マンゴジェリーは熱をもった傷の痛みで、とろとろとまどろみ続けていた。
仕事の時は、驚くほど気配を消し去る相方が、今はばたばたとそこらじゅうを走り回っている。彼女は、必要なとき以外は、とてもうるさい。口数は多いし、生意気だし、ちょっともじっとしていない。
―――相変わらず元気だな。
マンゴは笑みをもらす。
昨日は失敗したが、これは滅多にないことだった。相棒は吸い付くように着地するし、軽い体重は歩くとき音を立てない。見た目は子供だが、年齢によらず、頼りがいのある、いい仕事仲間だった。
彼女をスカウトしたマンゴジェリーは、見る目の高さを自画自賛していた。自分にはつめの甘いところがある。執着も薄い。彼女の如才なさが、いい刺激を与えてくれている。彼女が必要だった。
『あたしは絶対あれが欲しいの!!』
お互いがいれば、どんなことを出来そうな気がする。
『すっごく大変そうなんですけどー』
『だからなに?
あたしたちが頑張ればいい話でしょ。
協力してよ、マンゴ』
しょーがねーなー、と呟くと、大きな目の釣りあがった、生意気そうな顔が、嬉しそうに笑う。
「マンゴ、マンゴ…」
「んあ?
ああ、俺、どんくらい寝てたかな」
「半日くらい。煩かった?」
「ああ。俺、誰かの気配を感じながら寝るの、好きだから」
眠い目をこすりながら、マンゴジェリーは起き上がった。
長い時間を横になっていたけれど、傷の痛みで熟睡はできなかった。
ランペルティーザの膝元には、灰色のどぶネズミが、こんもりと大きな体を丸めていた。
「ランプ?」
ランペルティーザはひどい顔だった。
微笑もうとしているのだが、唇がゆがんでひきつっている。瞳のなかに、卑屈なほど暗い影が差し込んでいる。
『命だけは、あたし盗めない』
「殺し」だけはしたくないと言っていた、彼女の膝に、死んだどぶネズミが横たわっている。ランペルティーザの手元は、行儀が悪いほど血で汚れていた。
「お前、なんて無理してんだよ…」
マンゴジェリーも、情けなく顔をゆがめた。
自分から作る、おどけた表情ではなく、自然に眉根がよって、唇がへの字に曲がってしまう。
彼女にこんな無理をさせるつもりはなかった。
「マンゴ、食べて」
「このまえ、逃がしたやつか、こいつ」
どうりで、枕元が煩かったわけだ。
雑然としたこの部屋の、どこかに隠れてしまったネズミを探して、ランペルティーザは一晩中駆けずり回っていたのだろう。
一睡もしていないのか。疲れきってやつれた目元が、朝日に照らされて影をつくっていた。
「マンゴ、これを食べて早く元気になって」
「無理する必要なかったのに。もう、俺は元気になったんだから」
「やめてよ。
あと二日はここでじっとしていて。でも、二日で治してよ。それ以上は、あたしのお腹がもたない」
「一緒に食べようぜ」
「いや。あんたが全部食べるの」
「ランプ」
「好き嫌いしてるんじゃないよ。
もう、あたしはどんな生き物でも狩れる。これからは何でも食べる」
ランペルティーザは笑ったが、涙が痩せた頬を伝った。
「あんたが元気になったら、そうしたらすぐ公園にいって、食べ物をさがそう。あんたが捕ってきてくれてもいいんだ。
あたし、よろこんでそれを食べるから」
マンゴジェリーは、ランペルティーザの頭をなでてやった。
「無理すんな。外へでたら、いくらだってニンゲンの店はあるんだ。
お前の好きなもん、なんでも頂いてこよう」
ランペルティーザは、子ども扱いされてもマンゴを嫌がる気にはなれなかった。今、涙が止まらない。
感情を抑えられない自分は、確かに未熟な子供だ。
『それともずっと、俺の傍で暮らすか』
大好きなマンカストラップは、ランペルティーザにそう言ってくれた。
絶対に嫌だった。
『そんなことで、教会を出てひとり立ちできるか?』
マンカストラップに迷惑をかけて、しかたのないやつだと呆れられながら一緒にいるなんて、どうしても耐えられない。
マンカストラップが生まれたままの自分を認めてくれて、特別に好きになってくれるのを祈ってた。無理だと知ってた。
『盗むより、狩りを覚えなさい』
マンカスは自分を歪めようとする。変えようとする。それが彼にとっての「良い方向」だったとしても、ランペルティーザには鋳型にはめられたように息苦しいとしか思えなかった。
ありのままの自分を愛して、必要としてほしい。
盗猫で同類のマンゴジェリーなら、まるごと自分を認めてくれると思ってた。
「勘違いしないで。
マンゴのためじゃないんだ」
いつまでもめそめそとしていられない。
ランペルティーザはぷるぷる頭を振るって、マンゴの手と涙を弾き飛ばした。
「だって、狩りもできたほうがなにかと都合がいいじゃない。
盗むのもすきだし、狩りだってする。もう、あたしに不可能はないんだからね」
自分に何ができるだろう。
傷ついた相棒の為に、自分が頑張らなくてどうするの。
ささいなこだわりや自分らしさなんて、泥に捨ててしまっていいよ。
生きる為に必要なら、いくらでも変わっていける。
そんなふうに思えるなんて、そんな日がくるなんて、教会で暮らしていた頃は思ったこともなかった。マンカスに愛されたいと願ってばかりいた、あの頃は、マンカスのために自分ができることなんて、ひとつもないと思い込んでいた。
今ならわかる。
マンカスも、自分のことを好きでいてくれた。
分かりづらかったから気づかなかったけれども、今ならそれがはっきり分かる。
何でもできるほうがいい。
できない事は、少ないほうがいい。
相手にそれを求めるのは、生き延びて欲しいからだ。
ありがとう。
今ならこころからそう言える。マンカストラップにお礼をいいたい。
「あたしのためだよ。
狩りをするのも、マンゴに元気になってほしいのも、ぜんぶ自分のためなんだ。ちょっとは、マンゴのためにと思うこともあるんだけど」
つきつめて考えると、自分はかなり自分勝手なのではないか。
あいかわらず、自分が自分が、ばっかりだ。
うーん、とランペルティーザは唸った。
「うん。ランプが自分のためにしようと思うことと、俺がしてほしいことがたまたま同じだったんだな。
ラッキー」
マンゴが、いつものへにゃっとした笑顔で、言ってくれる。
「うん、そう!そうなの」
いつだって彼は、ランペルティーザの欲しい言葉をくれる。
「ごちになります。
助かるよ、ランプ。俺、早く元気になるかんな」
「うん。本当にそうして。
あたしは心配するの、慣れてないからいやだよ」
―――怖いよ。
最後の言葉だけは、ランペルティーザは自分の胸に飲み込んだ。
「悪かったって。
ごめんな」
マンゴが怪我をしたのは、ランペルティーザを庇ったからだ。
ランペルティーザは謝りたかったけれど、そうせずに彼を叱ってみせた。
マンゴが、そうして欲しがっているような気がしたからだ。
「世話がやけるんだから!!」
マンゴジェリーは嬉しそうに笑った。
『自分のために、誰かのために』
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