マキャヴィティ以外の、すべての人間が盛装している。

マキャヴィティは、ボタンで留める西欧式の軍服を着ていた。しかし王宮の近衛兵たちは、襟が高く、裾の長い上着を豪奢な飾り帯で留める昔ながらの民族衣装を纏っていた。王族に近いエリートであればあるほど、また王族に近しい軍人ほど、マキャヴィティの今着ているようなお仕着せの軍服などに袖を通さない。

彼らの衣服が色とりどりなので、城内はいかつい男たちが雁首をそろえているくせに、華やかで美しかった。

そのなかで、唯一、丈の短い上着なんかを着ているマキャヴィティの疎外感ときたら、すさまじいものだった。国から支給された軍服は、けっして粗末なものではなかったのだが…。

ギルバートも、『海軍』宿舎でのふだんの軽装を思わせない、美々しい衣装を調えていた。海のように青いそれは、ギルバートの鼻っ柱を今までになく強く見せている。
将校、提督が臨席する華々しい祝賀の宴は、ギルバートの武功に報いるために張られたものと思われた。しかし、グロールタイガーを討った報告と手柄をあげに、宮殿へ出向いた彼を待ち受けていたのは敗北と屈辱のみであった。

「グロールタイガーを討ち取ったのはお前のような卑しい無名のものではない。れっきとした我らが提督だ」
「たとえ事実がどうであろうと、そうでなくては困るということですか」
「今の言葉、軍法会議ものだぞ。覚悟はあるのか?」

マキャヴィティがギルバートへ救いの手をさしのべられるはずもなく、身分違いの相手にくってかかるギルバートのうしろで、はらはらしながら顔を伏せていることしかできなかった。脂汗が、顎から床へ滴り落ちる。

「提督さま。そろそろ、お時間です」

涼やかな女の声が、ギルバートの窮地を救った。
救ったかにみせて、地獄に叩き落したのだろうか。

宝石や絹で飾り立てた女が、高みから彼らに微笑みかけていた。
貴族であり、海へ出た事もないはずの海軍提督の手に、なぜかギルバートが討ち取ったはずのグロールタイガーの印章が握られている理由。かつてギルバートの愛妾として侍った彼女が、ギルバートから掠め取って名ばかりの提督へもたらしたのだろう。

グリドルボーンは見事な髭を蓄えた、海軍提督の腕を取った。彼女の身につけた黄金は、彼女が息をするわずかな動きにもきらきらと光った。港町で歌っていたとき、白い服を好んだ彼女は、細い指輪ひとつ身につけるのも厭わしがった。腕輪も首飾りも、拘束されているようで息が詰まると、ギルバートからの贈り物をすべてつきかえしてきた。
今は、美貌が宝石の輝きにかすんでしまいそうなほど着飾っている。痛々しいほどだった。

海賊グロールタイガー討伐の栄光と、彼女はギルバートのものにはならなかった。

跪いていたギルバートは裾を払う事もなく立ち上がり、軍人達の居並ぶ中を退出していった。彼を追おうとしたマキャヴィティだけが、中尉の階級をもつ男に呼び止められた。




城壁のように城をとりまく外郭の建物は、尖塔の屋根こそ金色に塗られていないが、白亜の外壁が美しい。そこここに備え付けられた守り神の像、壁画。複雑なモザイクを艶のある石で描き出した祝宴の大広間を出て、マキャヴィティは中尉の後へ着いていった。

通り道に、さっきいた場所より少しだけ粗末な、そして人気のない広場を通りぬけた。

ギルバートの率いる海軍への赴任令を受けとってのは、そこではなかっただろうか。マキャヴィティはなつかしく思い出す。花の散る春だった。
良い思い出はない。

明かりが落とされ、ひっそりと静まり返った大広間を横目に、もっと奥まった場所を目指す。なぜ、これほど長く歩かされるのか。そして、ギルバートはどうしただろう…。

なぜギルバートではなく、自分が呼び止められたのか? 心当たりがない。

ひょっとして、ギルバートの率いる地方の海軍へ飛ばされたときと同じように、中尉どのから紙切れ一枚の赴任令を受け取るのではないか。そうしたら、海軍を出られる……虚しい期待を、刹那、マキャヴィティは抱いた。
ギルバートにつけられた傷が、ずくりと疼く。服の上から右肩を押さえると、包帯の固い感触がある。癒えきらない傷。そこには、ギルバートのつけた歯型がくっきり刻印されていた。

――ギルバートの側を離れられるなら、たとえそれが前線だってかまわない。

しかし、この期待は叶えられることがないだろう。
出るべき戦場は、今のところ海の上にしかない。それはすなわちギルバートの隣だ。もし隣国を踏み越えて西欧諸国が攻め入ってくることがあれば、また違っただろうが……幸いにも、祖国はいまだ千年の安寧にまどろんでいた。
今、この国で、ギルバートほど血の匂いをさせているものはいない。

「こっちだ」

中尉どのが開いた何の変哲もない扉の向こうには、驚くほど明るい部屋が広がっていた。




「報告ですか?」
「そうだ。ギルバート分隊長の動きだ。仔細もらさず報告したまえ」

民族衣装の胸に、階級章が光っている。それだけが、中尉の身につけている絹の服が軍服がわりであることの証だった。

中尉は胸を突き出し、後ろ手に腕を組む。もともと長身のマキャヴィティに対して、少しでも自分を大きく見せようというのだろうか。胸をそらしすぎて、まるで鶏のようだった。

しかし階級章で威嚇する彼のいでたちは、王宮にふさわしい。襟の高い上着の丈はふくらはぎに掛かるほど長く、帯も個性的だ。その下に、ゆったりした下穿きが歩くたび風をはらむ、近衛兵のたたずまい。宮殿では、ここに来るまでにすれ違う警備の一兵にいたるまでが、民族衣装の裾を捌いていた。

マキャヴィティは、ただでさえ肩身が狭い。ともすると落ち着きなく軍服の裾をひっぱろうとする自分の手を、かろうじて制した。

「承知いたしました。
まず、ギルバート分隊長は一般兵と同じく午前6時に起床し、30分で装備を整え、訓練場に視察に…」
「そうではない、ばか者! そんなことは、いくらでも書面で上がってくる。本部が聞きたいのは、もっと本質的なことだ」

中尉の階級を持つ男は、怒鳴り声をあげた。

部屋には、タイルの装飾はさすがになかったが、どこからかまぶしいほどの光が降り注いで壁に白く反射している。さっきまで扉一枚へだてた薄暗い場所をくねくねと歩かされたのが嘘のようで、マキャヴィティは何度も目をしばたいた。

金の彫像が飾られ、異国風の衝立が引き回されており、その裏に、中尉よりもっと偉い人間がいるのが中尉殿の態度でいやというほどわかる。
ひょっとしてそこにいるのは海軍提督本人なのではないかと疑ってしまうのは、マキャヴィティの疑心暗鬼だろうか。

そうであれば、あれほど長く歩き回らされた理由も頷ける。マキャヴィティが慣れない王宮を遠回りしてこの部屋へたどり着くまでに、相手はあの祝宴を抜け出してゆうゆうと先回りできただろう。

「本質的なことですか?」
「とぼけているつもりか。お前はすっかりギルバート分隊長の忠実な部下になりさがったというわけだな」

あまりに思いがけないことを言われると、顔が表情をつくることを忘れてしまう。それを、巧妙なポーカーフェイスと受け取られることが前にもあった。マキャヴィティは子供のころからいつもそれで損をしてきたが、今回も同じだった。

「狭いところにいれば、たかが分隊長ごときが神に見えるか? たしかにやつは、強いらしいな。
だが、考えてもみろ。しょせんはならずものだ。本部のお情けで、少尉の階級を投げ与えられただけの、野良犬だ。
そのギルバートに付いて、お前に何の得がある? え、言ってみろ」
「ギルバート分隊長に尽くすことは、軍部への忠誠を尽くすことだと確信しております」
「奇麗事はよせ! お前ら『海軍』が、本部に隠れてこそこそしてるのを、知られていないと思っているのか」

あいつ、何をしたんだ?!

「中尉殿。自分ごときには、ギルバート分隊長のお考えになっていることは計り知れません。もし、何か王国への叛意が動いているとしたら、それは自分などではなくもっと古参の隊員にこそ聴取すべきことかと」
「はっ。お前が常にギルバートの護衛についていることを、どう説明する? ギルバートはどこに行くにも、それこそ淫売宿にもお前をつれていくそうじゃないか。それだけの信頼を寄せられながら、「自分ごとき」だと」
「それは…しかし私は何も知りません」

マキャヴィティの言い分を、中尉は深いため息で遮った。

「まだ庇うのか。
何のためにわざわざ、お前を『海軍』へやったと思っている。危険分子の行動を見張らせるためだ。そんなこともわきまえず、野良犬になつかれたくらいで飲み込まれおって。それでもお前は誇り高い王国の軍人なのか」

中尉殿のたたみかける声に、マキャヴィティは思わず反発の声を上げかけた。しかし、それは誰にも受け入れられなかった。衝立の裏側に潜んでいるあいてにも。

「もういい。下がれ。お前の考えはわかった。
 今日のことを、ギルバート少尉に報告でもなんでもするといい」

中尉はさらに胸をそらした。たぶん、威嚇しているのだろう。胸に連なった階級章が、またきらきら光る。

「失礼、いたします」

敬礼とともに、マキャヴィティが踵を打ち合わせる音が虚しく響く。マキャヴィティの歪んだ顔を、相手はどう受け取っただろう。マキャヴィティにはどうすることもできない。部屋を出て、暗い廊下を歩く間も自然に顔がひきつる。野良犬だと?

自分たちは安穏と王宮に座していながら、命をかけて海賊と渡り合い、国を守るものたちを畜生あつかいか。柄は悪いが、気の良い隊員たちの顔が頭をちらつく。胸糞が悪かった。
しかし、それ以上に……

――何のためにわざわざお前を『海軍』へやったと思っている。
――ギルバートの行動を見張らせるためだ。

迷いながらなんとか王宮を出る。
運河に渡された橋の上で、広い川面にむかってマキャヴィティは叫んだ。

「そんな重要なことは一番最初に言っといてくれ――――!!!!」

くれ――――――――――――
くれ―――――――
くれ―……