「さあ、食べよう食べよう」

マンゴジェリーは、まだぴくぴく動いているどぶネズミを床に放すと、逃げ回ろうとするのを拳で押さえつけた。

「かーわいいなー。
俺、ネズミって好きだよ。ランプは?」
「う、うん…」
ランペルティーザは、真っ青だった。

「どうした?遠慮、してるわけじゃないよな」
マンゴがひょい、とランペルティーザを覗き込む。
身を乗り出すマンゴの手の下には、ネズミがもがいていた。

「具合でも、悪いのか?」
マンゴジェリーは小さな雌猫の額にごつんと額をあてた。
「いたっ!!」
「あ、悪りぃ悪りぃ」

真赤になった自分の額をなでながら、マンゴジェリーが笑う。ランペルティーザより、彼のほうがよっぽど熱かった。

ニ匹は、毎日誰かの家や、店舗を襲った。安息日には大邸宅に忍び込みご馳走を、ウィークデイには綺麗に飾られたショーケースから、生の食材を拝借する。
けれど今日はたまたま、仕事帰りの下水道で、生きの良い獲物を見つけた。
仕事自体は失敗した。

狩りの興奮に、マンゴジェリーの目はきらきらと輝いた。いつもよりずっとおかしな言動が目立つ。ハイテンション、というやつだった。
ランペルティーザは、マンゴの白く輝く乾いた爪に、戦慄する。

「ほら、先に食べろよ」
 
うっ、とランペルティーザは息を止めた。
ネズミは、生温かい。
小さな丸い瞳が、ランペルティーザを見つめた。力のない声が、ちぃ、と鳴く。

「い、いら……」
マンカストラップの、困った顔がランペルティーザの脳裏をよぎった。

―――好き嫌いはダメだ。
―――盗むより、狩りを覚えなさい。
―――殺すのが嫌だって、盗んだ食べ物だってもともとは生きていたんだぞ?
―――そんなことで、教会を出てひとり立ちできるか?
それともずっと、俺のそばで暮らすか。

「いるわよ!!」
両手に余るほど大きく成長したネズミを、マンゴから奪い取る。両手に抱え上げて、ランペルティーザは大きく口を開いた。
悲しそうな目が、ランペルティーザを見上げている。

「う、うぇっ」
目や鼻や口から、ありとあらゆる液体が分泌された。
そんなランペルティーザを、マンゴジェリーはあっけにとられながら見つめてしまっていた。

「ううっ、ううーっ」
短いちくちくする毛で覆われた、ふみゃっと柔らかい体が、ランプの腕のなかから逃れようと暴れる。
かわいそうで、ランペルティーザは思わず腕の力を緩めてしまった。

「痛い!!」
ランペルティーザは、ネズミを床に落としてしまった。ネズミが、狭いねぐらの中をちゃかちゃかと駆け回る。地下室の、雑然としたなかに紛れ込み、猫にはとどかないような隙間へ逃げ込んでしまった。

「ランプ!」
マンゴジェリーは、ネズミにかみつかれて血を流すランペルティーザの手をとり、傷口を吸った。

「大丈夫か?」
「うん。ご、ごめん」
ネズミがどこかに隠れてしまったので、やっとねぐらは静かになった。
とある公的機関の、倉庫となっている地下室が、今日の二匹の寝床だった。ここは、マンゴジェリーがいくつも持っている秘密のねぐらの、ひとつだった。警備員のいる入り口を、身を低くして通り抜ける。ニンゲンの目に触れずここまで来る為に、マンゴジェリーの才能がいかんなく発揮された。

「ごめんなさい…」
せっかくマンゴが狩ってきてくれたのに。
これで、今日のご飯はなしだ。
もう、ニンゲンたちのお店も、閉まってしまった時間だ。
彼らの夜は、早いのだ。

「ごめんなさい、あたし…」
「いーよいーよ。お前、ネズミ嫌いなのか」
マンゴジェリーは、ぽんぽんと相棒の頭に温かい掌をのせた。
「違うの」

ランペルティーザは、ぐっと顔を上げて、マンゴジェリーをにらみつけた。
「あたし、あたしね。
狩りをしたことないの」

マンカストラップが、何度教えようとしても、彼女は頑なに拒否した。

「あたし、殺したくないの。
ギゼンだった分かってるけど、嫌なの。苦手なの。
命だけは、あたし、盗めない」
「そうかぁ」

マンゴジェリーは、驚いたようにランペルティーザを見つめると、かりかりと頭を掻いた。困った顔をしているのを見て、ランペルティーザはぐっと喉に力をこめて、涙を堪えた。

「ごめんな。無理強いみたいに、しちゃったな。
よし。これからは、毎日盗みにいくぞ。覚悟しとけよ」

マンゴジェリーは、ランペルティーザの欲しい言葉をくれる。

「大丈夫!あたしが、あんたの分もぜんぶ盗って来てあげるから。
今日のお詫びに」
「気にすんな、って。
まあ、今日はごろごろして過ごそうか」

ここに一度入り込んでしまえば、抜け出すのは一仕事だった。

ふわぁ、と大口をあけてあくびして、マンゴジェリーはごそごそと寝床にもぐりこんだ。山積みされた書類の山を崩して、そのなかに身体を埋める。マンゴの骨ばった細い体に、黒い文字のいっぱい書き込まれた紙を、ランプはかけてあげた。

「サンキュ」
「ううん。ここは、ちょっと寒いから」

コンクリート打ちっぱなしの地下室は、じめっとしたところがあって、夏でも肌寒い。それでも、いつ野犬に襲われるともしれない、道端よりはましな寝床だった。

マンゴジェリーは、あくびをして見せたわりには、長く寝付かれなかったようだった。いくら隠そうとも、気配に聡いランペルティーザにはそれがわかった。
空きっ腹を抱えて、ランペルティーザにも、なかなか眠りは訪れなかった。


 
まだ、明るいうちにランペルティーザは目をさました。やはり、空腹に起こされた。マンゴジェリーは書類の山につつまれて、まだ寝そべっていた。
相棒の長身を、ランペルティーザがふいに覗き込むと、彼はぱっちり目を開けた。

「びっくりしたぁ。マンゴ、起きてたんだ」
「おどろいたか?」

あははは、とマンゴジェリーは笑う。
ランペルティーザはひくひく鼻を引き攣らせた。

「マンゴ!!
あんた……」
「まだ眠いな。あとちょっと、ここにいようか」
「あとちょっとじゃない!!」

生臭い匂いが漂っている。尋常じゃない。
ランペルティーザは、マンゴジェリーの足元を掘った。
血と膿がまじって書類を汚している。紙に埋もれていたマンゴジェリーの長い脛が現れて、そこに酷い傷があるのを確認した。

「どうして…いったい何時こんな、こんな酷い怪我したのよ!!」

ランペルティーザはマンゴジェリーを叱った。怒りたくはなかったけれど、不安で心配で、怒鳴らずにはいられなかった。

「だいじょーぶ。休んでれば良くなるから」
「おとなしくしてなさい!!」
 
怪我した足を、大丈夫だと振り回すマンゴを書類の山にうずめて、汚れてしまった書類は投げ捨て、綺麗そうなもので傷口を拭った。強がっていたマンゴジェリーも、痛みに眉をしかめている。いつもの軽口が出てこない。
ランペルティーザは泣きそうだった。

―――あたしのせいだ……

盗みに入ったお屋敷で、クリスタルの花瓶を割った。その上に倒れこみそうになったところを、マンゴに助けてもらったのは昨日の話だ。

『ごめん…』
『おっどろいたなー、気をつけろよ、ランプ』

あの時、ランペルティーザを庇って、マンゴジェリーは怪我をした。それ以外に考えられない。
騒音に気付かれて、「仕事」は失敗するし、マンゴには怪我をさせるし、本当に失態だった。しかも……

ランペルティーザは、自分のしたことの重大さに、改めて蒼白になる。

―――昨日、食事を逃がしてしまった……!

あのネズミを食べていれば、あと二日は、何も食べずにじっとしていても良かっただろう。でも、今胃の中は空っぽで、しかもマンゴは怪我をしている。不味いことに、化膿させてしまった。

『あとちょっと、ここにいようか』

マンゴはそう言った。嘘だ。強がりだ。動けないんだ!!

「あたしが、何か食べ物を盗ってくるから!
あんたはここでおとなしく待っていなさいよ」
「駄目だ!!」

マンゴが、空気をびりびり振動させるほど強い声で怒鳴った。
ランペルティーザの喉が絞まって、ひくっと掠れた悲鳴が上がる。
おとなの雄に怒鳴られたのは、ランプは生まれて初めてだった。

「ごめん、ごめん。ちがうんだ。
ここは、ちょっと特殊な場所だ。ランプ、俺と一緒にここを出るのはいい。でも、ぜったいに一匹でここをうろうろしたらダメだ。
これだけは約束な」

マンゴジェリーはいつもの、ちょっと気弱そうな微笑を浮かべて、ランペルティーザを上目遣いで窺う。本性を垣間見せたことを、今更後悔している顔だった。
確かに、彼の先導がなければ、ニンゲンに見つからずこの要塞のような場所を出入りするのは難しかった。ランプでは、まだ無理だろう。

どうすればいい。

「マンゴ、ゆっくりここにいて」
「ランプ、無理はすんな」
「わかってる。あたしはこの部屋を出ないよ。
だから安心して、あんたは眠りなさい」
「約束な」
「うん。盗みは働くけど、約束も守るよ」

マンゴジェリーを隠してしまうと、ランペルティーザはこの雑然とした部屋の中を、一匹で駆けずり回った。

 



2へ続く