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深夜――日付が変わる三時間前に起きた龍介は、
眠気覚ましにシャワーを浴びてから織部神社に向かった。
巫女姿の曳目ていは境内の外で待っており、龍介を見つけると丁寧に頭を下げた。
「それじゃ、行こうか」
「はい、よろしくお願いします」
子供が泣き始めるのは夜中の一時頃だという。
もし母親達から連絡があった場合、速やかに駆けつける必要があるので、
先に台東区まで移動しておき、深夜営業のファミリーレストランで待つことにした。
同じ東京でも不夜城とも呼ばれる歌舞伎町あたりとは異なり、浅草近辺では夜はそれなりに人が減る。
龍介達が訪れたファミレスも、龍介達を除けば一組しか客がおらず、店員もあきらかにやる気がなかった。
「いらっしゃいませ」
のんびりと奥から出てきた店員が、定型の挨拶のあとで絶句したのは、ていの服装を見てからだ。
彼女は除霊の際の正装――つまり、巫女装束を着ており、あまりに場違いな出で立ちに、
店員の目に好奇心が泳いだ。
だが最低限の礼儀はわきまえているのか、ていが何者なのか訊ねるのは賢明にも控え、
おそらくは自制心を総動員しながらだろうが、通常の接客に留めて二人を席に案内した。
「曳目さんは決まった?」
軽い食べ物とドリンクバーを頼むことにした龍介が訊ねると、ていは小さく首を振った。
「私はお水だけで結構です」
「え、お金なら出すよ」
考えなしに言った龍介は、すぐに反省させられることになった。
「いえ、除霊の際には身を清める必要がありますから、食べ物や飲み物は数時間前から断つんです」
「そうなんだ……」
除霊といっても鉄パイプで殴るだけという認識である龍介は、
彼女が巫女装束を着ている理由をいまさらに知った。
「悪かったな、お店出ようか?」
「いえ、お腹が減っては力が出ませんから、東摩様はどうぞお食事をなさってください」
自分だけ食事するというのは気が引けるが、まだ午前一時には早く、
町を徘徊するというのもはばかられる。
遠慮しつつも結局龍介は店員を呼んで注文した。
ただし、決定したメニューではなく、匂いの少ない軽食に変更した。
「除霊の時はいつも食べないの?」
「そうですね、できる限り食べないようにしています。
急なご相談のときはそうもいかないときもありますが」
実際の効果よりも精神的な面があるということだろうか。
だが、精神、あるいは魂の存在である霊と対するのに、精神面をおろそかにはできない。
ていの心構えは見習うべきかもしれない。
どんな話題で会話を始めれば良いか、龍介は悩んだが、意外にも彼女の方から話しかけてきた。
もっとも、どうしても話題は健康な高校生の男女が話すようなものにはならない。
「東摩様はいつから除霊をなさるようになったのですか?」
「俺? まだ二ヶ月経ってないよ」
ていは目を丸くして驚いた。
落ちついた表情から一転、愛嬌があらわれる。
昼間制服姿を見たように、彼女も同じ歳の女子高生なのだと龍介は改めて認識した。
「俺の学校、って言っても転校してきたんだけどさ、
幽霊が出るってんで学校に来た夕隙社の人と会ったのがきっかけかな。
支我は同じクラスなんだけど、あいつと社長……伏頼さんが除霊に来てね。
伏頼さんひとりで戦ったんだけど、分が悪かったから俺が加勢したんだよ。
そしたらその場でバイトに勧誘されて、なんとなく流れで引き受けたんだ」
「そうだったんですか……キアラさんの除霊がお見事でしたから、
さぞご経験を積んでいるのだと思っていました」
「いやいや、俺なんてまだまだ、失敗もあるしね。ていさんは子供の頃から除霊してたの?」
龍介の質問にていは微笑んだ。
花開こうとしている朝顔が、人間に見られているのに気づいて恥じらっているかのような微笑みだ。
同じ女子高生でもいつも怒っているさゆりとは大違いだと龍介は思った。
「いえ、除霊をするようになったのは高校に入ってからです。
その前から霊に関するご相談は受けていましたけれど」
「てことは、霊は視えていた?」
「はい。東摩様は違うのですか?」
「俺は伏頼さんが霊と戦ってるところを見るまで、霊が視えるなんて知らなかったんだ。
最初の霊体験が除霊っていうか霊をぶん殴ったもんだから、怖いっていうふうには思わなかったけど、
曳目さんは子供の頃はどうだった?」
「はじめの頃は泣いたこともあったみたいです。でも、私に霊が視えると知った両親が説明してくれて、
それからは少しずつですが慣れていきました。それにしても東摩様は、
独学で霊を祓うだけでなく浄める方法まで習得なさっているなんて驚きです」
「自分ではそんな凄いことじゃないと思ってるんだけど。
ただ、霊と接触したときに、霊の未練っていうか記憶が流れこむような感じで」
龍介にとって祓うのも浄めるのも違いはない。
霊の未練を晴らして成仏させるのはあくまでも結果論にすぎないのだ。
しかし、ていは龍介が驚くほど真剣な表情で告げた。
「差し出がましいようですが、霊と直接接触するのは避けた方が良いと思います。
霊……特に、執着や怨恨のみの存在となった悪い霊は、
温かさを求めて生者の身体を欲すると言われています。
心を強く持っていないと、とり憑かれてしまうかもしれません」
「夕隙社でバイトを始めてすぐに同じことを言われたよ。俺も気をつけてはいるんだけど」
「身体の調子が悪いときは精神にも影響が及びます。ご自分でも気がつかないうちに、
弱ってしまっていることがあるかもしれません。どうかお気をつけてください」
「うん、心しておくよ。ありがとう」
礼を言いつつ、ほんの少しだけではあるが龍介はていに苦手意識を抱いた。
彼女が本心から気遣ってくれているのは、表情から分かる。
だが龍介は今のところ憑かれるような事態には陥っていないし、
彼女の忠告がいささか大仰に聞こえたのだ。
幸いなことに注文した食事が運ばれてきたので、これ以上霊談義を続ける必要はなくなった。
龍介はていに遠慮しつつも、若い男子らしく食事をはじめた。
午前一時まであと十五分というところで二人は店を出た。
「眠くない?」
「はい、大丈夫です」
龍介はコーヒーを飲んでおいたのと、ここ数ヶ月の生活習慣によってむしろ目が冴えているほどだ。
一方でていは飲まず食わずの状態であるはずで、眠気と空腹に同時に襲いかかられていても
おかしくはないのだが、声の調子からも具合の悪そうな感じはない。
彼女の勁さに感服する龍介だった。
通りから裏道に入り、住宅街を歩く。
龍介がスマホを取りだして親子の家を確認しようとすると、手の中でスマホが振動した。
「はい……はい。すぐに向かいます」
事情を察したていと走りだす。
五分後には二人は、親子の家に到着していた。
「東摩様……!」
ていが小声で警告する。
龍介も彼女が見つけたものに気づいていた。
アパートの二階に白い人影がある。
一見するとベランダに居るように見えるが、よく見ると高さが釣りあっていない。
あれが人間ならば百九十センチ近くある計算で、女性の形をしたそれは、
窓の上の方から室内をじっと覗いていた。
「曳目さんにはどう視える?」
「女性が……部屋の中を見ているように視えます」
「ああ。ちゃんと盛り塩をやってくれたのかな」
食卓塩よりは粗塩が、粗塩よりは浄められた塩が盛り塩には適している。
普通の家庭で浄められた塩を入手するのは大変かもしれないが、粗塩ならばなんとかなる。
どうやらあの母親は、龍介のアドバイスを実行してくれたようだった。
「はい、それもあると思いますが……なんだかあの霊は家に入ろうとはしていないように視えます」
「そう……かな」
龍介は断定を避けた。
ていの言うことが真実なら、霊に害意はないということになるが、
霊が傍に来るだけで体調を崩す人間もいるのだ。
それが赤ん坊だったりした場合、大変なことになるおそれもあるし、
やはり怯えている人間が居る以上、祓わなければならない。
とはいえ深夜の住宅街で騒ぐのは好ましくない。
霊が積極的に部屋に入ろうとしないのもあって、龍介は観察だけに留めておいた。
ていもこの場で浄霊するつもりはないようで、弓は袋に入れたままだ。
どうしたものかと思った龍介が、もう少し近づいてみようとすると、突然霊は姿を消してしまった。
狼狽こそしなかったものの、ばつの悪い顔で龍介はていの方を向く。
彼女は龍介を咎めようとはしなかった。
「別の家に移動したのかもしれません」
「ああ……その可能性があった。俺達も動こう」
「はい」
二人は静かに移動を開始した。
ていの考えは的中し、次の家に移動を始めた直後に再び電話が鳴った。
相手は二人が向かおうとしていた家の母親で、受話器の向こうから子供の泣き声が聞こえてくる。
霊が出現したとは言っていないが、怯えているようで、すぐに向かうと答えて龍介は走った。
二件目の連絡があった家は一戸建てだった。
素早く霊を探すと、一階の庭の前に白いもやがあった。
やはり中を覗いているだけで、入ろうとはしておらず、ここならば攻撃できる。
龍介は腰に差した鉄パイプに手をやった。
いつもの剣は夕隙社の備品であるのと、充電装置が夕隙社にしかないため持ち出せなかったのだ。
武器に問題はない――むしろ鉄の硬くて冷たい感触の方が、殴れば効きそうな自信を与えてくれる。
問題があるのは距離の方で、今龍介が居る場所から、霊の居る場所まではおよそ七メートル。
そのうち三メートルは姿を隠せず、突進しなければならない。
普段なら――支我のバックアップが期待できるなら、簡単な打ち合わせで突撃するだろう。
だが、一人で決断しなければならないというプレッシャーは、想像以上に龍介を緊張させていた。
鉄パイプを抜き取ろうとして、龍介は手を滑らせてしまう。
慌てて掴みなおしたものの、端がコンクリートに触れた。
カツン、という音が爆弾が炸裂したように響く。
距離があるから聞こえていないはずだ、と龍介が祈った直後、霊の頭が動いた。
身体は窓の方を向いたまま、頭だけが斜め後方へと回る。
まずいと龍介が思う間もなく、女の霊はその姿勢のまま急接近してきた。
霊とは何度も交戦経験がある龍介も、この霊の異様な移動に回避が一瞬遅れる。
「東摩様ッ!」
白い塊と化して突進してきた霊が、慌てて身体をひねった身体を掠め、
龍介は避けそこねた左半身に冷気を感じた。
自分のうかつさに怒りを奔騰させながらも、鉄パイプを握り締めて振り向く。
しかし、霊はそこには居らず、微かな硫黄の臭いと冷気を残して消失していた。
もちろん消滅したのではない。
龍介というイレギュラーな存在に行動を妨げられて、一時消失しただけだろう。
霊が接触した左肩を龍介は軽く回してみた。
なんとなく張りを感じるが、ダメージというほどでもないようだ。
鉄パイプを再び腰に差したところで、ていが声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……ごめんな、忠告してくれたのに」
「いえ、そのようなことは」
家の敷地を出たところで、この家から再び電話がかかってくる。
今日はもう大丈夫だと答え、通話を終えた龍介は、ていに笑ってみせた。
口の端を釣りあげた、やや悪意があるようにも見える笑顔は、意識して作ったものだ。
「だけどこっちもまるっきりやられっぱなしってわけじゃなかったよ」
「……?」
「悪いけど明日、もう一度つきあってくれるかな」
首を傾げるていに、龍介はあえてぼかして言った。
翌日、龍介は三時限目から登校した。
完全に寝過ごしたためで、もういっそ休んでしまおうかとも思ったのだが、
ていはおそらくきちんと一時限目から登校しているはずで、
今日再び会う彼女にサボったとは言いたくなかったのと、さゆりから登校を促すメールが来ていたので、
あくびをしながらも学校に向かったのだ。
休み時間中にさりげなく教室に入り、何食わぬ顔で席に着く。
何人かは気づいたようだが、転校してきて三ヶ月足らずというのが幸いして、
親しく声をかけてくる生徒はいなかった。
例外は一名で、クラスで唯一車椅子を使用する支我正宗が、
鞄から教科書を出す龍介に気さくに話しかけてきた。
「よォ、東摩。昨日はどうだった?」
遅刻については触れずにいてくれるのがありがたい。
龍介は昨日の顛末を、霊と接触した件には触れずに語った。
「なるほど……子供を狙う霊か……」
「ああ、昨日除霊できちまえば楽だったんだけどな」
支我は何かを察したらしく、やや眉間に皺を寄せた。
「今日も休むのか?」
「ああ、編集長に言っといてくれないかな」
「直接言った方がいいと思うがな」
支我の言い分は正しい。
龍介が直接言えないのは後ろめたさがあるからで、
そういったものが堆積すると人間関係にも影響が出てしまうのだ。
「頼むよ、今日で解決できると思うから」
「……仕方ないな」
今日中に片が付くかどうか、龍介に絶対の自信があったわけではない。
その場しのぎのために言っただけで、解決できなければさらに悪い立場に追いこまれていくだろう。
同じことを支我も考えたようで、あまり気乗りしない様子だったが、とにかく、
バイトを休む件については了承してくれた。
龍介がほっとしたところで、どこかに行っていたさゆりが教室に戻ってくる。
龍介を見つけた彼女はさっそく詰め寄ってきたが、龍介にとってはタイミングの良いことに
始業のチャイムが鳴り、追及は後刻に持ち越されることとなった。
さゆりが授業の間に追及を忘れてくれれば良いのにという龍介の願いは、儚くも潰えた。
彼女はきちんと授業を受け、その上で龍介を詰問することも忘れなかったのだ。
「さあ、私達に仕事を押しつけただけの成果があったのかどうか、話してもらうわよ」
腕を組んで仁王立ちするさゆりに、教室のあちこちから視線が向けられる。
彼女は学校では気が強い、あまり他人と打ち解けない女性というイメージを抱かれていて、
この立ち姿はイメージを覆すものと思われたのだ。
それらに気づいたのは当人ではなく龍介の方で、この場で話を続ける危険性を彼は抱いた。
さゆりの印象が変わるのは構わないが、聞き耳を立てられている状態で霊の話などするものではない。
「あ……っと、ここじゃ何だから廊下で話そうぜ」
「逃げるつもりじゃないでしょうね」
「違うって」
できればそうしたいところではあったが、さゆりは陸上部に所属しているらしいので
逃亡は不可能だろう。
それにこの場を逃げたところでさゆりとはいずれ夕隙社で顔を合わせるのだし、
事態が好転するわけでもない。
龍介は腹を決めて彼女に全てを話した。
「子供を襲うなんて、随分卑怯な霊じゃない。どうして昨日除霊しちゃわなかったのよ」
眉間に皺を寄せて龍介の話を聞いていたさゆりは、皺を寄せたまま言った。
龍介ではなく霊に憤っているのだろうが、矢面に立つのは龍介だ。
「襲おうとはしてなかったんだって」
「盛り塩が効いてただけじゃないの?」
「それは……そうかもしれないけど」
霊に一撃を受けた件を龍介は話さなかった。
失敗談を進んで話す気にはなれなかったし、話したところで笑われるか怒られるのがオチだ。
「それで、どうすんのよ」
「……できれば、今日決着をつけようと思ってる」
微妙に声を小さくして言う龍介に、さゆりは両の眼の焦点を彼の眉間に合わせて射こんできた。
黒い鉄球をぶつけられたような精神的な圧迫を龍介は覚える。
「夕隙社に居場所がなくなっても知らないわよ」
「いくらなんでも二日くらいなら大丈夫だろ」
霊を視て攻撃できる人材は少ないという奢り、あるいは甘えが龍介になかったとはいえない。
撃破数が一番多いという自負もあった。
ところが、龍介の余裕をさゆりは鼻で笑い飛ばした。
「そうじゃなくて、物理的な意味でよ。あんたの机、もう三分の一くらい埋まってたわよ」
「……!」
予想外の危機に龍介の顔が引きつった。
編集部というのはどこもそうなのか、室内は意味不明な勢いで物が増えていく。
毎日机に座っていてさえ、原稿のゲラやら資料やら怪しいお面やら何に効くのか一切不明な護符やら、
置いた覚えのない物が増えていて片づけないと原稿執筆もままならないのだ。
仮に一週間も空けたら龍介の机は「龍介の机だった」遺跡になってしまうだろう。
「ま、せいぜい頑張りなさい。失敗しても骨なんて拾ってあげないけど」
龍介をやり込めたことで満足したのか、さゆりはそれ以上絡んではこなかった。
背筋を伸ばして教室に戻っていく彼女を、龍介は悄然と見送るのだった。
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