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「やったわねッ、竹チャンッ!!」
「ありがとうッ、梅チャンッ!!」
「それから忘れちゃダメよッ、ブラザーにも愛をッ!!」
「ああンッ、愛ッ!!」
再び暑苦しい会話を始めた華山兄弟だが、龍介は半分以上聞いていなかった。
鮮やかな竹の運転技術に、すっかり魅入られていたからだ。
「これで……あの霊の車も負けを認めたかな」
「どうかしら……戻って見に行ってみないといけないわね」
梅の返事は、竹の鋭い指摘に遮られた。
「その必要はないみたいよ、二人とも」
彼の言うところを梅も龍介もすぐに理解した。
後部窓が白く染まる。
悪意があるようにしか見えない二つの輝きは、まぎれもなくゴーストカーのものだった。
「あそこから体勢を立て直したなんて、やるわね……ッ!!」
「でもアタシ達だって負けちゃいない、そうでしょ竹チャンッ」
「そうよッ、敵が体勢を立て直したのならまた押し倒せばいいんだからッ!!」
「キャーッ、押しまくるのねッ」
「押しまくるのよッ」
スマートフォンから聞こえる、不明瞭ながらもはしゃいでいるように聞こえる華山兄弟の声に、
さゆりが待機組を代表して訊いた。
「ちょっとッ、どうなったのよッ」
答えるのは、車内組を代表して龍介だ。
「えっと……霊の車を躱して分岐に入ったんだけど、また追いついてきた」
「追いついてきたって、どうすんのよッ!」
「どうするんだ?」
左の耳から口に抜ける過程で、怒声を九十パーセントほどカットしてから龍介は
さゆりの質問を前席に転送した。
「こうなったらぐうの音も出ない場所でケリをつけるしかないわッ」
「ぐうの音も出ない場所って……まさか」
「梅チャンッ、ブラザー、ガッチリ掴まっててねッ!!」
言うなり夕隙社号は凄まじい加速を始めた。
無人のセダンもすぐに追随し、他車を置き去りにして、二台のライトだけが人魂のように疾走する。
「ちょっと、答えなさいよッ」
「ケリをつけるって」
龍介の返答が短かったのは、さゆりの勢いに圧されたのではなく、車内の緊張が伝播したからだ。
華山兄弟の緊張に、咆吼を上げるエンジン音。
そして離陸さえしそうな、どこまでも止まらない加速は、落ちついて答えるには刺激的すぎた。
「どうやってつけるのよ!」
さゆりの疑問に龍介は答える術がない。
都心環状から再び湾岸線へと向かう分岐で身体が大きく横に揺れ、さらに急加速で後ろに揺れたからだ。
「やっぱりここを選んだのね、竹チャンッ」
「そうよ、首都高速最大の直線を誇るこの場所でなら、どっちが速いのか嫌でもハッキリするわッ」
「そうねッ、見せてやりましょうッ、アタシ達のマシンの凄さをッ!!」
「任せてッ、梅チャンッ!!」
「前方オールクリア、アタシ達を邪魔するモノは何もないわッ!!」
「行くわよォォォッッッ!!!」
竹の気合いと夕隙社号の加速がリンクする。
無人の高速道路を弾丸のように走る夕隙社号の速度は、
後付けされたスピードメーターをすらすでに振り切りそうになっていた。
後方の龍介からは、ステアリングを全力で押さえつける竹の姿が見える。
この速度域では、わずかなぶれが即命取りとなる。
車を押し戻そうとする空気の壁に抗い、一瞬の油断で右に左に飛んでいきそうな車を、
鍛えた豪腕でまっすぐにドライブさせるのだ。
フラットアウト――ただ速度のみを求めて改造されたエンジンが、持てる力を限界まで解き放つ。
遮るものは何もなく、ただ夜の闇だけが、スピードに魂を捧げた者達を見守っている。
狂気のスピードで湾岸線を疾走する夕隙社号の加速が鈍る。
空気という名の絶対無敵の盾が、それを貫こうとする愚者を阻むのだ。
その効果は当然、夕隙社号だけでなく、ゴーストカーにも及ぶ――はずだった。
「――!!」
助手席の梅が驚愕の表情で車外を見る。
運転席に主のいない車は、並ぶ夕隙社号の前へと身をよじるように進んでいた。
五センチ、十センチ。
二台の速度域からすれば、信じられないほどわずかずつ、しかし確実に差が広がっていた。
車の性能は夕隙社号の方が上回っているはずだった。
差があるとするならば、ボディ形状――ワンボックスタイプの夕隙社号は、
セダンタイプのゴーストカーに較べると、どうしても空気抵抗を多く受ける――の差だ。
「……ッ!!」
限界まで踏んでいるアクセルを、さらに竹は踏みこむが、
性能の全てを絞りだしている夕隙社号が、再び追いつくことはできなかった。
あれほど騒がしかった車内が、静まりかえる。
もはや打つ手もなく、このゴーストカーを止めることは誰にもできない。
そう三人が絶望しかけた時だった。
すでにテールランプまで見えていたゴーストカーの前方から、突然煙が噴きあがる。
同時に急減速を始め、竹も慌てて減速した。
「ブロー……しちゃったのね」
高回転で酷使され続けたエンジンが、限界を超えて壊れる。
車の性能を極限まで引き出せるゴーストカーでも、性能を超えることまではできなかったのだ。
「どうするのッ、竹チャンッ」
梅が質問したとき、すでに竹はステアリングを切っていた。
ゴーストカーの後ろにつき、相対速度を巧みに調節して、後ろからゴーストカーを押し始めたのだ。
戦闘力を失ったゴーストカーは暴れるでもなく従う。
こうして、夕隙社号対ゴーストカーは、意外な形で決着を見ることになったのだった。
支我達の待機するパーキングエリアに、二台の車が戻ってくる。
先に現れたゴーストカーを見てさゆり達はぎょっとしたが、後ろに夕隙社号を見つけて安堵した。
「勝ったのか?」
下りてきた華山兄弟に支我が訊ねる。
「なんとかね……ギリギリだったけど」
エンジンブローは人間ならば予見できる。
そして予見できれば、アクセルを緩めれば回避はできるのだ。
車と一体化してしまった霊は、人間ならばできたことができなくなってしまったのだろう。
その点で華山兄弟は勝ちを悪びれなかった。
「お疲れ……だが、まだ車は動いているようだが」
支我の言う通り、満身創痍になりながらも、ゴーストカーはまだ活動を停止していなかった。
「未練を晴らしたんじゃないの!?」
「どうなってるんだろう、支我」
「霊の車……車の持ち主の霊は、未練が複数あったのかもしれない」
龍介を通してさゆりの疑問を検討した支我は、現段階で立てられる可能性を述べた。
「そんなの……どうすればいいのよッ!!」
叫ぶさゆりを横目に見つつ、龍介は腰に差した、
対霊用に効果の高い、マイナスの電荷を発生させる棒を引き抜いた。
「待て、東摩。霊は車と一体化してしまっている。打撃は効果が薄いだろう」
やってみなければ解らない、という台詞を呑みこんで、龍介は支我に訊ねた。
「未練を今から調べるのは」
「同じ理由で意思の疎通は難しいだろう」
「だよなあ」
やはりぶっ叩いてみるしかないか。
棒のスイッチを入れ、龍介は大きく振りかぶる。
すると棒の開発者が止めた。
「待ってくださいマスター、車の材質――鉄、アルミ、それにガラスには
その剣は効果が著しく低いと考えます」
霊に効果がある棒を開発した浅間萌市に、龍介は感謝している。
だが二点、彼をマスターと呼ぶのと、棒を剣と言い張るのだけは改めて欲しかった。
それはともかく、彼の言う通り、こういう時は鉄パイプの方が良さそうなのだが、
今日は修理から直接現場に来たので、車には積んでいなかったのだ。
ゴーストカーはエンジンがブローしているから、自力で動くことはできないはずだ。
ただしそれは通常の車の話で、霊が取り憑いた車となればどのような挙動をみせるか分からなかった。
実際、ゴーストカーは威嚇するように咆吼を――正しくは、そう聞こえるエンジン音を――あげていて、
このまま放置はできず、かといって沈静化させる手段もなく、手詰まりの感がある。
まずは素手で一発かましてみるべきか。
だが、急加速してはね飛ばされる危険もある。
龍介は距離を置きつつ、相手の出方を慎重にうかがった。
ゴーストカーはエンジン音に加えヘッドライトを明滅させて、龍介を牽制する。
じりじりと車に近づく龍介が、いよいよ間合いに入ろうというとき、
思いもかけない方向から龍介達を呼ぶ声がした。
「あッ、やっぱり夕隙社の皆さんだッ」
一触即発の緊張を台無しにする少女の声に、ゴーストカーを含めた全員が彼女の方を見た。
「おはようございますッ!! ……あの、私のこと、覚えていらっしゃますか?」
何時だろうと「おはようございます」という業界的な挨拶をした少女は、
地味な服装でありながら、隠しきれないオーラを放っている。
ほんのちょっぴり不安げにこちらを見ている少女を、もちろん龍介は覚えていた。
「あ、あああアイちゃんッ!!!! どどどどうしてこんなところに!!??」
龍介が何か言うより早く浅間萌市が叫び、
彼女を知っているのは自分だけだと言わんばかりに龍介を押しのけて前に出た。
現役のアイドルである野々宮アイは、かつてコンビだった友人の霊による事件で、
龍介達夕隙社と関わっている。
アイには霊感がなかったものの、龍介達の尽力で少女の霊は成仏し、その間際、
生者と死者は邂逅を果たしたのだ。
望んだ以上の結果を得られたアイは、龍介達にいたく感謝して別れ際にひとりずつ手を握ったものだった。
契約にない報酬に、支我でさえ無関心とはいかなかったようで、
彼らしくもなく照れたように龍介には見えたし、萌市などは「この手は一生洗わない」などと宣言して
さゆりに消毒するべき汚物を見る目をされたものだった。
押しのけられて不満顔の龍介など一顧だにせず、萌市は、なぜか野々宮アイに対して敬礼をした。
敬礼しているのは、その、洗わないと宣言した右手だ。
アイに、おそらくは握手会を行う彼女自身のために、手はちゃんと洗ってくださいねと言われて
二秒で前言を撤回した萌市はアライグマも驚くほど手を洗うようになっている。
熱烈を通り越して奇矯ですらあるファンの振る舞いにも、アイは真摯に対応した。
もっとも、話しかけたのは過剰な興奮状態に陥っている萌市ではなく、龍介に対してだった。
「お仕事が終わってマネージャーさんに家まで送ってもらうところなんです。
ちょっと喉が渇いちゃってここに寄ってもらったんですけど、そうしたら見覚えのある車が止まってて」
「そうか……大変だね、こんな時間まで」
「いえ、自分で選んだ仕事ですし……ナオちゃんの分まで頑張らないと」
野々宮アイは龍介に小さく笑った。
その笑顔には少しだけ蔭りがあったけれども、見る者を魅了するアイドルの笑顔だった。
龍介達とゴーストカーを見比べたアイは、アイドルらしく小首をかしげて訊ねる。
「もしかして、お仕事中なんですか?」
「あ、ああ、そうなんだけど」
龍介が振り返ると、車はすっかりおとなしくなっていた。
無機物におとなしくなる、という表現はおかしいのだが、龍介にはそうとしか感じられない。
うるさかったエンジン音がいつの間にか小さくなり、ライトもアイを照らすように点灯している。
突然の変化に首を傾げつつ、危ないので野々宮アイに下がるように言おうとした龍介に、
車がクラクションを鳴らし始めた。
「……?」
短く、何回も鳴るクラクションは、何かのリズムであるようだが、何を意味しているのかは判らない。
どうしたものかと迷う龍介に、萌市とアイが同時に叫んだ。
「これ……私の曲だッ!」
「これはアイちゃんの曲ですッ!」
半信半疑で顔を見合わせる龍介とさゆりに対して、アイは証明するかのように歌いだす。
不思議なもので、彼女が歌いだした途端に単なるクラクションは伴奏に聞こえてくるのだった。
萌市だけが手拍子を取り、他の面々は呆然と進行を見守るライブは、
観客のノリが今ひとつだったからなのか、一曲で終了した。
しかしその一曲は、少なくともゴーストカーには大きな影響を与えていた。
「霊体反応消滅――除霊完了だ」
支我が静かに告げる。
彼の言う通り、霊が憑いていた車はすでにただの鉄の塊と化していた。
クラクションやら手拍子やら歌声やら賑やかだった、深夜のパーキングエリアに、
本来相応しい静寂が戻ってくる。
「……結局、あの霊の未練はアイドルに会いたかったってだけ?
はあ……どっと疲れたわ」
しきりに頭を振るさゆりに、同感だと思いながらも、龍介は今ひとりの女性の方を向いた。
「ありがとう、助かったよ」
「いえ、そんな……お役に立てて嬉しいですッ」
頭を下げる野々宮アイは本当に嬉しそうで、龍介に孫に接する祖父のような感情を抱かせる。
自腹を切ってもお礼をすべきか、と考える彼を邪魔するように、電話の呼び出し音が鳴った。
「あッ、マネージャーさんだ……いっけない、すぐに戻らなきゃッ」
スマートフォンを見るなり顔を青ざめさせたアイは、それでも龍介達に深々とお辞儀した。
「あの、皆さんも頑張ってくださいねッ、それじゃッ」
駆けていくアイの姿が見えなくなるまで、龍介は見送った。
「ああ、こんなところでアイちゃんに会えるなんて、来て良かった……」
恍惚の表情で呟く萌市に、心の中で同意する。
さっさと引き上げてひとっ風呂浴びて泥のように眠りたいところだった。
「さァッ!」
「さァッ!」
そんな龍介のささやかな願いを妨げる、深夜の首都高に似つかわしくない野太い声が響く。
「約束の時間よ」
心臓に杭を撃ちこまれたような痛みを覚えつつ龍介が振り向くと、
華山竹と梅の兄弟オカマが最高の笑顔を浮かべていた。
闇夜に浮かぶ歯と白目、そしてそれ以上に訪れた裁きの日(に、
龍介の頭の中は絶望と恐怖で蚕食されていく。
突然米軍の秘密兵器か何かで彼らの頭が吹き飛ばないか、などと恐ろしいことを、
それなりの真剣さで願ったが、救いの手など差し伸べられそうもないことを悟ると、覚悟を決めた。
暴走した彼らにハグされないよう及び腰で近づき、目標を見据える。
男の頬を間近に見るのは耐えがたく、女物と思われる甘いコロンの香りは絶望感を上乗せてきた。
だが、目視を誤って狙いを外せば、もっとおぞましい結果が待ち受けている。
両の眼でしっかり狙点を定め、一気に実行した。
「「イイイイイヤッホウゥゥゥゥゥッッッ!!!」」
輪唱のように若干遅れて重なる竹と梅の雄叫びは、夜も逃げだすほどの圧で響き渡った。
「梅チャンッ、アタシ今日という日を一生忘れないわッ!!!」
「アタシもよ竹チャンッ、メモリアルデイとしてアタシの脳にビンビンに刻まれたわッ!!!」
深夜ということで龍介達以外に人が居なかったのが幸いで、
もし一般人が奇声を上げるオカマ二人を見たならば、あっという間にネットに拡散していたに違いない。
「アナタの愛の証、確かに受け取ったわよブラザー!!!」
「でもまだまだ渡したりないっていうなら、いつでもアタシ達はアナタのところへ馳せ参じるわッ!!!」
「いえッ、むしろ押しかけちゃうわッ」
「押し倒しちゃうわッ!!」
テンション最大で叫び回る竹と梅に、支我とさゆりは彼らと一週間も共に過ごした龍介に、
畏敬の念すら抱き、今さらながらに同情と感謝の想いを強くしたのだった。
夜の湾岸線を騒がせた霊の車退治も、一人が精神に傷を負った以外はつつがなく終了した。
後は帰るだけなのだが、ここで若干の問題が生じた。
左戸井はまだ足が完治していないために夕隙社号は運転できなかったので、
華山兄弟が引き続き運転することになり、総勢七人は一度に乗れなかったからだ。
結局タクシーを呼ぶことになり、それには龍介とさゆりが乗ることになった。
誰がタクシーに乗るかという点は揉めなかった。
龍介を引っ張りこもうとする華山兄弟を、夕隙社の全員が阻んだのだ。
さゆりの方も支我に頼まれてやむを得ずではあってもすんなり決まり、
生ける屍と化した龍介を夕隙社まで連れ帰ることになったのだった。
こんな時間に制服を着た高校生の男女を乗せたタクシーの運転手は、
道徳について彼らに一言言いたげであったが、慎ましく沈黙を保っていた。
なにしろ、車内の右後方――男子高校生が乗っている側は、深夜タクシーにはつきものの、
どんより暗い雰囲気に満たされていたからだ。
乗るときに足があるのは確かめているが、途中で消えても不思議ではないほど不気味な彼を、
バックミラー越しでもあまり見ないように運転手は心がけることにした。
運転手に幽霊ではないかと疑われた龍介は、上半身をほとんど折りたたんで顔を覆っている。
彼がこれほど落ちこんでいる理由を、さゆりは理解しているつもりだったが、
十分もすると無反応なのに苛立ったのか、腕を組んで彼を見据えた。
「いつまでも落ちこむのは止めなさいよ」
これでも、かなり龍介を気遣って言ったつもりだった。
しかし龍介は反応すら示さない。
さゆりは形の良い唇を尖らせ、再度絶望に浸る同僚に檄を飛ばした。
「男なんでしょ。なによ、ちょっとキスしたくらいで」
外見は純然たる美少女であるさゆりの口から放たれたキスという単語には、
甘美な響きはかけらもなかったが、龍介は弾かれたように顔を上げた。
「お前に俺の気持ちが分かるかよッ! お前が余計なことを言わなけりゃ、俺は……俺の……!」
龍介のキスなど、運転代行料と霊退治を合わせた料金に釣りあう価値はないだろう。
それでも彼にとっては多分、いや間違いなくファーストキスを、あのような形で強いたことに、
支我からも控えめに苦言を呈されて、さゆりにも全く良心が咎めないわけではなかった。
とはいえ苦痛と苦悶に歪む龍介の顔はあまりに見苦しく、
泣きそうにさえなっている顔を見ているうち、さゆりの中で何かが弾けた。
「分からないわよ。分かるわけがないでしょ」
突き放された龍介は、初めて炭酸を飲んだ子供のように目を白黒させた。
すぐに感情が反転し、怒りが顔に満ちるが、よほど絶望が深いのか、すぐに生気が失われていく。
その龍介の、白くなった頬に、さゆりは彼が思いもつかない行動に出た。
彼の一生忘れないトラウマとなった数十分前のできごとを、寸分違わず再現してみせたのだ。
呆然とする龍介の隣で、今や彼に劣らぬほど顔を赤くしたさゆりは、
彼に一切の疑問を抱かせる隙を与えずに言った。
「これで……あんたと対等よ。でもいいッ、
私はあんたみたいにいつまでも落ちこんだりはしないんだからッ」
圧倒された龍介がようやく頷くと、さゆりは身を翻して、
いつのまにか夕隙社に着いていたタクシーから下りた。
巣に帰るツバメのように、切れの良い身の翻し方だった。
「分かったんなら、ほら、さっさと報告書書いて帰るわよッ」
さゆりが先に行ったあとも、龍介はしばらくぼんやりしていた。
車内にはまだわずかに残っているさゆりの香りがあってさえ、幻としか思えない出来事だった。
霊と接触したときとは対極の、燃えるような熱が頬にくすぶっている。
その熱が冷めてしまうのはもったいないような気がして、龍介はその部分を手で覆った。
励まされたのだろうか――しかし、なぜ?
彼女の普段の言動からは、どうしても予測できない答えを、考え続ける龍介だった。
下りない客に痺れを切らした運転手に催促され、龍介は慌てて料金を支払う。
しかし、その熱にすっかり気を取られていたので、領収書をもらうのを忘れてしまい、
タクシー代に関しては完全に自腹を切る羽目になった。
それが今回の件における龍介の、最終的な損害だった。
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