マキャヴィティを宿屋から追い出して、美姫の集う悪所に向かったのはその日の早朝だった。
終わりかけの花街を、金に飽かせて叩き起こすと女達はともかくとして、もうすぐ休めると思い込んでいた裏方の男たちはいつまでもばたばたとあわただしかった。

ありあわせの酒と食事を、眠りの代わりに詰め込む。朝からの疲労は癒すすべもなかったはずだが、目が冴えて少しも眠くならなかった。

「どうしたの。何か、嫌なことでもあった?」
「別に…」

陽気に騒いでいるつもりなのに、人を見透かすようなことを言う。女の髪飾りが、とろりと金色の光を弾いた。
彼女たちの手管だと知っているが、濡れたような漆黒の瞳に、つい引き込まれそうになる。

ここへは、あいつを連れてくるつもりだった。
二人分の金額で飲み明かす勢いで、手当たり次第に注文する。それでまた、壁の向こうにある厨房が煩くなる。

「ねえ、旦那。派手にやってるけど、お花代は大丈夫? ここには綺麗な女たちだけじゃなく、怖いお兄さんもいっぱい揃っているのよ」
「嘘が売り物の花街で、ずいぶん親切な忠告だな。俺に惚れたか」

女は含み笑いした。

「ずっと前に、あなたがここへ来たときのことを、覚えてるだけ。旦那はまだ小さくて、可愛らしかった」
「…おどろいたな、あの時のことを覚えている女がまだいたなんて。何年前のことだ? あの時からここに巣食っていたとしたら、お前、存外ババアだな」
「うふふ」

財布をまるごとテーブルに投げ出してやった。
重たげな音をたてながら、財布はうまいこと酒盃の合間に落ちた。
女のしなやかな指が手際よく紐をほどき、丁寧に中身を数えていった。しなやかな白い指は、柔らかそうだった。

「ああ、やっぱり。あなた、ここはね、あのときより少しばかり高級なお店になったのよ」
「なんだと」
「都はそういうところよ。めまぐるしく変わるの。……少し足りないけど、私がなんとかしてあげる。袋叩きにあわないように、助けてあげるわ。子供のころのあなたに免じて、ね。
お帰り、ぼうや。おやすみなさい」




体よく店を追い出されたころには、東の空が明らんでいた。
じわじわと蒸し暑さがこみあがってくる。服を、昨日から一度も着替えていない。仕立てのしっかりした布地がさすがに汗じみて思えて、ついクンとにおいを嗅いでしまう。旅支度がいやに重い。
財布だけは、空っぽだった。

「寝るか」

宿屋に戻ろうと歩き出し、昨日のマキャヴィティとの会話を思い出す。

『今は、公務中ですから』

いいから、お前はつべこべ言わずに実家に帰れ。

『でも、休暇を頂いてるわけではありませんから…』

どうしてそう融通の利かないことを言うんだ。馬鹿じゃないか? 近くに来たんだから、家に顔を出してついでにメシ食って泊まってくくらいでなんだよ。警察が来るのか? 軍をクビになるのか? バレなきゃいいんだよ。

『……』

この宿屋を出て、その金で遊びにいくって俺は決めたんだから、お前が実家に帰らないんなら野宿でもなんでも勝手にしろ!

そこまで言って、初めてマキャヴィティは荷物をまとめだした。

『隊長…本当に一人で大丈夫ですか。ここには、馴れていないんじゃないですか』

馬鹿にするな。
お前と一緒にいるくらいなら、ひとりでいたほうがずっと気楽だ、とは言わなかった。

『親孝行してこいよ』
『……ありがとうございます』

嬉しいはずなのに、陰気な顔をしたマキャヴィティと宿屋の前で別れた。あいつの実家がどこにあるか、本部から回されたやつの身上書には書いてあったはずだが、当然覚えているわけがない。

野宿か。
別に、慣れてる。野犬と虫に注意すれば、特になんということはない。

が、軍服は問題だ。ちらりとでも荷物からはみ出していたら、やっかいなのに絡まれかねない。着替えるにしろ、人気のない今のうちになんとかしないと…捨ててやろうか。

マキャヴィティとは、三日後に船着場で会う手はずになっている。宿屋で別れるときに、財布の中身を半分渡していた。あの性格だから、金を全部使い切って手ぶらでやってくる心配はほとんど、いや、絶対ない。帰りの道のりは、旅費をきりつめればなんとかなる。問題は、あいつにあうまでの二日間だ。

街では、早々に朝の支度が始まっているらしい。空に、かまどの煙が上がり始めている。まだ太陽すら上りきっていないのに、ご苦労なことだ。

陽射しの強い二昼夜を、飲まず食わずで過ごす、か。

昨日からの疲労が、急にどっと足にきて、思わず座り込んでしまう。
じわ、と熱いものが喉元に込み上げてきた。鼻が、つーんと痛む。

船着場までの道のり、それも、徒歩でなんとか移動しなければならない。二日後に会ったとき、垢じみた格好をしていれば、あいつは何かあったと気付くだろうか。

あいつに憐れまれたり、さげすまれたりするのはごめんだ。
目元をごしごしこすってから、荷物を抱えて立ち上がった。

どこへ行こうか、思案しながら、花街を出ようとしたとき。
場違いにきらきらした金髪が、右往左往してるのをみつけた。