コビト様から頂いたイラストです。コビト様、ありがとうございました。
以下の文章には流血表現等が含まれます。ご注意ください。
木の上で、花がきらきらと散っていた。

「お前、『海軍』に配属されたって本当か?
船に乗るほうの……」

海軍は二つの組織に分けられる。
海岸付近で海賊と戦う、船乗りたちの『海軍』と、王国陸軍の下部組織として本営に名前を連ねる実体のない海軍。
言うまでもなく、軍部の本流として認められているのは名誉職としてある後者の王国海軍だ。

前者に配属されたのかと問い詰められ、マキャヴィティはあっさり頷いて見せた。

「ああ。今日には司令部の人事局へ出向いて正式な令を受け取ってくる」

友人は、マキャヴィティの足もとに向かって大きく舌打ちした。同じ学び舎で過ごした仲間ではあるが、唾を吐かんばかりにして、遠慮なく詰る。

「お前、どんなへまをしたんだよ」
「別に。ただ、先生に、以前から打診されてはいた」
「それ、本当か」

校庭は人影もなく静まり返って、散る花だけがにぎやかだった。
下士官学校には多くの生徒が在籍している。友人とマキャヴィティは昨日ここを卒業したばかりだが、彼らの後輩は今日も変わらず厳しい教練を受けているはずだ。それなのに、まるで友人とマキャヴィティは二人きりで広大な校舎に取り残されたようだった。あまりに静かで、ただ風に花だけが散らされる。

風が沈黙を吹き払う。

「お前以外のやつは、うまーくのらりくらりとかわしてたんだよ! だから今日まで、たった一人の配属もなかったんだ。お前も、なんで断らなかったんだ…」
「俺は、最初からどこでも行く気だった」
「だから先生も、仕方なくお前に嫌な役割を押し付けたんだ。お前のことを、あれだけ可愛がっていたくせに…。
 お前なあ、ちゃんとわかってんのか? せっかく戦争のない時代に、保障充実資格取り放題の軍隊へもぐりこんだのに、なんでわざわざ『海軍』なんかに入らなくちゃならないんだよ。知ってるだろうけど、あそこはこの平時にあって唯一、かーなーらーずー実戦をさせられるところなんだぞ」
「軍隊なんだから、戦うこともそりゃああるだろう。
陸軍に入ったって、戦争が始まったら前線に送られるかもしれない。今はたしかに平和だけど、俺たちがじいさんになるまで絶対に戦争がないなんて誰にも保障できないだろう。王様にだって、約束できない」
「そりゃそうだけどなぁ、わざわざ今、戦争をおっぱじめることもないだろうに」
「いずれは軍隊に入るって、約束でいままで好きなだけ勉強させてもらっていたんだ。これからは国に恩を返すさ」
「だから断らなかったのか。お前らしいけど、でもな、」
「やめろ。もう、言うなよ。いくら俺だって、落ちこんじまう」
「…そっか。お前、ちゃんとわかってんのか…」

陸軍司令官は軍部総帥を兼ねる。
陸軍が軍部の中枢を握るこの国にあって、『海軍』に配属されれば一生出世とは縁がない。それなのに、唯一命をかけて働かなければならないのも、また『海軍』なのだ。
貧乏くじで無くてなんだろう。

「それでもいいさ。
いずれ武器をもって戦わなくてはいけないのなら、それがいまであってもかまわない。これからは、実戦でいままでの知識を試すだけだ」

友人は、お前はバカだというふうにまた舌打ちしたけれど、マキャヴィティが心底いたたまれないと思うのは気の良い彼の心配そうな顔だった。

父も母も、泣きだしそうにマキャヴィティを見送った。
慎みから口には出さないけれど、打ち消せない想いが「どうして」と彼らの表情をゆがめていた。
なぜ、自分たちの息子だけが、剣を血に染めて戦場の泥沼に足を踏み入れなくてはならないのか、と。そういう約束で国の学校に預けた息子ではあったけれど、他の家の子息は皆無事なのに、たったひとり自分たちの息子だけが、何故、と。

内陸部にある両親の家から出て、海岸近くに部屋を借りたことは、だからかえってよかったのだ。毎朝、彼らの悲憤を背にして出かけずに済んだのだから。家を出るとき、兄弟だけが笑って別れを告げてくれた。彼らがいてくれて、マキャヴィティは本当に救われた。両親を頼むと、頭を下げられる相手がいたことは幸いだった。





内陸部に膨らみ、海へ向けて細くくちばしを伸ばした格好のこのアジアの小国で、ギルバート隊長が率いる海軍基地があるのは領地のうちくちばしの根元に当たる部分だった。
細長い陸地を海に浮かべる半島と、大陸との境目に海軍兵学校も兼ねた大きな建物がある。建物としては下町の民家と比べて桁外れに大きい。けれど国立海軍の唯一にして実質的な基地としては、小規模にすぎる。

彼らの暮らす町は、嵐の日には波をかぶりそうなほど海に近い。街中のどこにいても海風が、塩辛い匂いを運んでくる。

マキャヴィティは、いつものように波音に目覚めさせられた。
ぱちりと目を開けると、もう夢の余韻は残ってはいなかった。

――お前、どんなへまをしたんだよ

共に学び、チームメイトとしてひとつの籠球を追いかけた学友の、深刻そうな顔つきを思い出してマキャヴィティは眉をしかめる。寝床から飛び起きて朝の支度に取り掛かった。

髭を当たり、階下に降りて同じ下宿に住まう人々と気軽な挨拶を交わしつつ、朝餉の火を明々と熾した共同の台所で、マキャヴィティも簡単に朝食を済ませる。
早い時間にもかかわらず、からりと陽が照りつけて、額がじりじりと暑かった。冷たい水に手を浸し、洗濯もついでに済ませたけれどもそう長い時間はかからず、マキャヴィティはする事を無くして道に立ち尽くした。
とぼとぼ自室に戻り、首をめぐらせれば狭い部屋なのですべてが視界に収まった。粗末な寝台、簡単な衣装箱。転がらないように、鍋の中へ放り込まれた籠球。それ以外には、何もない。
今すぐここを出れば、余裕をもって職場にたどり着けるだろう。けれど、結局マキャヴィティはぐずぐずとその場に留まり、定められた時間へもう間に合わないというころになってやっと外へ足を向けた。




もう間に合わないと思いつつ、15分前に職場についてしまった……
ぼんやりしがちな頭を、仕事に切り替えたい。長い廊下を早足で歩いた。風が頬に強く当たって気持がいい。着替えも、手早く済ませた。弓避けに作られた頑丈で重い胸当てを鎖骨に背負い、掛け金をきっちり嵌める頃には、よけいな雑念はいつのまにか消えていた。

ここでのマキャヴィティは下士官ですらなく、一介の兵卒にすぎない。いくつもの実戦をこなした同じ部隊の隊員たちから見れば、下士官学校卒の肩書きなどそれこそ取るに足りないものだろう。それは、戦場で命を守る盾にはなってくれない。
だからこそ、マキャヴィティは身体訓練をおろそかにしたことはなかった。操舵技術も持っていない。武具や装備の手入れも、二人がかりでなければ動かせない大砲の、照準を合わせるのも息をするようにこなす古隊員たちに比べれば、マキャヴィティはいかにも頼りない。

けれど、それはいつか埋められる差だとマキャヴィティは思っている。それも近いうちに、必ず。努力もいやではない。
曇りひとつなく丹念に磨いた刃を携えて、マキャヴィティは訓練場へ出ようと踵を返した。身体を動かすことは好きだ。

男性専用の更衣室から出て、いくらもしないうちにランペルティーザに呼びとめられる。

「呼ばれているよ」

雑念を追い出したはずの胸に、またむかむかと熱が込み上げる。近頃馴染みの胃痛が、またちくちくと存在を主張しはじめた。

「誰に…」
「言うまでもないんじゃない?
 他の誰かに呼ばれていたら、あたしはちゃんとそいつの名前を先に言うよ」
「これから訓練があるから…」
「剣? 船のあつかいとかなら、隊長にうまい事いって誤魔化してあげるけど、体術とか一般教養なんかは別にいいよ、抜けても。だってマキャヴィティ、もともと剣も戦術も勉強もすごく得意じゃない」
「いや、俺は…でも仕事だし」
「あの人の機嫌を取るのも仕事のうち……」

と、口の中でもごもごするランペルティーザも納得いかない顔だった。
なんで血税払って雇ってる大の大人(軍人)を、陽も高いうちからたった一人(こっちも軍人)のご機嫌取りに差し向けなきゃならんのよ。計二人分の軍事費の無駄づかい。したっぱがそう思ってみても、仕方がない。上官の命令は絶対だ。

こんな小さな少女に、軍隊と上下関係のもたらす世の中の矛盾について問い詰めても、なんにもならないと気付いてマキャヴィティは逍遥とギルバート隊長の待つ執務室へ出頭したのだった。

他の部屋とあまり変わらない、簡素な意匠のドアをノックすると、猛々しい声が答えた。

「入れ」

失礼しますと呟いてから、マキャヴィティは一瞬迷う。ちくりと疼いた腹を庇ってそこに手を当てようとしたとき、指先が堅い感触に阻まれて自分が対戦用の防具を身につけたままでいたことを思い出した。

思い切って、扉を開く。ずくんと胃が引きつれる。
思いのほか若い隊長が、マキャヴィティを待ち受けていた。

「よう」
「おはようございます」
「ああ、今日の演習は剣技か? それとも、体術?」
「剣のほうです…あの」
「じゃあ、時間あるな。別にお前なら抜けてもかまわないだろう」
お前、剣は得意じゃないか、他のやつらと同じ基礎訓練にまで参加しなくていいだろうと決め付ける。

そう言うギルバートは、マキャヴィティが他の隊員に頼み込んで船の操舵を教わっているときも、代わりに戦術の講義をしてやっているときも遠慮して自分の意思を通さなかったことなどなかった。
マキャヴィティは腹のなかで必死に反抗する。
頭のなかでぐるぐる渦巻いている断り文句のうち、どれか一つをなんとか選んで口にしようと息を吸い込む。

「基本が大事…」
「港に旅の一座を乗せた船がついた。すぐに行くぞ」
「それはどうかと思います」
「なんだ! 他のやつらに遠慮してんのか。本当にマキャヴィティはお人よしだなあ。俺のお気に入りなんだから、それらしく振舞っていいんだ。新入りだからって、あいつらに遠慮することないんだぞ」
「違います!」
「じゃあ今すぐいくから、それを下ろせ。
本当は軍服のほうが見栄えがいいんだけど、しかたないなぁ」

お前が悪いという顔でマキャヴィティを見下ろすギルバートは、もうしっかり襟の高い礼服を身につけていた。丁寧に染色された生地は見た目より軽く上質なもので、胸元に並ぶ略章だけでなく仕立ての形も、一般兵のそれとは少し違っている。
いつも彼は、首もとの緩い涼しい格好で執務室をふらついている。軍服をきちんと着付けるのは、誰かに見せたいときだけだった。

「今すぐそれを脱げ。早くしろ。早く!」

ギルバートはマキャヴィティの装備をぐいぐいひっぱる。下にひっぱって脱げるものではないから、マキャヴィティは部下としての礼節をもって迂遠にギルバートを宥め終わるまで、肩に食い込む重さと痛みに泣く事もできず耐えなくてはならなかった。