「お前、なにしてるんだ」

自分は、ぽかーんと口をあけていたかもしれない。
なぜなら、こっちを見たあいつも、釣られたように口をあけたからだ。

一瞬ならず、二人で黙り込む。

「会えてよかった、です。
家族が、ぜひ隊長にお目にかかりたいと…もし失礼でなければ、拙宅へご招待したいのですが」
「なんで……ここがわかったんだよ」
「ここらへんで一番有名な歓楽街は、ここです。それでも、店はいくつもあるし、どう探したらいいのかわからなくて、昨晩はずっとうろうろしてました」

花街を貫く目抜き通りには、始まりにいかつい大門が建っていた。田舎者なら、そこを目印にして花街を探す。だから、ここをずっと張っていたというのなら、彼の読みはしごく的を射ていた。

「狭いところで、ろくなおもてなしもできませんが…ぜひ隊長にお越しいただきたく…」
「…そうか。お前、一晩中俺を探してたのか」

いつもは涼しげなマキャヴィティの目元が、今はまぶたが赤らんでいた。目配りもどこか鈍く、眠そうだった。軍服はさすがに着替えていたが、彼は自分と同じくらい、くたびれて汗じみていた。

「そっか。…しかたないなぁ。そんなに言うなら、お前と一緒にお前ん家に帰ってやるよ。お前の親不孝を、俺も一緒に謝ってやるな」
「それだけは、本当にやめてください」

寝不足のせいだろうか。急に紙みたいに顔色が失せたマキャヴィティに、肩を貸してやりながら、彼の実家に向かって歩き出した。朝方出発して、着いたのが昼過ぎ……こいつ意外と田舎者だ。




マキャヴィティの実家まで、山を踏み分けへとへとになるまで歩かされた。到着すると、昼飯を食べる余裕もなく自分は倒れこんだらしい。夕飯まで一度も起きることなく、眠り続けていたとか。

目覚めると、小さなマキャヴィティの兄弟たちが頬をくっつけあいながら顔を覗き込んでいた。
彼らに手を引かれ、決まり悪く思いながら居間へ行くと、きちんとした紳士と、やさしそうな伯母さんがあわただしく立ち上がった。

彼らが、マキャヴィティの両親だった。

マキャヴィティの家は、大きくも小さくもなかった。
ただ、家族が多いので、少しだけ実際より小さく感じたかもしれない。

子供たちの上げる笑い声に包まれながら、夕餉を平らげ、一杯の杯を干す。マキャヴィティは家でもおとなしいようで、しきりに話題をなげかけてくれる両親に対し、口数少なく受け答えるか、ただ微笑を浮かべていることが多かった。

代わりに、自分が彼らを笑わせようと一生懸命になってしまった。たぶん、ご両親は息子の上司にものすごく好感を抱いたに違いない。よかったよかった。

子供がいっしょでは落ち着かないだろうからと、夕飯の後にご家族は家の奥に引っ込んでしまった。家の前面の、一番涼しい場所に、マキャヴィティが寝具をもって現れた。

星空だけは、降るように美しい。
家をとりかこむ木や植物が、涼風を生み出す。
風が行き渡るように、壁というものはほとんどない。代わりに、立った人間の腰のあたりの高さまで、格子をはりめぐらせている。よく乾燥させた細い葉を、ただ上下に渡すだけでなく、美しい模様を描くように編み上げる。家の明かりはずっと遠くまで漏れていただろう。

丘の向こうにある隣家の明かりが、手に取るように見える。

夕飯は美味だった。ほんの少々の酒と、それがもたらす酔いが、心地よく身体を包み込んでいる。昨日、というか今朝か。まったく酔えなかったのが、嘘のようだ。

「お前、兄弟が多いんだな」
「普通だと思います」
「そうか?」
「はい」

彼のそっけない言い方も、いつもより気にならなかったのは酒のせいだろうか。

彼は、手際よく風のあたる場所に床を延べて、枕元にもう一杯の酒を用意した。
いつもならすぐ出て行きそうなものを、膝をついて座りなおす。

「今日は、あの…申し訳ありませんでした」
「いや」
「わざわざ、来ていただいて……。家族も喜んでいます」
「そう堅苦しくなるなよ。
お前がきて欲しいっていうなら、俺は最初から宿屋なんて取らなかったのに。お前だって、そのほうが俺を探す手間がなかっただろう?」
「両親が、……隊長がいらしているのに、私だけ帰ってきて、隊長をお呼びしないのは失礼だと……」
「なんだ。…お前が呼びたかったわけじゃないのか」
「隊長?」
「もういい。出てけよ」
「あ、はい」

マキャヴィティは、馬鹿みたいに素直に立ち上がった。彼の履物の裾を握る。

「馬鹿! お前本当に馬鹿!」
「え? 隊長?」
「お前ほんっとうに馬鹿! 嘘でもお前が呼んだことにしとけば、俺だってお前のこと可愛がってやったのに」
「あの…離してください」

履物は腰の部分に紐を通してあるから、ひっぱられても落ちてくることはない。けれど、強く握られれば皺もよるし、部屋から出て行く事もできない。マキャヴィティは困惑していた。

「昨日だって、俺のことずっと探してたのかと思ったら、なんてことなくて、ただ単にお前のど田舎からマハーナコーンまで往復するのに時間がかかったってだけじゃないか。お前、俺のこと探してなんていないんだろうが!」
「いえ、一時間くらいは門のところでずっと待ってました…」
「たったそれだけ?! 俺が一晩中いらいらしてたのに、お前ときたら一時間であっさり俺を見つけたわけか? こんなことなら、もっといっぱいあそこで遊んでおけばよかったー!!」
「いや、あの……」
「俺なんて、お前が玉遊び目当てに軍隊に入隊したことを、あんないい親御さんに黙っててやったのに! 俺の良心がどんだけ痛んだかお前に分かるか!!」

ぼたりと、部屋の外から何か音がした。
マキャヴィティは、なりふりかまわず裾を掴む手を蹴り払って、部屋の出口に顔を突っ込んだ。

「母さん…」
「あの、これ……隊長様に食べていただこうと思って……」

四角く切り取られた出入り口には、ドアもない。
そこから、果物のたっぷり乗った籠を差し出す、細い腕が見えた。
おそらく、先ほど音をたてたのは丸い果実だろう。廊下に落ちて、不用意な音をたてた。

マキャヴィティは、ありがとうと呟いた。果物籠を手に、悄然としてもどってきた。震えているのか、籠の上の果物が細かく踊っている。一つがこぼれて、床に跳ね返った。やはり、ぼとりと音がする。

「わるい……本当ごめん……」

マキャヴィティは、無言だった。
二人で向かい合い、もくもくと果物を食べた。




マキャヴィティが家族のいる部屋に帰りたがらなかったので、その日は一つの床をわけあい、二人で背中を向けあいながら横たわった。
確かに、今戻っても針のむしろだろう。まあ、次の里帰りがそうなることはどうしようもない。

空の果物籠は、へたや皮にまみれて足元に転がっている。
背中合わせになりながら、もう一度謝る。

「ごめん……」
「……」

こいつ、うっとおしいヤツだ…。

マキャヴィティは何も言わなかったが、無言の威圧はすさまじかった。
第一印象ってあてにならない。
思ってたより、こいつは小心者だし、小物だし、うっとおしい性格だし、いいのは外見だけかもしれない。

「ごめんってば」
「……もう、結構です」
「なんだよ! どうせ俺が言わなくてもばれてたよ! だって本当のことじゃないか!」

ぎろり。
マキャヴィティはわざわざ起き上がって、そんな感じにこっちを見下ろした。もちろん睨み返す。

こいつは、器の小さな男なんだ。親切じゃない。

俺は優しくない人間は嫌いだ。
俺の町に帰れば、俺のことを好きなやつはいっぱいいる。なんで、俺のことを嫌いなやつとかかわらなきゃならないんだ。そんなの時間の無駄だ。

「もう、お前のことなんて知らないからな!」
「そうしてもらえれば、私も助かります」

マキャヴィティは鼻で笑う。そんなこと、できるわけないとでも思っているのだろうか。馬鹿な。俺はお前以外の全員に好かれてる。

「お前って本当に暗いな! もう、俺は寝る!」

ちっとも眠くないのに、無理矢理目をとじると、虫のやふくろうの鳴き声がいやに耳についた。背中が熱い。

背中ごしに、怒った気配がじりじりつたわってくる。

帰ったら、もうマキャヴィティになんてちっともかまってやらない。声もかけてやらん。

そう決心して、しかし、どのみち首都から海辺の町までの長い道のりは、二人きりで旅しなくてはならないのだった……。



『城の上、風は止まる』
2009.04.06