『ラム・タム・タガー』  2008.01.22 
ノーマルSS猫にまたたびの続きになります。
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「お前マキャヴィティだろう」

どうしてばれたんだ?

というわけで、マキャヴィティはラムタムタガーとへだてのない付き合いをしている。





「そういえば、君は前から俺にしつこく付きまとったりしなかったな」
「なんのことだ?」
「他のやつらはみんな俺のこと追い回したのに、君だけはそれに加わらなかった。これって、前から俺のことを特別に思ってくれていたということかな」
「はあ? 馬鹿言うんじゃねえよ。マキャヴィティがやつらにちょっかいかけるから、毎回追い払われてただけだろう」

タガーが道の真ん中から動かないので、黄色い猫は落ち着かなげにしっぽをゆらした。
タガーは、日向に寝転がって金色の鬣を膨らませながら続けた。

「あのなあ、ためしにマントかぶったままで、じっとして長老の話でも聞いてみろ? だーれもお前を気にかけないから」
「もう、あの格好はできないんだ」
「なんでだよ。似合うんじゃねーのー。今より男前なんじゃねーのー。あの帽子とマント。」
「ああいうのが好きなんだ? 君ってバットマンとかスーパーマンとかも好きそうだね」
「嫌味だ、ばか」
「……」

すっかり落葉樹は葉をおとして、裸の枝をからから鳴らしながら風がふきわたる。太陽は高い屋根の上から射して、正午のほんのひととき地面に明るい模様を描く。向かい合って並ぶ建物に、四角く切り取られた陽だまりを独占してタガーは身体を伸ばした。隣にいた黄色い猫を、日陰に押しやる。
細身のラム・タム・タガーを飾る、金のたてがみと豹文は、陽光を弾いて強く輝いた。手触りは、思ったよりぱさぱさしていた。

「ちょっと待て、お前は何をしてるんだ」
「毛づくろい。なんで?」

舌先でタガーの長毛を絡め取りながら、黄色い猫は目線で微笑む。雌猫とかにされたことあるだろう、と彼は続けた。

「お前にはされたくねえ! 勝手に触るな」
「いいじゃないか。減るものじゃないし」
「お前はいちいち無礼なんだよ!!」

タガーは黄色くて馬鹿でかい猫を蹴り倒した。
きゃあ、とか悲鳴を上げているこの猫が、いったい何者なのかタガーは知らない。

『お前ってマキャヴィティなんじゃね?』
『ええーっ、なんでわかったんだ?』

…………。

うっとおしく見つめてくるでかい図体がわずらわしくて、つい、タガーは追っ払うつもりで罵倒した。お前は得体が知れない。あのマキャヴィティみたいだ、と。
そうしたら『どうしてわかったの』と返されてしまったのだった。

こいつがマキャヴィティのわけねえ。

とは言え、自分の言った事を取り消すのは、なんだか負けた気がするのでタガーは絶対嫌だった。黄色い能天気な顔を睨みつけながら、誓う。――あれは冗談でしたと泣きを入れるのは、お前のほうだ!
と、いうわけで、後には引けなかった。

「ねー、やってあげるってばー」
「いらねえ! いらねえってんだろう!
しつこいんだよお前!」
「ええー、いーじゃないかー。触らせろよー」
「お、お前は自分の言っていることが気色悪くないのか?!」
「どこがどのように?」

真面目な顔をして黄色い猫が言う。
次の瞬間、するどく切れ上がった目じりがふにゃりと笑み崩れた。日向を独り占めするタガーの上に、月光色の毛並みをした大きな体が、黒い影と一緒になだれ落ちてくる。

「こっち来んな! 乗っかるな! ごますりならマンカスにしろ!」
「なぜ? 彼は嫌いだよ。前にもそう言ったじゃないか」

黄色い猫の大柄な体に押さえつけられ、動けないタガーの四肢の代わりに、自由な彼のしっぽがびくりとのたうった。

マンカストラップは誠意にあふれた猫だ。真面目で、真っ直ぐで、正しい。己に厳しく、他人に優しい。まともな猫なら、ああいう完璧な猫を正面きって嫌ったりはしない。
けれど、タガーはたったひとり、マンカストラップを「嫌いだな」と、吐き捨てた猫を知っていた。

赤い毛並みと、道化の衣装をまとった黒い犯罪王。
あの殺戮狂と心ならずもふたりきりになったとき、確かに彼はタガーに言った。この黄色い猫と、同じ言葉を。

この時以外に、マンカストラップへの陰口を聞かされたことがタガーは一度も無かった。

「お前、まさか本当に…」
「? なに」

琥珀色の瞳が、不思議そうにタガーを見つめる。あの日、銀の仮面の下で見開かれていた瞳も、こんな色をしていただろうか。

「いや。別に」

タガーが言うと、黄色い猫はまたふわりと微笑んだ。するどい目じりと、鋭角的な輪郭とはうらはらに、彼の表情はどこか緩い。ギルバートに顎で使われて、ちょっとの物音でもびくびくするこの黄色い猫が、マキャヴィティであるはずがない。

それでいてたまに、この黄色い猫は驚くほど険しい表情を見せる。彼はひょっとしたら、彼自身が言うように本当にマキャヴィティなのかもしれない。
そしてまた同時に、この猫がマキャヴィティのはずがないとタガーは彼を侮っていた。

これから、自分はどうするだろう。

太陽が傾くとともに、日向はじりじりと移動する。猫たちの目前には高い塀が両側から聳えている。
つまらないと思って、タガーはしっぽを揺らした。もし、彼がマキャヴィティであったとしても、タガーは何もしない。どうすることもできない。彼の名前にも彼にも、どうしても興味が持てない。先の集会で彼にやっつけられたリーダー猫の、苦しそうな顔と深刻な傷口を思い出してみたけれど、結果は同じだった。

マンカストラップを大事に思っているが、だからといって彼の為にこの黄色い猫をどうかしようとは思えなかった。もしマンカストラップが目の前で苦しんでいたら、恩を着せつつ助けてやってもいい。まかり間違って彼が死ぬような事があれば、恐ろしいほど自分も苦しむだろう。それがわかっていたけれど、ここにいない相手のために今、手足を動かすことはどうしてもできない。
生粋のジェリクル猫であるタガーには、未来を憂える能力がない。

「おら、邪魔だって言ってるだろう。いい加減にしないと…」
「なに? 君にされる事なら、なんだって俺は平気なんだけど」

比べるもののない空にあっては気付きにくいけれど、太陽は黄道を廻って沈み続ける。タガーの独占していた日向も、地面から壁に逸れつつあった。

「そうか。じゃあな!」
「あっ」

タガーは黄色い猫のがっしりした腰を両側から掴むと、わきわきと揉みこんだ。黄色い毛並みがぞわりと逆立ち、余裕のある笑みを浮かべていた口許が牙を見せて吊上がる。タガーの胴体からずり落ちても、まだ爆笑し続ける猫の上に反対に乗り上げ、タガーは黄色い猫が涙を流すまで擽りつづける。
ひくひくしている大きな背中を蹴りたてて、タガーはぱっと飛びのいた。そして、犬にも力負けする野生のチーターみたいに、一瞬きり早く走れる自分の足を信じて、逃げだした。

黄色い猫の声だけが追いかけてきた。笑いの余韻にか、震えている。
タガーが制止を聞き届けることはない。
風ははるか上から吹き降ろして、走るタガーの薄い耳に拭きつけ、ちぎれるほどそこを冷やしていった。


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『スキンブルシャンクス』
  2008.04.03 




まぶしい光が夜を貫いた。
天上への道が閉ざされていく。特別な夜が終わり、またいつもの一日が始まる。暗闇を越えて、朝がやってきた。

白い空気の中で、夜行性のはずの猫たちは目をぱしぱし瞬きながらそれぞれのねぐらへ散っていった。どことなし、誰もが肩を落としている。例の日の後は、だれもが指先まで幸せに満ち溢れるはずなのに、こんなことはジャンクヤード始まって以来だった。

無理もない。
ただ一匹選ばれるジェリクルが、昨夜天上へ昇ることはなかった。

ふう、とため息を吐きながら、スキンブルシャンクスはいつまでもその場に立ち尽くす。まっさきにこの場を後にするのは、なんだか逃げ出すようだし、かといって友たちと肩を組みながら歩くには気まずすぎる。

「やったね…」
「やあ、黄色いの」
「君も黄色いけどね、スキンブルシャンクス」

だからその猫に話しかけられた時、スキンブルはだいぶ驚いた。
誰もが、今起こったことを自分の中で否定するように寝床へ急いでいる。眠って起きたら、今日の出来事が夢で済むとでもいうように。

その幻想を破って、優しげな顔をした黄色い大きな猫は、スキンブルをまっすぐ見据えている。彼はどういう猫なんだろう。初めて、スキンブルは思った。黄色い猫の声は、奇妙に高い。

「まさか、本当に天上を拒否するとは思わなかった」

大きな体をした生き物は、大抵低い声を持つというのに彼のそれはまるでオカリナのような音色だった。どこか丸みがある。

「だって、僕は鉄道猫なんだよ。天上には行けないよ」
「今も信じられない。君が、ここにいるなんて……」
「だって、しかたがない。天上には行ってみたいけれど、しかたがないんだ」
「天上には、君の友達だって待っているだろう」

スキンブルには友がたくさんいる。
群の誰もがスキンブルを好いてくれている。
けれど、天上にいる友と聞いて、まっさきに浮かぶのはある雄猫の顔だった。

彼のもっとも愛する女性を追って、彼女の選ばれた翌年に自分も見事に選ばれた彼。褐色の双子。彼らのジェリクルはそこまで強く結びついているのかと、瞠目する思いだった。

――何も次の年に本当に選ばれることないじゃないか。

あと二年でも、十年でも、もっと猶予があったらどんなによかっただろう。けれど、無常な月は彼女の選ばれたきっかり一年後に彼を召し上げてしまった。
彼は一度も振り返らずひたむきに天上を目指した。地上には彼を見送る猫たちが群をなしていたというのに。
彼にはそういうところがあった。驚くほど残酷。いちず。彼女以外のものは何も彼の心を捉えていなかったのだろう。

つれない彼を追いかける。地の果てを越えて、天上までも。それも、悪くはない。

「そうだね。でも、天上に行って僕は何をしようか。僕の誇りは鉄道猫であるということなんだけど」
「天上には、すべての幸せがあるんだろう」
「そう聞くね」
「列車だって、あるんじゃないか」
「ああ、あるだろう。寝台はふかふかで、信じられないほど広くて、車両連結部分はかけらも擦り切れず、デッキまでぴかぴかの完璧な列車が。誰も想像できないほどの、素敵な列車があるだろう」
「だったら…」
「けれど、それを必要としてくれるひとはどこにいる?
天上はすばらしいところだと言うね。望めば、すべてがたちどころに叶うような。きっと、友に会いたいと願えば距離など問題にならずに、一瞬で相手のもとへたどり着けるのだろう。そして、二度と離れないですむんだろう」

彼が彼女へ会いにいったように。
そして、彼らは二度と再び離れないのだろう。
この地上では許されないことが、そこでは叶うのだろう。それでこその天上だ。

黄色い猫は、不安そうに不満そうに聞く。「いけない?」
ああ、彼は、天上へ昇りたいと願っているんだ。
そんな当たり前のことを、スキンブルはいまさら思い知る。誰だって、唯一の選ばれるジェリクルになりたがる。誰だって。
けれど、僕はいやだ。

「いいや、すばらしいよ」

持っていた帽子を額深くかぶる。輝かしいエンブレムを前面に戴く制帽。昨夜の疲れがしみこんで、汗の香りさえするだろう。

けれど、これがスキンブルの何より大事なものだった。

「天上には僕の列車はあるかもしれないけれど乗客がいないんだ。列車は、この世の不自由の象徴だよ。行きたい場所に行く為に、しばしの苦痛を耐える場所だ。狭い車内に閉じ込められ、手持ち無沙汰な時間をすごす。天上にいけば、そんな必要はなくなるんだ」
「そうだね。君の言うとおりだ」
「想像してみてよ。
僕が天上へ昇ることが出来たとして、誰も乗らない新品列車の、孤独な車掌として同じ場所をぐるぐる行き来するさまを。
しかも永遠に」
「ああ、だから君は……ここに残ったのか」

黄色い猫は、琥珀色の瞳を眇めた。スキンブルも肩をすくめる。

「だってぞっとしないだろう。だから僕は決して天上へはいかない。僕にはその資格がない。この先どんなことがあったとしても、この地上でくたばるほうが僕の幸せなんだよ」

たとえ彼がそこにいたとしても。
彼にとても会いたいと思っていたとしても。

決して譲れない。
自分のジェリクルはここに残ることだ。

「スキンブルシャンクス。もし、君が他の猫に何か言われたら、俺がかばってあげるね」
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。
そんなへまはしない」
「……正直に言うと、俺は少し君に腹を立てていたんだ。話を聞く前までは」
「わかってる。すまない。もう、二度とこんなことにならないように、ちゃんと長老に話すつもりだよ。
僕が天上へ行きたくないからって、他の猫が選ばれる機会を奪おうとは思わないから」

もし、去年のあの時、彼ひとりを地上へ留める方法があったのなら、その時は……どうだったか知れないけれど。

「ごめんね。僕が無駄に一年に一度のチャンスを使ってしまった。
僕が最初からちゃんとしておけば、今年月に選ばれたのは君だったかも知れないのに」
「ああ、それは絶対ない」

その黄色い猫は、顔の横でひらひら手をふる。
さっきは選ばれたいと願っている事を隠さなかったくせに。どうしてこんなに即座に否定するのか、スキンブルは不思議だった。

まじまじと見つめると、謎めいた彼の毛並みが、なんだか自分の選ばなかったお月様と似ていることにも気付いて、スキンブルは帽子のつばをくいと引き下げる。

その自分の腕も、月光色の黄色だった。

「お月様はいじわるだよ」

彼には二度と会えない。彼は永遠を約束されているから、スキンブルは本当に二度と彼に会えない。

――タンブルブルータス。

それでも僕は、自分のジェリクルを自ら選んだ。



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