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王子駅から老人ホームへ向かう途中、龍介達は公園を通っていた。
これは残念ながら日本の道路は車椅子に対して配慮されているとは言い難く、公園を通った方が安全だからだ。
三人は地図を頼りに歩いていたが、龍介が公園内の施設を指差して言った。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」
「もう、早くしてよね」
「先に行ってていいよ、すぐに追いつく」
用を済ませた龍介は、彼らの行った方に、小走りで追いつこうとする。
すると、一人の少女がこちらに歩いてくるのが見えた。
この時点で龍介は、彼女が自分に用があるとは思っていなかったのだが、
少女の奇抜な衣装に驚き、思わずじっと見てしまったのだ。
龍介が見ているのに気づいた少女は、小さく頭を下げて近づいてくる。
訳が分からず立っている龍介に、少女はもう一度頭を下げた。
「あの、すみません。ちょっとお伺いしたいのですが」
マズいと龍介は思った。
変な人間に捕まってしまったかもしれない。
ここで時間を取られると、支我達とはぐれてしまう。
老人ホームの位置情報は面倒くさがって取得していないので、支我のスマホにしか入っておらず、
はぐれたら連絡しないといけなくなる。
連絡をすればさゆりが何を言うか想像もできようというもので、罵られないためにも、ここは急ぐ必要があった。
龍介がそう思ったのには理由があって、龍介と同じ年頃、まだ二十歳にはなっていなさそうな少女は、
白い上衣に朱の袴の、いわゆる巫女装束を纏っていたからだ。
これがどこかの神社の境内なら何も問題はなく、おとなしやかな雰囲気の彼女を、たぶん龍介も褒めたたえるだろう。
しかしここは公園なので、宗教の勧誘という疑いが五十二パーセントほどはあるのだった。
「王子稲荷神社へは、どうやって行ったら良いのでしょうか?」
急ぐので、ともう少しで言いそうだった龍介は、宗教の勧誘ではないと知って慌てて口を閉じた。
王子稲荷神社がどこにあるのか知らないので、スマホを取りだして地図アプリを呼びだす。
さいわい、神社はこの公園の近くのようですぐに見つかり、龍介にも案内をしてやることができた。
「ありがとうございます、助かりました」
道を示した龍介に、少女は先ほどよりも深く頭を下げる。
礼儀の正しさもここまで来ると嫌味にも取られかねないが、少女の動きはそれが自然に備わったものであると
すぐに理解できる、気品に満ちたものだった。
「いや、そんな畏まられるようなことじゃないから」
「いえ、いきなり声をかけてしまってすみませんでした」
それでは失礼いたします、とまた頭を下げて、少女は龍介達が来た方向へと歩いていった。
なんとなく後ろ姿を見送っていた龍介は、我に返ると慌てて支我達を追った。
支我とさゆりは公園の出口で待っていた。
完全に置いていかれたと思っていた龍介は、二人の姿を見つけると安堵して、思わず片手を挙げてしまった。
不機嫌そうにしていたさゆりは、馴れ馴れしい龍介に、奇態なものを見る目をしたが、
トイレに行った男を遅いとなじるのは品がないと思ったか、何も言わずに歩きだした。
龍介も巫女に会ったと説明して信じてもらえるとは思っていなかったので、これ幸いと言い訳はしなかった。
「待っている間に光の門の口コミを調べてみたんだがな、以前は寂れた老人ホームだったようだが、
一ヶ月くらい前から急に入所者が増えて、今では予約待ちだそうだ」
どんなときでも情報収集を怠らない、支我は記者の鑑のような男だ。
「一ヶ月前って……莢が言ってた、幽霊を視た人が出始めたってのと同じ時期よね」
「偶然……ではないだろうな」
「でも、皆が視えるわけじゃないだろ? なんでそんなに殺到するんだ?」
口を挟む龍介に、さゆりが呆れたように首を振った。
「馬鹿ね、座敷童が出る旅館だって、実際に視た人なんていないのに、泊まりに来る人は多いでしょ?」
「あ、そっか」
頭を掻いた龍介には一瞥をくれただけで、さゆりは支我に話しかけた。
「守護霊ねえ……そんなものが居るとして、自分の犯した罪を告白するとか、
財産を寄付するだけで天国へ行けちゃうなんて、ちょっとお手軽すぎないかしら」
「それも気になるところではあるな」
独り言めいたふりをして、さゆりは今度は龍介に話しかける。
「告白する罪の多さで天国に行けるかがどうか決まったりしたら、東摩君は二十回くらい行けちゃうわよね。
あ、でも、財産なんて寄付できないからやっぱり地獄行きかしら」
「お前は寄付できるような財産を持ってんのかよ」
「私は地獄に堕ちるようなことをしていないもの」
「俺だってしてねェよ!」
「どうかしら」
どうして火のないところに火事を起こそうとするのか、龍介は理解に苦しむ。
だが、売られた喧嘩は買わねば沽券に関わると、戦闘態勢に入ろうとしたところに、冷静な支我の声が割って入った。
「二人とも、その辺にしておいてくれ。そろそろ人気のあるところに出るからな、どこで誰が見ているか判らない」
特に龍介は不完全燃焼にも程があったが、支我に言われれば二人とも黙らざるをえない。
わざとらしくポケットに手を突っこみ、あらぬ方を向いて龍介は支我についていった。
一方のさゆりも、こちらは龍介よりは気分がよいはずなのに、なぜか不満げに唇をやや曲げて、
やはり支我の後ろをついていくのだった。
公園を出てからさらに十分程度歩いたところで、目指す老人ホームが見つかった。
外観はごく普通の、やや高級感のある老人ホームといった具合で、何か宗教的な置物があるわけではない。
外に出ている人もいないが、これは老人ホームという施設の性格上、仕方がないかもしれない。
どちらにしても外から見た程度では、何も情報は得られなかった。
「まあ、まずは取材だ。管理室に行ってみるとしよう」
龍介達が施設内に入ろうとする直前、
「ちょっと待ってッ」
威勢の良い声に振り向いた龍介は、ぎょっとして軽く仰け反った。
彼らを呼び止めたのは、なんだかよく判らない紫の帽子とよく判らないオレンジの服を着て、
よく判らないホウキを持った、小学生くらいの少女だったからだ。
彼女の服装がここ数年でにわかに毎年の恒例行事となったハロウィンの仮装に似ていると龍介は気づいたが、
ハロウィンは確か十一月頃のはずで、今は五月だ。
そこから、少し変わった子なのかもしれない、という結論に達するまでに時間は要さなかった。
さっきの巫女といいこの子といい、今日は人難の運勢なのかもしれない。
少女の方は龍介の警戒など意にも介さぬ様子で、彼女の身長とさほど変わらない長さのホウキを逆さまに持ち、
怒った弁慶のように地面を柄で叩いて言った。
「アナタたち、ここに用なの?」
「そうだけど、君は」
「アタシもここに用があって来たの。三人とも見たとこ高校生みたいだけど、老人ホームに何の用?」
「取材……だけど。出版社のバイトで」
気をつけろ、という二人の視線による警告を受けるまでもなく、龍介は用心深く言葉を選んだ。
霊がいる、というのは少なくとも初対面の人間に、昼日中から言って良い台詞ではないのだ。
「へ〜、高校生なのに出版社でバイトなんてちょっとカッコいいね。でも、何の取材?」
「それは……」
少女はなかなかに聡く、龍介が誤魔化そうとした点を的確に突いてくる。
対する龍介は人が良いのか機転が利かないのか、少女の質問に言葉を詰まらせてしまい、さゆりがとっさにフォローに入った。
「それより、あなたこそ、小学生が老人ホームに何の用? 面会?」
効果はめざましく、少女は丸く艶のある頬を紅くして怒った。
「誰が小学生よッ!! アタシはこれでも高校生なんだから」
「ええッ!?」
「あ〜ッ、すっごい疑ってる。ホラ、見てよ、ちゃんと高校生っしょ?」
怒りながらも少女は疑われることに慣れているのか、すぐさま生徒手帳を取りだし、龍介達に提示した。
受け取った龍介が表紙を裏返すと、さゆりも覗きこむ。
そこには彼女の顔写真と一緒に、高校の名前も記してあった。
「豊島区伊州高校三年、楓 伊久……本当だ……」
さゆりの身長は平均よりやや上といったところだが、伊久はそこから二十センチは低い。
小学生と見間違えたのも無理はなく、さゆりはやや自失していた。
「でしょッ!? アタシが名乗ったんだから、今度はキミたちの番だよね」
その間隙を縫うように、伊久は生徒手帳を龍介の手から取り戻す。
龍介も呆けていたので、手帳は彼が気づくこともなく持ち主のところに戻ったが、
ちゃんと意識があったとしても気づいたかどうか判らないくらい、彼女の手つきは鮮やかだった。
伊久の頭の後ろで尻尾が揺れている。
あれは一体どうやって動いているのか、自失中に目に入った動く物体についてぼんやり考えている間に訊かれ、
我に返った龍介は警戒心も忘れて答えた。
「俺は東摩龍介。新宿の暮綯學園三年」
「私が」
次いで名乗ろうとするさゆりを全く無視して、伊久は龍介に詰め寄った。
大きな瞳を好奇心で輝かせて、飛びつかんばかりに近づく。
「トーマ!!?? それ、芸名じゃなくて本名!?」
「そうだけど」
「うっわ〜、じゃあそっちのアナタはユリスモール?」
支我は端正な顔立ちだがどう見ても日本人顔で、伊久の質問は奇妙だった。
それが四十年ほど前に人気を博した漫画の、主人公の名前に基づく質問であると、三人の中で気づいた者はいない。
だが、三人の中で唯一冷静な支我は、彼女の質問に動じることなく答えた。
「いや、残念ながら違う。俺は支我正宗。東摩と同じクラスだ」
「マサムネ君か〜。これもなかなかカッコ良いけど、トーマ君にはちょっと負けるかな」
伊久の判断基準がどこにあるのか、三人の誰も判らない。
支我でさえ何故龍介は苗字で自分は名前で判断されているのか混乱して、とっさの対応を図りかねていた。
「私は」
「ね、ね、トーマ君、ここであったのも何かの縁だし、これからよろしくね。アタシのことは伊久でい〜よ」
さゆりに至っては関心すら持たれず、初対面にもかかわらず龍介の手を握る伊久にうさんくささと怒りを抱いていた。
龍介が死神に手を握られようが知ったことではないが、
女に手を握られたくらいで秘密をペラペラ喋られては夕隙社が鼎の軽重を問われかねない。
さゆりはだらしなく鼻の下を伸ばしている龍介の目を覚まさせることにした。
「痛ッ……!?」
突然ふくらはぎに痛みを覚え、龍介は周りを見渡す。
容疑者は三人いるが、一人は正面に立ち、一人は車椅子に座っていて、状況的に加害者は一人しかいない。
その、極めて疑わしい人物を龍介は凝視したが、彼女は逆に睨み返してきたので、やむなく追及を諦めた。
龍介のどこを――おそらく名前だ――気に入ったのか、伊久は今度は自分から来た目的を話し始めた。
「アタシ今日は営業かけに来たんだ」
「営業?」
「そ。って言ってもボランティアだけどね。アタシ奇術部の部長でね、
腕前と度胸を身につけるために公演させてくれるトコを飛びこみで探してるんだ」
「へえ」
「あ、なんか疑ってるね? よーし、特別にアタシの腕前見せてあげる」
別に疑ってない、と龍介が答える間もなく伊久は帽子を脱いだ。
それで龍介は、先ほど気になった尻尾は、帽子についていたのだと気がついた。
やはり子供っぽい、まとまりはないが艶と張りがたっぷりあるダークブラウンの髪がふわりと舞って、そちらに意識を取られる。
その瞬間、帽子から噴水のようにトランプが飛びだした。
「うわッ……!」
噴きあげたトランプが落ちてくると思い、龍介はとっさに腕で頭をかばう。
しかし、不思議なことに何十枚ものトランプが確かに頭上高く放たれたのに、落ちてきたのは一枚だけだった。
訳が分からないまま掌を開いてトランプを受け取る。
カードはハートのエースで、龍介がカードから伊久に視線を移すと、彼女はしてやったりと白い歯を見せた。
「あー、ハートのエースを引いちゃったかぁ。アタシとトーマ君の相性はバッチリってことだね」
積極的な伊久に龍介は目を白黒させるしかない。
「引いちゃったかぁ、じゃないわよ。あなたが引くように仕向けたんでしょ」
「嫌だなぁ、妬いてるの?」
「なッ……!!」
漫画だと本心を言い当てられた女の子が絶句してしまうシーンだ。
しかし、深舟さゆりの場合、絶句はしたがその形相は三度顔を撫でられた仏をも凌ぐものだった。
「あなた、私達と同じ高校三年生らしいけど、身長と一緒に常識もどこかに置いてきてしまったのかしら?」
「ご心配なく、ちゃんと持ち合わせてますよ〜だ。マジシャンは常識の隙間を突く職業なんだから」
「初対面で東摩君を気に入るくらいだから、どうかしら。もっとも、非常識同士お似合いでしょうけれど」
二人の不毛な言い争いを仲裁したのは、当事者である龍介ではなく、頼れる支我だった。
「せっかく良い手品を見せてもらったんだ、落ち着け、深舟」
「だって」
なぜ自分だけ言われるのか、さゆりは唇を尖らせる。
一方で伊久は我が意を得たりとばかりに龍介の手を握った。
「でしょでしょッ!? 自分で言うのもなんだけどさッ、見てもらえれば結構イイセン行くと思うのよね。
そうだ、トーマ君達の本でアタシの取材してよ」
「いや、俺達が出してる本はオカルトの……」
「オカルトぉ!? どうして老人ホームにオカルトが関係あるの?」
矢継ぎ早の質問に、もう龍介は策をめぐらす余裕もなかった。
自分でも呆れるほどしどろもどろで話してしまう。
「それはその、ここに霊が出るって相談があって」
「霊!? 本当!? ね、ね、詳しく聞かせてよ」
龍介の手を握りしめ、伊久はぴょんぴょん跳ねる。
さゆりのため息と支我の沈黙が聞こえた気がしたが、龍介は経緯を話すことにした。
「う〜ん、なんかすっごいね」
話を聞き終えた伊久は、腕を組んで頷く。
ようやく解放されたかと龍介が安堵しかけたところで、彼女の帽子から生えている尻尾がぴょこんと跳ねた。
「決めた、アタシもトーマ君達についてく。いいでしょ?」
「駄目よ、素人を参加なんてさせられないわ」
言下にさゆりが拒絶する。
龍介には日本刀にも感じられる彼女の言葉も、伊久はペーパーナイフくらいにしか思わないらしく、
交渉相手を龍介に絞って頼みこんできた。
「そんなこと言わないでさ、ね? トーマ君。邪魔しないから。それにアタシ案外役に立つかもよ?」
いくら伊久の体型が小学生と変わらないとしても、女の子とこれほど肌を触れあった経験が龍介にはない。
次点はさゆりということになるが、踏み台やとっさの避難を触れあいとは断じて認めず、
結果、龍介は混乱し、途方に暮れて同行者達を見やった。
「東摩君の好きにすれば? オタクとかヤクザにもずいぶん懐かれてるみたいだし、
もう一人くらい増えたってちゃんと面倒みるわよね」
「そうだな、邪魔をしなければ別にいいんじゃないか。だが俺達は霊を調査しなければならないから、頼んだぞ、東摩」
もしかして、見放されたのではないか。
支我は見放したのではなく、約束の時間が迫っているので、一番早く済みそうな解決案に乗っただけなのだが、
さゆりはともかく、支我にそんな態度を取られたのは龍介にとってショックだった。
「やったッ、よろしくね、トーマ君! それじゃ早速中に入ろ」
半ば腕にぶら下がる伊久に引っ張られながら、龍介は、気もそぞろに建物に入っていった。
受付から戻ってきた支我は、龍介達に取材許可証を配った。
「建物の中は自由に見ていいそうだ。ただし表向きは取材だってことを忘れるなよ」
「まッかせて」
四人の中では伊久が最も張り切っている。
先ほどからさゆりが伊久に――つまり、伊久がくっついている自分にも――厳しい視線を向けている気がして、
龍介は心中穏やかでない。
彼女が挑戦的なのはもともとではあるが、今回は自分にも多少責があると思うので、常のように応戦する気にはなれないのだ。
かといって多少図々しさも感じるものの、自分に対して好意を向けてくれている伊久を邪険に扱うというのも気が進まず、
思わぬ形で板挟みとなった龍介だった。
龍介の推測は半分当たり、半分はずれていた。
確かにさゆりは伊久に不快感を抱いていたが、龍介に対してはそうでなかったのだ。
これは実は龍介のことが好きで、などといったものではなく、彼が霊退治の現場ならともかく、
こういった取材の場ではほとんど役に立たないと思っていたからで、つまり、路傍の石扱いなのだった。
さゆりと伊久との間で板挟みになっている、などと龍介が言おうものなら、さゆりは鼻で笑い飛ばしていただろう。
さゆりにとって龍介は、使えない編集部員か、あるいは普通の突撃隊員――そのどちらかでしかなかった。
取材を申し込んだ時点で、「守護霊が現れるそうですね」と切り出しても怪しまれることなく許可が出たので、
ある程度は予想していたが、ここの施設は霊の存在を隠そうとはしていないようだった。
龍介が試しに近くにいた入所者に話を聞いてみると、老人はあっけないほど簡単に存在を認めたのだ。
「守護霊は最上階にあるホールに、日没の瞬間に現れるって話だ」
「ずいぶん簡単に情報が手に入ったわね」
「嘘はついてない感じだったよ」
さゆりの疑問に伊久が応じると、支我が小さく頷いた。
「その守護霊が善なる存在だと信じて疑っていないんだろうな」
「ああ……守護霊は自分たちをいつか天国へと導いてくれるとも言っていた」
霊は存在するが、死後の世界というのは存在するのだろうか。
もし存在したとして、死んだ人の霊魂は、宗教で語られるような天国と地獄に振り分けられるのだろうか。
霊が視え、その存在を認めることになっても、まだ過去よりも未来の方が遙かに多い龍介は、
死んだ後のことなど考えたこともなかった。
「でも日没の瞬間だなんて随分時間厳守だよね、守護霊って。そういうもんなの?」
「確かに昼間よりは夜の方が霊は視えやすいと言われている。だが、日没の瞬間というのはあまり聞いたことがないな」
もう少し情報を集めてみないと何とも言えないと支我は言い、全員が頷いた。
「あら、随分可愛い記者さんなのね」
声は若い女性で、振り向いた龍介はさらに驚いた。
楓伊久も奇抜な服装ではあるが、この女性はそれを上回る、全く老人ホームとは相容れない、
アラビア風の露出度が高い服を着ていたのだ。
強調された身体の線はこんな服を着るだけあって、女性らしい優美かつ大きな曲線を至る所で描いている。
過剰ともいえる色気はかえって警戒心を強めさせ、龍介達はそれぞれの表情で彼女を見た。
あからさまに警戒している龍介達にも構わず、女性は馴れ馴れしく話しかける。
「雑誌社が取材に来たってお爺ちゃん達が噂してたから見に来たんだけど、聞き間違いだったのかしら?」
「いえ、合ってますよ」
「そうなの? 学級新聞じゃなくて?」
艶やかな悪意に、龍介はとっさに反応できなかった。
「アタシは小学生じゃないッ!!」
反応したのは当事者である伊久で、童顔に怒りを漲らせているが、迫力が足りないのはどうしようもない。
妙齢の――というより、年齢の見当がつかない女性は、怒る伊久を無視し、粘着力のある囁きで名乗った。
「ふふふッ。はじめまして、あたしの名前は聖奈妖子。あなたたちの名前は?」
「アタシが谷山麻衣でこっちが渋谷一也。で、滝川法生に原真砂子よ」
女性は龍介の顔を見て訊ねたが、答えたのは伊久だった。
龍介に口を開く暇さえ与えない早さで、四人分の偽名を一気に告げると、妖子と名乗った女性は、媚を含んだ微笑で頷いた。
あらゆる仕種に男を誑かそうという毒がしたたっている。
龍介も一人であったら危なかったかもしれないが、支我とさゆりという心強い仲間がいたので惑わされはしなかった。
それにしても、彼女とは初対面の気がしないのはどういうことだろうか。
こんな派手な女性は知り合いに居ないはずなのだが。
「聖奈さんはここの関係者なんですか?」
「あたし? 違うわよ。ここには仕事で来てるの」
「仕事、ですか。占いとか何かのパフォーマンスですか?」
支我が訊ねると妖子はあっさりと目的を話した。
「違うわ。あたしの仕事はゴーストコンサルタント」
「ゴーストコンサルタント?」
これには支我だけでなく、全員が声を上げた。
余裕たっぷりに頷いた妖子は、さらに霊の専門家を自認する龍介達を驚かせることを告げた。
「そうよ。お好みの霊の召喚から悪霊の除霊まで、霊に関することなら何でもお任せ。それがあたしの仕事」
「召喚や除霊……」
夕隙社の古株である支我は、同業他社のことも都内ならある程度把握している。
ほとんどが個人事業主で、実体を知るのは難しいのだが、霊の召喚を商売にしている業者というのは聞いたことがなかった。
そもそも特定の霊を喚びだすというのは、極めて難しいとされている。
整えられた環境や故人の遺品、それに修練を積んだ霊能者による儀式が揃わないと、まず不可能といって良いほどだ。
それを行えるというのが本当ならば、彼女はかなり強力な霊能力者ということになる。
支我は表情を消し、彼女から一つでも多くの情報を得ようと努めた。
「あなたたち、この老人ホームに出る守護霊を取材に来たって話じゃない?」
「ええ、そうです」
「良いこと教えてあげましょうか? ここの守護霊はあたしが召喚したの。この老人ホームのためにね」
「守護霊を……召喚した?」
「どう? 結構スゴイでしょ?」
妖子が得意気に上体を反らし、豊かな胸が扇情的に揺れる。
支我はそれには目もくれず、彼の興味に対する質問を続けた。
「興味深い話です。どうやって守護霊を召喚したんですか?」
「そ・れ・は、企業秘密よん。教えてあ〜げない」
意識してか否か、妖子は挑発的に質問をかわす。
目を細める支我を愉快そうに眺めながら、彼女はさらに煽った。
「でも、あたしが喚びだした守護霊は本物よ? 聖なるパワーをビンビン感じちゃうんだから。
何ならここの住人に話を聞いてみたら? あ……ちょうどいいわ、お爺ちゃん」
妖子は廊下を歩いていた老人の一人を呼び止める。
呼び止められた老人は、相手が妖子だと知ると小狡そうな表情を緩めた。
「ん? おお、妖子さん。わしに何か用かの?」
「この子達がお爺ちゃんに用があるんだって。聞いてあげてくれる?」
「何じゃ、お主らは? わしに何の用じゃ?」
龍介達も全く疑っていないようで、妖子の頼みにも気さくに応じた。
「あの……この老人ホームに、守護霊様というのが出ると聞いて来たのですが」
「おお、守護霊様か」
普通なら怪しまれるだろう支我の質問に、老人はむしろ警戒心を解いたようだった。
小さな目がほとんど見えなくなるくらいに相好を崩す。
「ああ、もう心のわだかまりというものが消えて、晴れやかな気分じゃ。
お前さん達を見ていると、事故で死んだ孫を思いだすのぉ。
もう孫には会えないと思っておったが、もうすぐじゃ。もうすぐ守護霊様が会わせてくれる。
この意地汚い金貸しの老人にも、守護霊様は天国への階段が続いていることをお示しくださった。ありがたや、ありがたや……」
途中からは独語するように語った老人は、両手を合わせ、擦り合わせながら去っていった。
狂信的ともいえるくらい強い信仰に戸惑う龍介を、甘ったるい香りが捉える。
甘美な匂いであるはずのそれが、なぜか龍介は危険に感じ、妖子から半歩離れた。
「うふふ……どう? これがあたしが喚びだした守護霊の力よ。
ここの住人達は元政治家や芸能人、実業家が多いの。結構悪い事してお金儲けをした人達がたっくさん住んでるわ。
もし天国と地獄があるとしたら、死ねば地獄に堕ちるのは間違いないくらいのね」
妖子の語り方は変わらず艶めかしかった。
だが、内容は一転して毒が満ち、なまじ耳に快い声だっただけに、強烈な反発を生じさせる。
鼻白む龍介達に、妖子は豊かな胸に手を当てて言った。
「でもあたしの喚びだした守護霊は、そんな人達を救ってくれる。天国の門へ連れていってくれるのよ。
インチキオカルト雑誌でお金儲けをしているあなた達より、よっぽど役に立ってると思わない? ねぇ、夕隙社の記者さん達?」
「あなた、私達のこと知って――」
「同業者の情報は集めておくのがプロってものよ、お嬢ちゃん」
お嬢ちゃんという台詞にことさら毒を込めた妖子は、さゆりが怒りを炸裂させるより早く身を翻した。
「まッ、取材でも何でもしていきなさい。何も面白いことはないと思うけどね。それじゃ、さようなら」
とどめとばかりに背を向けたまま手を振って去っていく妖子を、一同は言葉もなく見送った。
強烈な毒気に麻痺してしまったようにも見える。
最初に回復したのはさゆりで、軽やかにターンしたが、紅い唇は三角形が描けそうなくらいに中央が吊りあがっていた。
「嫌な女だったねえ」
さゆりの気持ちを代弁するように伊久が言う。
「怪しいわ」
ようやく喋ったさゆりの、鼻息が微かに聞こえる。
彼女の怒りが知れようというもので、龍介はなだめようとした。
「怪しいって、何が」
「何もかもよ!」
予測を上回る爆発だった。
自分の舌禍が招いた直撃弾ではないにも関わらず、龍介はたじたじとなった。
「いや、そりゃ俺も変な服だとは思ったけど」
「見た目なんてどうでもいいわよッ! あの女、絶対何かやましいことをしてるに違いないわ」
同意を求めるようにさゆりが龍介と支我を見る。
顎に手を当てていた支我が、考えながら答えた。
「確かに、色々気になる点はある」
「たとえばどんな?」
伊久の疑問は龍介にも共通していて、揃って支我を見る。
「そうだな、まず、あの女が霊を喚びだせるというのがやはり気になる。
降霊術というのは昔からあるが、どうもそれとも違うようだ。
次に、仮に自在に喚びだせたとして、なぜこの老人ホームだけで喚ぶのか。
単なる善意ならもっと多くの場所で喚んでもいいはずだ。
そして、やはり喚びだした霊が天国への門へ導くというのが、どうにも腑に落ちないんだ。そうは思わないか、東摩」
「ああ……慈善事業をやってますって感じじゃなかったな」
「そうよ、本当に天国へと導ける霊を喚びだしてお年寄りに教えているのなら、凄く善人のはずよ。
でもあの女にはそういう雰囲気が全然なかった」
珍しく三人の意見が一致する。
それに龍介は気づいたが、さゆりは気づいていないようだった。
気づいたら怒るだろうから、気づかせる必要もない。
さりげなさを意識して、龍介は続けた。
「何か裏がありそうだな」
「ここの住人が守護霊の存在を信じている以上、俺達もうかつな行動はできないが」
「そうね……下手に守護霊を疑っているのを気づかれたら、追い出されちゃうかもしれないわね」
どちらにしてももう少し探ってみる必要があるだろう。
そう三人が同意したところで、支我が四人目に話しかけた。
「それにしても楓は、良くとっさに偽名を言えたな」
「エヘヘッ、向こうも偽名だったからね」
「そうなのか!?」
夕隙社の三人が揃って声を上げると、伊久はご満悦といった風に頷いた。
「うん。相当慣れてたけど、名前を言った時に一瞬だけ掌が強ばったの、アタシ見逃さなかったんだ」
「それだけで嘘を吐いているかどうかなんてわかるの?」
伊久を好いてはいなかったはずのさゆりも、思わず質問する。
伊久の方では気にしていないらしく、彼女の質問に丁寧に答えた。
「手ってね、その人の心理状態がすっごく出るんだよ。自分について知られたくないときは手そのものを見えないようにするとか、
逆にやましい気持ちがないときは掌を見せるとか。で、あの女はアタシ達と話してるときも、あんまり手を見られないように
いっつもひらひら動かしてたでしょ? ああいう服着てるからそういう動きも変じゃないって思わせておいて、
実はいつでも嘘を吐けるようにしてたんだと思うよ。ただ、嘘を吐き慣れてる感じもしたよ」
龍介とさゆりは無論、支我まで唸るしかなかった。
伊久は三人が妖子と話をしている間、一言も口を挟まず、マジックで培った鋭い観察眼を遺憾なく発揮していたのだ。
感心した支我は、さらに訊ねた。
「じゃあ、霊が喚べるというのも嘘の可能性があるのか?」
「ううん、そっちは本当だったよ。ただ、アタシがマジックをする時と一緒の、
『種も仕掛けもありません』って言いながら実はもっと別の仕掛けを用意してあるような話し方だったんだよね」
「別の仕掛け?」
「ん〜、そこまではわかんないや」
今の会話でそこまで探りだすのは無理というものだろう。
いずれにしても、彼女が純粋な善意ではなく、何か企みをもっているのは間違いなさそうだった。
「まずは守護霊が現れるというホールを見てみるか」
「そうね、何事も現場から、よね」
支我とさゆりは守護霊の秘密を暴こうと意気軒昂だ。
龍介も続こうとすると、伊久に制服の裾を引っ張られた。
「トーマ君、どう? アタシ役に立ったでしょ?」
伊久があまりに満面の笑みを浮かべていたので、初めてのお使いを無事成功させた幼児に見えてしまった龍介は、
反射的に彼女の頭を撫でていた。
撫でてから子供扱いされて怒るのではないかと焦ったが、伊久は龍介の腕を両手で掴んで喜んだ。
「それじゃホールに行ってみよ〜」
元気よく歩きだす伊久に、釣られるように三人も移動を始めたのだった。
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