「で、あっちの大きなお屋敷に住んでるのがジェニーおばさん、ジェニエニドッツと、バストファージョーンズさん。お屋敷の主人に飼われてるのがバストファージョーンズさんで、勝手に住み着いてるのがジェニーおばさんな。
バストファージョーンズさんは紳士だから、遊びにいっても歓迎してくれるけど、あそこの生き物はねずみどころかゴキブリ一匹殺したらだめだ。
みんなジェニーおばさんのペットだからな」

公園の隣にある、公園より大きなお屋敷を指差しながらギルバートは説明した。黄色い猫は熱心に聞き入っている。

先ほどギルバートは運良く大きな鳩をしとめていた。池の水もたっぷり飲んだし、暑くも無く寒くも無い満ち足りた朝だったが、二匹の間の空気はどこか軋んでいた。

「昨日も言ったけど、町の中心にあるゴミ捨て場と、この池の向こう側は誰が通ってもいい。喧嘩は通行の妨げにならない程度にしろ」
「昨日会った、あの猫はどこに住んでるの」
「お前に関係ないだろ」
「関係なんて全然ないよ!でも、どこに住んでいるの?」
「…一昨日お前がカラスに襲われたあたり」
「やっぱり」
黄色い猫は悔しそうに眉をしかめた。

「だからギルは、あんなに早く帰ろうって急かしたんだ」
「ランパスキャットのナワバリで、餌場を勝手に荒らしたなんて知られたら、面倒どころの騒ぎじゃないんだぞ。今でこそ落ち着いてるけど、ランパスは若いとき名の通った悪者だったんだから」

カラスだってランパスキャットにだけはくちばしを挟まない。彼がきたらガアと鳴いて飛び立つだけだ。

「強いのか?」
「お前だって、昨日わかっただろう?俺たちじゃまだまだ適わない」

それでもいつかは、という気がギルバートにはあるが、それは黄色い猫には教えてやらない。 馬鹿力だけがとりえの、こいつにやすやす押さえ込まれるようじゃ、まだまだランパスに挑戦する価値がない。

「ギルは、あいつのこと好きなんだ」
ギルバートは黄色い猫のあまりの台詞に絶句した。

「昨日だって、あいつのことぼーっと見てた。僕といるときも、あいつのこと思い出してたんだろう。僕のことは大嫌いだって言ったくせに」
「そりゃあ、お前…名前を教えない自分が悪いんじゃないか」
「僕は正直に言った!本当に無いんだ!」
「そんなわけあるか。名前の無いものなんて、この世にひとつも無い」
「だって本当だ!!」
「いいかげんにしろ。しつこいぞ」

構わず歩き出したギルバートを、黄色い猫が後ろから抱きしめる。

―――しまった、また
本当に、これではランパスに挑戦できるのは何時の日か。

訂正する。こいつのとりえは、馬鹿力ともうひとつ。
気配が無い。
抱きすくめられるまで、ギルバートには黄色い猫が何をするつもりなのかまったく分からなかった。

「でも、ギルは約束を破れないんだよね。ここ3日一緒にいただけでわかっちゃった。ギルは自分で言った事は絶対守ろうとするんだ。だから、だいっきらいな僕のことも追い出せない。ざまあみろだ」
「お前、俺を怒らせたいのか」
「違うよ。仲直りしたいんだ…」
「それでどうしてそういう言い草になるんだ」
「わかんない。どうしたらいいのか。ギル、どうしたら許してくれるの」
「どうしてそれを俺に聞く…」

風が吹き渡る気持ちのいい朝に、奇妙な膠着状態が続いていた。ギルバートはもう半分、許してやってもいい気になっていた。
ただ、黄色い猫の計略にまんまと乗っけられるのが、癪に触る。ギルバートが頼られると弱いということを、この黄色い猫はちゃんと見抜いている。

そう、甘えられると、からきし弱い。ここ数日でギルバートは自覚しつつあった。それを気付かせたのが、自分より1.5倍デカいこの黄色い猫だったのは非常に皮肉だが。

黄色い猫に、掠れた声で遠慮がちに名前を呼ばれると、胸をかきむしられて居ても立ってもいられない。なんでもしてやりたくなる。背の高い身体で、小首をかしげるように顔を覗き込まれると、黄色い耳ごと頭をわしゃわしゃ掻き回さずにいられなかった。

「ねえ、どうしたら許してくれるの?なんでもするから」
「じゃあ、俺の分の夕飯も取って来い。生きのいいやつ」
「そうしたら許してくれる?」
「しつこいぞ」

黄色い猫はギルバートの肩越しににっこりと微笑んだ。ギルバートはしかめつらを作るのがやっとだった。
 




おい。
大丈夫なのか?

ギルバートは大木をよじ登って行く大きな黄色い猫を見上げていた。
ランパスのテリトリーに近い、公園の片隅で、黄色い猫は大木の幹に爪を立てる。広い公園には、近くにニンゲンの姿もない。黄色い猫のしがみついている大木は、高い空に濃い緑の葉を茂らせている。根元に下生えが育たないほど鬱蒼とした影を投げかけ、むき出しの地面の上で、ギルバートは黄色い猫を見上げ、呼びかけた。

「もういい!戻ってこい」
「もうちょっとだよ!!大丈夫!怖くないから!」

そういう問題ではなかった。黄色い猫は上ばかり見ているから、いまいち危険感が薄いのだろうが、相当高いところへ登ってしまっている。

「見てて」と、この大木の下で黄色い猫にお願いされ、待たされているギルバートにも、彼がなにをしたいのか予測がついてきた。空から警戒するようなさえずりが、ひっきりなしに降ってくる。枝には鳥たちが隠れている。

おそらく、黄色い猫は獲物を探しに行ったのだろう。
ギルバートはだんだん苛立ってきた。

「下りて来い!もう怒ってないから!!」

そう言う口調がすでに叱り付けていた。ギルバートの怒りには正当な理由がある。登るのは簡単なのだ。身軽な猫にとって、自分の重さを爪だけで支えることも、垂直の壁を駆け上がることもさして難しい技ではない。

問題は降りる時だ。

三日月のような爪は、登るには深く木肌を噛むが、降りるぶんにはつるりと抜けてしまう。あんな高いところから、足がかり爪がかりもなく降りるのは、至難の技だ。下手を打てば怪我をする。落ちたとして、猫の跳躍力と柔軟性を持ってすれば、空中で回転して足から着地できるだろうが、本能を置き忘れたようなあの猫に、そんな芸当が出来るだろうか。

実は、ギルバートにも子猫のころ高い枝で立ち往生して、喉が嗄れるまで助けを呼んだ苦い経験が…それ以来高いところは苦手だ。

すでに黄色い猫の姿は、枝に茂る葉っぱに隠されて見えなくなってしまった。それほど高い場所へ行ってしまったということだ。

ギルバートはやきもきしながら、あいつが戻って来たらどうおしおきしてやろうかと、そればかりを考えていた。
口を利かない。頭をひっぱたく。まったく足りない。
こんなに心配させやがって!!

「木登りか?子猫ちゃんたちは無邪気でいいねぇ」
「…ランパス」

黒と白がはっきり分かれた、まだら猫のランパスキャットが、いつの間にかギルバートの傍に近づいてきた。

「珍しいな。出不精が二日続けて姿をみせるなんて」
「ここはみんなの共有スペースだぜ?俺が散歩に来たって、なんの不思議も無えだろう」

そわそわと落ち着かないギルバートを面白そうに見つめてから、ランパスキャットも梢を見上げた。

ギルバートの知っているランパスキャットの生態は、こうだ。狩りのエキスパートでもあるランパスキャットは、深夜に起きだし、なわばりである繁華街の裏道で、よりどりみどりの獲物を探す。レストランが多いせいで潤沢な生ゴミを漁ってもいいし、それを目当てに集まる小動物を狩ってもいい。そして極度の面倒がりの彼に、このような共有スペースで出くわすことは滅多にない。

ランパスの側に忌避する理由はないから、どこへでも行きたいときには気まぐれに足を向ける。ただ、いつもは面倒なだけで。

昨日の事は、ランパスの気まぐれで説明がつく。それでも、二日続けて、しかもまだ日の高い時間にやってくるとなると、ギルバートたちの動向を面白おかしく観察するためだとしか思えない。

「ギル!!!」
姿は見えないが、黄色い猫の声がやっと答えた。

「お前、聞こえているんなら下りて来い!下りられるか?」
本当に降りられるのか? 

ギルバートは空に向かって叫んだ。葉っぱの影に隠れて、黄色い猫がどこにいるのか見当も付かないが、声は予想より高いところから降って来た。猫の体重を支えるのさえやっとというような、細い枝に足を踏み入れて、身動きできずにいるのではなかろうか。ギルバートはいらいらとこぶしを噛んだ。
ランパスキャットはのんきに梢を見上げている。

いざとなったら、マンカストラップがしてくれたように、自分もあの大きな猫を救出しにいかなければならないだろう。

鳥たちがいっせいに大木から飛び立った。どこに隠れていたのかと思うほど、数が多かった。
それと同時に、ギルバートの予想より遥かに高い位置で枝がゆれ、鳥の警戒する声が鋭く響いた。葉がばらばらと落ちてくる。
枝の上のほうでかすかに、ぶにゃっとか、シャー、とか、威嚇しているのか悲鳴を上げているのか判別しがたい黄色い猫の声が聞こえてきた。

あいつ、キツツキにでもつっつかれてるんじゃ…

「あの馬鹿猫!」

ギルバートは太い幹に飛びついた。よじ登っていると、ランパスキャットの笑い声が背後から追いかけてきた。枝の中は水を打ったように静まりかえっている。笑われたことより、そのほうがよほどギルバートには重要だった。

うるさいほどだったさえずりも、鳥たちが飛び立ったあと消えた。巣を荒らされて怒り狂っていたはずなのに、数羽分のけたたましい警戒音も消えてしまった。
幾重にも重なった枝に遮られて、何があったか下から窺い知ることはできない。黄色い猫が心配だった。
ふいに、高いところから、ぽーんと黒い影が投げ出されて落ちてきた。

ギルバートは、しがみついていた大木から爪を抜いて地面に降り立つ。枝から落とされた黒い影に駆け寄った。地面に落ちて重くバウンドした物体に、ギルバートは祈る思いで近づく。それは猫より一回り小さい。小麦色の猫じゃなかった!!

灰色の鳥だった。
もうひとつ、同じような影がギルバートの頭上を掠めて落ちてくる。

みっつ、よっつめ。
合計四つの死体。
それだけでは終わらなかった。
ギルバートは最初、天から籠が落ちてきたのかと思った。丸くて軽いものが高いところから落ちてきて、地面に跳ね返って中身をばら撒く。小さな鳥。
中身は雛鳥たちだった。
蒼白になったギルバートの傍に、もうひとつ同じものが落ちてくる。木々の小枝で編まれた鳥の巣。それも子育て中の。
ランパスキャットはもう笑ってはいなかった。

茂った葉の間から、黄色い頭がひょっこり姿を現す。勢いづいて止まらないというように、垂直に幹を駆け下りてくる。黄色い猫は地面まであと3メートルほどのところで幹を蹴って、下生えのないつるりとした地面に鮮やかに着地した。

「ギル!」

耳の横や肩、そこかしこに小枝や緑の葉を絡ませた黄色い猫は、ギルバートに抱きつきランパスキャットを睨んだ。ギルバートは地面に落ちてもがく雛鳥を見つめていた。

「いっぱい捕れたでしょう。好きなだけ食べていいよ」
「触るな」
「えっ?」
ギルバートは爪を剥きだして、黄色い猫を振り払った。怪我をさせようとかまわなかった。

「なに?ギルバート…どうしたの?」

黄色い猫は訳がわからないというように声を震わせたが、呼び方を愛称からギルバート、と本名に変えたあたり、彼が激怒していることに気付いているのだろう。他猫の心には聡いらしい。小賢しかった。

「ランパス…済まないが、これを…出来るかぎり引き取ってもらえないだろうか」
「いいぜ。まあ、親鳥ひとつがい、ってところで、さすがの俺でも限界だな」
「すまない」
「何?!なんで勝手にこんなヤツに分けて上げるの?ほっといて帰ろうよ!今日はもう、狩りをする必要はないんだから」
「今日どころか、1週間でも食いつなげる量だ」
「だったら…」
「馬鹿やろう!! そんなに取って置けるわけないだろう? 腐らせちまうのがおちだ!!」
ギルバートは黄色い猫の目をまっすぐ見据えて怒鳴った。むくれていた黄色い猫は、そこで初めてギルバートの黒い瞳に涙が盛り上がっているのに気付いた。

「なんでこんな余計なことをしたんだ…っ!! 親鳥一羽だけでも、今日の糧には充分だっただろう?」
「だって…」
「こんなに無駄に殺しやがって。……反吐がでる」
「ギル!」
吐き捨てるように呟いたギルバートに、黄色い猫は悲鳴を上げた。

「そう怒ってやるなよ、ギルバート」

ランパスキャットは、うつむいてしまったギルバートの頭をなでながら言った。

「狩りの最中には、血が騒いで、適当なところで切り上げられない時だってある。お前にも経験があるだろう?そんなにこいつを責めるばかりじゃ、可哀そうだ」

「お前には関係ない!!」
背丈だけは勝っている黄色い猫が、ランパスキャットを見下ろして叫んだ。

「俺にあたるなよ。庇ってやってるんだから。
とにかく、馳走になった」

面倒に巻き込まれるのは御免、とばかりに、二羽を掴んでランパスキャットは立ち去った。後に残されたニ匹のうち、黄色い猫は声を立てることも出来なかった。

甘えることもできない。
ギルバートがそれを許さないだろうということが、黄色い猫にもよくわかっていたのだろう。

ギルバートは、地面でもがく雛鳥を拾った。口内に迎えて、噛み砕く。
堪らなく苦かった。
それでもすべての雛鳥を、ギルバート一匹で食べきることは出来ない。黄色い猫は突っ立っている。怪我の治りきらない黄色い猫が、後で食べられるようにと、ギルバートは彼がしとめた親鳥の死体を手に持った。ぱたぱたともがく雛を残して。

「帰るぞ」
両手に重く獲物を下げて、暗い家路をたどった。空には星が瞬き始めていた。



5. 裏切り
別館請求ページへ