「っぶしゅん!!」
まだ日の高い表通りには、買い物客が溢れていた。
見せびらかすようにとりどりの商品が、ガラスケースの中から微笑む。つやつや光った魚に、手をかけている猫が居る事を、客たち全員が気付いた。店主もだ。
へ?とすっとんきょうな顔をしたランペルティーザは、鼻水をすすりもせず硬直した相方を見つめていた。一瞬の出来事だった。
彼らニ匹は疾風を巻き起こして勇退し、店主はあっけにとられた後、気付いた時には泥棒猫を取り逃していた。
「すんません!!」
「ほんとだよ!まったくぅ」
「ほんとごめんな。俺としたことが、なんでか鼻がむずむずしちゃってさ」
「いいよいいよ。もうこんなことないだろうし」
「ほんっとーにごめん!この埋め合わせは絶対今度、な!」
「マンゴ!!」
ランペルティーザの透明な高い声が、マンゴジェリーの身体を突き抜けた。
「もういいって、マンゴ。あたしたちはコンビでしょ。
かたっぽがミスしたら、残りの一方がフォローするの! そんなのいちいち、本気で申し訳がらないでよ」
「ラン…」
「マンゴだって、……あたしのせいで、怪我までしたじゃん」
ランペルティーザの視線が、マンゴジェリーの筋張った長い脛に注がれる。毛並みに隠れて、白い傷が長く線を引いて残っているはずだった。
ランペルティーザが割った透明なクリスタルに、マンゴジェリーは傷つけられた。化膿させて、数日、身動きとれなかった。そのとき、ずっと彼に付き添って見守ったのは、ランペルティーザだった。
「そんなに、謝らないで、よ…
ねぇマンゴ、あたしたち、コンビだよね」
「あ、あったり前だろ!!他のなんだっていうんだよ」
一緒に暮らしていて、恋猫でもなくて、親子でもない。
「だったら、マンゴがあたしにしてくれたみたいに、あたしだってマンゴにしてあげられることあるよ。
それとも、そんなこと期待してない…?」
「そんなの、いっつもしてもらってるって!!」
マンゴジェリーの声が裏返ると、ランペルティーザは生意気そうな大きな瞳を細めて、嬉しそうに笑った。やはり、澄んだ鈴音のような笑い声だった。
「だったらさ。お互いさま。
あたし、今日はちょっと嬉しいくらいだったよ」
「な、なんで?
だって今日は、もうあの店には近づけないし、ランプの欲しがってた魚も、手にはいらなかったじゃないか」
マンゴジェリーは、背中に汗をかきながら、小さな猫を見下ろした。
細くて、肩幅なんて彼の半分ほどしかない。頼りない体と、気の強い顔立ちを持った彼のパートナーを見下ろす。
「だってさ。ふふ、マンゴだって大失敗すること、あるんだね。
くしゃみした時のマンゴの顔ったら!!」
どうしてなのか。マンゴジェリーは頭がぼーっとするほど、嬉しいと思っていた。
「お、俺な、本当のこと言うと、結構ちょくちょく失敗してんだよ。
誤魔化すのが上手いだけでさ。本当は、最初の予定と違うじゃん!って事いっぱいあるんだ」
「へえ?!
そうなんだ。マンゴはいっつも余裕なのかと思ってたよ」
「違うって!!
無理しないだけだ。格好悪いことすんのやだから、適当に、やってればいいかなって」
無理をおしてまで欲しいものなんて、今までなかったし。
だから、だから、ものすごい秘密だって胸のなかに隠してる。
「へぇ!!
なんか、今日はいっぱいマンゴのこと知れて、面白い」
また、背筋がぞくぞくするほど嬉しい!と、思う。
「え?なんで。
俺のことなんて、別に…」
「マンゴ、どうしてあたしにそんなこと言うの?」
びくりと、マンゴジェリーの痩身が跳ねた。ランペルティーザの大きな瞳が上目遣いで睨むと、ものすごい迫力だった。おとなの雌だって、かなわないのではないだろうか。
「あたし、マンゴのこと知りたいし。マンゴのこと知ってたら、仕事のとき、マンゴがどうして欲しいかすぐわかると思う。
マンゴはあたしをすごくわかってくれているじゃない」
「え?そうかな。普通だと思うけど」
「んなわけないでしょ。
マンゴは、子供の頃からずっと一緒に暮らしてた猫たちより、あたしのこと知ってくれているんだよ。なんでかわからないけど。
あたしもそうなりたいな。コンビってそういうもんでしょう?」
マンゴジェリーは大きく口を開いて、閉じることができなかった。思ってもみなかったことを言われて、思考が停止する。頭が真っ白になる。
「とりあえず、マンゴ、あんた風邪っぴき。
今日はねぐらに帰ろうよ」
「いや、別にこんくらい平気…」
「だめ!!」
ランペルティーザは、自分の頭の位置にある相棒の薄い肩を掴むと、ぐっと体重を乗せた。
軽いものだったけれど、マンゴジェリーは彼女の意図を察して腰を折った。
瞳を同じ高さに。
ランペルティーザは額を押し当てて言った。
「ほら、あたしの額、冷たいでしょう。ね、ほっぺたも。マンゴ、熱があるんだよ。
寒かったしね、この頃。今日はゆっくりしようよ。一日食べなくても死なないし」
ほお擦りして、小さな雌猫は木枯らしからマンゴジェリーを守った。
「俺、なんか急に熱っぽくなったかも」
「そうだね。自覚してるのとしてないのじゃ、大違いだと思うよ」
「うん。俺、もうだめって感じ」
「はいはいはいはい。自分の足で歩いてねー」
なぜなのか。
この小さな雌猫は、かつてないほどマンゴジェリーを喜ばせる。
そんなことは、今日だけではなかった。
頼られる。嬉しい。
頼ってもいいらしい。嬉しい。頼もしい。
『マンゴのことならいつだって分かるよ、あたしは』
そう言われたこともあった。
なんでもない、当然のことのようにさらっと。
マンゴジェリーは痺れた。
「なんか、いっつも嬉しがらせてもらってばっかだし。たまには、俺も嬉しがらせたいよな」
寝床に押し込まれて、おとなしくするよう言いつけられながら、マンゴジェリーはわくわく計画を練った。
喜ばせたかった。
『知ってる?
ガスってお姫様と知り合いなんだよ』
『は?』
またあのじーさんの長話か。
『あのね、嵐の日にね、ガスの芝居を見に来たお姫様がね、ガスに宝石をくれたんだよ!!』
自慢しかすることないのか、じーさんは。
『へー』
『その子の一族みんな、お城かお寺の中でしか暮らしたことなくて、外にでたこともないんだって』
『ふーん、ひょっとして、タントミールみたいに短い毛並みの?』
『マンゴ、ガスからこの話、聞いてたの?』
『いや、初耳の話だけど…』
『そっか。お姫様はね、あたしと同じオレンジ色の目をしてたんだって。カッパーオレンジだってさ。
そんで、ガスがお姫様から貰った宝石を、見せてもらったの今日!!』
『へえ。で、どんな宝石?』
『白っぽくて半透明で、これくらいの大きさで、まるっこくて可愛いの!』
『へえ…』
数日前の、興奮した相棒の顔を思い出し、熱で真赤に茹で上がったマンゴジェリーはにやにや微笑んだ。相棒は、ふたりで食べられるようなものを探しに行って、留守だった。
『いいなぁ…ガス。羨ましいよ』
喜ばせてやろう。
熱が下がるのが、待ちきれなかった。
2へ続く