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夕隙社に無事帰還した龍介達は、そのまま打ち上げへとなだれこんだ。
龍介のつてを総動員しての、夕隙社創立以来となる多数の依頼の解決に、
社長である伏頼千鶴はすこぶる上機嫌で、全員揃って行きつけである焼肉店に行くこととなったのだ。
こんなことならあの白峰も呼んでやれば良かったと龍介は思ったが、
何しろあのときは疲労の極みだったし、彼の言動に圧倒されて連絡先を交換するのを忘れていたのだ。
向こうは夕隙社のことを知っていたようだから、必要があればいずれ向こうから連絡してくるだろう。
それに、始まって十五分しか経っていないのに、
すでに打ち上げは龍介にとって地獄絵図と化していて、
白峰のことまで気が回らない状況になりつつあった。
「おい龍、肉持ってこい!」
「わしゃあチョコレートパフェじゃ」
「いきなりンなもん頼むなよ。まだ始まったばっかだろうが」
うんざりしたように言ったのが山河虎次郎で、パフェを頼んだのが龍蔵院鉄栴だ。
任侠である虎次郎と、拝み屋である鉄栴は、依頼を通して龍介と知り合い、
今回求めに応じて夕隙社を手伝った。
二人とも晩餐を楽しむだけの働きはしたので、その点に文句はないのだが、
各人勝手に頼めばいいものを、なぜか龍介に告げるので、仕方なく中継する。
「トーマ君、あたしいちぼってやつ食べてみたーい!」
「僕は魚介セットがいいな」
さらに龍介に注文を頼んだのは、楓伊久と久伎千草だ。
二人は虎次郎と鉄栴に較べればずいぶんマシな人柄ではあるが、
二人もやはり龍介を通して注文をするため、龍介は仕方なくまとめ役となって店員を呼び、
注文を通し、来たメニューを渡し、空いた皿を店員に戻す。
一連の行程が終わっても、次から次へと好き勝手な注文が龍介の所にやってきて、
龍介は食べるどころか焼く暇もないほど処理に追われた。
三十分ほど過ぎて皆の食欲中枢が一息つくと、
ようやく龍介も自分の食事にとりかかれるようになった。
手早く適当な肉を焼こうとすると、目の前に焼いた肉が乗った皿が差し出される。
皿を手にしているのはセーラー服を着た少女で、機嫌が悪そうな顔で無言だったため、
龍介は注文を間違えたのかと思った。
「食べなさいよ」
「……俺が?」
間の抜けた龍介の問いに、さゆりは一層怒った顔をした。
「他に誰が食べるってのよ。あんたあれだけ霊にやられたんだから、栄養を採らないといけないでしょ」
「そりゃどうも」
言っていることと表情が一致していないように思えるが、善意ではあるっぽいので、
龍介は皿を素直に受け取った。
そこでどうしたわけか、一瞬、皿の両側で力が均衡する。
「……」
龍介の側は何の意図もなく、たださゆりの手から腕を伝って顔を見ただけだったが、
さゆりの側の反応は驚くほど激しかった。
「な、何やってるのよ馬鹿!」
「ちょっと力が釣りあっただけなのに、馬鹿はないだろ」
「うるさいわね、馬鹿なんだから馬鹿って言うしかないでしょッ!」
二秒ほど前の雪融けムードはどこへやら、再び冷戦ならぬ舌戦が起こりかける。
さらに、二人は意地になって皿を手放さなかったため、ついに被害が生じてしまった。
緩衝地帯だった皿から、肉が舞う。
こんがりと焼き目のついた肉が、再び網の上に落ちれば、黒焦げ待ったなしだ。
奇しくも食事は残さないという主義が共通する二人は、
食べられる機会すら奪ってしまった肉一枚が美しい放物線を描くのを、後悔の眼差しで眺めた。
肉のy軸がマイナスの領域――つまり、テーブル上の少しへこんだ部分にある、
網の上に突入する間際で、反対側から伸びた箸が器用にも空中で肉を挟む。
驚いた龍介が肉からスタートした視線を箸を経て身体へと人物をたどっていくと、
その先には大きく身を乗りだしながら、バランスを危なげなくとっている少女がいた。
「ダメだよ、食べ物を粗末にしたら」
丸い顔をさらに丸くして笑顔を作っているのは、楓伊久だった。
手品を得意とする彼女は、霊に関しては気配を感じ取れる程度ではっきりとは視えず、
戦力とはならないのだが、どうしたわけか彼女にも連絡は行ったようで、
この打ち上げに参加している。
ほとんど全員が初対面であるにもかかわらず、持ち前の人懐っこさであっという間に場に溶け込み、
場の雰囲気を和やかにしているのは、霊が視えるよりも貴重な才能かもしれなかった。
「ごめん。そんなつもりはなかったんだけど」
「だいじょぶ、まだ落ちてないからセーフだよ。
せっかくだからアタシが食べさせてあげる! はい、あーん」
無邪気に肉を差し出す伊久に、龍介はさすがにいただきますとはできないでいる。
すると、斜め前方から雪男の雄叫びのような声が轟いた。
「ちょっとッ、小娘どもッ!! アタシのブラザーに何してくれちゃおうとしてんのよッ!!」
「そうよッ!! ブラザーにあーんしてあげるのはアタシ達なんだからッ!!」
「アンアン言わせてあげてもいいけどねッ!!」
多重放送で途方もなく下品なことを言うのは、華山梅と竹の双子兄弟だ。
凄腕のメカニックとドライバーである彼らは、首都高速に出没する車の霊を退治するときに
大いに役に立ってくれ、今回も霊を蹴散らしてくれた。
それだけなら良いのだが、彼らはどういうわけか龍介をいたく気に入り、
さまざまな接触を求めてくるのが怖ろしい。
悪夢が甦った龍介は危うく気を失いかけたが、
テーブルという物理的な壁があり、満員で席替えもできそうになく、
幸いなことに制服を着た暴虐は訪れそうになかった。
本気か冗談か判らない華山兄弟のたわ言に、ただひたすらに食欲を減退させられた龍介は、
呪言を追いだそうと強めに頭を振った。
そして顔をあげると、もう伊久が落下を阻止した肉は、伊久本人によって食べられてしまっていた。
落胆した龍介は、もう一度自分用に肉を焼こうとする。
しかし、頼んだ分の肉はすべて食べられてしまっていて、
もう一度注文しなおさないといけなかった。
とんだ手間だと嘆きつつ、店員を呼ぼうとすると皿が差し出されて、驚いて皿が来た方を見た。
「どんくさくて見てられないわ。さっさと食べなさいよ」
毒でも入っているのだろうかと疑ってしまったのは、彼女の善意が一度だけでも奇跡だというのに、
二度も続くとは、神が降臨するか、深海の底から邪神が目覚めるか、
三千光年離れた星からエイリアンが攻めてくる前触れででもなければありえなかったからだ。
「ああ、うん、ありがとう」
神の気まぐれか悪魔の誘惑か、どちらにしても仏の顔も三度、
この機を逃しては絶対にいけないと魂が囁いたので、
もう余計なことは言わずに皿を受け取った龍介は、伊久の手品さながらに、瞬時に肉を消した。
すると、さゆりがじっとこちらを見ているのに気づく。
「何見てんだよ」
「み、見てないわよ」
毒ではないにしても、わさびを裏にたっぷり塗ったとか、黒焦げの肉だとかを食わせたのではないか。
無罪を主張するさゆりを疑わしく思う龍介だったが、肉に免じて追及はしないことにした。
「まあいいや。それより、もっと肉ないのか?」
「焼いてあげるから、少し待ちなさいよ」
ごく普通のやり取りは、周りの喧騒にたちまちかき消されたが、
その実、言った方も言い返した方も、平静を保つのに並々ならぬ苦労を強いられていた。
およそ彼らの記憶にある限り、これほど穏やかかつ実りのある会話を交わしたのは、
初めてだったからだ。
惜しむらくは、この状態があと数分続いたならば、
二人の関係はもう少しマシなものになったかもしれない。
だが、一仕事やり遂げた後の宴会というテンションの高い舞台は、
龍介達に思春期の男女のような役割をいつまでもさせておかなかった。
「マスター、申し訳ありませんッ! 僕の作った武器の充電が切れてしまうとは」
テーブルにぶつけそうなくらいに頭を下げて龍介に話しかけてきたのは、浅間萌市だ。
彼は普段、たとえば深舟さゆりなどには聞こえないくらいの小声で話すのだが、
今はアルコールを摂取しているわけでもないのにやけに声が大きい。
話しかけられたからには応じるしかなく、龍介はさゆりの反対側にいる彼の方を向いた。
「ああ、今日は助かったよ。萌市が間に合わなかったらヤバかった」
「いえッ、マスターの武器も、プロトンガンもまだまだ改良の余地があります」
「しょうがないよ、あんな長い時間使うことは想定してなかったんだろ?」
「そうですが、戦場で弾が切れれば是即ち死です。実際にマスターは窮地に陥ったのですから、
二度とこのようなことが起こらないよう、アンチ・ゴースト・スティックの
強化プランを進めたいと思いますッ! つきましては、ぜひマスターにもアイディアを」
「そんな大げさなものじゃなくて、今使ってる奴の稼働時間だけ伸ばせばいいんじゃないのか?」
龍介が否定的なのは、萌市を暴走させると実用性はともかく、
持ち運びにはちょっとためらいが生じる、やたら派手な外見になりそうだからなのと、
そろそろ肉が焼ける頃ではないかと匂いが漂ってきているからだ。
萌市だってこの匂いを嗅げば食欲がそそられるだろうにと思うのだが、
集中し始めた萌市には食欲など些末な事柄でしかないようだ。
「もちろん稼働時間は大幅な増加を目指しますッ。
それに加えて、今回の経験をふまえて防御力を増加させる方向で
……ふむ、となると攻防一体型というのも面白そうですねッ」
幸いなことに萌市は思考に没頭しはじめたようだ。
こうなったら放っておけばいい、と龍介は改めて肉の方を向く。
ついさっきまで香ばしい匂いを漂わせていたはずの牛肉は、どこにもなかった。
「おい」
食欲の催促に声を尖らせて、龍介は頼んでおいたはずのさゆりに訊ねる。
「何よ」
返ってきたのは龍介に倍する鋭さの針だった。
萌市と話していた数分の間に、何が起こったのかというくらい変貌しているさゆりに、
戸惑いつつも龍介は、さらに強気で押した。
「何って肉はどこいったんだよ。焼いてたんじゃないのかよ」
「そんなの、とっくにないわよ」
「とっくにって何分も経ってないだろ!」
「最高の焼き加減を味わえるのはほんの一瞬なのよ。焼き加減を見逃すようなどんくさに用はないわ」
「こっの……!」
憤激のあまりにとっさに何と言い返せばいいか、言葉が出てこないでいる龍介を一瞥したさゆりは、
勝ち誇ったように鼻を鳴らすと反対側を向いてしまった。
さゆりに対する怒りも頂点に達した龍介だが、それよりも今は肉だ。
手近なところに肉はなく、急いで店員を呼んだ。
「は〜いッ、おまたせしました〜ッ」
角がついたフードを被り、牛柄のエプロンをした女性店員が愛想よくやって来る。
「肉、なんでもいいから肉持ってきてくださいッ」
龍介の魂の叫びを、女性店員は笑顔で受け止めたが、それは営業スマイルに過ぎないというのは、
続く発言から明らかだった。
「すみませんッ、今日肉終わっちゃったんですッ。
近くの大学のラグビー部と相撲部と野球部の人たちが来て、牛一頭分出ちゃって」
「えっ……」
「ウチもこんな日は初めてで、本当にごめんなさいッ」
申し訳なさそうな笑顔で手を合わせて店員は戻っていった。
すでにテーブルはイナゴが通り過ぎたような惨状を呈していて、
食べ物らしきものはどこにも見当たらない。
深いため息をついて、龍介は我が身の不幸を嘆くのだった。
龍介とさゆりから三メートルほど離れたところから、二人を眺める男女がいる。
店の在庫を空にする勢いで肉を食べる若者たちから、やや距離を置いた席に座っている二人は、
この集団の責任者ともいえる、伏頼千鶴と左戸井法酔だった。
スポンサー特権で不可侵領域を確保しているので、龍介たちのテーブルとは時間の流れが違う。
しかも二人とも肉より酒派なので、手元に肉は余っているのだが、
それを飢えた若人に与えようとはしなかった。
ジョッキを傾けながら、左戸井がつぶやく。
「おーおー、若いねえまったく」
「生焼けのピーマンね」
「あん?」
「青臭いってことよ。見てられないわ」
左戸井より一足先にビールを呑んでいた千鶴が、ジョッキを置いて論評した。
彼女に左戸井が応じたのは、空になったジョッキのおかわりを注文してからだ。
「だけど中々味があるんじゃねえのか?」
「珍しいじゃない、あんたが他人を褒めるなんて」
「そりゃあ、あいつのおかげでタダ酒呑ませてもらえるんだからなあ、
どれだけ褒めたって減るもんじゃねえし」
「あっちこっち走り回らされて文句言ってたのは誰だったかしらね」
千鶴と左戸井は嫌味の応酬をしつつ、ジョッキを豪快に傾ける。
未成年には決して解らない、ビールを一気に呑み干す快感を存分に味わった二人は、
まだ何か言い争っている二人を酒の肴に、さらに新しく来たビールを呑んだ。
「――で、お前から見てあいつらはどうなんだよ」
千鶴はジョッキを掲げたまま、職場で最も年齢が近い男を目だけで見やった。
この昼行灯が他人を褒めるのは珍しいが、他人に意見を求めるのはもっと珍しい――
ツチノコやヒバゴン級に、だ。
言葉を選んで、千鶴は答えた。
「あと十年もすればもうちょっとセクハラし甲斐のあるスタイルになるでしょうね」
そっちじゃねえ――左戸井は言いかけて止めた。
千鶴があえて韜晦した方には、そうされるだけの理由があるということだ。
やさぐれた大人の陳腐な予想など超えてしまいそうな、大きな可能性が。
左戸井は早くも呑み干したジョッキを顔の前に掲げ、龍介を見やる。
ぼやけて頼りない像に、口の端をわずかに吊り上げると、何度目かとなる店員を呼んだ。
「生中おかわり」
「ふたつよ」
ようやく意見の一致を見た二人は、陰険な笑みを交わすと、
若者たちの査定など全くしていなかったかのように、
彼らの主食であるアルコールの消費に精を出すのだった。
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