私は待っていたの。貴方を。


「どうして?どうしていけないの?」

そう聞くと、リーダー猫は悲しそうに眉をしかめた。怒られるのはいい。けれど、悲しませるのは辛くて、彼がそんな顔をするたびにランペルティーザはいっそ生まれてこなかればよかったと思う。

「物を盗んではいけない。狩ればいいだろう」
「狩りと盗むのと、なにが違うの?
結局奪うことじゃない」

マンカストラップはため息をつく。怒られるより、諦めたようなため息を吐かれるのは百倍怖かった。

「あたし、どうしたらいいの?」
「ランペルティーザ。
もし誰かが、お前のご飯を盗んで食べてしまったら、お前はおなかを空かせて困るだろう?だから、他のやつの物を盗ったりしてはいけないんだよ」
「でも…」

たとえ説明しても、マンカスは分かってくれない。それが分かったから、ランペルティーザは唇を噛んだ。
彼女が納得していないのを感じながらも、マンカストラップは説教を止す。
遊びに行ってきなさいと、彼女を解放した。





―――だって、おなかが空くのも困るけど。

―――狩られるネズミだって、食べられるのは嫌なんじゃないの?困るんじゃないの?

だったら、元から命のないハムや、死んでる魚をニンゲンから頂戴するほうが、どれだけ良いか知れない。どうしてそれを怒るの?

ランペルティーザは声を上げて泣いた。
教会から遠く離れたゴミ捨て場には、他に動くものもなかったし、リーダー猫に聞こえるところで泣くのは絶対に嫌だった。

泣いたらお腹が空いた。

魚屋の店頭には、目のつやつやした死んだ魚が盛られている。
近づくと店主はバケツの水をぶちまけた。

「なんてことすんの!」
口に銜えていた魚を公園の芝生の上に置いてから、ランペルティーザは思う存分毒づく。
「毛並みが濡れたじゃない!せっかくお日様に当てて綺麗にしてたのに!!台無しよ!」
「魚盗んどいて、よく言うなぁ」
「誰?!」

見たことのない、赤毛の猫が後ろに立っていた。手足が長くて、顔もちょっと長い。すごく痩せていて、マンカスを見慣れた目には雄じゃないみたいに見えた。
「なによ、偉そうに」
ランペルティーザの顔が情けなく歪んだ。

「俺、マンゴジェリー。よろしくな」
「あんたもあたしを叱ろうっていうんでしょう」
 ランペルティーザの目に、拗ねたような影が映りこむ。
「盗むなんて卑しいって…もっとちゃんとしろって、あたしを叱る気でしょう。おとななんて嫌い」
「う?そうだなぁ。
俺はほかのやつの事言えないからなぁ」
「なによ!どういう意味?!」
「俺のこと、マンカスから聞いてない?」
「あんたのことなんて…」

「いやぁ、水を掛けられちゃったら、絶対そのまま逃げていくと思ったらさ。チビが、濡れながらもちゃんと獲物を手に入れたもんで、思わず感心…」
「マンゴ!!バストファージョーンズさんの所から盗んだものを何処へやった!」

「うを、マンカスじゃん。やべぇ。じゃ、またな、ランプ」
ランプ?あたしのこと?
そんな風に呼ばれたの初めて。

「ちょっと、待ちなさいよ!」
「ランペルティーザ、そいつを捕まえろ!」
リーダー猫にいわれるまでもなく、ランペルティーザはマンゴジェリーにしがみついた。
「おい、同類のよしみで見逃してくれよ。あいつ、一回つかまると説教がしつこいんだよ」
「いや!!離さない」

「よーし、そのまま捕まえてろ、ランペルティーザ。マンゴ、今日という今日は…」
「あたしもあんたと一緒にいく!!」

「はぁ?」
「マンゴ!!お前、ついにとうとう、誘拐にまで手を染めたな!」
「お前の耳は節穴か?こいつが言ったことを聞いて、どうして話がそうなる?!」

「あたしを連れて行って」
午後の日差しを吸い込みながら、濡れた毛並みが乾こうとする。今はまだしんなりと体に張り付くけれど、もうすぐだれよりふわふわのふかふかになる。あたしはいい女なんだから。

「あんた、あたしのことを同類だって言った!あたし、そんなこという猫に初めて会った。あたしを連れてって!!」
「ランペルティーザ…」
「マンカスなんてキライ!!」
マンカストラップが真っ青になる。

「おい、お前。ここまで育ててくれた猫になんてこと言うんだよ。あいつ、思いっきり傷ついてるぜ」
マンゴジェリーはちいさな雌猫を嗜める。それでも、彼女は聞き入れなかった。
「マンカスはあたしじゃなくてもいいのよ」
教会は、困っているならどんな猫でも受け入れる。マンカストラップを好きなぶん、彼女の苛立ちと悲しみはつのった。

ランペルティーザは、もっと、自分を求めてくれるひとが欲しかった。自分の一番自分らしいところを、認めて褒めてくれるひとに出会いたかった。せめてありのままの自分を作り変えようとだけは、しないでほしい。

『思わず感心』
そんな小さな一言に、すべてを賭けるのは間違ったことだろうか。

「あたしは身軽よ!あたしは何でも盗める、…命以外なら。
あたしをあんたの相棒にして。絶対に損はさせないからっ」
「しょーがねーな。おい、マンク。
お前にはまだ、いっぱい教会に養いっ子がいるだろう?こいつ一匹に嫌われても、がっかりすんな。他のヤツは皆、お前のことが好きなんだから。
なぁ、ランプ。もともと俺も、お前をスカウトしようと思ってついて来たんだ。
これからランプは、俺と暮らすことに決定だな」
「馬鹿!!誘拐犯!!ランペルティーザを盗むな!」
「はっはっはーだ。
おい、逃げんぞ。俺の脚についてこれるな?」
「もちろんよ!!」

公園を抜け出して、来た事のない場所を赤毛の猫を追いかけて進んだ。怖いと思う。二度と同じ道を通って、住み慣れた教会へは帰れないだろう。

「待つんだ、ランペルティーザ!」
「ほんっとしつっこいなー。お前に惚れてるんかな、あいつ」
叫ぶマンカスや、軽口を聞くマンゴジェリーとは違い、ランペルティーザは呼吸するのがやっとだった。
「おい、大丈夫か?」
「へ…きよっ」
足ががくがくした。心臓はさっきから、痛いくらいに脈打っている。肺が破れそう。スピードは負けない。でも、悲しいことに持久力が足りない。

『もともと俺も、こいつをスカウトしようと思ってたんだ』
すかうと、って何?

でも、たぶんあたしと暮らしたいってことよね。
目の前に紗がかかる。いやだ、せっかく出会えたのに。会いたかった猫と、会えたのに。
ひょいと、体が空に浮いた。
「おい、マンカス!!代わりにこれ、返すわ」
ランペルティーザを肩に担いで、マンゴジェリーは懐から真っ青な宝石を取り出し、リーダー猫に向かって投げた。
青い光が軌跡を描く。
リーダー猫は後方に走って、地面に落ちて割れるまえにバストファージョーンズの宝石を受け止めた。
振り返ると、身軽な泥棒猫の姿はもうなかった。



「お前、軽いな」
見かけより力持ちらしいマンゴジェリーが、背中にランペルティーザを背負って秘密のねぐらへ急いでいた。
知らない町並みが流れていくのを、ぼんやりとランペルティーザは見送った。怖いとはもう思わなかった。

「あたし、あの石、欲しい」
「だろ?俺もちょっと惜しかったかな、って思ってる」
「また盗めばいいじゃない。あんなの、バストファージョーンズさんならいっぱい持ってる」
「そうだな。同じのをねらうのもつまらないから、今度は赤いのを狙おうか」
「あんたの毛並みと同じ色ね。あたしが貰ってあげる」
「なんだよ、山分けだろ?」
「だって、赤に赤いものを身につけても面白くないじゃない。あたしに頂戴。変わりに、今日あたしが盗んだ魚を半分あげる」

ランペルティーザが銀色の魚を取り出して、マンゴの目前につきつけた。
「えーっ、公園に置いてきたのかと思ってた。逃げてる間、どこに隠してたんだよ?」
マンゴジェリーは驚いていた。
「そうだな。まあ、一発目のご褒美はお前に譲るわ。今は魚の誘惑のほうが、強烈だし。よし。赤いガラス玉は、お前のもんだ」

本当は、石ころなんてどうでもいい。
同胞とめぐり合えた喜びで、胸がいっぱいだった。

どこに行こうか、これから。何をしようか、ふたりで。
考えただけでわくわくする。
「帰ったら作戦会議だから。たぶん、俺が今日盗みに入ったから、バストファージョーンズさんのお屋敷は、すごく警戒してると思う。その中をいかにして侵入するか…」
とうとうと意見をのべるマンゴジェリーに、うん、うん、と頷きながら、ランペルティーザは涙を拭った。

あたしは待っていた。だれより貴方、マンゴジェリーを。



『crazy for you』