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タガーは、マンカスが見たことも無いような場所へ彼を連れて行った。大きな建物が並んで、ゴミ箱でもないのにそこかしこにごみが折り重なっている。
「そりゃそうだ。
ここ全部が、大きなゴミ箱みたいなもんだから」
「ここ全部?」
マンカスは目を丸くして周りを見渡した。
いくつものごみが折り重なって、まるで壁のように立ちふさがる。
遊び道具と、隠れる場所には事欠かない。
タガーは、子供をそこに残して自分だけ昼寝を楽しむつもりだった。
これだけ広い遊び場があれば、相手もしてくれない猫に興味はなくなるだろう。
「タガー!!
どこ!!」
悲しげな悲鳴が空をつんざく。
「あいつ、声でけぇ…」
昼寝を楽しもうと、誰にも見つからない物陰に隠れていたタガーも、思わず悪態をつく。
「タガー!!!!!」
タガーは頭を抱えた。
そしてあまりの面倒さに、思わず子供を残してその場を去ってしまった。
良心が無いわけではないので、教会へ行って置き去りにした場所を申告した。
まだ子猫と言っていいタンブルブルータスやカッサンドラからさえ、軽蔑の眼差しで見られた理由は、言うまでも無かった。
「タガーを…俺、何か怒らせることしたのかな」
「あいつはいつもああなんだ。気にするな」
「そうよ。タガーはね、見た目はおとなだけど子供なんだよ。だから、マンカスはたぶん、…っていうか絶対悪くないよ」
弟のタンブルと、すこしお姉さんのカッサンドラが慰めても、新入りのふわふわ子猫は目を真赤に腫らしたままだった。
今にも泣いてしまいそうだ。
「俺のこと置いてきぼりにして…二度も。
そんなことするの、やっぱりなんか怒ってるんだよ
そうじゃなきゃ、そんなことするわけない…」
家から連れ出されて、この教会へ連れてこられた。ニンゲンのママやパパや女の子と会えなくなったから、本当はとてもマンカスは寂しかった。
タンブルやカッサは優しいが、それでもママとは違う。
―――心配してるだろうな。
家族の顔を思い出して、マンカスは切ない。彼らはニンゲンで、マンカスは猫だから、本当の親子でないことはもう知っていた。けれど、毎日食事をくれて撫でてくれた手は忘れられなかった。
「タガーはいつもああなんだ。
だれか一匹をしつこいぐらい構いたおして、それである日突然飽きるんだ」
目じりをきつくしたタンブルブルータスが、忌々しそうに言う。
優しいカッサも否定しなかった。
「でも、タガーはちゃんと、迎えに行けるように貴方の居場所を私たちに教えてくれたんだよ。
だから、本当に悪い猫ではないんだけど」
女の子は、どうしても彼に点が甘くなる。
「タガー、明日は教会に来るかな」
「滅多に来ないな」
ささやかな希望を、タンブルが打ち砕く。
「タガーって、いつも何処にいるの?」
「さあ。どこにでも行くから。
本当は、そういう猫は珍しいんだよ。
でも、タガーはだれのナワバリにも入ってしまうから…」
カッサンドラは言葉を濁した。
マンカスは、それでもしつこく食い下がった。
「俺、明日もあいつに会いに行く」
「マンカス、あんなヤツ構うなよ」
「でも、家に帰るには、あいつに帰り道を聞かなきゃならないんだ。
だから、ぜったいとっ捕まえてやる」
ひげを震わせて、マンカスは決意した。
待っているのではダメだ。
追いかけるなら、自分から行動しないと。
「タガーはどこにいるか、私しってるわよ」
ボンバルリーナが口を開いた。
お転婆で男の子よりも快活な彼女が、今まで黙っていたなんて珍しいことだった。
「本当?」
「うん。近頃、ずっと野外劇場のほうへ行っているんだって。
ガスおじさんが言ってた。
目当ての女優がいるらしいって」
「へえ、そいつが今のタガーのお気に入りなのかな」
ぴるぴるとマンカスの耳が動いた。
「それ、どこ?!」
公園には、石造りの椅子が扇状に広がっていた。それに向かい合わせて、高くしつらえた舞台がある。
明日の本番に合わせて、舞台装置が組み立てられている。
素人役者が、本物の役者に指導されて、即席のシェイクスピア劇を演じる。そのための、準備が進められている。
見渡しても、タガーの姿は見当たらなかった。
マンカスはひとりでここに来てしまっていた。
街中の劇場なら決してひとりでは行けないが、公園くらいなら…
そう思って、黙って教会を出てしまった。
「やっぱり、街の劇場のほうにいるのかなぁ」
ニンゲンのいそがしく立ち働く舞台を見つめながら、白と黒の縞模様の猫が椅子の影に隠れていた。会いたい猫をどうやって探せばいいものか、とりあえずマンカストラップは隈なく歩き回ってみることしかできない。
姿を見られたら、おそらく逃げられてしまう。
だから、こっそり近づいて捕まえよう。
姿勢を低くして耳を後ろに寝かせて、警戒しながら歩くマンカストラップは、その場に居る人間の視線を高い確率で独占していた。
役者たちに混じって、舞台に上がっている猫がいた。
タガーではないが、同じくらい綺麗な猫だった。
たぶん、彼女がタガーの執心している相手なのだろう。
―――彼女に聞けば、タガーがどこにいるか教えてもらえるかも。
けれど、彼女の美貌は親しみやすさとは無縁で、子供のマンカストラップを気後れさせた。
むしろ、彼女に見咎められないように、マンカスは舞台から離れて傍らに停められたキャンピングカーに近づいた。
舞台の小道具や衣装が入っているのだろう、木の箱の陰で、怒鳴り声が聞こえた。
大人同士の喧嘩だろうか。
マンカスは、何気なくそちらを覗きに行った。
そこにタガーが居た。
犬のように怖そうな猫の前に、タガーはいた。
ゆらりと腰で立って、馬鹿にしたような笑みを口元に浮かべている。
知らない猫は、襲い掛かる瞬間のように身を沈めている。
「調子にのるな!
思い知らせてやる」
「はぁ?
誰に言ってんだよ。できるもんならやってみせてみろ」
タガーは自信満々で、見せ付けるように、彼しか持たない豊かな鬣をかきあげてみせた。
「タガー!!
見つけた!!!」
白い毛玉が転がり出る。知らない雄猫の、股の間を潜ったマンカストラップは、遠慮なくタガーに抱きついた。
「てめぇ…!
なんでこんなところに。
保護者はどこだ保護者は」
「いないよ、一匹で来たんだ。
捕まえた! もう絶対放さない。
家に帰してよ!!」
「なんで、今なんだよ…」
タガーが、動揺した声を漏らす。
彼にこんな掠れ声を上げさせた猫は、とても少ない。
「あのさ、わりぃ。こいつが来ちゃったから、また今度ってことで…どうよ?」
自分の片足を抱え込む子猫を指差して提案したが、却下された。
「ふざけるな!
何度逃げたら気が済むんだ!!
今日は餓鬼をだしに使うのか。どこまでふざけた野郎なんだ」
今日も馬鹿にするだけしたら逃げ出すつもりだったタガーは、ぎゅっとまつわりつくマンカスを捨てていくわけにもいかず、途方にくれる。
この前のアレは、さすがに悪かったと彼も反省しているのだ。
逃げ出す方法はない。
タガーは、見た目だけはよりいっそう挑発的になった。
牙が露出するほど嘲笑を深くし、顎を上げて相手を見下す。
煽られた相手が低く唸る。
「かわいい弟分のまえで、血反吐吐かせてやる」
「やってみろよ、かわいこちゃん」
大型犬を猫にしたような獰猛な雄が、タガーに襲い掛かった。
マンカスは泣きじゃくっていた。
雄同士の喧嘩など、間近で見たのは初めてだ。
しかも、あんなに一方的な。
「あー。キモチイー」
タガーの豊かな毛並みは土に塗れて縺れている。
黄金色に泥がしみこみ、灰色に汚していた。
体中傷だらけで、特に指はひどい怪我を負っていた。
喧嘩に強くないのだ、彼は。
「ごめんなさい。俺が、来たから、タガー攻撃できなかったんだ」
「あー…。
いや、お前がいなくてもあんなモンだ。気にすんな」
起き上がって痛みに顔をしかめると、タガーはもう一度叫んだ。
「キモチいーぜ、畜生!!」
ニンゲンの足音が近づく。
こんなところに長居していてはいけない。
そう思っても、タガーが動けるのかマンカスは疑問だった。
「本当に気にすんな。
殴られるのはなれてっから、治るのも早いんだよ、俺は」
「でも、こんなに血が…」
「まぁ、これでおあいこか。
お前の足の傷は、すっかり良くなったみたいだけどな」
タガーは、マンカスを抱き寄せると軽々と肩に担いだ。
本当に、見た目よりダメージは少ないらしい。
「タガー、どこに行くの?」
「お前の家に帰してやるよ」
それが目的だったはずなのに、マンカスは喜べなかった。こんなふうに、彼を傷つけてまで目的を達したかったわけではない。
あの雄猫がどんなにタガーに腹を立てていたのか知らないが、「あんなやり方は間違っている。」
「お前も変わってるな。
猫ってのは、そういうもんだろう。
頼りになるのは、腕力だ」
「でも、タガーは弱いから、それじゃ困るじゃないか」
タガーは笑った。
「こまらねぇよ。
自分のしたいことさえ定まってりゃ、どんな邪魔があろうとかまわねぇ。したいことをするだけだ。したくないことでも同じだな。
絶対にしねぇ。
誰かが、俺になにかをさせたくてうずうずしてても気にするかよ。
そいつの力が強かろうと、弱かろうと…美しかろうと」
いまいましい美貌の雌猫を思い出して、タガーは心底嫌悪する。
今日、自分を叩きのめした雄猫の裏では、彼女が糸を引いているのだろう。どんなにされようと、飼い猫にも奴隷にもなるつもりのないタガーは、性悪女の居る場所へはますます足を向けなくなるだけだ。
彼女の性悪さが、今までないほど長くタガーを魅了していたのだが、今となっては石の裏で蠢く湿った虫けらに等しい。
マンカスは硬い声で言う。
「俺はぜったいタガーに、自分の言うこと聞かせようなんてしない」
「そうか」
「だから、友達になろう。な!」
「…友達ねぇ」
「うん。俺が強くなったら守ってあげるから、タガーがタガーのまんまでいられるように…」
「あのさぁ」
苛苛した声が、健気なマンカスの誓いを遮った。
「俺な、俺のことを好きなヤツが一番嫌いなんだよ」
マンカスは何を言われたのか、言葉の意味が理解できなかった。
それからは黙って、タガーに揺られて家に帰った。
教会への道を見失わないよう、今度こそ帰り道には目を凝らしていた。タガーが、二度と自分からマンカスに会いに来る事はないということが、子供心に分かっていた。
『性悪』