「追い詰めたぞ、マキャヴィティ!!」
うるせーなー。
「これだけの猫に包囲されているんだ!
おとなしく投降しろ!!」
マンカストラップの、いつもの怒号がゴミ捨て場に響き渡る。彼は本当に声が大きい。空気をびりびり振動させる。歌ったらさぞいい声だろう。

なんでもいいから他所でやれっての。
ごろり、とタガーは寝返りを打った。
マキャヴィティの声は聞こえない。
あのおしゃべり男が、黙って言われるがままになっているなんて、珍しい。タガーはそれを不審がったが、目線を投げて確認しようとも思わなかった。

めんどうくさい。
どうでもいい。

ふいに、背中に視線を感じた。
いやな気配がする。
ちらり、と背後に視線を投げると、高みから見下ろしている仮面の男と目があった。

舌なめずりしている。

馬鹿な。
あいつは、マンクたちの相手で大忙しだ。
俺に構ってる余裕なんてねぇだろ。

いつから、古タイヤの中で丸くなるタガーに気付いていたのか。
自分を取り巻こうとする猫たちに一切構わず、昼寝するタガーだけを、誘うように見つめている。

俺は喧嘩は好きじゃねぇ。

色男は、雄猫に絡まれることも多かったが、すべてを冷たい嘲笑でいなして来た。実際喧嘩は弱い。
けれど、本当に強い雄は、気に喰わないからといってタガーを攻撃したりはしない。たとえば、マンカストラップがいい例だ。

シルバータビーのリーダー猫が考えているように、マキャヴィティを改心させることにも、タガーは興味がなかった。もめごとに巻き込まれるのはごめんだ。
街の猫が殺されたからといって、それがなんだというのだろう。
自分は自分で始末をつける。
その結果、街中が廃墟になろうとしかたがない。
本能にさからって、群で行動するほうがよほどタガーの気に合わない。

てめぇにも興味はねぇよ。行っちまえ。

マキャヴィティを無視して、タガーはもう一度腹を丸めて目を閉じた。
マンクが彼を捕まえようと、彼がマンクを傷つけようと、どっちでもかまわない。午睡を妨げる、うるさい声が消えるならそれでいい。

今日はそういう気分だ。
明日はまったく違う考え方をしているはず。

タガーはそういう猫だ。

「いつまでもそうやって、余裕でいられると思うなよ!」
コリコパットの澄んだ高い声が響く。
「くらえ、またたび爆弾!!」
「コリコ?!
まさかそれ、本物のまた…た…た…た……」
マンカストラップは最後まで言葉を紡げなかった。

ちょっと面白そうだな。

そう思ったタガーは、ようやく重い腰を上げた。
タイヤの上に立って見渡すと、やはりそこには屍るいるい。またたびに撃沈された猫たちがうにゃうにゃ言いながら折り重なっている。
「ばかだなー、コリコのやつ。
何がしたかったんだ?」
もちろん、マキャヴィティを捕まえたかったのだろう。
あたりにはまたたびの芳しい匂いが香り立っている。
ミストフェリーズの作ったものだろうか。

あいつはいい。
あいつは面白い。

不思議なマジック猫は、今のところタガーの一番のお気に入りだった。あの黒猫の姿は、ここにはないようだが…

大抵の雄猫は、雌猫をはべらすタガーを毛嫌いし、憎憎しげに見るが、彼に声を掛けられると平気でしっぽを振る。
おそらく、雌猫にあがめられるタガーに、雄猫としてあるべき自分の姿を投影しているのだろう。
タガーが誘って、断る雄猫は雌以上に少ない。
まったくつまらない。
崇拝されるか憎まれるのには、飽き飽きだ。

ミストフェリーズは、平気でタガーをアホ扱いする。
口先だけでなく、彼が誘っても、幼馴染のコリコパットやギルバートとの約束を優先する。面白かった。そんな猫は、ひさしぶりだった。

「さーて、と。
せっかくだからマンクのひげでも、ぜんぶ結んどくか…」
野良猫にしたらしゃれにならない嫌がらせだが、彼は飼われ猫だ。ひげが生えそろう一ヶ月の間、狩りも外出もできなくなるが、死にはしないだろう。
足元に転がるタンブルブルータスを蹴飛ばしながら、見慣れた縞模様を探す。

「君も、これが効かない体質なのか」
タガーのしなやかな全身の、金と黒の毛並みが逆立つ。
「嬉しいな。
僕は、こんなことでも仲間はずれでね。
みんなが楽しめる快楽を、僕だけが味わえないんだ。
まったく拗ねてしまうよ。
嬉しいな、仲間がいて…」

タガーは後ろも見ずに走り出した。
逃げ切れるとは思えなかったが、先述の通り、喧嘩は弱い。マキャヴィティに適うとは思えなかった。





「気が済んだ?」
マキャヴィティは、気味の悪い猫なで声でタガーを締め上げる。
いくらコリコパットを恨んでも、マキャヴィティと二匹きりである状況は変わらない。虎でさえ大人しくさせるまたたびの、まったく効かない体質が、こんな窮地を招くとは。タガーは想像したこともなかった。

「もう追いかけっこは終わりだね。楽しかった?
君が正気でいてくれてよかったよ。君の仲間たちのためにも、ね。
僕ひとりを残して、みんなとても気持ちが良さそうだから、一匹残らず喉笛を噛み千切ってやるところだ。本当ならそうしている。冗談じゃないの、わかるだろう?
でも、お友達がいるなら、我慢できるね。
ねぇ、僕は君と話がしてみたかったんだ。
なぜ逃げる?」

話をしたいと言いながら、マキャヴィティの手はタガーの首をぎりぎりと締め上げていた。話しができるはずがない。
タガーが目線でそう訴えると、マキャヴィティはあぁ、と吐息を漏らした。
「そっか。ごめん。
君を逃がしたくなくて、強く捕まえすぎていた。
ごめんね。嬉しいんだ。同じ、仲間がいて、しかもそれが君だなんて…」
タガーが骨を軋ませて咳き込んでいる間も、マキャヴィティはうっとりと言葉を重ねる。

「なんて綺麗な猫なんだろう。
君を見ていると、人間のありがたがる純血種なんてものが、単なる冒涜に過ぎないとわかる。自然の生み出す偶然の美しさに比べたら、マンカストラップの銀の縞だって、カラスみたいに真っ黒に塗りこめてしまっていいと思うよ」
「なんだ、てめぇ…」
「ああ、そんなに警戒しないで。
剥製にしたいとも、毛皮に開いて玄関に敷きたいとも思ってないから。
純粋に、君と話してみたかった…」
仮面の奥の目が、とろりとタガーを見つめる。
これほど物騒な賛美者に出会ったのは、タガーは初めてだ。

「うぜぇ。うぜぇんだよ。消えろ」
「意地悪だな。
君の声も、とても綺麗だね。もっと話してくれないか」
タガーは押し黙った。
マキャヴィティは、それをにやにやと見つめている。優位に立つ自分を知っている、嫌な顔だった。
 
なんか、馬鹿らしいな。

ふっと、タガーは身体の力を抜いた。
眠気を思いだして、大きなあくびが口をつく。
マキャヴィティの頬が引き攣った。

「俺は寝る。
お前も寝たいんなら、好きにしろ。
俺が付き合ってやれるのは、そこまでだな」
タガーは隠れるものもない路地の真ん中で、ごろんと横になった。
「ねえ。ちょっと、僕がここに居るんだけど、寝ちゃうのか?
僕に何をされてもいいの?」
「知るか。
お前のする事もしたい事も、俺には関係ない」
「僕が君にしたいことだよ。
それでも関係ない?」
「関係ない」
きっぱりとタガーは言う。

面倒くさがりは筋金いりだ。
殺されても、自分の嫌なことなんてするつもりはない。

「おらおら、寝るのか寝ないのかどっちだ。
寝ないんなら大人しくしてろ。
煩く騒いだら俺は、ここを出て行くからな」
「ええー?
そういうときは、絶対に自分が動かないで相手を追い出すものじゃないの?それが雄のプライドなんじゃないか?」
「だれが決めた?
俺じゃねえ。だったら俺が従う必要は、ない」
「君って…」

マキャヴィティは大人しくタガーの隣で横たわろうとしたが、地響きするような声が、それを止めた。
「マキャヴィティ!!
タガーになにをする!!」

うるさいな、とタガーは思った。
マキャヴィティは鼻に皺を寄せて不快がっている。
「せっかく君とゆっくりできると思ったのに。
やっぱり彼は嫌いだな、僕は」

またたびから冷めたマンカストラップは、先ほどまでの醜態を思いださせない激しさで、マキャヴィティを威嚇する。
「さっさと逃げたほうがいいんじゃねぇか?」
「そのようだ。
じゃあ、また今度」

マキャヴィティはひらりと壁を飛び越え、どこかへ行ってしまった。
マンカストラップはそれを追わず、タガーのもとへ駆け寄ってきた。
「タガー、大丈夫か?
立てないのか?」
「んあー」
「タガー…ッ、しっかりしろっ!
今、教会へつれていって手当てしてやるからな」
マンカストラップは、軽々とタガーを抱え挙げる。

「ねみぃ」
そう言ったが、
「タガー。こんなときにまで意地をはって…くっ。
 お前の仇はいつかきっと取ってやるからな!」

こいつ、どうしてやろうか。
早とちりなマンカストラップは、すっかり色をなくしてタガーを心配している。タガーにとってははた迷惑な話だった。
マンカストラップは、タガーの文句を聞かずに、教会へと駆け出している。

まあ、いっか。
眠るのに場所は関係ねぇよ。

二度も昼寝を邪魔されて、もう指一本動かしたくないし、説明したくない。
教会でまた叩き起こされるだろうが、それまでの短い間、タガーはゆっくりとまどろんだ。




『猫にまたたび』
2006.08.23