龍介は覚悟を決めることにした。
道すがら、支我が龍介に話しかける。
「病院で診てもらった方が良くはないか、東摩」
「いいよ、そんな大げさな。もうほとんど痛みも取れたし、肉食ったら明日には完全復活だって」
「ならいいが……」
龍介に異変があれば、支我は無理やりにでも検査を受けさせただろう。
だが確かに彼の足どりは確かであり、手足の震えや瞳孔の拡散も見られない。
特に異常もないと思われたので、支我はそれ以上は強く言わなかった。
ただ働きをしてしまったことを、社長はきっと怒るだろう。
そんな龍介達の危惧は外れ、編集部に戻ってきた彼らを待っていたのは、ひどく上機嫌の千鶴だった。
おそるおそる社内に入ってきた龍介達を見るや否や、仕事を切り上げて焼き肉に行くと言い出したのだ。
部外者である楓伊久の件も、吟味もせずに「一人くらいどうってことないわよ」と太っ腹なところを見せ、
下の階にいる萌市も呼びつけるに至って、かえって社員達を不安にさせたものだった。
若者達の疑問が氷解したのは乾杯が済んで大人はアルコール、未成年は肉と分かれたあたりだった。
龍介が網の上に肉を並べるのを横目で見ながら、さゆりが支我に耳打ちした。
「ねえ、何であの人あんなに機嫌がいいのよ。結果的には悪霊退治までしちゃったけど、私達指示に従わなかったわよね」
「それはだな、深舟。何でも悪霊を祓ってくれたとかで、あの老人ホームからお礼の電話があったそうだ。
命を救ってくれたってことで、謝礼までもらえるらしい。しかもそれが結構な額みたいでな。
まあ、入所者は金持ちばかりだからな」
「そうだったの。でもそれなら私達に教えてくれたって良さそうなのに」
「まあ、いいじゃないか。そういうわけだから、今日は少しくらい高い肉を頼んだって平気だと思うぞ」
それには直接応じず、さゆりは新たな疑問をぶつけた。
「それで結局、今回はどういうことだったの?」
「あの聖奈という女が霊を喚びだせたかどうかはともかくとして、あの霊を従えることはできたんだろう。
あの霊はおそらく低級霊――キツネか何かの動物霊で、守護霊というイメージを与えられて、その気になっていただけに過ぎない」
「ええ」
「聖奈が霊を喚びだせたとしても、彼女が居る時でなければ難しいはずだ。彼女が居なくても喚べるように魔鏡を使ったんだろう。
最初の一回は聖奈が霊を喚びだす。その時、『鏡から守護霊が現れます。皆で祈りを捧げてください』とでも
言っておけば、次からは自然とそうするだろう。その祈りが霊を喚ぶ触媒となった……あくまで推測だがな。
そしておそらく、あの霊は老人達の生気を吸っていたんだろう。
戦闘中に霊体反応が極めて増大した時があったんだ。楓がマジックを使う直前だな」
「ああ、あの霊から白い煙のようなものが出て、老人達を繋いだ時ね」
「そうだ。あれは戦闘時だけでなく、普段も少しずつ吸っていたんじゃないかと思う。
あのまま霊を放置していたら、老人達はいずれ不審な死を迎えていたかもしれない」
「なるほどね」
推論とはいえ状況から可能性を導き出した支我の知能にさゆりは感嘆する。
そうして横目でいま一人の同僚を見てみると、彼は伊久にまとわりつかれていた。
「トーマ君、お疲れッ! ちょっと危なかったけど、でも凄いねトーマ君!
アタシ霊と戦うところなんて初めて見ちゃった。ね、今までの除霊で何か面白い話ない?」
「え? うーん、そうだな」
馴れ馴れしく密着してあれこれ話しかける伊久に、龍介もまんざらではないらしく、鼻の下が伸びきっている。
彼のだらしない顔に怒りが湧いたさゆりは電光石火の素早さで、彼の前に並べられた食べ頃となった肉を奪い去った。
「あッ、お前また持っていきやがったなッ!! 自分の分は自分で焼けよッ!!」
「ぼんやりしてる方が悪いのよ」
「いーよ、トーマ君。アタシ飲み物とデザートだけでいいから、トーマ君のお肉焼いてあげる」
歯ぎしりする龍介を伊久が慰める。
予想外の伏兵にさゆりは絶句し、絶句した自分に腹を立てて、自分から仕掛けたにもかかわらず戦場を放棄した。
「すいませんッ、上カルビ五人前ッ! あとウーロン茶も!」
「はーい、上カルビ五人前にウーロン茶ですねッ、ありがとうございますッ。あ、空いたお皿お下げしますね」
現れた店員は前回の熊のような大男ではなく、さゆりより数歳年上と思われる女性だった。
愛嬌のある笑顔を浮かべながら、手際よく皿を片づけていく。
彼女は牛をモチーフとした制服を着ていて、特に肩をむき出しにした上着と、
胸を強調したエプロンが、さゆりからすると品がないように見えるのだが、男にとってはそうでないらしい。
「あッ、あああああのすみませんッ、タン塩五人前と、そそそれからミノも五人前追加でお願いしますッ」
「はいッ、タン塩とミノを五人前ですねッ。待っててくださいね、すぐお持ちしまーす」
「ああ、俺氏至福の刻……!」
ここぞとばかりに身を乗り出した萌市に、軽やかに応じて店員は戻っていく。
明らかに単なる営業スマイルに過ぎないというのに、ひどく興奮している萌市に、さゆりは思わず嫌味を言った。
「何が至福よ、ただ注文しただけじゃないッ。それになんで急に一人称が俺になってるのよ」
「ふふふッ……戦いは男を成長させるのです……!」
意味不明な返答にこれ以上構っても無駄だとさゆりは見切りをつけ、元の戦場に戻った。
そこでは、事態が風雲急を告げていた。
「む〜ッ、トーマ君あの店員さんの胸ばっかり見てた」
「み、見てないよ」
「嘘。アタシ人の目の動きがわかるもん」
「い、いや、初めて見る店員さんだったからちょっと気になっただけだって」
どうやら敵は仲間割れを始めたようだ。
さゆりはすかさずこの機に乗じることにした
「へえ、東摩君は胸の大きな女の人が好きなのね。莢にも教えてあげないと」
「べ、別に莢さんは関係ないだろ」
「莢って誰?」
たちまち窮地に追いつめられていく龍介を尻目に、さゆりは彼の前で取られるのを待っている、
食べ頃となった肉の一枚を悠々と摘むのだった。
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