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五件の事件のうち、豊島区で発生した事件から龍介達は調べはじめた。
「被害者の一人、寒河江美月さんはこの大学に通っていたそうよ」
「大学って初めて来たけど、何だか皆大人っぽいね」
「年齢はそれほど変わらないのにね」
さゆりと伊久は校門をくぐりながらそんなことを話している。
初めて訪れる大学を興味深く見渡す龍介も、同じ意見だった。
深舟さゆりは年齢相応に大人びていると思うが、それでも『女』というよりは『少女』、あるいは『女の子』
といった形容が似合う。
服装や化粧のせいだろうと思いはしても、キャンパスのそこかしこにいる女性達とは、全く別人種のように見えるのだ。
深舟さゆりも大学に通うようになったら、あのようになるのだろうか――
「何してんのトーマ君、置いてっちゃうよ!」
伊久に呼ばれた龍介は、二重に不毛な妄想をしていたと気づき、慌てて二人に追いついた。
龍介より遙かに真面目な二人は、案内板で学生が多くいそうな学生ホールという建物に目をつけ、そこに向かっていた。
学生ホールは多目的……つまり、授業の合間で時間が余ったり、授業をサボって時間が余ったりしている生徒達の溜まり場だ。
もくろみ通りにホールには三十人ほどの学生がいて、情報収集には困らなさそうだった。
「どうしましょう……とりあえず、適当に話を聞いてみましょうか」
その適当が難しいのでは、と龍介が言う間もなく、伊久が二人組の男子大学生に目をつけて話しかけた。
「こんにちは、お兄さん!」
「お、君たち高校生?」
「良いねえ若くて。オジサンうらやましいわ。俺達にもこんな時代があったんだなあ」
一年生にしては擦れているし、三、四年生だとしたら子供っぽい。
二年生だろう、という伊久の読みは見事に的中していた。
一方で伊久は見た目は小学生で、大学生達を困惑させる。
望んで背が低いわけではないけれども、心理的に優位に立てる効果は否定できなかった。
「あのね、寒河江美月さんって知ってる?」
「ああ、雪の女王ね。君たち彼女とどんな関係?」
大学生は疑っているのではなく、女性と一言でも多く会話したいという、悪気のない欲が顔を出したにすぎない。
そして伊久は、彼らの邪気を霧消させる人懐っこい笑顔を浮かべた。
「アタシたち美月さんの後輩で、この大学目指してるんだけど、話を聞きたくて」
「そういうことね。そういや最近見ないな。お前知ってるか?」
「いいや。でも大学の話なら俺達だってできるぜ。何でも聞いてくれよ」
もう一人の学生がさゆりをチラチラ見ながら話すのは、良いところを見せようという魂胆でもあるのだろう。
龍介はそれに気づいたが、さゆり本人が気づいていないようなので、黙っていることにした。
「ありがと。でもその前に、雪の女王って美月さんのアダナ?」
「ああ、彼女は確かに美人なんだけど、飲み会に誘っても来ないし、大学の男なんか鼻も引っかけない感じで。
同性の友達も少なかったみたいでさ、いつのまにかそう呼ばれてたな」
「水商売やってるって噂もあったなあ。高そうなバッグ持ち歩いてたし、
中年のオッサンと歩いてるところ見られたって話もあったし」
「ああ、それマジ話。東口の『ルージュ』ってキャバクラに入ってくところを見た奴がいるってよ」
「げッ、そうなんだ。なんか幻滅」
「真面目にキャンパス通ってたってお前じゃ相手にされないだろうけどな」
大学生達は当人同士で話を始め、横道に逸れる気配を感じたので、伊久は会話を打ち切った。
「ありがと。また来るね」
タイミングや微妙なイントネーションで相手に全く不快感を与えない会話の終わらせ方は見事なものだった。
学生達は伊久の笑顔に愛想良く頷いたが、うちの一人がさゆりに声をかける。
「ああ、うん、でもさっきも言ったように彼女最近見ないからさ、また無駄足踏んじゃうかもしれないよ?
その点俺達ならさ、いつでも学校にいるから君の知りたいこと、何でも教えてあげられるぜ。というわけで連絡先交換しない?」
「え? あ、いえ、いいです、また来ますからッ」
軍人のように踵を返したさゆりは、足早に去っていく。
龍介と伊久も「ははッ、逃げられてやんの」「ッせーな、初々しくて可愛いじゃねェか。
あーあ、また来ねえかなあ、結構好みだったのになあ」などと話す男達に軽く頭を下げてさゆりの後を追った。
龍介と伊久がさゆりに追いついたのは、大学の敷地を出てからだった。
肩をいからせ、背中からでも判る怒気を放ちながら歩く彼女は、二人が追いつくと改めて怒りを口にした。
「もうッ、何なのよ、大学生にもなってみっともないッ」
大学生だからではないか、と龍介は思った。
「初対面の女の子に連絡先訊くなんて図々しいにも程があるわッ」
アタシも女の子なんだけど、と伊久は思った。
二人は顔を見合わせたが、なにしろ、異様な速さで歩く制服姿の女子高生は人々の注目を浴びまくっている。
それに、走るのに近いくらいの速さなので結構大変なので、龍介は彼女の怒りを鎮めようと試みた。
「まあ落ちつけって。実害がなかったんだからいいだろ」
「男のそういうヘラヘラした態度が嫌いなのよ!」
とりつく島もないとはこのことで、龍介は尻尾を巻いて退散した。
代わって伊久が宥める。
「まーまー。寒河江さんがキャバクラに勤めてるって判ったんだし、ムダじゃなかったからいいじゃない」
「キャバクラなんて汚らわしい」
またも一刀両断だったが、多少は効果があったらしく、さゆりの速度は落ちた。
小走りする必要がなくなったので、伊久は龍介に話しかける。
「トーマ君、キャバクラって行ったことある?」
「俺!? ないよ、あるわけないだろ。俺未成年だぜ」
「ああいうお店って十八歳になったらいいんじゃなかったっけ?」
「そ、そうかもしれないけど、俺は全然興味ないよそういう店には」
「ホントかな?」
「本当だって!」
背後で気に障る会話を続ける二人に、さゆりが新たな怒りを爆発させる。
「もうッ、いい加減くだらない話は止めてよねッ」
「くだらなくはないよ。だって、これから皆で人生初キャバクラに行くんだから」
「えッ!?」
「お店の名前が判ったんだし、せっかくだから行ってみようよ」
「だ、だって私達女の子じゃない。お店に入ったら変じゃない?」
「お店に入んなくても、お店に入りそうな人に話を聞けばいいんだよ」
事も無げに言う伊久に、さゆりは言葉を失い、そのまま彼女の提案通り寒河江美月が勤めていたという
キャバクラ『ルージュ』に行くことになったのだった。
池袋駅に戻って、そこから五分ほど歩き、一本路地を入ったところに『ルージュ』はあった。
もちろん外から店内は見えず、いかにも入りにくそうな扉があるだけだ。
「お店は見つかったけど、どうやって話を聞くのよ。まさか制服で入るわけにはいかないわよね」
「任せといて! あ、人が出てきた……ちょうどいいや、ここで待ってて」
「あ、ちょっと、楓さん!」
さゆりが止める間もなく伊久は店に近づいていく。
物怖じというものを全く知らない彼女に敬服しつつ、龍介とさゆりは道の反対側で待つことになった。
「ねえねえお姉さん、聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「あら、カワイイお嬢さん。ウチで働くにはちょっと若すぎるけど」
「えっと、働きたいワケじゃないんだ。アタシ、ここで働いていた寒河江さんの友達なんだ」
「まあ、ミヅキちゃんのお友達? ……あんなことになっちゃってねえ」
「犯人ってまだ捕まってないんだよね? 寒河江さんは誰かに恨まれてたりしたの?」
「どうかしらねえ……そりゃこんな商売だからどこで誰に恨みを買ったりするか分かんないけど、
でもあの子はお客さんと上手に距離を取ってたしねえ」
「高そうなバッグを持ってたけど」
「そうだったかしら? 高いっていってもあたしらの基準じゃそんなでもなかったと思うわよ。
むしろ、あんまり高価なプレゼントは貰わないようにしてたみたいだけど」
「特別な関係の人はいたりしたの?」
「大切にしてた人はいたみたいよ。板橋の辺りでタクシーを降りることが多かったから。
でもその人一人だけみたいね。ああ見えて一途だったし」
ここでタイミング良く女性のスマートフォンが鳴ったので、伊久は礼を言って引き上げてきた。
「どうだった?」
「うん、寒河江さんって人はあんまりお客さんの恨みを買うような人じゃなかったみたいだよ」
「それじゃ、男の方がストーカーだったのかしら」
「どうかなあ、お店の人って基本的には寒河江さん側だろ。一杯貢がせてナンボ、みたいなのはあるんじゃないのか」
すぐさまさゆりが睨みつける。
「被害者の方が悪者みたいな言い方をするのね」
「そうは言ってないだろ。ただ、キャバクラってそういうところだろ。男だって分かってて行くにしても」
「ずいぶん詳しいのね。いやらしい」
「なんでそうなるんだよ!」
「だってそうじゃない」
一歩も引かない二人を、伊久が呆れ気味に仲裁する。
「まーまー、とにかく後四人居るんだからさ、そっちに行ってみようよ」
飼い主に無理やり引き離された子犬のように睨み続ける二人に、伊久は内心で肩をすくめたのだった。
次に三人が向かったのは、北区だった。
「麻倉由紀さんって人が、このマンションの301号室で殺されたそうよ」
状況はやはり密室で、ここはオートロック付のマンションなのだが、
設置されている防犯カメラには死亡推定時刻に人の出入りどころかドアの開閉さえ映っていなかったという。
「あの人に話を聞いてみようよ」
植え込みの掃除をしている女性を見つけた伊久が、軽やかに近づいていく。
彼女のコミュニケーション能力はすでに折り紙つきなので、龍介とさゆりは後ろをついていくだけだ。
「こんにちは。あのー、301号室に住んでいた麻倉さんについて話を聞かせて欲しいんだけど」
「またあの子の話かい? 勘弁しとくれよ。警察やらマスコミやら押しかけて大変だったんだから」
顔に疲れが滲んでいる中年の女性は、人懐っこい伊久の笑顔にも感化されず、心底辟易したように応じた。
これは手強そうだ、と後ろの二人は思ったが、伊久は構わずに話しかける。
「彼女はどんな人だったの?」
「そんなの知りゃしないよ。帰ってくるのはいつも夜中か明け方だし、顔を合わせたことだってほとんどないんだから」
「看護婦さんとかだったのかな?」
「そんなわけないじゃない。身なりは派手だし化粧の匂いは凄いし、あれが看護婦だってんなら世も末だよ」
「そっか……ありがとね」
女性は伊久の礼を無視して掃除に戻る。
気にした風もなく伊久は二人を促し、その場を離れた。
「この人も夜の仕事をしてたみたいだね」
「偶然かしら?」
「どうかな?」
伊久は龍介を仰ぎ見る。
情報は集めるが分析は龍介に任せているようだ。
彼女は充分に役に立ったので、今度は龍介が存在感を見せる番だった。
「二人じゃまだなんとも言えないな」
無難な答えは伊久はともかくさゆりを失望させたようで、穿つような目つきで龍介を見た彼女は、
「それなら、早く三人目を調べましょ」と一人で歩きだした。
「俺、何か悪いこと言ったか?」
「んー? 別に言ってないと思うよ」
我関せずとばかりの伊久の返答に、龍介は首を傾げるのだった。
その後の調べで、他の女性達も全て夜の仕事をしていたのが明らかになった。
全ての調査において老若男女を問わず話を聞き出す楓伊久が大活躍し、
龍介とさゆりだけでは、この短時間で情報を集めることはできなかったに違いない。
「これで五件とも、全部水商売だったね」
「そうだな、いったん編集部に戻ろう。っと、支我には報告だけしておくか」
手早くメールを送信すると、龍介達は帰途についたのだった。
「お疲れ、三人とも」
龍介達を迎えた支我は、彼らが一息つく間もなく驚くべき情報を提示した。
「東摩達が調べてくれたおかげで、容疑者の名前が判ったぞ」
「えッ!? 俺達……っていうよりほとんど伊久が一人で聞いてくれたんだけど、そんな情報はなかったぞ?」
「店の名前が三軒判っただろ。その店のデータベースに侵入して、顧客データを調べたんだ。
そうしたら三軒のデータに一致する名前が一人だけあった」
支我の仕事の速さに三人とも声も出ない。
「侵入って、ハッキングとかいうやつ?」
「ん? まあ、そうなるかな。大企業のシステムなんかと違って時代遅れのシステムばかりだったから、
それほど大げさなものでもなかったけどな」
ようやく声を絞り出したさゆりに、支我は事も無げに答えた。
自分たちは半分徹夜で情報を引き出し、それを補強するために歩き回ったというのに、
支我ときたら数十分で自分たち以上の情報を手に入れてしまったのだ。
コンピュータに強くないさゆりは、畏怖に近い感情を支我に抱いた。
同時に、コンピュータに関しては自分と同レベルだと思われる龍介に、この時ばかりは親近感を覚えた。
隣の少女から負の仲間意識を抱かれたとは露にも思わない龍介は、支我の能力に素直に感心していた。
「それで、その一致した人物の名前っていうのは?」
「六場箕安。板橋区に住む、医療機器メーカーの社長だ」
支我がさらに彼の入手した情報を言おうとするのを、小さな驚きの気配が遮った。
「君たちがどうしてその名前を知っている……?」
「田宮刑事……!」
いつの間に来ていたのか、田宮が立っていた。
彼は幽体離脱装置が完成したという夕隙社からの連絡を受けて実物を見に来たのだが、
いざ来てみれば、彼らには教えていないはずの参考人の名が口にされていて、
幽体離脱装置よりもそちらを先に追及する必要が生じたのだ。
「他の変死事件にも、彼が関わっている可能性が高くなりました。これでも彼を追及できませんか?」
車椅子の少年――確か、名前は支我と言ったはずだ――は、田宮の問いに答えず、論点を逸らした。
「それをどうやって突き止めた?」
「被害者の情報から、彼が複数のお店の常連だって判ったんです」
「だから、どうして彼が複数の店の常連だって判ったんだ? 関係者に聞きこみをしても、そんな話は出てこなかったぞ」
そもそも警察でさえ昨日まで他の変死事件と練馬区の事件とを関連づけられずにいたのだ。
幽体離脱による殺人という可能性が明らかになったとしても、
この短時日で捜査に関しては素人の彼らが容疑者まで辿りつけるのは、通常では不可能だった。
「それは……」
「常連かどうかを調べるには顧客リストを調べる必要がある。
まさか君達は不正アクセスをしてリストを入手したんじゃないだろうな」
田宮は今どきの高校生の実力を侮ってはいない。
インターネットの登場は年齢と罪悪感の垣根を一気に取り払い、
子供でも大人顔負けの悪事を働いてしまうことが可能となったのだ。
田宮の疑いを肯定するかのように、車椅子の少年は再び論点を逸らした。
「事件に関する資料です。容疑者と被害者の関係を突き止めるために必要な」
「君たちに頼んだのはあくまでも除霊だ。捜査は俺達の仕事だし、捜査のために法を犯すなどあってはならない」
田宮は犯罪者の――小なりといえども、罪は罪だ――弁解に耳を貸さなかった。
罪を憎む者の険しい眼光で少年達を威圧し、険しい口調で続ける。
「その資料を渡せば、犯罪については見逃そう」
「……そういうことですか……!!」
怒りを露わにしたのは車椅子の少年ではなく、隣の少女だった。
「警察のメンツを守りたい。最終的には警察が解決した。そういう展開に持っていきたいんですよね?」
「君たちのような子供には分からないかもしれないが、こちらにも立場というものがある。
生霊だかなんだか知らないが、訳の分からないものに振り回されて、その挙げ句高校生に事件を解決されたら
警察の信用は丸つぶれだ。この事件を解決するのは警察であるべきなんだ」
これに関して田宮は一歩も譲るつもりはなかった。
昨今の犯罪は高度な専門的知識に基づいて行われることも多く、夕隙社のような機関に助力を仰ぐことはある。
だが、それはあくまでも助力でなければならない。
警察以外の存在に犯罪者の逮捕を許せば、それは私刑と変わらないのだ。
「さあ、資料を渡すんだ。警察から目をつけられると厄介だぞ?」
支我とさゆりは無言で壁を作り、資料を渡すまいとしている。
世間というものをまだ知らないであろう彼らに、もう一段の恫喝を与えるべきか迷う田宮に、援護は意外な方向から現れた。
「資料を渡しなさい、支我」
落ちついた女性の声は、外回りから戻ってきた伏頼千鶴のものだった。
話の分かる大人の登場に、田宮は安堵する。
「編集長! しかしこれは」
「いいから」
怒ってはいないが反論も許さない。
そんな千鶴に、支我は一瞬だけ悔しそうな顔を滲ませると、資料を田宮に渡した。
「そうそう、素直が一番だ」
その一言にさゆりの顔が鮮やかに紅潮する。
正しくはあっても筋が通ってはいない大人に、誰であろうと退くところを知らない彼女が強烈な銀の弾丸を
撃ちだそうとしたところを、千鶴が先んじて制した。
「ところで田宮刑事」
全く人間を信用していない猫を手なずけようとするかのような、過剰なほどの優しさに満ちている呼びかけに、
田宮は当然最大級の警戒を示した。
「なんだ」
「警察は霊に対抗する戦力を有しておりましたかしら?」
「そんなものを持っているはずがないだろう」
「では、もし六場箕安が幽体離脱装置を使って抵抗した場合、警察は為す術もないということになりますわね」
「……!」
「霊は多くの人間には視えないものですが、決してあなどってはなりません。
霊を視ることができ、斃すことができる人間がいなければ、何百人居ようとも全滅するだけですわ」
「君達に依頼しろというのか?」
「依頼は正規の料金で結構ですわ。それから、捕まえた後はもちろんすぐに引き渡しますから、功績は警察のもの」
田宮はオカルトなどといったものに無縁の人生を送っており、幽霊に対してもごく一般的なイメージしか持っていない。
それだけに、通常の武器が効かず、戦うことすら困難だという千鶴の説明は十分な説得力を帯びて聞こえた。
「……わかった。君達に六場の霊の確保を頼もう。だがあくまでも、彼が霊となって抵抗した場合のみだ」
「では、依頼くださるということで、詳しい情報を聞かせていただけますか?」
紆余曲折はあったにせよ、夕隙社は最後までこの事件に関わることになった。
そして、支我が内心で舌を巻いたことに、千鶴の提案は誰も損をしていない、あるいは損をしたと考えさせていないのだった。
「六場は医療機器メーカーの社長だ。数年前に妻と離婚してからは、金の使い道がないそうだ。
現在奴はホテルを引き払って自宅に居る。だが、すでに何件も殺人を犯している奴は衝動を抑えきれない可能性がある。
君達の実力を疑うわけではないが、本当に大丈夫なんだな?」
田宮は改めて今回の事件の危険性を強調したが、少年達に怯みはなかった。
それが経験の少なさから来る、蛮勇に近い勇気だとしても、田宮は眩しさを感じずにいられなかった。
「よし、それではまず、俺が六場に揺さぶりをかける。
自白させるだけの証拠は揃ったと思うが、今の段階では六場の家宅捜索はできない。
生霊となって犯罪を犯しただなんて、現在の司法では裁くことができないんだ。自白させられればまだ可能性はあるが」
「六場が自白すれば良し、霊となって抵抗するならば、私達が彼を捕らえる。それでいいですわね?」
「ああ」
方針が固まったところで、さゆりが疑問を口にした。
「でも、どうして六場は女性達を襲ったのかしら?」
「動機か……六場は複数の女性と交際していたようだが、別れ話がこじれたのか、それとも……」
田宮の調べでは、少なくとも六場はやっかいな客というわけではなく、被害者女性とのトラブルも確認されていない。
腕を組む田宮に、眼鏡をかけた痩身の少年が自分の考えを口にした。
「猟奇犯罪者という線も捨てきれませんよね。犯人は、被害者の身体の一部を持ち去っているわけですから」
「あれこれ考えるよりも、捕まえて吐きださせるのが手っ取り早いよ」
取り調べを得意とする刑事のようなことを言う年端もいかない少女に、思わず田宮は苦笑いする。
彼女が十八歳だと聞かされ、苦笑いが驚愕へと変わったところで、
幽体離脱装置が完成次第、六場の家に行くと決まったのだった。
装置が完成したのは、二日後だった。
夕隙社から連絡を受けた田宮刑事は、さっそくその日の夜に六場宅に行くことにした。
龍介達も異存はない。
万が一にもさゆりを襲わせてはならないし、正式な依頼となった以上、最優先で動く案件となったからだ。
板橋区にある六場宅に集まった田宮と夕隙社は、最終打ち合わせをした。
現場に赴いたのは五人、龍介に支我、萌市にさゆり、それに伊久だ。
「俺には霊のことはさっぱり分からないが、分からないなりに君達がこれから何をしようとしているのか教えてくれないか」
田宮の質問に、ウィジャパッドに周辺の地図をさせて支我が答える。
「まず、六場の家の周囲に霊が通り抜けられなくなる札を設置しました。その際、一箇所だけ結界を開けてあります」
「罠をかけるのか」
「はい。そこで待ち伏せてこの東摩氏が生霊と戦い、最終的に設置したトラップに誘い込み、捕らえる手はずです」
「なるほど……しかし、大丈夫なのか?」
田宮の不安が拭えないのは、彼らが失敗した場合、対処できる人間が自分も含めていないからで、
逆上した六場が無差別殺人を行う可能性も考えられるのだ。
まして、目の前に並んでいるのはまだ高校生の子供達だ。
仕事に対する責任感があるかどうか、それさえ確信が持てないのだから、どうしても慎重にならざるをえない。
「僕たちは除霊、つまり霊を斃すのが仕事です。斃さず捕らえるというのは初めてですが、
東摩氏なら上手くやってくれることでしょう」
「頑張ってね、トーマ君」
萌市と伊久に励まされた龍介は、緊張の面持ちで頷いた。
聞けば彼が霊に対して実力行使をする、斬込み隊長の役割らしい。
田宮の命運は彼に懸かっているといえるわけで、龍介の手を握る田宮の手は、必要以上に力が篭ったかもしれない。
龍介達が配置についたとインカムで連絡を受けた田宮は、六場邸の呼び鈴を押した。
現在住んでいるのは六場箕安一人で、彼が在宅なのは確認済みだ。
二度呼び鈴を鳴らして反応がなく、三度目を押そうとする田宮のインカムに、支我からの声が入ってきた。
「周辺の硫黄濃度上昇、気温低下……田宮刑事、気をつけてください、六場はすでに幽体離脱装置を使用しています!」
田宮は辺りを見渡すが、何も見えない。
「下がってください、早く!」
龍介に指示されて田宮は六場邸の敷地から出た。
入れ替わるように龍介が敷地に入っていく。
一度は後退した田宮は、すぐに龍介の後を追った。
自分では霊に対抗できないだろうが、子供一人を戦わせるわけにはいかない。
せめて見届ける義務が、彼にはあった。
対霊用の剣を構えた龍介は庭に向かう。
社長だけあって敷地は広く、庭には池まである。
田宮が来る前に家に忍びこみ、電線やガス管など主要な逃走経路はあらかじめ封じておいたので、
霊が外に逃げるには一度庭の水道口に出る必要があるはずだった。
頭に叩きこんでおいた水道口の場所に到着すると、まさに六場が現れたところだった。
六場の方でも龍介に気づき、怒りの咆吼を放つ。
「貴様、あの時の……! そうか、貴様等、俺を調べていたのかッ!」
「お前の悪事も今日までだ、覚悟しろッ!!」
二人は同時に突進し、交錯する。
互いの一撃は空を切り、位置を入れ替えて二人は再び対峙した。
「殺すッ……邪魔する奴は、皆殺してやるッ!!」
輪郭を揺らめかせて六場が襲いかかる。
剣を立てて構えた龍介は、水平に突きだしてこれに応じた。
六場も龍介の持つ剣が危険であると察知したらしく、寸前で攻撃よりも回避を優先し、再び両者の攻撃は外れる。
だが、六場は龍介が振り向いたときにはもう三度目の攻撃を行っていた。
今度は応じる余裕もなく、龍介は地面に転がって逃れた。
霊である六場は攻撃を空振りしても体勢が崩れることはないが、生身である龍介はそうはいかない。
加えて六場に攻撃を当ててはならないという制約もあって、ほどなく守勢一方に立たされた。
「死ねッ、死ねィッ」
六場は五十歳を過ぎているが、霊体となっているので動きは素早い。
しかも強烈な殺意が素早さを増幅させ、龍介は次第に隅に追いつめられていく。
「キシャアアッッ!!」
もはや人とも思えぬ雄叫びを放ち、六場が迫る。
牽制で剣を振った龍介は、六場が避けたことで空いた空間に身体を入れると、そのまま振り返らずに逃げだした。
背後から六場が追ってくる。
六場の移動速度は予想より速く、引きつけるつもりだった龍介は、すぐに全力疾走に切り替えた。
庭を出て勝手口に回り、玄関へと向かう。
冷気を背中に感じ、額からは汗を滲ませて門扉をくぐると、スライディングの要領で身を沈めて滑りこむ。
冷気が頭の上を通過した、と感じたところで、霊の絶叫が響き渡った。
「グオオオオッ! 何だこれはッッ!!」
「磁性ネットだよ」
霊の嫌うマイナス電荷を帯びた素材で萌市が作成したネットは、しっかりその性能を発揮していた。
ネットに身体ごと突っこんだ六場を、萌市とさゆりが手早くネットごと縛りあげてしまう。
身動きの取れなくなった六場の霊体に、田宮刑事が告げた。
「六場箕安……幽体離脱装置を使って練馬区の女性を殺した件を認めるか?」
「みッ……認める。認めるから、肉体に戻らせてくれッ。早くしないと死んじまうッ」
「一時間以内に戻れば大丈夫なんだろう? 今応援を手配している……到着するまで待ってろ」
田宮は慌ただしく電話をかけ始める。
事ここに至れば龍介達の出番はほとんどなくなり、田宮立ち会いの下、
六場の霊体が肉体に戻ったのを確かめると撤収したのだった。
こうして龍介達にとって事件は終わった。
なぜ六場が連続殺人を犯したのかという動機は気になるところだったが、
田宮は以後龍介達の前に姿を見せず、報酬の交渉も千鶴が行ったので、知りようもなかった。
ある程度の事情を龍介達が知らされたのは、六場逮捕から三日後のことである。
校了も終わり、報酬支払いの段取りもついたとあって、焼き肉牛八で行われた打ち上げに、千鶴は上機嫌だった。
ジョッキの半分ほどを一気に呑みほした彼女は、口の周りに泡を付けたまま、田宮から聞いた六場の供述を語った。
「離婚のストレスでキャバクラに通うようになった六場は、金を持っていることもあって女性が群がってきた。
そのうちの何人かとは店の外でも会うようになったが、六場の猜疑心は強まる一方で、
結局、殺さなければ自分一人のものにはならない、と考えたっていうのが大枠みたいね」
「そんな身勝手な理由で……」
「そうね。愛は身勝手なことが多いけれど、六場の場合は度を超していた。それは間違いないわ」
さゆりの呟きに千鶴は同調し、ジョッキを煽った。
大きく喉を鳴らしてアルコールを流しこむのは、とても上品とは言えないが、さゆりは咎める気になれない。
彼女はアルコールを口にしたこともないが、できるのならそうしたいという思いもあったからだ。
呑めない代わりに網を素早く見渡し、食べ頃となった龍介の前に並べられた上カルビをつまむ。
一瞬の早業に唖然としている龍介を横目に、噛み砕くように食べた。
二人のコミュニケーションを目を細めて見ていた千鶴は、空になったジョッキを名残惜しげに振ると続けた。
「話には続きがあって、六場が最も親しく交際していたのは中野区の、眼球を持ち去られた女性だそうよ。
でも、彼女の部屋からは六場以外のDNAは検出されなかった」
「それって……」
「ええ。女性はキャバクラで働いていたけど、六場以外に男は居なかった。
それどころか、彼女は六場と真剣に交際を考えていたそうよ」
「そんな……」
それを聞かされた六場は放心状態になったという。
以後はすっかり虚脱し、それまでふてぶてしかった取り調べにも全て応じたそうだ。
だからといって殺された女性が生き返るわけでは、もちろんないが。
「だから気をつけなさい。行きすぎた愛は身を滅ぼすわよ」
「そうやっていちいち私達を引き合いに出すのは止めてください」
「あら、誰があんた達だなんて言ったの?」
初歩的な話術に引っかかったさゆりは、すでに酒精が踊り始めている千鶴よりも顔を赤くして、いま一人の当事者を巻きこんだ。
「ちょっと、あんたも何か言いなさいよ」
「は? 何の話だ?」
見れば龍介は伊久とテーブルマジックに興じている。
手を取り合って遊ぶ二人に、さらに顔を赤くしたさゆりは、勢いよく手を挙げて店員を呼んだ。
「上カルビ五人前ッ、それからタン塩にハラミもッ」
色気より食い気とばかりのさゆりを微笑ましく見守った千鶴は、自分もビールの追加を頼んだのだった。
打ち上げの翌日、夕隙社に到着した龍介達を、萌市が出迎えた。
強い既視感を龍介は抱き、その後の展開も、先日とほとんど同じだった。
「ふっふっふ、ようこそ皆さんいらっしゃいました。
今日こそ僕も霊体となって、心霊科学の歴史に新たな一ページを記すのですッ!」
「またコンピュータを壊しても、もう誰も助けないわよ」
さゆりの指摘に萌市は不敵に笑った。
「無停電電源装置も導入済みです。さあ皆さん、心の準備はいいですか?
歴史の瞬間を塗りかえる瞬間がッ! 今ッ! ここにッ!」
思い入れたっぷりに萌市はスイッチを押す。
彼の剣幕に押されて、龍介も支我も止めることができなかった。
「キターッ! キタキタキタ、来ましたよ、俺氏、宙に浮く!」
興奮した萌市が叫ぶ。
しかし、いつまで経っても彼の霊体は肉体から分離しなかった。
「……あれ? お終いですか? 馬鹿な、そんな馬鹿な! マスターはできたのに!」
萌市は半狂乱で龍介の肩を掴んで揺さぶる。
迷惑顔をしている龍介を見ながら、支我が言った。
「萌市、装置には何も手を加えていないんだよな?」
「はい、マスターが幽体離脱に成功したときから触っていません」
「とすると、幽体離脱するには装置だけでは不十分なのかもしれないな」
「どういうことです?」
「何かが必要なんじゃないか? 東摩にあって萌市にないものが、何か」
「そッ、そんなッ! 教えてくださいマスター、僕に何が足りないんですかッ!」
しがみつく萌市を振り払おうとする龍介を横目に、さゆりが言った。
「頭の中身がシンプルな方が成功しやすい、とかじゃないかしら」
「どういう意味だよ、それ」
「そのままよ」
二人を宥めることに、いささかの馬鹿らしさを感じつつある支我が、
それでも仲裁しようとすると、異臭が彼の鼻を刺激した。
「おい、萌市、煙吹いてるぞッ」
「えッ……!? あッ、あァァッ!!」
萌市は慌ててスイッチを切るが、最大出力で放置されていた装置は、焦げ臭い臭いを残して一切の活動を停止していた。
「そ、そんな……人類の夢が……僕の希望が……!」
粗大ゴミと成り果てた装置を前に泣き崩れる萌市に、さすがにさゆりも何も言えない。
アイコンタクトを取った三人は、静かに萌市から離れ、自分たちの仕事を始めたのだった。
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