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 六時限目の終了を告げるチャイムが鳴る。
教室に満ちていた緊張が緩み、一気に騒がしさに転じた。
部活へと飛びだしていく者、遊びに行く予定を友人と語らう者、塾の予定を確かめてため息をつく者。
 支我正宗はそれらのいずれにも加わらず、先ほどまで行われていた授業で使っていた
教科書を眺めていた。
苦手な教科はない支我の、得意でもあり好きでもある科目がこの数学だった。
当然、授業の内容はほぼ理解しているし、予習は改めて家で行う。
つまり本腰を入れて勉強しているのではなく、新しい数式に惹かれてつい読み耽っていたのだ。
奇癖ではあるが、指摘するクラスメートはいない。
 なぜなら、彼は暮綯學園内でただ一人の存在だからだ。
彼はただ一人――車椅子を使っている生徒だ。
入学時からではない。
二年次に進級して数ヶ月後、支我は突然車椅子で通学をはじめるようになってクラスメートを驚かせた。
理由を訊ねられても支我はあいまいに濁して答えなかった。
彼に落ちこんだり、自暴自棄になったりしたところは見られず、
クラスメート達にも以前と同様に接したが、クラスメート達の方では同様というわけにはいかず、
無視や苛めなどはしなくても、積極的には関わりたくないという緩やかな遠慮が彼を取り巻くのに
時間は要さなかった。
 支我はくさったりはしなかった。
研究ならいざ知らず、勉学は誰かと共にするものではないと知っていたし、
勉強にスポーツにアルバイトと、くさる暇など無かったのだ。
「授業は終わったのに、まだ勉強してんのか」
 近くから声がして、支我は顔を上げた。
そこには支我の生活を構成する三つの軸のうち、二つが重なる人物がいた。
「東摩か。いや、勉強ってほどじゃないけどな、少し先のページを読んでいたんだ」
「凄いな、俺なんて今日のページでさえ読み返す気がしないのに」
 東摩龍介は数ヶ月前に支我の通う暮綯學園に転校してきたばかりだ。
三年次に転校してくるというのも不思議だが、人には事情があるだろうから支我は訊ねたりしない。
だが、彼は現在のところクラスで最も仲が良い関係であり、
放課後に学校と同じくらいの時間を共に過ごす、アルバイト仲間でもあった。
「東摩は数学が苦手なのか?」
「得意じゃあないな」
 あいまいな言い方の、顔が苦手よりだと告げている。
支我はあまり追及しないことにした。
「今日はまだ時間があるようだから、テニスでもしていくか?」
「あれから全然練習してないよ、もうちょっと待ってくれ」
「はははッ、そうか。別に勝ち負けはいいんだがな」
「それにしたって少しは勝ち目が欲しいってもんだ。ところで」
 意味ありげに龍介は言葉を切る。
わずかな間を置いて続けられた会話は、やや早口だった。
「悪い、今日ちょっと急用ができてバイト休むからさ、編集長に言っといてくれないかな」
 支我は即答しなかった。
 夕隙社の出勤態勢はかなり緩く、校了間近でなければ休むこともそう難しくはない。
ただし欠勤の連絡は当人が行うのが原則で、その点を支我は渋ったのだ。
「な、頼むよ。まだ校了日までは日があるし、大丈夫だと思うんだけど」
「……わかった。伝えておくよ」
 それでも支我が了解したのは、龍介はこれまで一回も休んだことがなく、
表の業務も裏の仕事もしっかりこなしていると知っていたからだ。
同僚の小菅春吉や浅間萌市はライブやアイドルの握手会で連日休んだりもするので、
彼らに較べれば相当にマシだと思われた。
「恩に着るよ」
 言うが早いか龍介は教室を飛びだしていく。
その後ろ姿をなんとなく見送っていた支我の視界に、一人の少女が入ってきた。
艶のある、腰まで届く黒髪を持つ、このクラスの委員長である深舟さゆりだ。
彼女は支我とクラスメートというだけでなく、同じバイトをしているという点でも、
つまり龍介と全く共通する関係だった。
 バイト仲間――という言い方を彼女にしたら、きっと嫌がるだろう――の去っていった戸口を見ながら、
さゆりはバイト仲間――こちらは何の問題もない――に訊ねた。
「支我君、東摩君どうしたの? なんかいやに嬉しそうに走っていったけど」
「深舟か。いや、急用が入ったからバイトを休ませて欲しいって……嬉しそうに?」
「怪しいわね」
 普段から逆八の字になっていることが多いさゆりの眉の角度が、一段と深くなる。
今学期が始まったときは、他人に全く関心を持たなかった彼女の明らかな変化が、
良いことなのか悪いことなのか、判断がつかない支我だった。
 支我とさゆりの疑問は、夕隙社の編集部で解決された。
支我が上司である伏頼千鶴に龍介の欠勤を告げた途端、彼女は目をつり上げて怒ったのだ。
「東摩が休む? ……強硬手段に出たってわけね。いい度胸じゃない」
 萌市や小菅が連続して休んだときでも、千鶴がこれほど怒ったのは見たことがない支我は、
虎の尾を踏む思いをしながらも、訊かずにはいられなかった。
「強硬手段って、どういうことですか?」
 支我が質問する間に煙草を咥えた千鶴は、百円ライターで火を点け、
勢いよく煙を吹きだしてから説明をはじめた。
「先日あんた達が見つけてきた曳目って子がいるじゃない」
「ええ」
 先日、といってもそう昔の話ではない。
江東区に除霊に出動した龍介達は、そこで荒川区の織部神社に奉職している、
曳目ていという少女と出会った。
織部神社に持ちこまれた、龍介達と同じ対象を退治する依頼を果たすために江東区に来ていた彼女は、
依頼完了後、どうしたわけか龍介達と除霊の仕事をしたいと申しでたのだ。
霊が視え、除霊の知識もある即戦力はそう簡単には見つからない逸材で、
何よりアルバイト代は不要という条件に、千鶴は話を聞いたその場で採用を決めたのだった。
 採用が決まったのが数日前なので、ていは夕隙社の一員としてはまだ活動していない。
そんな状況で、彼女は一件の問題を持ちこんできたのだった。
「彼女が自分の神社に霊絡みの相談が来て、助けて欲しいって言うのよ。
でもウチに依頼が来たわけじゃないから、引き受けるわけにはいかない。
どうしても私達を使いたかったら、相談者にウチに来るように言うか、
あなたが依頼者となりなさいって言ったのよ。当然、報酬が発生する」
 おそらくていは善意で依頼を受けたのだろう。
だから料金がかかるとは言い辛く、かといってアルバイト代も辞退するくらい
金銭への執着も薄そうだから、彼女が代理の依頼人となって料金を用立てるというのも難しいに違いない。
彼女の志はすばらしくても、夕隙社も営利企業である以上、無償で動くというわけにはいかない。
そう千鶴が諭すように言うと、ていは頷き、素直に引き下がったのだが、
その場に居合わせた龍介が、義憤に駆られて単独で動くことにしたのだろう。
「今日は除霊の依頼も入ってませんし、締め切りの方も差し迫っているのはないですよね」
「そういう問題じゃないのよ」
 支我は控えめながら龍介を庇おうとしたが、収まりかけていた千鶴の不機嫌を呼び戻しただけだった。
半分ほど残っている煙草を灰皿に押しつけ、千鶴は続けた。
「いい、織部神社というのは除霊をメインに扱っているわけではないでしょうけど、
それでもウチの同業ライバルということになるわ。
そこに持ちこまれた依頼をウチが受けるっていうのは業界の仁義を無視することになる。
まあ、仁義なんてものはあんまりない業界ではあるけど、
そんなことをされたら神社の人だっていい気分じゃないのは解るでしょ?」
 確か曳目は一人で除霊を受け持っていると言っていたはずだ。
だから、彼らのプライドを傷つけるようなことはないはずだが、
支我は荒めの波風にあえて逆らうリスクを冒さなかった。
さゆりも同様のようで、無言を保っている。
 やたらと早く一本目を吸い終えた千鶴は、ためらうことなく二本目に火を点け、
上方に強く煙を吐きだして言った。
「いい機会だわ、東摩の実力がどのくらいついたのか、見せてもらおうじゃないの。
だからあんた達、サボって手伝ったりなんてしたら、その時は三人ともクビにするわよ」
「それは、手伝うつもりなんて最初からないですけど」
「ならいいわ」
 さゆりに頷いた千鶴は自分の机に戻った。
 さゆりは同僚を物言いたげに見やるが、支我は素知らぬ顔をして紙面の作成をはじめてしまったので、
仕方なく倣って仕事を始めた。
 夜の買い出しに行くという支我に、ついていくという口実でさゆりが編集部を抜け出したのは、
二時間ほどが過ぎてからだった。
辺りは夕暮れから夜に移ろう直前で、いくら眠らない街と呼ばれる新宿であっても、
影が消失する程度には暗い。
車椅子の支我と並んで歩くのは難しいので、さゆりが後ろをついていく形でコンビニに向かう。
何も言わない支我に焦れてさゆりが口を開いたのは、
夕隙社を出て五百メートルほど歩いたところでだった。
「ねえ、どうするのよ」
「どうするって」
 とぼける支我にさゆりはたちまち痺れを切らした。
「東摩君のことよ! このまま放っておくの?」
 けしかけるようなさゆりの調子にも、支我は乗ったりしない。
「深舟は手伝いに行くべきだと思うのか」
 さゆりはこの質問を狡いと感じたのかもしれない。
わずかに怒気を孕むのが、生温かい空気を通して支我に伝わってきた。
「東摩君一人で除霊できるとは思えないし、それに……曳目さんって世慣れていなさそうじゃない。
東摩君に適当に言いくるめられて、間違いを犯してしまうかもしれないわ」
 支我は曳目とはまだ数言しか言葉を交わしていないが、彼女は実家も神社であり、
早くから経験を積むためによその神社に奉職していると聞いている。
そんな彼女が言いくるめられて間違いを犯すとも思えないし、
そもそも龍介に『適当に言いくるめる』交渉力は残念ながら不足しているというのが支我の見立てだ。
 だから放っておけばいい、とは支我は言わない。
「今日はたぶん、そんなに遅くならずに上がれるだろうから、その時に東摩に連絡してみよう」
「え、だって編集長は……」
「連絡をするなとまでは言われていない。それに『サボって手伝ったりしたらクビだ』とは言われたが、
サボらなければ別に手伝ったって構わないだろう」
 事も無げに言う支我に、さゆりは感心するやら呆れるやらだった。
「なんだか支我君って、弁護士とか向いてそうね」
「ん? そうか?」
 支我の反応に、さゆりは彼の背後で肩をすくめるのだった。

 支我とさゆりが編集部を抜けだす、二時間半ほど前。
 東摩龍介は、荒川区にある織部神社にいた。
支我に欠席の連絡を押しつけるのに成功すると、教室を出た直後から全力疾走を始め、
霊退治で培った脚力を存分に生かして織部神社まで驚きの速度で移動したのだった。
 社務所で曳目ていに呼ばれてきた、と告げると奥に通され、以来三十分ほど龍介は待っている。
出されたお茶はとうに温くなっていた。
応接室――といえるのか、大きな一枚板の机があるほかは、ほとんど何も目を惹くものはない部屋で、
龍介はさすがに手持ち無沙汰になっていた。
待っているとはいえ神社の人が入ってきたときにスマートフォンをいじっているのは行儀が良くない
と思うし、そもそもスマートフォンは夕隙社からの連絡を避けるため電源を切ってある。
そのためぐるりと部屋を見渡してはお茶をちびちびと飲むのを、もう十回は繰り返していた。
 いいかげん、何か進展が欲しいところだと伸びをしたところで、いきなり襖が開いた。
弾けたゴムのように無理やり身を縮めたので、筋を違えてしまったが、痛そうなそぶりは見せずに耐えた。
 襖を開けたのは龍介が待っていた曳目ていで、彼女は入室しながら頭を下げた。
「ごめんなさい、お待たせしましたッ」
 静かに開いた襖と、限界を超えたバネのように急な動作で深く頭を下げるていとのギャップを、
龍介はあっけに取られて見ている。
ていはその態度を怒っていると勘違いしたらしく、もう一度頭を下げた。
「本当にごめんなさい、こちらからお呼びだてしておいて遅れるなんて。
弓道部のミーティングがもう少し早く終わると思ったんですけど」
「いや、俺も今来たところだから」
 待ち合わせの時間からは十五分ほど過ぎているが、龍介は無難に応じた。
 ていは遅刻したからか、着替えを省略したらしく、彼女の通う高校の制服のままだ。
セーラー服が白、スカートが赤基調の制服は、巫女装束と同じ配色だが、
与える印象はもちろん全く別だった。
街中で巫女装束を着ているていは、色々な意味で話しかけづらい雰囲気があるのに対し、
目の前のていはどこにでもいる普通の、少し目立たない女子高生といった感じだ。
着替えてくるなら待っている、と言おうとした龍介は、
気持ちが悪いと思われるかもしれないと考えなおして黙っていた。
暮綯學園以外のセーラー服というのも悪くはない――巫女装束も、もちろん悪くはない。
 ていは遅刻したという事実にすっかり動転しているのか、
何やら焦っているのがありありと伝わってくる。
微笑ましく思いながらも、龍介はここに来た用件を果たすことにした。
「それで、霊が出るって相談を受けたっていう話だけど」
「はい、大まかなことは先に話しましたけど、ここからは四人に直接説明してもらいますね」
 一度座ったていは、再び慌ただしく立ち上がると部屋を出て行った。
今度は間を置かずに戻ってきて、複数の足音が彼女に続いていた。
「どうぞ、お入りください」
 ていの案内で姿を現わしたのは、四人の母親だった。
全員がおそらく一歳ごろの子供を抱いている。
そして、一様に顔に不安を浮かべているのも共通点だった。
「こちらの方は悪霊退治を専門になさっています。
きっとお悩みを解決してくれるでしょうから、どうぞお話になってください」
「……でも……」
 母親達は不安げな表情を崩さない。
ためらいがちに、彼女達の一人が心境を吐露した。
「失礼だけど、こんなに若いと思っていなかったから……」
 学生服姿の龍介に、性質の悪い悪戯だと思ったのかもしれない。
年齢でいえばていも同じなのだが、巫女という神秘性が龍介とは異なるのだろう。
金銭が絡んでいるわけではないし、彼女達が相談したくないのなら、それでも構わないのだが、
千鶴は龍介が彼女の言いつけに背いて、ていに協力していることに気づいているだろうし、
支我やさゆりも聞かされるはずだ。
除霊に失敗したならともかく、その遥か手前で失敗したとあれば、物笑いの種になってしまうだろう。
 用件を切りだそうとしない母親達におろおろしているていに代わって、龍介は説得を開始した。
「大事なお子さんに関わることですし、俺達を信頼するのがすぐには難しいのもわかります。
ですが、もし霊が関わっているのなら、きっとお役に立てると思います。
どうか事情を話していただけませんか」
 支我の口調を意識して真似てみたのだが、使い慣れない敬語に噛みそうになってしまった。
それでもなんとか言い終えると、母親達はなおためらったまま顔を見合わせていたが、
子供に関わるという龍介の指摘が、彼女達の危機感を刺激したのだろう。
一人が意を決したように話しはじめた。
「子供が、何かに起こされるように、夜中に泣き始めることが増えたんです。
普段、誰もいないベランダに目を走らせてる時もあります。何かを追うように。
あとは、寝る直前になって、部屋の隅や天井を見て悲鳴を上げるんです。
それですっかり目が覚めてしまって、寝るまでに時間がかかるようになって、
せっかく寝てもすぐに起きてしまったりして……私もこの子も寝不足気味なんですが、
それだけじゃなくて、そんなことが起こった次の日には決まって、
高熱を出したり体調を崩してしまうんです」
「なるほど……」
「お祓いにいらしてくださった時にこの話を伺って、霊が関わっている可能性があると思ったんです。
ただ、複数の場所で発生しているので、一人では難しいと思って、
夕隙社の皆さんに頼ろうとしてしまいました」
「ああ、それは気にしないでいいから」
 落ちこんだ様子のていを気遣って龍介は言った。
 確かにタダで仕事を請けるというのは良くないだろうが、
千鶴だってていが無給でいいから働かせて欲しいという申し出には諫めもしなかったのだ。
彼女が都合の良いところだけつまんでいるように思えて、義憤めいたものに駆られた龍介は、
ていにこっそりと手伝うと告げたのだった。
万一この件で夕隙社をクビになったら、個人的にていを手伝っても良いとさえ思っていた。
「やっぱり……霊の仕業なんでしょうか?」
 母親の一人が不安げに訊ねた。
 この二十一世紀の東京で、霊など信じたくはない。
だが、現実に子供が怯えている。
どうしたら良いのか解らず、とりあえずお祓いに行き、そこで相談をしてみようとしたら、
同じ時期に複数の母親が同じ悩みを抱えていたと知って、一層の不安を募らせたのだという。
「いつからそういったことが起きるようになったんですか?」
「二週間くらい前かしら。症状はだんだん悪くなってきているけど」
「できれば、詳しい日にちを教えてもらえませんか? 覚えているだけで結構ですので」
 最初の一人が日にちを告げると、残る母親達も口々に同意した。
結果、子供達が夜泣きした日は十四日中八日で、うち四人ともが重なった日が五日あった。
全ての日にちを覚えているわけではないとすると、かなり重なっているといえそうだ。
龍介はさらに質問を重ねた。
「他のご家族は、何もお聞きになったりご覧になったりはしていませんか?」
 質問に四人は顔を見合わせ、頷いた。
「はい、うちは主人が単身赴任なので、寝るときは私とこの子だけですが」
「うちは主人とこの子の三人で、主人はこの子の夜泣きが酷いので耳栓をするようになって、
朝まで熟睡しています」
 残る二人も答えはほぼ同じで、何かを見ている、あるいは感じているのは子供だけだという。
だが、泣きだせば母親はあやさざるを得ず、頻度が多くなれば疲弊もする。
現に母親達の顔色は決して良いとは言えず、早く解決しなければ母親の方が倒れてしまうだろう。
とはいえこれだけでは情報に乏しく、やはり現地調査が必要だ。
さっそく今日にも調査を始めるつもりで、龍介は訊いた。
「住んでいる場所はどこでしょうか?」
「台東区花川戸一丁目と二丁目、それに浅草二丁目と七丁目です」
「浅草寺の東側に集中していますね」
 だが、それほど近いというわけでもなく、
四人の子供が同じ原因で夜泣きしているのか、これだけでは判断できない。
 他に何か手がかりはないかと何気なく四つの家族を見渡したとき、龍介の脳裏に閃きが生じた。
閃光の中に何かが浮かびあがるが、確かめる前に見えなくなってしまう。
再び闇の中に消えてしまう前に、慎重に自分の発言を辿った。
 関連性……何が関連している?
頭の中の記憶箱を右に揺さぶり、左に振って必死に思いだそうとする龍介は、
ノイズを除こうと宙に視線をやった。
そこには古ぶるしい木の天井があるだけだ。
何かあった位置に視線を戻し、そこで見えるものに関連を見つけようとする。
 四人の母親と四人の子供。
彼女達を見渡した龍介は、自分が何を思いだそうとしていたのか、探し当てることができた。
「全員が男の子……相談に来た他の親子も、やっぱり男の子だった?」
「……! はい、そうです。全員男の子でした」
 ていが驚いたように言うと、母親達も顔を見合わせた。
夜泣きは偶然かもしれない。
夜泣きしたのが全員男の子供なのも、偶然ということはありえる。
だが、それらが重なり、しかも狭い範囲で起こっているとすると、偶然の可能性は低くなるのだ。
「じゃあ、やっぱり……」
「そうですね……まだ断定はできませんが、何らかの意志は介在していると見て良さそうです」
 母親達の顔に不安が広がる。
それを打ち消すように、龍介は声に自信を含ませた。
「状況は大体わかりました。それで、ひとつお願いがあるのですが、
もし今晩お子さんに症状が現れたら、俺に連絡してもらえないでしょうか。何時でも構いませんから。
それから念のため、今日は部屋の隅に盛り塩をお願いします」
 母親達はそれぞれに同意し、ひとまず帰っていった。
ていも彼女達を見送りに出ていく。
 彼女が戻ってくると、龍介も伸びをして立ちあがった。
「それじゃ、俺は一度帰って寝てくるよ。今日は夜更かしになるだろうから」
 夜に浅草近辺で張るつもりの龍介に、ていは当然のように言った。
「私もご一緒します」
「結構遅い時間になると思うから、今日は俺一人で行こうと思ってたんだけど」
「あの方達の不安を、一日も早く晴らしてさしあげたいのは私も同じです」
 そう言われては龍介も断り切れない。
それに、一人で行動するというのにはやはりまだ不安もある。
彼女の同行はありがたくもあった。
「それじゃ、十時に迎えに来るよ」
「はい、よろしくお願いします」
 二人が廊下を出ると、女性と行き会った。
巫女装束は着ていないが、関係者なのだろうか、ていに親しく話しかけた。
「お、ていじゃないか。元気か?」
「はい、雪乃様もお元気そうで」
「あははッ、私は年がら年中こんな感じだって知ってるだろ?」
 女性はショートカットを快活に揺らして笑った。
「ところで雛がどこにいるか知らないか?」
「雛乃様でしたら、宮司様のお使いで花園神社にお出かけになっています」
「そっか……タイミング悪かったな。久しぶりだったんだけどしょうがない、出直すか」
 若々しい仕種で頭を掻いた女性は、龍介に目を留めた。
「初めて見る顔だけど……ていの彼氏か?」
「ちッ、違いますッ、この方は夕隙社からお越し頂いた東摩様とおっしゃる方で」
 龍介よりも早く否定したていの顔が鮮やかに赤くなっている。
愉快そうにていを眺めていた、雪乃と呼ばれた女性は、不意に真顔になった。
「ん? 夕隙社ってアレか? オカルトの出版社の」
「あ、はい、知ってるんですか」
「ああ、昔花を持ってったことがあるんだよ」
「花……?」
「祝い花な。私ん家花屋なんだよ。オカルト専門の出版社なんて珍しいだろ? それで覚えたんだよ。
で、オカルト関係のキミがていと居るってことは……霊関係か?」
 この女性は回り道をせずに一気に直進するタイプのようだ。
そして、勘も良い。
展開の速さに唖然として龍介がていを見ると、彼女は小さく頷いた。
「はい、雪乃様は私が霊を視えることをご存じです」
「そういうこと。実は私も超能力者でさ、私がキミくらいの歳の時は、東京を護るために戦ってたんだぜ」
 いくらなんでもこれはホラが過ぎる。
オカルト関係の雑誌を作っているということでからかわれているのかと勘ぐる龍介をよそに、
雪乃は闊達に笑った。
その笑い方に嫌味はない。
「あははッ、ま、頑張れよ、少年ッ。ちゃんとていを護ってやるんだぞッ」
 言うだけ言って雪乃は颯爽と去っていった。
 突風に家を飛ばされたような感をしている龍介に、ていが説明を加えた。
「雪乃様はこの神社のご息女なんです。今はこの神社を出られて、お花屋さんで働いておられます」
 巫女というのは皆ていのようにおとなしめの女性だと思っていた龍介は、少なからずショックを受けた。
もちろんそれは勝手な思いこみに過ぎず、巫女であることと性格には何の関係もない。
 雪乃に悪い印象は抱かなかった龍介だが、いずれにしても、織部神社に入り浸りでもしない限り、
彼女と再び出会う機会はないだろう。
龍介は頭を切り換え、ていに別れを告げて織部神社を後にしたのだった。
 神社から出た龍介はスマホを取りだす。
メールの着信を確認すると、支我とさゆりから大量の受信があった。
内訳は支我が一通、さゆりが八通で、おそるおそる文面を開いてみると、
それぞれの最初の一通が早く連絡をしろという内容で、さゆりの残りは嫌味と罵倒だった。
ため息をつきつつ「何かあったのか?」と様子を伺ってみる。
返事は三十秒で返ってきて、しかもメールではなく直接電話がかかってきた。
かけてきたのはもちろんさゆりの方で、通話ボタンを押すなり怒声がスピーカーを震わせた。
「あんた今どこで何してんのよッ!」
「どこって、曳目さんの神社だよ」
 龍介は心持ちスマホを耳から遠ざけて答えた。
「そんなことは判ってるわよ! 状況を説明しなさいって言ってんのよ」
 断じてそんなこと言ってない、と思ったが、通話では声の大きさだけが勝敗を決める。
抵抗を諦め、状況を説明した。
「で、どうすんのよ」
 一通り話を聞き終えたさゆりの声のトーンは一段落しているが、
とげとげしさはむしろシャープになっている。
「今日の夜は相談者の家の近くで待機して、霊が出たら行くことになってる」
 このとき龍介は、最終的には二人が応援に来てくれると心のどこかで期待していたのかもしれない。
だが、さゆりの返答は冷淡を極めた。
「そう、せいぜい曳目さんに迷惑をかけないようにしなさいよね。
こっちはあんたがサボったせいで今日は徹夜なんだから」
 除霊の依頼もなく、締め切りにも余裕があると思っていた龍介は二の句が継げなかった。
 夕隙社は毎日出勤の形態をとっているが、皆勤しているのが唯一支我で、龍介はその次に多く、
ライブだのアイドルの追っかけだので月の三分の一も休む仲間もいる。
だから一日くらい、と思ったのだが、急な休みというのは誰かに迷惑をかけるものだと、
龍介はいまさら気づいたのだった。
 さゆりとの通話を終えた龍介は彼らしくもなく沈んだ足どりで自宅へと向かったが、
到着する頃には気持ちを切り替えていた。
かけてしまった迷惑はどうしようもない。
支我とさゆり、それに千鶴にはいずれ何らかの形で詫びるとして、
今はさゆりに言われたとおり、目の前の除霊に全力を尽くすべきだった。
これで除霊まで失敗したら、ていと夕隙社、双方に合わせる顔がない。
ベッドに身体を投げ出した龍介は、昂ぶる心を抑えて眠りについたのだった。



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