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 老人ホームだけあって建物はバリアフリーの設計で建てられており、
エレベーターも車椅子と介助者が一緒に乗りこめる大型の物が設置されていた。
 エレベーターで最上階に移動した四人は、突き当たりにあるホールに入った。
「かなり大きなホールね」
 さゆりの言う通り、そこは四十畳ほどの広さがあり、五十人くらいなら楽に入れそうだ。
この老人ホームの住人数なら全員が収容できるだろう。
「アタシはここでマジックをしたくて今日は頼みに来たのよね」
 確かにここならマジックもやりやすいだろう。
小さいながらもステージまで用意されていて、申し分がなさそうだ。
「どうだ東摩、何か視えるか?」
「いや、こっちは何も。そっちは?」
「ああ、ウィジャパッドにも兆候は出ていない。少し調べてみよう」
 入居者の話では、このホールに守護霊様が現れるのだという。
手がかりを求めて、龍介達はさっそく目につくものを調べはじめた。
 部屋は広いが物はほとんど置いてないため、調査はそれほど難しくない。
それでも、特にステージは念入りに探してみたが、怪しいものは一つとして見つからなかった。
何もない、と言おうとした龍介に、さゆりの声が重なる。
「あれって……鏡かしら?」
 このホールはどうやら二つの部屋に分けて使えるようにしてあるらしく、
部屋の中央は天井よりも低くなっていて、襖が並べられるよう鴨居があり、その鴨居と天井の間の部分をさゆりは見上げていた。
 それは長い方の直径が五十センチ、短い方が三十センチほどの楕円の銅板で、鏡だとすれば全身を写せる大きさではない。
顔が精一杯ではないかというところだが、なぜか、四人の中では一番背が高い龍介の顔よりも高い位置に掲げられていた。
背伸びをしてもまだ届かず、椅子か台を用意しないと調べることはできそうにない。
「そうみたい。でも何であんなトコに鏡なんて置くんだろ。……何か怪しい臭いがプンプンするね。ちょっと調べてみようよ」
「椅子を探してくるよ」
 すると、伊久が止める。
「トーマ君が持ちあげてくれた方が早いよ」
「ん……肩車でいいか?」
「や、そんな大げさでなくていいよ。ちょこっと抱えてくれれば」
 ちょこっと抱える方がはるかに大げさであることを龍介はすぐに知った。
彼女が履いているのはドロワーズ風の、いわゆるかぼちゃパンツで、龍介が抱える足の部分は完全に剥きだしになっている。
いくら体型が小学生でも、やはり高校三年生であるわけで、がばっと抱きかかえて良いものかどうか、龍介は迷った。
「どしたの、早く」
 伊久の男女の知識はまさか身体の方に沿っているのだろうか?
自分が気にしすぎなのか?
バターになるくらい考えをぐるぐる廻らせた末に龍介は、ままよと伊久の膝を後ろから抱えて持ちあげた。
見た目通りに軽い身体が、一気に持ちあがる。
といって腕の力だけで持ちあげられるほどではなく、龍介は伊久の背中に顔を押し当ててバランスを保った。
「ん〜、いい感じだにゃ。トーマ君の愛を感じるよ」
 とんでもないことを言い出す伊久に、いきなりバランスを崩しかける。
倒れはしなかったが、反動で余計しっかりと伊久を抱きかかえることになり、彼女の小さなヒップが顎に触れた。
それについてはなるべく感じないようにして、龍介は言った。
「ど……どうだろ、何か判ったか?」
 この状態から一秒でも早く解放されたいと思っただけで、何か見つかるかどうか期待していたわけではない。
「ん、ちょっと待って……んにゃ? ん〜、なるほど……」
 しかし、伊久は龍介の予想に反し、何かに気づいたらしい。
気になった龍介が顔を上げると、伊久が叫んだ。
「にゃッ!?」
「ど、どうした!?」
「トーマ君が変なトコ触った」
「……」
 龍介に自覚はなく、当然悪意もない。
しかし、見ている二人、特にさゆりからの視線が厳しく、龍介は弁解の必要に迫られる。
 その時、急に背後から声がした。
「あら、若い子がこんな場所に珍しい。何かご用?」
 支我も鏡を調べるのに気を取られていて気づかなかったようで、一同の間に緊張が走る。
だが、振り返ってみれば古風なエプロンをした中年の小柄な女性で、どう見ても怪しくはなかった。
「ここの関係者の方ですか?」
 支我を見て一瞬だけ同情の視線を閃かせた女性は、相好を崩して手を振った。
「そんな大げさなもんじゃないわ。掃除のパートよ」
 それも、職員ではなく外注の業者だという。
ややくたびれた顔をしているが、悪人ではなさそうだった。
「ここに守護霊様が出るって聞いて調べに来たんですけど、何かご存じないですか?」
 支我があえて直球を投げてみたのは、彼女が話し好きと見たからだ。
「うーん、あたしゃ週一で来るだけだからねえ。でも、妙な話なら聞いてるわよ。ほら、今あんた達が触ってるその鏡」
 果たして彼女は支我を警戒もせず、知っていることを話しはじめてくれた。
「ひと月くらい前かしらね、なんとかいう変な格好をした女が置いていった話なんだけど、何でも五千万くらいするそうよ?」
「五千万、ですか!?」
 支我が驚いたのは半分は演技だが、半分は本気である。
五千万の買い物というのは大抵の日本人にとって常識ではなく、年齢に比して多くの知識を持つ支我も、
鏡一枚で五千万円というのは初めて耳にしたのだ。
横では龍介達も囁きかわしている。
「気に入ったからってここの人達がお金を出し合って買うことにしたんですって。
お金持ちの考えることはわからないわねぇ」
 掃除の女性は支我の驚きに彼女の感想と同じものを感じたのか、非好意的に鏡を眺める。
「で、その鏡が来てから、みんな急に毒牙を抜かれたようにおとなしくなっちゃって。
ちょっと前までお互いいがみあったり、ガミガミうるさかった人達だったのに、急にニコニコしだしちゃったのよ。
気味が悪いくらい」
「以前はそんなに態度が良くなかったんですか?」
「そりゃ、元がまともな仕事をしてない人達ばっかりだからね。あたしゃ何度地獄に堕ちろって思ったことか」
 聖奈妖子も同じ事を言っていたし、週に一度しか来ないこの女性がそれほどの感想を持つとは、
ここの住人はどんな人間なのだろうか。
支我がさらに訊ねようとしたとき、部屋の掛け時計を見た女性が先に声を張り上げた。
「あらやだ、もうこんな時間。特売が始まっちゃうわ、それじゃあね」
 女性は慌ただしく掃除道具を片づけて出ていった。
 彼女が出ていった扉が閉まり、部屋に静寂が訪れる。
龍介は鏡を見上げてため息をついた。
「これが五千万ねえ、とてもそんな立派な鏡には見えないけど」
 すると、胸の前で腕を組んださゆりが同調した。
「ますます怪しくなってきたわね。でも、この鏡と守護霊がどう結びつくのかしら」
 これは極めて異例で、龍介は思わず彼女の顔を見たほどだ。
それに気づいたさゆりが、二ミリほど目を細めたところで、伊久が身体に比して大きな声を張りあげた。
「アタシに任せて、トリックを暴いてあげるから」
「トリックって……何か判ったの?」
「まっかせてッ」
 得意顔をする伊久と対照的に、さゆりは渋面だ。
「ちょっと、判ったんなら先に言いなさいよ」
「こういうのはギリギリまで種明かししない方がいいんだよ」
「そういう問題じゃ……支我君も何か言ってよ」
 さゆりに振られた支我は、眼鏡の中央を上げ直して言った。
「楓……間違いなくトリックは見破ったんだな?」
「うんッ。アタシを小学生呼ばわりしたあのオバサンを、とっちめてやらないと」
「よし……それじゃ頼んだぞ」
「ちょっと、支我君」
 不満顔のさゆりを宥め、支我は龍介達に聖奈妖子が守護霊を喚びだすまで隠れていようと提案したのだった。
 ホールに二十人ほどの老人が集まっている。
入所者のほとんど全員で、広い部屋のほぼ中央に固まって座っていた。
入所者同士はそれほど仲が良くないのか、雑談の声は大きくなく、お茶や菓子も用意されてはいない。
なのに学生のようにきれいな列を作って座っていて、怪しい光景だった。
 龍介達は奥の給湯室に身を潜めている。
息を殺して何が始まるのか待っていると、聖奈妖子が現れた。
彼女が老人達の前に立った途端、老人達は水を打ったように静まり、彼女を注視する。
それらの視線を浴びた妖子は、満足そうに肢体をくねらせた後、恭しく頭を下げた。
「皆様、今日もお集まり頂きありがとうございます。このひと月、穏やかなる安息の日々を充分堪能して頂けましたでしょうか?」
 龍介達に話しかけたときと較べて、言葉遣いこそ丁寧になっているものの、ねっとりとまとわりつくような口調は変わらない。
老人達は誘い出されるように、口々に喋り始めた。
「心の迷いや罪悪感が消えて素晴らしい日々じゃったわ」
「そうじゃそうじゃ。守護霊様のお蔭で心が浄められたわい」
「これで天国に行けるんじゃな?」
 偉そうな言い方ながら、どこか縋るようでもある老人に、妖子は微笑を返した。
「この鏡がある限り、守護霊様は皆さんと共にあります。守護霊様が必ずや皆さんを天国へと連れていってくれるでしょう」
「おおッ、ありがたやありがたや」
「我ら一同、喜んでこの鏡を買わせてもらおう」
 老人の一人が鞄を差しだす。
そこに五千万円の札束が入っているのは疑いなかった。
龍介達は目もくらむような取引の現場を目撃したことになるが、それがただの骨董品であるなら、手も口も出せない。
物にいくらの値段をつけるのかは売り手の自由であり、その金額に見合った価値があるかどうか見極め、
購入するかどうか決断するのは買い手の自由だからだ。
「鏡を調べてみて、物に宿った物質霊でないことはわかっているが、一体……」
 支我が困惑気味に呟き、ウィジャパッドに目を落とす。
硫黄濃度や気温などは、いずれも霊が出現する兆候を示してはいなかった。
あの女性は、本当に霊を自在に喚びだせるというのか。
支我は固唾を呑んで老人達を観察した。
「天にまします我らの父よ。我らに罪を犯す者を赦すが如く我らの罪を許したまえ。
願わくば、その御姿を我らに顕わし天国への階段を賜らんことを――」
 妖子の声が響く。
聖書を読みあげる神父のように抑揚が抑えられ、老人達は皆両手を合わせて彼女を拝んでいる。
一心不乱、というより心を失くしてしまったように、全員が同じ顔をしていた。
 薄気味の悪さを感じながらも、龍介は手を出せない。
老人達を殴るわけにはいかないし、最も怪しい聖奈妖子も、明白な証拠がなければどうしようもなかった。
「マジックを悪いことに使うなんて許せないッ!!」
 唱和する老人達の声を遮ったのは、伊久だった。
彼女はいつの間にか龍介達の横をすり抜け、妖子の前に立っている。
その顔には童顔に相応しくない、強い怒りが浮かんでいた。
「マ、マジック!? いきなり出てきて何を言ってるの。邪魔をしないでくれるかしら」
「その鏡、ただの鏡じゃないでしょ」
 妖子は無言だが、わずかに顔の筋肉が硬直している。
伊久はそれを見逃さず、一気にたたみかけた。
「中国では透光鑑って呼ばれてる、一見表面は普通の鑑だけど、実は微妙な凹凸が刻まれてて、
光が当たると離れたところに像が浮かびあがるように作られてる。日本でも魔鏡って言う名前で知られてるよね。
こんな変なところに置いたのも、ここだとちょうど夕日が当たって像が出るからだよね」
 天使に偽装していた悪魔が正体を現わすときはこんな風なのだろうか。
聖奈妖子の変貌は、それほど急激で凄まじく、若い四人をたじろがせた。
「いつまでも騙せるとは思ってなかったけどね。お子様みたいな外見とは裏腹に、中々鋭いじゃない」
 妖子はあっさりと犯行を認めた。
それだけ伊久の指摘が鋭かったということだろう。
しかし、本性を露わにした彼女は、毒々しい笑みを龍介達に浴びせた。
「でもトリックを見破ったからって、それがどうしたの?
ここにいる老人達は皆貧乏人から金をむしり取ってのうのうと生きてきた。
何人も社員を自殺に追いこんだ実業家。政治家とつるんで私腹を肥やした経営者。
金で警察黙らせて好き放題の政治家、その他諸々。
しかも死ぬ間際になって天国に行きたいだなんて都合の良いことをほざいて。
あたしはそんな老人達に夢を与えてあげたのよ。悪人にも天国の扉が開かれるという夢を。
それは悪いことなのかしら?」
「金を騙し取るのは、悪いことに決まってるだろ」
 龍介の正論は一グラムも妖子に感銘を与えなかった。
否、良心の呵責をむしろ悪への錘に利用したかのように、臭うほどの悪意で言い放った。
「だったら何? 天罰でもくだるっていうの? 正義の味方ごっこも結構だけれど、良く周りを見てから言うのね」
「守護霊様……どうか我らを光の国へ……」
「もう差しだす罪はありませぬ……すべてを告白し、この身は浄められました。
さあ、今こそ天国への扉を開き、その階段を我らに示したまえッ!!」
 老人達は妖子が独唱を止めた後も唱和を止めない。
もう妖子の方さえ見ておらず、中空に視線を集中させて同じ文言を繰り返していた。
「ミンナどうしちゃったの? これはインチキだって今言った――はくしゅんッ!!」
 伊久がくしゃみをする。
龍介達も気温の低下を感じていた。
急激な気温の低下――霊が出現する兆候だ。
警戒する龍介達の前で、光を受けた鏡が作りだした像がある空間に、白いもやが立ちこめた。
「迷える子羊たちよ。汝らのその願い、我が聞き届けん」
「守護霊様ッ!!」
「我は汝らを光へと導く守護霊。さあ、汝らの犯した罪を告白するが良い。
我が全てを引き受け、その魂を光の国へと解き放たん。さすれば天国への階段は、汝らの前に姿を現わすであろう――」
 守護霊が姿を現わす。
光のせいで輪郭はぼやけているが、人の形をしたそれは、背中に羽根のような物も視え、確かに守護霊めいた雰囲気はある。
伊久の暴露と目の前の守護霊、どちらを信じるべきか迷う龍介に、支我が告げた。
「硫黄濃度さらに上昇、気をつけろ、かなり強力な霊だ」
 インカムを通した彼の声はあくまでも冷静で、龍介を我に返らせる。
何が起こっても対応できるよう、重心を低くする龍介に気づいた霊は、彼の方に向き直った。
「何だ、そこの者共は? 我に敵対するというのか? 良いだろう、汝らにも我の力を見せてやる。
後になって慈悲を求めても手遅れだぞ……!」
 守護霊どころかとんだ悪霊だとここに至って龍介も認識した。
だが同時に、内心の焦りを隠しきれない。
莢の頼みでこの老人ホームに調査に赴くと決まった時には、まさかこのような展開になるとは思っていなかったのだ。
ゆえに愛用の武器である鉄パイプも持ってきておらず、霊に対抗する手段がない。
この部屋にパイプ椅子はないだろうか、と場外乱闘をする悪役プロレスラーのようなことを考えて周囲を見渡すと、
さゆりと目が合った。
「どうしたのよ、向こうはやる気よ。早く戦いなさいよ」
「……ないんだよ」
「は?」
「持ってきてないんだよ! 鉄パイプも何にも!」
「そッ、そういうことはもっと早く言いなさいよッ! どうすんのよ、これ」
 どうするったって、と龍介こそ誰かに教えて欲しかった。
こうなったら支我には戒められているが、素手で戦うしかない。
覚悟を決めて拳を固めかけた龍介は、すんでのところで、
夕隙社を出発する際に萌市から新たな武器を受け取ったことを思いだした。
ズボンのベルトに通してあった武器を引き抜き、伸張させてスイッチを入れる。
青白い輝きが包む刀身を、龍介は真正面に構えた。
「ちょっと、何よそれ……!」
「わぁ、トーマ君凄いッ!!」
 さゆりと伊久が叫ぶ中、ちょっとしたヒーロー気分を味わう。
だがそれも束の間で、ヒーローには敵が必要なのだとすぐに思い知らされた。
「フハハハハッ、人間ごときが何をしたとて我を斃すことなどできぬ。崇めよ、そして跪け、
我に刃向かったこと、十万億土の果てで後悔するが良いわッッ」
 霊の姿が薄れていく。
危険だ、と龍介が直感した直後、冷気が左の頬を掠めた。
とっさに反応するが霊の姿はない。
目を細め、どこから襲ってくるのか見極めようとする。
「左だ、東摩ッ!!」
 なまじ肉眼で視ようとしていたせいで、支我の指示に身体が一瞬遅れた。
躱しそこねた左腕に痺れが走る。
萌市がくれた新たな武器を落とさないよう右腕に力を込めた龍介の、背中を冷たい汗が伝った。
これまで龍介が戦った霊の中でもかなりの強敵であると、精神より肉体が先に感じ取ったのだ。
 龍介に一撃を与えた霊は、また姿を消している。
剣を構えたまま、龍介はすばやく眼球を移動させるが、気配さえも視ることができない。
「後ろだッ!!」
 龍介はとっさに前転した。
なんとか躱せたようだが、霊の嘲笑が響く。
「ははははッ、無様だな、だがいつまで続くかな?」
 消えてしまうと支我の方でも捕捉できないらしく、指示が遅れる。
どうすれば良いのか考える龍介の耳に、さゆりの叱咤が飛びこんできた。
「ちょっとッ、しっかりしなさいよ」
 視えない敵と戦う困難は気合いでどうにかなるものではない。
龍介がインカムで怒鳴り返そうとしたとき、再び霊の一撃が、今度は右の足を襲った。
「くッ……!!」
 足から力が抜け、膝をつく。
そこに更なる攻撃が命中し、龍介は吹き飛ばされた。
「東摩君ッ!!」
 あれはさゆりの悲鳴だろうか?
意識がもつれてはっきりしない。
右半身に何かが触っている……違う、右半身が何かに触っているのだ。
龍介は立ちあがろうとしたが身体が動かない。
心臓の鼓動に合わせて痛みが身体を蝕む。
このまま意識を手放してしまえという肉体からの警告に、従いそうになる。
かろうじて動いた指先に、何かが触れた。
全身の力を振り絞って探り、筒状のそれを握り締める。
そうだ――これを使って戦っていたのだ。
思いだした龍介は、もう一度力を込めて立ちあがった。
一気に、というわけにはいかず、膝をつき、武器を杖代わりにしてようやく身体を起こす。
この武器が実体のない、ビームや理力を刀身にしていたら立てなかったと、不急不要な考えが頭をよぎった。
 黒い羽根を持つ偽りの守護霊は、勝利を確信したのか、すぐに止めを刺そうとはしない。
「欲に塗れた亡者どもよ、我に力をよこせ……我を崇め、浅ましく額づいて乞うのだ……!」
 老人達を見て哄笑した霊から青白い煙のようなものが立ちのぼり、緩やかな弧を描いて老人達と霊を結んだ。
老人達から霊へと何かが吸いとられていくのが、はっきりと視える。
それは氣、オーラ、オルゴン……呼び方は様々あれど、生命そのものに他ならなかった。
「ククククク……我に刃向かう愚者よ、生命をもって罪を償うがいい」
「東摩、しっかりしろッ! あれだけのエネルギー体を喰らったらひとたまりもないぞッ!」
 支我の叫びがわずらわしくさえ感じる。
危険だということは百も承知だが、龍介の眼に霊はすでに薄くしか映っていない。
怪我を負ったために霊を視る力が落ちているのだ。
それでもようやく立ちあがり、武器を構えた龍介に、霊の哄笑が響く。
「案ずることはない、我は慈悲深く平等だ。貴様等にもこの亡者達にも、分け隔てなく絶望を与えよう……」
「来るぞッ、東摩ッ!!」
 どこから襲ってくるのか全く視えない。
ならば、せめて相射ちを狙うべきかもしれない。
龍介はいちかばちかに賭けようとする。
 その横合いから、伊久が叫んだ。
「アタシのマジック、見せてあげるッ!!」
 彼女が床を箒で突くと、龍介の周囲におびただしい数のトランプが舞った。
木の葉のように不思議な遅さで漂うトランプは、龍介の視界を遮った。
霊の姿どころか仲間達まで見えなくなってしまう。
「血迷ったか人間ッ、自分から視界を閉ざすとはッ」
 勝ち誇った悪霊の笑い声が響く。
致命の一撃を与えようと龍介の側面に回りこんだ悪霊は、愚かな人間の頭部めがけて、
老人達から吸いとったエネルギーを満たした貫手を繰りだした。
 己の身に何が起きたのか、悪霊はわからなかった。
確かに右腕は人間の頭部を捉えたはず。
だが、そこにあるべき頭はなく、必殺の一撃は数枚のトランプを弾いただけで、空を切っていた。
 消えた龍介を探して悪霊は狼狽する。
それは、悪霊が初めて抱いた感情であったが、長く抱き続けることはできなかった。
背中から胸に、何かが突き抜ける。
龍介の手にする青い剣が、霊の胸を正確に貫いていた。
「ハートのエースはやっぱり相性抜群だったな」
 伊久の放ったトランプは霊に貼りつき、その姿を浮かびあがらせていた。
霊の姿を捉えた龍介はすかさず裏を取り、背後から必殺の刺突を見舞ったのだ。
心臓の裏側に当たる位置に貼りついていたカードには、奇しくもハートのエースが描かれていた。
 龍介は霊体を貫通した剣を、一気に下へと振りぬく。
生者なら致死の一撃は、死者に対しても、やはり致死だった。
 霊は痛みを感じない。
感じるとしたら、生前に受けた痛みを思いだすのだ。
悪霊は剣で真っ二つにされるような経験はなかった。
だから、マイナスの電荷を帯びた剣で身体を裂かれても、激痛を感じたわけではなかった。
だが、痛みはなくても自己が喪われるという根源的な恐怖は、たとえ霊となっても消し去ることはできない。
「我は守護霊だ……人間ごときにッ……!!」
 恐怖から逃れるように霊は叫ぶが、その声すらほとんど出なくなっている。
存在を構成する物質が急激に減少したことで、存在が保てなくなり、崩壊しようとしているのだ。
 嫌だ。
 消えたくない。
 霊は最後に願う。
 あいつらと同じところに行くのは嫌だ。
 助けてくれ……ッ。
霊は彼をここに喚んだ女を探して狂乱する。
 お前が呼ばなければ良かったのだ。
 お前に呼ばれたせいで。
霊が最期にはなった念は凄まじく、霊を感じ取る力を持つ支我やさゆりは悪寒を覚えたほどだったが、
その念は向かうべき所を見いだせなかった。
聖奈妖子はすでに、彼を見捨てて逃げだした後だった。
 嫌……だ……
塵芥も残さず、霊は消え去った。



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