路地裏にたまたま白猫が通りかかると、二匹の雄猫は色めき立った。

「やあ、ヴィクトリア!」
 とてもさわやかな声で、硬直ぎみのコリコパットが、ヴィクトリアを呼び止める。

「珍しいね、君が日中に外出するなんて…」
変に余韻の残る声で、黄色い猫が話しかけた。

「こんにちは」
気のない返事を返すと、ヴィクトリアは順番に視線を投げかけた。

「一緒に遊ばないか、ヴィクトリア!
今、ゴミ箱あさってたんだよ、俺たち」
「ごみ箱?」
ヴィクトリアは鼻を蠢かし、興味深そうに聞き返した。コリコパットは、冴えた蒼い目にじっと見つめられ、おどおどと視線を落とした。それでいて、ちらちらヴィクトリアの顔を盗み見る。

「だめだよ、ヴィクトリア。君の毛並みが汚れる。
昼間見ても、君の純白は変わらず綺麗だね」
黄色い猫はヴィクトリアの肩を抱こうとして、危うく転びかける。ふいに歩き出したヴィクトリアは、いつもどおりの峻厳な顔つきをしていた。

―――怒らせたな。
ミストフェリーズにはわかった。

ただ、お子様なニ匹はそれに気付いていないらしく、なおヴィクトリアに付きまとっていた。

「あっそうか!
そうだね。確かに毛並みがよごれちゃうよ。
じゃあ、ヴィクトリア、公園に行ってネズミを捕ろうか?
俺が狩りするところを、見せてやるよ」
コリコパットが薄い胸を張ると、余計に彼の腰の細さだけが目立った。

「ヴィクトリア、公園の池って、すごく大きな魚がいるんだよ。見たことある?
魚があつまる場所をみつけたんだ。
木の上から覗くと、水草の間を魚影がすいすい泳ぐのが見えるよ。
ヴィクトリアにだけ、場所を教えてあげる」
甘ったるい黄色い猫の声音は、作りものだっていうのがばればれだった。

「なんだよ、黄色いの!!
俺たちにも教えろよ」
「今日はヴィクトリアにだけ教える。レディーファーストだろ」
「一緒に行く!!」
「貴方たちだけで行けばいいわ。
私は遠慮する」

ヴィクトリアの白いおもては、ますます表情を失くしていく。
これ以上、のけ者扱いして、女の子を悲しませるのは良くないとミストフェリーズは思った。

黒猫は、火花を散らして睨み合う二匹の友達から離れて、ヴィクトリアに静かに話しかけた。

「ごめんな、ヴィクトリア。
気にするなよ。ただの君のとりあいだから」

ヴィクトリアは怪訝そうに眉をひそめて、すぐになんだ、そうかとため息をついた。

「本当にすまないね」
「いいのよ」

ついと顎を上げた彼女は、いつもどおりの高慢さを取り戻していた。
一瞬前には、彼女は泣き出したい気持ちを抱えていたのだと、お子様の二匹は永遠に気付かないだろう。

「このまえの舞踏会では、君、すごかったね」
「ありがとう。嬉しいわ」
ちっとも嬉しくなさそうな顔で、ヴィクトリアは踊る形の礼をした。
空気を抱きしめるように片手を泳がせて、胸元へ引きつける。片足の甲で地面をなでて、そっと頭を下げる。あまりの流麗さに、いがみあっていた二匹も、息を呑んで見つめる。

「ああ、ダンスね。それもよかったけど、君、マキャヴィティに向かっていったろ」
 
ぴく、とヴィクトリアの眉が痙攣する。

「あれはすごかったな。雄猫だって逃げ出す犯罪王に、一撃くらわせたんだから。きっとマキャヴィティも、驚いたんじゃないかな」
「え、ええ」
「だめだよ!!
もう、あんな危ないことしたら絶対ダメだ。これからは、ヴィクトリアは……俺が守るから」
そう言うと、コリコパットは真赤になって顔を伏せた。
ヴィクトリアはまともに聞いていなかった。

「あの、ミストフェリーズ?」
「うん?何」
「失礼ですけど……本当にそう思ってらっしゃるの?」
「そうって?ああ、マキャヴィティのこと?
確かに、マキャヴィティにひとりで向かっていくのは単なる馬鹿だけど、あの場合には君の勇気に感嘆するよ。
ひょっとしたら、君のおかげで怪我をする猫が減ったのかもしれないんだし」
「そんな、そんなことはないわ。
ミストのほうが、ずっとすごいわ。
長老を見つけ出したんだから」
「あはは。ありがとう。
でも、ぜんぜん別の意味で、ヴィクは格好よかったよ。
仲間のひとりとして、礼を言うね。
あの時はありがとう。おかげで、群を守れた。マンカスだってそう思ってる」

ミストは初めてヴィクトリアを愛称で呼んだ。
それを許されている雄猫は、ひょっとしたら雌猫も、この街には一匹もいないのじゃなかろうか。
ヴィクトリアは、怒らなかった。

「ミスト…ありがとう」
「なんで?
礼を言ってるのは僕のほうだよ」
「でも、長老を救ってくださったから……私も、群に代わってお礼を言いたいの。
ありがとう。ミスト。貴方ってとてもすごいのね。私、気付かなかったわ」

ヴィクトリアの顔が歪む。
それを隠すように、ヴィクトリアは震える指で口元を隠した。

気高い彼女は、一瞬で感情を抑えてみせた。
「では、ごきげんよう、皆さん。
ごきげんよう、ミスト…フェリーズ…」

一秒だけ、強くミストを見つめると、ヴィクトリアは足早に去っていった。いつもより背中が小さく見えるのは、彼女が体中強張らせて、感情が涙となってせきを切るのを、堪えているせいだった。

ミストは内心で快哉を叫ぶ。

―――やった…やった!!!

ああいう女の子は、何より一番、女あつかいされることを嫌う。
むしろ、雄と同列に肩をならべて、実力を認められたいと願ってる。
健気で気高いこころざしだった。

ただ守られることに諾々としている、気の弱いやつなんかより、彼女のそういう心の硬さが、ミストフェリーズには眩しかった。

彼女の意固地さは、他の雄にとってはただの欠点かもしれない。お子様たちは、彼女のそういう心の機微に、気付いてさえいない。
けれどミストフェリーズは、少女特有のゆらぎを、鬱屈して胸に抱え込むだけでなく、努力して自分を変えようとするヴィクトリアに、本当に尊敬の念を抱いていた。

言葉だけでなく、誰もが恐れるマキャヴィティに刃向かった。
女の子である彼女が、土壇場で逃げ出したって、だれも責めるものはいなかったのに……

彼女は、なりたい自分になるために努力を惜しまない。そして、それを認める猫をみつけると、涙を流しそうに動揺する。

無表情なのは顔だけで、本当はとても、悲しいくらい健気な猫だった。

ヴィクトリアに、特別な愛称で呼んでもいいという許可を貰った。「ヴィク」と呼んでも、彼女は嫌がらなかった。

むしろ、ヴィクトリアに呼ばれた。「ミスト」、って。
他人行儀に、つらっと「ミストフェリーズ」と言われるのではなく、万感の思いを込めて震える声で呼ばれた。「ミスト…フェリーズ」って。

―――今日はなんていい日だ!!

お子様たちは、恨めしそうに黒猫を見ている。ミストは胸を動かさないよう注意しながら、深く息を吸い込んだ。
いくら友達だからって、恋だけは譲れない。

ミストフェリーズは、有無を言わさぬ笑顔で彼らを振り返った。

「コリコ、僕にも狩りを見せてくれよな」
まず、幼馴染に微笑みかける。

「いいけど……」
コリコパットは口を尖らせて、わだかまりの篭もった声で言った。

「じゃあ、どっちが先にしとめるか、競争するぞ。
公園へ行こう、黄色いの!」

ここで走り出せば、コリコパットの頭はすぐ勝負事でいっぱいになる。
むしろ、どっちが先に公園につくか競争だぁ!と、勝手に勝負の種を増やしてくれる。

「ミスト、お前、ヴィクトリアが好きなのか?」

問題は、黄色い猫だった。

走り出したコリコパットも、急ブレーキで立ち止まった。まっすぐに黒猫の顔を見つめる。

「あのなぁ、黄色いの」
ミストフェリーズは黄色いのの肩を叩こうとしたが、身長差ゆえに届かず、代わりに彼の厚い胸板をぽんぽん叩いた。
「子供じゃないんだから、告白大会なんてやめよう。な?
僕が誰を好きだろうと、お前がヴィクを好きなことに変わりないだろ?」
「問題をすり替えるなよ」

黄色い猫の上目遣いは、とてもとても陰険だった。
ミストよりよっぽど背が高いくせに、顎を引いて見上げるようにミストをねめつける。
この顔を、彼の親分のギルバートに見せてやりたいと、ミストフェリーズは思った。

「ヴィクのこと、いいなと思ってる」
「ええええええーっ!!」

コリコパットの叫び声が、黒猫の耳をつんざいた。

「嘘だろ、ミスト!!
俺、お前だけには可哀そうなことしたくねぇんだよ…」

いや、別にコリコはまったく、ぜんぜんヴィクの視界に入ってなかったから…しかし、その心意気はうれしい。

「ありがとう、コリコ。
僕に遠慮するなよ」
「ごめんな、もし、俺がヴィクトリアと恋猫同士になっても、お前は俺の友達だよな!!」
「あたり前じゃないか…!
僕たち、何時までも親友だ!」

小さな猫同士は、がっしりと手を握り合った。
そよ風が草の香りをはらんで、二匹の間を吹き渡った。

問題は、黄色い猫だった。

「ふぅん。ミストってそうだったのか。
今まで、一度も、そんなこと言ったことなかったよな……」

半眼で流し見られると、ミストフェリーズの真っ黒の毛並みが逆立つ。

「なかなか言い出せなかったんだ…ごめんな!」
「いいよ、気にするなよ、ミスト。言いづらかったんだろう?」
「コリコは、それでいいのか?」
絡み付くような口調で、黄色い猫が問う。コリコパットは、きりりと口元を引き締めた。

「もし、俺たちのうち、どっちか一匹だけが彼女を好きだったら、きっとミストは言ってくれた」

続けて、一気に言葉を吐き出す。

「だけど、俺たちが彼女を取り合ってるから、言い出せなかったんじゃないか。俺は、ミストの気持ち、わかるよ」

「コリコ…」
これには、黄色い猫も沈黙させられた。
本当に、コリコパットはいいやつなのだ。

でも、それでもやっぱり、一年後、彼女の隣にいるのは自分のような気が、ミストはしていた。

コリコも黄色いのも、いいやつなのだがヴィクトリアを知らなさ過ぎる。
そして、他にいま、彼女のそばにいる雄といえば、あの…

「よう、久しぶりだなミスト」





2へ続く