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文京区にあるスーパーの一角に、人だかりができている。
買い物に来た、あるいは買い物を終えた主婦と、彼女達に連れられた子供達が大半だ。
人だかりの先には小さなステージがしつらえられていて、一人の少女がその上で声を張りあげていた。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃいッ! お代は見てのお帰りだよ!」
魔女とネコとカボチャをモチーフにしたような奇抜な服装と、良く通る呼びこみの声に、
人だかりはさらに一回りほど大きくなる。
人の流れを見て頃合いだと見た少女は、客寄せを打ち切って集まった聴衆に挨拶した。
「ミンナ、集まってくれてありがとーッ!! アタシはマジシャンの楓伊久だよッ!
こっちは助手のフランくん。ほら、挨拶して」
「フガー!」
伊久の隣には彼女より五十センチ以上高い大男がいて、彼女に促されると両手を肩の前に突きだして叫んだ。
間の抜けた動作に、最前列に陣取っていた子供達が笑う。
「フガー!」
先ほどとはイントネーションを変えた叫びに、子供達がまた笑った。
「フランくんはフガーしか喋れないけど、アタシの大切な助手なんだよ。ね、フランくん」
「フガー!」
三度声を張りあげると、歓声が上がった。
フランケンシュタインのマスクを被った龍介は、こういうのも悪くないと内心で考えていた。
マジックショーの手伝いに来た龍介を待っていたのは、この有名な怪物の衣装だった。
マスクは視界がほとんどなく、さらに背を高く見せるため十センチほどかさあげされたブーツを履いているため、
歩くだけでも大変に気を遣う。
とはいえ今更嫌とも言えないので、覚悟を決めて龍介はフランくんになることにしたのだった。
始まる前こそ恥ずかしかったが、始まってしまえばそんな暇はない。
伊久に与えられた指示を何度も反芻しながら、龍介は伊久によるショーの進行を追っていた。
「さッ、それではこれからお見せするのはアタシの新作イリュージョン! 『空中に浮かびあがる幽霊』だよッ!!」
「ははッ、幽霊だって!」
「そんなのいる訳ないじゃん!」
容赦なく飛んでくる子供達のツッコミに、伊久は落ち着き払って答えた。
「……この世には科学じゃ計り知れないことがあるんだな」
低く溜めた声に、子供達は沈黙する。
それに合わせた絶妙のタイミングで、ステージに霧が立ちこめた。
伊久と龍介の姿が見えなくなるほどの濃い霧で、観客達がざわめく。
「この霧に害はないけど、あんまり近づかない方がいいかもね……魂を抜き取られちゃうかもしれないぞ?」
「お、脅かそうったってそうはいくかよッ!」
子供達の叫びが霧に消え、霧の中から伊久の声が返ってきた。
「アタシが三つ数えたら、幽霊が現れるからね。……ワン、ツー、スリー!」
かけ声と同時に大きな人影が浮かびあがる。
大きな虹色の光の輪をまとった人の影は、観客にインパクトを与えるのに充分で、最前列にいた子供達は一斉に騒ぎ、叫んだ。
「う、うわわァッ、なんだよアレッ……!」
「すっげーッ!」
「本当に幽霊だッ!」
一分ほどで霧が晴れていき、人影も薄れていく。
霧の中から現れた伊久は、拍手する観客に向かって一礼すると、再び声を張りあげた。
「今のはほんの小手調べ。これからお見せいたしますのは、
なんとここにいる助手のフランくんが消える……人体消失マジックですッ!」
子供達だけでなく、大人達もどよめく。
得意げに伊久は指を鳴らし、マジックを開始した。
人だかりのなくなったステージで、龍介と伊久が後片付けをしている。
フランケンシュタインのマスクを外した龍介は、心地よい充実感に包まれていた。
小道具をしまいながら、伊久が話しかけてくる。
その声は弾んでいて、いかにも嬉しそうだ。
「お疲れ様トーマ君。今日はありがとね」
「そっちこそ。成功……でいいんだよな?」
「うんッ、大成功だよ! やっぱ二人いると違うよね、マジックの幅がぐっと広がるよ」
マジックの助手が必要だと伊久から連絡があったのは、一週間前だ。
全然難しくないから、と強引に押し切られて手伝うことになったのだが、
蓋を開けてみればずいぶんと大がかりなマジックで、自分のせいで失敗したりしないか、
当日終わるまで気が気でなかった龍介だった。
しかも、簡単ながらも演技までする羽目になって、ゴースト退治をするよりも緊張したかもしれなかった。
それでも、大きな失敗をすることなく演目は終えられたし、観客の拍手は気持ちが良く、なかなかクセになりそうだ。
「そういや、このステージなんかも持ってきたのか?」
「ううん、ここの店長さんが趣味で手品やってるらしくてね。
ショーをさせてもらえるようにお願いしにいったら二つ返事で許可してくれて、
おまけに昔客寄せのために買ったんだけど、できる人が店長だけになっちゃって倉庫で眠ってた、この組み立て式の
ステージも使っていいって言ってくれたの。アタシもいきなりでできるかどうか不安だったけど、上手くいって良かったよ」
実際、これがなければ今日のマジックは不可能だったという。
『空中に浮かびあがる幽霊』は物理現象であるブロッケン現象を応用したもので、
本来霧の深い山中で発生する現象を、東京の街中で見せるためには近い環境を再現する必要があったし、
『人体消失マジック』に至っては装置自体がトリックなので、この舞台があってこそのマジックなのだった。
片付けも大体終わり、あとはこれを倉庫に返してくれば良い。
すると伊久が近づいてきて龍介に耳打ちした。
「ねえ、トーマ君。あの人、さっきからこっち見てるんだけど」
伊久に言われた方を龍介は見る。
そこには一人の中年男性が、腕を組んで龍介達を見ていた。
子供は連れておらず、マジックを楽しんだようにも見えず、さらには買い物に来たようにも見えない。
それらの情報を頭の中でミキサーにかけて得られたいくつかの思いつきの中から、もっとも無難なものを選んで龍介は言った。
「本当だ。伊久のスカウトに来たのかな?」
「やだ、そんな、アタシまだ心の準備が……ってどう見ても違うでしょ!」
「そうかな」
緊張感に欠ける会話をこなしている間に、男が近づいてきた。
二人とも手を止めて、彼を待ち受ける。
男は眉間に皺を寄せていて、しかも刺すような険しい目をしていて、龍介は怒られるのではないかと思ったほどだ。
龍介の不安に反して、男の第一声は怒鳴り声ではなかった。
「あー……ちょっといいかな?」
「アタシ……ですか?」
男は明確に伊久に話しかけた。
伊久は社交的な笑顔を浮かべたままだが、龍介は半歩伊久の前に出る。
だが、男はこのあからさまな警戒にも、全く怯まなかった。
「ああ。是非訊きたいことがあるんだ」
秋葉原の改札口を出た龍介は、一歩足を止めただけで軽く突き飛ばされ、慌てて避けた。
文句を言ってやろうと振り向き、同じ方向に歩いていく人波に圧倒される。
都会、とくに二十三区内というのはどこもこのような感じというのはどこかで知識を得ていたが、
実際に体験すると凄まじいの一言だった。
秋葉原駅のこの人混みは、正確には通勤ラッシュではなく、電気街に足を運ぶ人々の、
いわば観光ラッシュといったところなのだが、学校には徒歩で通っている龍介には初体験だった。
龍介が初めて足を踏み入れることとなるこの街に来た理由は、一昨日学校で、
次の休みに秋葉原にパソコンの部品を買いに行くのに付きあって欲しいと支我に誘われたからで、
暮綯學園に転校して、初めて友人に遊びに誘われた龍介は、二つ返事で了解したのだ。
駅の入り口から少し離れたところに支我は居て、龍介に気づくと彼の方から近づいてきた。
彼は車椅子を利用しているが、手品かと思うくらい歩く人々を上手に避けている。
「よォ、東摩。つきあってもらって悪いな」
「いや、全然。それにしても凄いな、パソコンを自分で作るなんて」
「そうでもないさ。昔はパーツ同士に相性があったりして大変だったが、今は大抵大丈夫だからな。
パーツを挿していくだけだから簡単なものさ。どうだ、良かったら東摩も一台作ってみるか?」
「い、いや、今日はいいや。そのうち作る気になったら頼むよ」
実は龍介はメカメカしいものが苦手で、パソコンの内部など見ただけでうんざりする。
スマートフォンなどは平気で使えるのだが、パイプやら基盤やらが剥きだしになっているものは、
触ると爆発するのではないかと思ってしまうのだ。
「ああ、いつでも言ってくれ。それじゃ、早速行くけどいいか?」
「ああ」
支我に続いて龍介も歩きだした。
まだ店は開店直後のところが多いようで、シャッターを上げている最中の店も幾つかある。
それでも人混みはすでにかなりのもので、支我はその中を巧みに進んでいった。
彼は相当慣れているようで、龍介の方が小走りしないと離されてしまう。
店に入っても同様で、一軒目では龍介が物珍しさに見渡しているうちに、もう支我は一通り見たから行こうと言いだして
二軒目に向かい、そこはもっと短い時間で店を出てしまった。
「今ので何が判るんだ?」
支我が見たパーツの意味さえ把握できなかった龍介が、ほとんど狐に抓まれた状態で訊ねる。
「ああ、一軒目は珍しいパーツの入荷がある店でな。二軒目は大体の値段のチェックをしたんだ。これから行く店が本命なんだ」
「二軒目と何か違ったりするのか?」
「大差はないがちょくちょく顔を出しているから、少しなら融通が利いたりするのさ。
といっても、人気で品薄になりそうなパーツを取り置いてくれるとか、
初期不良があったときにスムーズに交換してくれるとか、その程度だが」
話をしているうちに三軒目に到着し、ここでも支我は入るなり店の奥へと進む。
彼に気づいた店員と話しはじめ、たちまちさっぱり判らない専門用語が飛び交う会話になったので、
手持ち無沙汰になった龍介は店内を散策した。
店内狭しと置かれているパーツを、どう組み合わせればパソコンになるのかさえ見当がつかないまま、
そこかしこに貼られた値段表を見てたまげていると、話を終えた支我がやってくる。
支我はすでにいくつかのパーツが入った紙袋を複数持っていて、龍介を促して店を出た。
「凄いんだな、パソコンの値段って」
「ん? ……ああ、そうだな。夕隙社はバイト代がいいからつい性能の良いパーツを買ってしまうが、
でもまあ、俺の趣味といったらこれくらいだしな。東摩はどんな趣味なんだ?」
友人の質問に龍介はやや早口で答えた。
「うーん……これといった趣味はないなあ」
部活に青春を賭けたわけでもないし、我を忘れるほど熱中するものもない。
夕隙社に拾われなければバイトもせず、無味乾燥な生活を送っていただろう。
そして、夕隙社の仕事は深夜まで及ぶことも珍しくない不規則なものだから、趣味を見つける暇もないというのが現状だった。
「あ、でも料理はちょっと挑戦してるかな」
「ほう……長南に言われたからか?」
「まあ、それもきっかけだけど、今どきは男だって料理の一つくらいはな、と思って」
偉そうに言ってはみたものの、まだ炊飯器で米が炊け、若干火が通っていない野菜炒めが作れる程度に過ぎない。
バイトがあるので挑戦する機会がそもそも少なく、まだまだ胸を張って料理が得意などと言える段階ではなかった。
「料理で思いだした、東摩、昼飯はどうする」
「何も考えてこなかったけど、この辺で何か知ってるか」
「そうだな……少し移動するが構わないか?」
「もちろん」
二人は駅に向かって歩きはじめたが、数分もしないうちに支我が止まった。
何事かと龍介が訊ねようとすると、支我は右斜め前方に目を凝らしていた。
「おい、あれは深舟に長南じゃないか?」
「ん? こんなところにいるはず……」
前方を見やった龍介は絶句した。
日本人女子らしい長い黒髪は、多種多様な髪の色があふれる秋葉原にあって逆に異彩を放っていたし、
莢の栗色の巻き髪も、こちらは似た髪型がそこかしこに居るが、本物感というか上質さにおいて群を抜いていた。
それに何より、その二つの髪型が一緒にいるとなると、日本全国探してみても、おそらく一組しか該当はないだろう。
秋葉原は電気街であり、サブカルチャーの総本山でもある。
龍介はさゆりとも莢とも親しくはないが、彼女たちがそのような趣味を持っていると聞いたことはなかったし、
浅間萌市のように、会話の端々にそのような気配が滲んだこともない。
さゆりに至ってはこの街が最もよく似合うと思われる萌市のことを、さすがに本人の前ではないがオタク呼ばわりしている。
その言い方からもオタクに偏見を持っているのは間違いなく、秋葉原など蛇蝎の如く嫌っていても不思議ではないのだ。
寺にクリスチャンの幽霊が出現するくらい、場違いな取り合わせだった。
「どうする、声をかけるか?」
「……いや、止めとこう」
支我はともかく龍介は深舟さゆりと友好的な関係とはいいがたく、
会話を交わせば口げんかになってしまう可能性が七十三パーセントほどある。
なにもせっかくの休みに気分を悪くする必要もないというのが、龍介の理性的な判断だった。
ところが、龍介達が彼女達に気づいたのに遅れること三十秒、彼女達の方でも龍介達の方に気がついたようだった。
女性の片方が大仰に驚くと、大きく手を振る。
「あッ、東摩くんに支我くんだッ! 奇遇だね、こんなところで」
「莢さんこそ」
向こうから話しかけてきたのなら断る理由はない。
軽く手を挙げて龍介が近づいていくと、早くもさゆりが非友好的な眼光を向けてきた。
その程度で恐れいったりはしないが、制服を着ていない彼女には違和感がある。
さゆりは飾り気のないミントグリーンのブラウスに、制服より丈の長いクリーム色のスカートという組み合わせだ。
似合っているかと問われれば龍介も渋々認めざるをえず、それゆえに一層場違いな感じだった。
対する莢は上着にもスカートにもフリルが施されたものを着ており、こちらは莢の髪型が派手なのもあって、
なんとなく街に馴染んでいるように龍介には思われた。
「今日はどうしたの? お買い物?」
「ああ、支我のパソコンの部品を買いに」
莢に答えた龍介は、敵意に満ちた視線を解こうとしないさゆりに、挑発的に訊ねた。
「そっちはこんなところに何しに来たんだよ」
「なんだっていいでしょ、女の子の行動を聞きだそうとするなんていやらしい」
彼女の舌鋒は休日程度では和らいだりしないらしいと改めて確認した龍介が、
反撃に出ようとすると、莢ののんびりした声に遮られた。
「あたし達はね〜、今日オープンした武将ショップに来たの〜」
武将ショップとはまた酷い日本語もあったものだが、そんなところを目的地にするとはどういうことだろうか。
怪訝そうな顔をする龍介に、さゆりはなぜか彼女の方から視線を逸らした。
不思議に思いつつ龍介は話を続ける。
「へえ、莢さんは武将とか好きなんだ」
「あたしじゃないの。好きなのはさゆりちゃんの方」
「ちょっと、莢ッ」
秘密というわけではないけれども、できれば知られたくはなかった趣味を、
全く罪の意識がないまま暴露してしまった友人を、さゆりは慌てて制止するが、時すでに遅かった。
おそるおそる龍介を見ると、彼は表情の選択に困っているらしく、それが一層さゆりに顔から火が出る思いをさせる。
さゆりは喋れず、龍介は喋らず、喧噪の中で不自然な沈黙が小さな空間に生じた。
その空間を道行く人の何人かが避ける。
すると、支我が言った。
「こんなところで立ち話もなんだな。俺達はこれから昼飯を食べに行くんだが、良かったら二人もどうだ?」
これを救いの手とは、少なくとも一人は感じなかったし、もう一人も考えなかった。
ここは出会わなかったことにして別れるのが最善ではないかと思っていた龍介は、
支我の度胸というか空気の読まなさに敬服したほどだった。
「うんッ、行こッ! ね、さゆりちゃん」
そして、もう一人空気を読んでいないと思われる女性は、同行者に意見を求める前に返事をしている。
間違えて朝に起きた吸血鬼のような顔をしているさゆりに、龍介は不合理な感情ながら、同情せずにはいられないのだった。
駅から歩いて五分ほどの場所に、支我が案内する喫茶店はあった。
駅からは近いが電気街とは反対方向のため、人通りは一気に減り、当然バリアフリーの店なので、
スムーズに席に着くことができた。
支我と龍介はランチセットを、莢はパフェを、そしてさゆりはケーキセットを頼む。
頼んだものが来るまでの間、会話の口火を切ったのは莢だった。
「パソコンって四角いやつだよね? 支我くんはあれを作っちゃうの? 凄いね〜」
「作るというか、組み立てるだけだけどな」
「う〜ん、でもあたしにはさっぱりわかんないからやっぱり凄いや」
莢は素朴な尊敬の眼差しを向ける。
龍介がさゆりを見ると、彼女は支我に敵意を向けてはいなかった。
この差はいったい何なんだと思わずにいられない龍介を、視線に気づいたさゆりが睨んできた。
瞳から黒い弾が今にも飛んできそうな強い力を感じるが、目が合ってしまった以上話をしないわけにもいかず、
龍介は思ったことを口走った。
「武将ショップってどんなものを売ってるんだ? 日本刀とか甲冑とかか?」
さゆりは無反応だ。
常の彼女ならここぞとばかりに罵倒するはずで、眼力に圧されてつい失言してしまった龍介は、柄にもなく悔やんだ。
答えないさゆりに代わって龍介に教えたのは、人差し指を顎に当てた莢だった。
「えっとね〜、おやすみCDとか緑茶とかね、あと武将抱き枕っていうのもあったよ」
「抱き……枕?」
それらのものが同時に売られている店というのが今ひとつ判らないが、その中でも武将抱き枕というのはさっぱりだ。
「うん。武将の絵が描いてあってね、さゆりちゃんの好きな、えっと……誰だっけ? 頭に『愛』って描いてある人」
「もしかして、直江兼続?」
「あ、そうそう、そんな名前の人。さゆりちゃん、ずいぶん熱心に見てたよね」
「東摩君……もしかして、武将に詳しいの?」
急所を突かれたとおぼしきさゆりは、みるみる耳を赤くしながらも最後まで取り乱さず、
非常に強引ながら話題を逸らそうとさえした。
その粘りに感服して、龍介は抱き枕についてはもう追及しないことにした。
「直江兼続なら有名だろ? な、支我だって知ってるだろ?」
「ん、ああ……名前だけなら知っているが、詳しくはないな。上杉景勝配下だったっけ?」
「謙信の頃から仕えてるんじゃなかったっけ、才能を見いだされたとかで」
あやふやな知識を披露する龍介に、なぜかさゆりが積極的に絡んできた。
「あと随分な美貌で、それが謙信の気に入った理由って説もあるのよ」
「ああ……まあ……そうかもな……」
戦国時代は衆道、いわゆる男性の同性愛が盛んであったのは有名な話だ。
それに上杉謙信も、その養子である上杉景勝も生涯不犯を貫いたために同性愛者説や女性説まで存在する。
とはいえ一応異性愛者である龍介はやはり衆道の話を好まず、いつになく饒舌なさゆりに同調できないのも当然だった。
「それでその直江兼続がお気に入りってわけだ」
「お、お気に入りってわけじゃないわよ。ただちょっと、格好いいかなって思っただけよ。でも本当にちょっとだけなんだから」
「ふうん。まあ愛の前立ては特徴的だよな」
龍介の感想は実は兼続自身を褒めてはいないのだが、さゆりは素直に嬉しそうに頷いた。
「東摩君が歴史好きだったなんて意外だわ」
戦国武将を多少知っているくらいでは、歴史好きとは言えないのではないか。
などと野暮なことを龍介は指摘しなかった。
同好の士を得たさゆりの喜びようが、柄にもなく可愛かったからだ。
もともと深舟さゆりは目鼻立ちは整っていて、美少女という肩書きが重荷にはなっていない少女なのだ。
龍介が彼女を認めていなかったのは、口を開けば飛んでくる棘の塊がゆえで、
美しいものを美しくないと拒む偏狭さは持ち合わせていなかった。
どっしり重いと思っていた自分の心が、実はそれほどでもなかったと気づいた龍介は、
そんな自分を嫌悪するように咳を一つすると話題を変えた。
「そういえば支我、最近起こった変わった事件って知ってるか?」
「変わった事件?」
「ああ。殺人事件で、たとえば……犯人が瞬間移動したとかそんなような」
「この東京で? 何言ってるの?」
さゆりは必ずしも小馬鹿にはしていなかったのだが、これまでの龍介に対する彼女の素行はそのように疑われても仕方がなく、
受信者はさもありなんと受け取る際に変換してしまった。
やはりさきほどのは気の迷いで、彼女に対する好意などは未来永劫発生させてはならない。
こちらから仕掛けることはないとしても、いつでも反撃できるよう備えておくべきだ。
などと冷戦時代の大国指導者のようなことを考えながら、龍介はさゆりは無視して昨日の出来事を語り始めた。
「昨日伊久と一緒に居たんだけどさ」
「伊久ってだあれ? 女の子?」
「え? あ、そう、楓伊久ってマジシャン志望の女の子。マジックショーを手伝って欲しいっていうから、昨日行ってたんだ」
呼び捨てで名前を呼んだからなのか、莢は意味ありげな顔をしている。
説明したところで本人に会わせなければ誤解は解けそうにないので、龍介はあえてそれ以上説明せずに続けた。
「そのショーが終わったあとにおっさんが話しかけてきたんだよ」
ずいぶんくたびれたコートを着た男は、物怖じはしておらず馴れ馴れしくもない、独特の親しさで二人に接してきた。
「君がさっきやって見せた人体消失というのは、いつでもどこでも出来るものなのかい?」
伊久と龍介は顔を見合わせた。
人体消失が自由自在にできるのなら、それはもうマジックではなく超能力だ。
龍介は職業柄超能力にも多少詳しいが、そのような現象を目の当たりにしたことはないし、
できるという人間にも会ったことはない。
そして伊久はもちろんマジシャンとしての視点から、それが不可能であることを知っていた。
「無理だよ、そんなの。今日のマジックだってタネもシカケもちゃんとあるんだから」
「……そうだよな……すまない、おかしなことを訊いて」
「ううん、でもそんなこと訊くなんて、難しい事件でも起こったの、刑事さん?」
伊久を龍介と、そして男が驚愕の眼差しで見つめる。
男は失策を悔いるような表情で伊久に言った。
「……俺が刑事だと、どうして判った?」
「服装と顔と雰囲気と、あとは勘。本気で瞬間移動する方法を考える大人なんて、警察か泥棒くらいかなって」
「まいったな、ウチの若いのにも見習わせたいくらいだ」
男は頭を掻いて伊久の推理を認めた。
「殺人事件が発生したんだが、部屋に出入りの形跡はない。足跡も指紋も、鍵を開けた形跡すらなくて、
正直お手上げな状態だ。どうにも行き詰まっているところに君たちのショーを見たものだから、つい」
龍介と伊久は顔を見合わせる。
刑事の口から語られたのは思いがけず深刻な事件で、適当なトリックでごまかして良い話ではなさそうだった。
「刑事さんでもわかんなくて、マジックでもないんだったらトーマ君の出番かもね」
刑事が鋭く眼光で問いかけてきたので、龍介は若干慌てた。
「い、いえ、俺は夕隙社っていうオカルト雑誌の出版社でバイトしてるんですけど、
まだバイトを始めて日が浅くて、そうだ、社に来てもらえればもっと詳しい人間が居ますけど」
オカルト、と聞いた途端あからさまに刑事は落胆する。
それは軽んじられた側の龍介が同情するほどで、眉の上部に時間を無駄にしたと漂わせつつ、
それでも一応龍介から名刺だけは受け取って、肩を落としたまま去っていった。
哀愁漂う背中を見送って、伊久が呟く。
「なんか気になるけど……事件のことは何にも教えてくれなかったね。あれがプロの捜査なのかな」
隠しもしない好奇心を声に含ませる伊久に、龍介は返事の代わりに頭を一つ振って、片付けを再開したのだった。
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