アジアの先端に位置するこの小国にも、はるかに海を隔てた西欧列強の脅威は迫っている。
国境を接する古い大国が防波堤となり、祖国は直接蹂躙されたことがない。しかし、国力の差は残酷なほど歴然としていた。生き残る道を模索して、この国は欧州と国交を樹立する道を選んだ。属国ではなく、対等な国家と認められるために、国内では急速な近代化革命が進められた。軍隊の近代化も、そのための一政策である。

連綿と続く武家ではなく、庶民に武器を握らせ、軍隊を作る。
西洋式の造兵、錬兵法。組織構成、軍服。

それでも王家の近くではまるで時が止まったように、百年前の姿をとどめていた。外国の要人が列席する儀式でないかぎり、将軍達は誇り高い民族の衣装を脱ごうとはしない。

それは国の懐深くに擁された王城でのこと。
海を目の前に臨んで生きる、ギルバート率いる『海軍』では、まったく違う世界が広がっていた。



「おっしゃぁ―――――!」

噛みあった鉄が火花を散らす。
華奢な半月刀を叩き折られそうで、マキャヴィティは思わず後退りした。白線を踏み越える。

「はい、そこまで。マキャヴィティの負け」
「よっし!」
「ランパス、あんたも無駄な気合が多すぎ。
叫べばそのぶん体力を削られるし、相手に動きを悟られる。いいことないよ」
「ほっといてくれ。俺はこっちのほうが調子が出る」
「瀕死の相手だって、バカにされたと思えば最後まで抵抗をやめない。頭のいい兵隊なら、無駄なおしゃべりはしないはずだよ」
「俺は頭が悪いんだ」

ランパスキャットは、幅も厚みも広い彼の愛刀を軽々と肩に背負って、別の相手を探しに行った。
審判役のランペルティーザは、今度はマキャヴィティに向き直った。

「で、敗因はなんだと分析してる?」
「ランパスの打ち込みが重くて、陣地を守れなかった」
「これが練習じゃなきゃ、あんた海のなかにドボンだよ」
「ああ。切っ先を流そうとしたんだけど、上手くいかなかった」
「ランパスは、剣そのものを重量化してるし、わざと刃も鈍くしてる。へたに組み合ったら逃げられない」
「わざと? まさか。正気のさたじゃないな」
「正攻法ではないけど、鎧を身につけた相手には特に有効なんだ。だからランパスも海賊相手にはめったに使わない」
「それじゃあ、俺たちには意味がないんじゃないか?」
「ううん。あれだけ重い得物を操れる剣士はそうは多くないけど、海賊はそういう武器を持ち出す可能性がある。だって、私たちは鎧だけど、あっちはたいてい軽装備でしょ? だから、ランパスとの演習はとても」

わあっと歓声があがる。
マキャヴィティとランペルティーザも思わず声のするほうを振り返った。さっき、マキャヴィティを散々悩ませたランパスの大きな剣が、なす術もなく土に刺さっている。

ランパスの喉元に細長い半月刀をつきつけているのは、ギルバートだった。

「まいった。さすが我らが隊長」
「もっと持ちこたえてくれなきゃ困る」
「了解。で、これ、さっさとひっこめてくんない?」

ランパスは、鋭い白刃を指先だけでつまんで、持ち主のギルバートへ片目をつぶってみせた。きざなしぐさだが、ランパスがすると似合わないので嫌味がない。ランパスのことを、マキャヴィティは嫌いではなかった。

ギルバートは不遜に鼻で笑って見せ、刀を鞘に収めた。それですら、目にも留まらぬほどすばやい。

「さすが隊長」
ランペルティーザも、感嘆の声を漏らす。

「素手ならランパスのほうがずっと強いけど、隊長に武器を持たせたら、もっと強いやつあたしは他に知らないな」

褒め言葉が聞こえたわけでもないだろうに、ギルバートの鋭い視線が突然マキャヴィティに突き刺さった。

マキャヴィティは思わず肩を揺らしたが、ギルバートは無表情な目をしてじろりとマキャヴィティを眺めた後、ふいに顔を背けた。マキャヴィティはこのごろ良くなりかけていた胃痛が、ふたたびざわめくのを感じて思わず前かがみになる。肩の傷はずっと前に癒えていた。跡は、服の下に消えずに残っていた。

「あれ? 隊長こっちにこないのかな。あんたがいるのに」
「やめてくれ頼むから」
「このごろ隊長、あんまりあんたに構わないね。二度も一緒に都にいったのに。この前、何かあったの?」

何かあったかも何も。

二度目に登城の命令を受け、ギルバートと首都へ登った時のことだ。ギルバートが勝手に公費を散財して花街で無一文になっていたから、しかたなく実家にとめてやった。マキャヴィティが拾わなかったら、ギルバートは都で浮浪者どうぜんに過ごさなければならなかったはずだ。
それなのに、彼はマキャヴィティが籠球めあてで軍隊へ入った事をあっさり家族にばらした。

ギルバートが泊まったあとの朝食、まさか上司の前で息子を問い詰めるわけにもいかないから、両親は口をつぐんでいたが。
あのスコール前よりもねっとり重かった空気……気付かないのは幼い兄弟と、ギルバートくらいだ。彼は朝食のクイティアオをおかわりしさえした。

「あんなに、めちゃくちゃなヤツなのに」
「何? 隊長のこと?」
「かまえが、悪い。姿勢がめちゃくちゃだ。あのまま剣を振り回していたら、いつか身体を壊す」
「あたしも不思議。
なんで隊長って強いのかな? 単純に腕力だけなら、あんたのほうがあるかもしれないくらいなんだけど」

それなのに、マキャヴィティが歯の立たなかったランパスより、ギルバートはさらに強いのだ。あのギルバートの視線。

まるで、どうだといわんばかりじゃないか。腹が立つ。

ふふっとランペルティーザが含み笑いした。マキャヴィティはいぶかしく彼女を見つめる。

「最初は、あんなに固かったあんたが……上司の噂はしないとか言ってたくせに。あんたも、ようやくここに慣れてきたんじゃない?」
「や、やめてくれ!」
「そんなこと言って〜」
「たのむ本気でやめてくれ」



ランパスは、大剣を大地から引き抜いた。重さのぶん深く刺さっていたようで、まるで土を掘り返したような穴があとに残った。
すごい勢いで背中に何かがぶつかった。息がつまる。

「おい」

ぶつかってきたのは、ギルバートだった。

「なんだよ、くっつくなよ。うっとおしい」
「あいつ、こっちを見てるだろ?」
「は?」
「あいつだよあいつ! マキャヴィティ!」
「ああ、あの金髪…」

舌がもつれそうなマキャヴィティの名前は、ランパスには呼びづらくて、いつも彼のことは金髪呼ばわりしていた。おかしな名前をつける親もいたものだ。たしか昔、同じ名前の極悪人がいたはずだ。ランパスの生まれる前の話だから関係ないといえばないのだが、普通はそういう、いわくつきの名前を子どもにつけないだろう。

「あいつ、このごろ俺にかまわれないからしょんぼりしてるだろ」

ギルバートは、ランパスの顔のすぐ横の位置でごしゃごしゃ言ってくる。そんな大声で言うなら、この距離の近さは意味がないのでは、と思いながらランパスはギルバートの袖を親指と人差し指で摘んでちょいちょいひっぱった。さっきつきつけられた新月刀も、友達に耳打ちするようなこのしぐさも、ギルバートは同じくらい気軽にしかけてくる。きっとこういうところが、得体が知れなくて金髪は嫌なんだろうなあと思いながら、ランパスは答えた。

「金髪か。いや? かえってほっとしてるだろうが」
「そんなわけない。気にしないふりをしてるだけだ。だって俺がいなくなったら、誰もあいつに声をかけないだろ。だってみるからにスパイだし。でなきゃこんなところに、あんなエリートぜんとしたやつが配属されるわけない」
「それ、言ってて虚しくならないか? お前『こんなところ』の頭だろ」
「そんなのどうでもいいんだよ。
なあ、あいつ孤立してるよな。ばかだな。俺に親切にされてるうちに、ちゃんと自分がどれだけとっつきにくいやつか、考えてみればよかったんだ」
「いや……それもこれも本当だからこそ、あんまり正直に言ってやるなよ。可哀そうだろ」
「あ! あいつまた女に親切にされてる! 女にだけはもてるんだからタチわりぃ」
「そのことに関してはお前も他人のこと言えないだろう」
「女って馬鹿。無口なやつはただ単に、言う事が思い浮かばないから黙ってるだけのバカなのに、顔がいいだけで陰があるとか神秘的だとか思って。あいつは単に何も考えてないだけなのに!」
「なんだその詳細な考察は。お前の経験による実感か」

ギルバートはきっと、マキャヴィティが心の底から嫌がっているのを、「こいつは陰がある」とか、「顔がいいからつんとして見えるだけ」とか、とにかく自分に都合よく勘違いしていたのだろう。ああ、だからあんなにしつこかったのか。

噂するだけならいいのに、ギルバートがちらちら見るものだから、金髪もこっちを気にしている。おたがい、上司で苦労するよなぁ。

苦笑を投げかけようとして、視線の合ったマキャヴィティに睨みつけられる。びっくりして、思わず彼に手をふってしまった。マキャヴィティは薄い口元をひきつらせ、逃げるようにうつむいた。
彼はランパスとの手合わせで、刀が刃こぼれしていないか確認しているふりをして、鞘から抜き放ったものを手にとり、わざとらしく翳している。

――愛想笑いでも、すりゃあいいのに。

おそらく、マキャヴィティには睨んでいたつもりはないのだ。
ただ、ギルバートに対して警戒するあまりに、まわりの隊員全部がギルバートに属するものに思えて、敵意を隠せないのだろう。

全身をふくらませる猫みたいに、彼は、いつでも緊張でぴりぴりしている。前はこれほどではなかった。少なくとも最初は、冗談も言ったしへらへらしすぎるほど、愛想も振りまいていた。
彼は、ここに馴染もうと努力していたはずなのだが。

「隊長。あんたも悪い。ほら見てみろ、金髪は海底のハマグリみたいに固く心を閉ざしてるじゃないか」
「なんで俺が悪い? 俺はあいつが早くここになじめるよう、いろいろ連れまわしてやって、親切に面倒見てただろ?」
「借りてきた猫は、一晩はそっとしておいてやれよ。自分でここは危険じゃないって判断させないと、いつまでも馴れないだろ」
「あいつが猫みたいに可愛い生き物か?! なんでお前まであいつをひいきするんだ」

ギルバートは真赤になって怒っている。激昂のあまり、目じりにじんわり涙さえ浮かべている。さっき自分から一本とったのが、この目の前の生き物とはランパスは思いたくなかった。まあ、正直者なのだ、彼は。

ギルバートは剣を取らせると強暴だが、ある意味とてもわかりやすいし、悪い人柄ではない。けれど彼の正直すぎるところは、ぶしつけにも通じる。特定の人間には、それが疎ましく感じられるだろう。ギルバートは、親しくなりたいと思えば一直線に相手の懐に飛び込む。過剰なくらい、好意をあらわにする。それは美点でもあるが、ここにやってきて間もないマキャヴィティを、面食らわせたのだろう。
それだけで済めばよかったが、ギルバートはしつこすぎたし、マキャヴィティはある意味、我慢しすぎた。

マキャヴィティのような警戒心の強い相手には、急に近寄りすぎたり、なにげなく肌に触れることすら、相手を嫌う充分な理由になるに違いない。

ギルバートの袖をひっぱって、今度こそ離すよう促す。ギルバートは気付かないのか、それともマキャヴィティを気にしているのか、いっこう動く気配がない。

まったく、人との距離の近い男だ。
ランパスはあきらめてため息をつく。

「しかし、あいつもまさか、あれでうまいこと目をあわせずにすんだとか思ってるわけじゃないよな」
「なになに? あいつのこと? あいつなんかした?」
「あー、もう。重いって。あんたももう離れろってば」

まあ、いくら金髪が鈍かったとしても、まさかあの状況で自分と目が合わなかったなんて安心していないだろう。かわいそうに、きっと今頃金髪も、気まずく思っているに違いない。

そう、納得した瞬間、ランパスはマキャヴィティのことを思考の外へ追い出した。
ギルバートをぶら下げたまま、他に相手になりそうな隊員をさがして教練場をきょろきょろ見渡す。もう一度ギルバートの相手をするのは、なんとなく避けたかった。



「ふぅ」
あぶなかった。
もうちょっとで目があうとこだった。