あやしいバイト(仮) 1

シチュエーション萌え。
埋め草のつもりだったのにうまく収まらなかった。
タイトルは、付けてもらったレスの『怪しげな実験?』というのをあぼ〜ん用NGワードにしやすいかと思って投下二回目から入れた。


 寒空の下、なんで親子三人公園のベンチに集合しているのだろう、と父の顔をじっと見つめる。
 父はにこやかに言った。
「松下家、解散」
「は!?」
 兄ちゃんと私の声が重なる。
「解散って、ちょっと。何ですか。今流行だからと思って笑いが取れるとか思ってますか」
 人はうろたえると敬語になるんだろうか。
 兄ちゃんの問いに父はにこやかな笑顔を情けなく歪めた。
「いや、本当に。君たちには申し訳ないけど解散です。父さんは行方をくらませます。ついでに言っておくと、もしも風の便りで父さんが死んだことがわかったら、相続は放棄しなさい。借金しかないから」
 なんだそりゃ。
 昨夜父は、明日の午後1時にこの公園に集合、と言い置いて仕事に行った。
 午後1時といえば父の仕事が終わってちょうど家に帰ってくるくらいの頃合いで、それなら家にいたっていいじゃないか、と思っていたのだが、父は集合の際の注意事項を言っていた。
 持てるだけでいいから当座の着替えや現金を絶対持ち出してくること。
 朝帰りをしてきた兄ちゃん――こっちは違う石けんのにおいをさせて帰ってきた。仕事じゃなく遊びだ――にも伝え、二人してスポーツバッグやリュックにぎゅうぎゅう荷物を詰め込んで公園に行った。
「まるで夜逃げだよ」
「今、昼間だよ」
 そう言って兄ちゃんと笑いあいながらやって来たのに。
「借金がふくれ上がって、あの家は担保で取られることになった」
 それって明け渡しまでにもう少し猶予とかがあるものじゃないんですか。
「和樹はもう就職しているし、無理をして一人暮らしができないこともないだろう。問題は結衣。おまえだ」
 大問題だ。十七歳の女子を、あと一週間で十八になるとはいえ、二日前に高校の卒業式は済んだとはいえ、十七歳の女子を「解散」の一言で放り出して、それで父親の監督責任は果たされるとでも思うのか。
「おまえは――ものすごく父さんに似てしまったからな」
 そこか!
 まずそこから入るのか!
 そう。私、松下結衣は大変にこの、目の前でしょぼくれている父親に似ている。
 女の子は男親に似る、逆に男の子は女親に似る、とよく言われるが、私たち兄妹は実に忠実にそれぞれに似た。
 兄が色白で華奢で、黒目がちの大きな目に影を作るほどまつげを密集させているのに対し、私は色も浅黒く骨太だ。
 眼や鼻のパーツがそう悪いわけではないが、眉毛が薄い。
 父がしょぼくれて見えるのも、私が中途半端に薄幸そうなのもこの眉が原因だ。
 そして胸にも尻にも肉がない。
「だから、女の子が手っ取り早く稼ぐ方法がおまえには使えない」
 そして父さんは、すまん、と謝った。
 そこで謝るな!
 女としての私を全否定か!
「なんとかしてくれ。以上。解散!」
 そう叫ぶと父は脱兎のごとく逃げ出した。
「あっ! ちょ!」
 私も兄ちゃんもまったく反応できなかった。
 きっとこの公園を集合場所と決めたときから父さんは逃走経路のシミュレーションをしていたんだろう。
 もしかしたら逃走のことしか頭になくて、それで思いつくままに「解散」と言ったのかもしれない。
 なにしろ流行だし。
 はあ、と溜息をつくと、隣で兄ちゃんは携帯を取り出した。
「あー、もしもし? 高明? あのさー、同棲しない?」
 飲み物も何も持っていないのに私はぶはっと吹き出しそうになった。
 今聞こえたのは男性名だったような。
 確かに兄ちゃんの顔は整っている。私のクラスメートなんかはあからさまにそういう方向の萌え対象として兄ちゃんを紹介して欲しがったりした。私もちょっと疑ったことはある。
 けどまさか。

 三十分後。
 兄ちゃんの隣にはガタイのいい、短髪黒髪の目の鋭い男性が立っていた。
「兄ちゃん? あのー?」
 恋人、って聞いていいものなんだろうか。
 聞いて、うん、と肯定されたとしてどんな反応をすればいいんだろうか。
「なんだ? 兄ちゃんってことは和樹の妹なのか? 似てねえな」
 すごみのある声で言われた。
 泣かない。
 似てないのは一目瞭然だ。
「妹だよ。あのさー、俺らオヤジに捨てられちゃったんだよ」
「はあ?」
 兄ちゃんは、さっきのあまりに適当な父さんの様子を説明する。
「ああ、なるほどな。で、同棲。バカか、おまえは」
 この人をなんて呼んだらいいんだろう。彼は兄ちゃんの頭をゲンコツで軽く叩いた。
「そういうのはな、独り立ちできるまで居候させてください、っつーんだ」
「俺、同棲でもいいもん」
 どっち!?
 どっちなの、この二人!?
 私の混乱をよそに、なんだか妙にいちゃいちゃして見える二人だったが、そのうち兄ちゃんじゃない方が私に目を向けた。
「妹。おまえはどうするんだ」
「どう、と言われましても」
 高校卒業したての十七歳。しかも保護者無し。
 仕事も住む場所も一人で見つけられるとは思えない。
 だが、この二人を邪魔してはいけないような気がする。
 というか。
 邪魔するな、とこの人の目は言っている。正直ちょっと怖い。
「学校に行ってみます」
「おまえ一昨日だったか卒業式じゃなかった?」
「うん。進路やなんかは学校に報告しろ、って言われてるし。ある意味進路でしょ。それにもしかしたら進路指導室に何か手があるかもしれないし」
 これでいいですか?
「でもよー。なあ、高明。おまえんとこ……」
「おまえが来るなら妹は無理」
「なんで」
「おまえ、妹にあんな時の声を聞かせたいか?」
「なんだよ、あんな時って」
 うわああああ。やっぱりそうなのか!
 私はじりじりと後ずさった。
「善は急げって言うからさ! 兄ちゃんアディオス! またな! 私は学校に行くよ!」
 そうして私も父さんの後をなぞるように脱兎のごとく公園から、というか、兄とその恋人から逃げ出したのだった。

 とはいえ。
 学校に過度の期待をするのは禁物だ。
「失礼しまーす」
 がらがらと引き戸を開ける。職員室にはちょうどいいことに一昨日まで担任だった先生もいた。
「松下か。どうした。どっか結果でも出たか?」
 入試結果は学校にも連絡が行くはずだが、個人で連絡に来る者もいる。
「いやー。あの、すごいことになっちゃって」
 ぺたぺたと裏の薄いスリッパをならしながら先生の席まで行く。
「実は家無しになっちゃいまして」
 てへ、っと笑ってみる。
 先生は
「は?」
と言ったきり動かなくなった。
「あのですね。父が出て行きまして、家は私にはよくわからないんですが担保に取られたとかでもう帰れなくて」
 この説明でいいのだろうか。
「で、進路っていうかですね。たとえ合格してても、私、もうどこへも入学できないんですよ。入学金とか払えないから。だから就職を」
「そりゃ無理だわ」
 即答だ。
「おまえ、3月に入ってから就職って、そりゃどこも締め切ってるわ。高卒とる会社なんてそんなもんだよ。早いところはもう社内研修始まってるよ。求人票ももう無いよ」
「やっぱり」
 どちらにしても。
 就職する際の保証人さえいないのだ。
 兄ちゃん、という手もあるが、兄ちゃんだって社会人3年目だ。保証人として妥当なのかどうか私にはわからない。
「おまえ、確かG大合格してたよな」
「してましたよ。でもこの様子だと多分入学申込金を払ってないです」
 そんなお金は無かっただろう。
 ああ、母さん。なんであなたはあんなぼんくらな父さんと、兄ちゃんと私を残してお星様になっちゃったんですか。
 あなたがいればもうちょっと何とかなったような気がする。
「奨学金がもらえるほど――」
「まぐれ合格に何言ってんですか」
 先生と二人、がっくりと肩を落として溜息をつく。
「バイトは?」
「してません。今から探そうにも、住むところがまず無いんですよ」
 先生は、うー、とか、あー、とか呻った。
「そりゃ参ったなあ」
 学校には手だてはない。
 私は立ち上がって、荷物を抱えた。
 今となってはこのスポーツバッグとリュックが私の全財産だ。
「どうもお世話になりました。何か進展があったらまた来ます」
「う、あ。力になれなくてすまん」
 いや。想定外ですよね、こんなの。
 声に出すのははばかられたので、苦笑混じりに会釈して私は職員室を出た。
 行くあてがない。
 三月に入ったばかりだ。外はまだ寒い。野宿、というわけにもいかないだろう。
 でもお金はない。
「父さんも父さんだ。服だけじゃなく缶詰とか長期保存ができそうな食べ物も一緒に持ち出せ、くらいのことは言っても……」
 そんなものは家に無かったが。
 愚痴を言って、ふらふらと歩き出す。
 学校にいても仕方がない。学校の宿直室に泊めてもらうわけにもいかない。
「なんだかなあ」
 こういう時に一泊くらいさせてくれるような友達さえいないことに気が付いて、ちょっと情けなくなった。

 本当なら4月からは大学生だったのだ。
 私は通うはずだった校舎を見上げた。
 ふらふらと歩く内に唯一合格通知をくれた大学まで来ていた。
「大学生になってからだったら、こんなに困らなかったのになあ」
 せめて自分の所属がはっきりしてからだったら、こんなに不安にならなかったのではないかと思う。
 今の私は何でもない。
 高校生ではなくなった。
 大学生にはなれなかった。
 ただの十七歳、もうすぐ十八の、何の取り柄もない、容姿もぱっとしない女子だ。
 ふらふらと学内に入っていく。
 部外者お断り、って立て看板があったけど、別に誰からも咎められない。
 咎められたって構わない。
 そう思って相変わらずふらふらと歩いていて気が付いた。
 咎められるもなにも、まず人がいない。
 学部数も多いマンモス校なのに、受験者だけでもそうとうな数がいたのに不思議なこともあるものだ、と思いながら掲示板でふと目を留めた。
 バイト募集、の文字が躍る。
 これだ! と思った。
 大学生向けのバイト募集のチラシが所狭しと貼ってある。
 家庭教師なんかはごまかしもきかないし、住むところの確保もできないが、探せば何かあるかもしれない。
 春から学生なんです、今はまだ学生証が無いです、でせめて働き口だけでも確保できないだろうか。
 私は掲示板にはりついた。
「きみ。ちょっとよけてくれる?」
 後ろから柔らかい声がかかった。
「え? あ、すみません」
 慌てて避ける。
 白衣だ。
 大学の中にはほんとうに白衣を着てうろうろする人がいるんだ。
 ぽかん、と見つめていると
「きみ、学部は? 何年?」
と聞かれた。
「え? あ、え、えと……」
 その人はくすりと笑った。黒縁めがねの奥の目が細くなる。
「やっぱり学生じゃないね。春休みに出てくる学生はいないから、こんなところでバイトを探しても何もないよ」
「あ!」
 そんな落とし穴があったとは。
 だから人が少なかったのか。
「で、きみはここで何をしてるの?」
 その人は掲示板に貼られた「バイト募集」の紙をべりべりと剥がしていく。
「それは?」
「ん? 募集期限終了。決まったのもあるしそうじゃないのもあるし。基本的にここのは理学部の学生対象だから、きみが行けそうなのはないんじゃないかな。たとえ詐称しても」
 お見通しだ。
「そうですか……」
 ほんとにどこに行けばいいのやら。
 ネカフェ難民が問題になっている、なんて聞くけど、今の私にはネカフェに行くお金さえ無い。
 この寒いのに、温かい缶コーヒー一本買えやしない。
「すごい荷物だな」
「全財産です……」
 二度と会うことはないだろう人に何を言っているんだろう。
 同情して欲しいのかな、私は。
 憐れんでほしいのかもしれない。
 せめて缶コーヒー。いや、チロルチョコ一個でもいいです。恵んでもらえないですか。
「なんで全財産持って移動してるの。ちょっとおいで。話を聞こう」
 背負っていたリュックをぐい、と引っ張られ、私は後ろ向きに連れて行かれた。

 なんだかよくわからない機械類がごちゃごちゃと置いてある部屋だ。
 その部屋の一番奥にある大きな机に座ると彼は言った。
「名前、年、住所」
「は? あ、松下結衣と言います。十七です。住所は、つい数時間前に不定になりました」
 そうか、私住所不定だ。
 口に出してみたら妙に可笑しかった。
「いきさつを聞いてもいいかな」
「今流行のホームレスなんとか、ってやつですね。あ、私は中学生じゃないですけど。父が突然家族の前で解散宣言をしていなくなりました。それがその数時間前のことです」
 なんてばかばかしい話だろう。
 自分で言っていても現実味がない。
「あそこにいたのは? やっぱりバイト探し?」
「はい。一文無しなので」
 金目の物も持っていないので。
 ついでに言うと、父から見ても私には女としての値打ちが無いようなので。
 ふうん、と彼は言うと、じっと私を見た。
 居心地の悪さに、下を向く。
「お金、必要なんだ」
 その声はまったく感情を含んでいないように聞こえた。
 こういう時、多少人は意地悪な気分になると思う。
 欲しい物があって、財布を覗いたらほんの少しだけ手持ちが足りなかった。一緒にいた友人に明日には返すから貸してもらえないかな、と頼むとその友人はほんの少しの優越感をにじませた目をして、どうしてもっていうなら貸すけど、なんて言う。
 金の貸し借りをする時点で友人じゃない、と言ってしまえばそれまでだけど、ほんの少しの金額でも融通するときっていうのは、上下関係が生まれてしまう。
 そんな気がする。
 なのにこの人にはそれが無かった。
 ただ事実だけをぽつりと言っただけに聞こえた。
 問いかけでさえなかった。
 だから、私も返事をしていいものかどうか迷って結局、下を向いた。
「いくらあればいいの?」
「へ?」
「お金。いくらあればきみは困らないの?」
「わ、わかりません」
 私はぶんぶんと首を振った。
 本当に、わからない。
 いくらあれば住むところを確保できるんだろう。
 働き口を見つけて、そこからお給料をもらえるようになるまで、いくらあれば生活できるんだろう。
 ただお金だけあっても、私の後ろ盾になってくれる人がいなければ、住居も就職口もどうにもならないんじゃないだろうか。
 だからそれを正直に言った。
「あればあるだけ、だと思います。でもお金があっても、私の身元を保証してくれる人がいないと私一人ではどうにもならないことがあります」
 兄ちゃん。
 なんで兄ちゃんは、私を放りだして男の恋人と行ってしまったんだ。
 ぎゅっと拳を握る。
 彼はまた、ふうん、と言った。
「じゃあ、うちに住む?」
「はい!?」
「ただし、きみがバイトするなら」
 彼はにっこりと笑った。
 ああ。仏様に見えるよ。
「うちに住んで、うちの中のものなら自由に使っていい。食事も保証しましょう。あ、家財道具を勝手に売り払うとかはしないでね」
「しません。で、私は何をすればいいんですか」
「ん? ちょっとあやしいバイト」
 まだ彼は笑っている。
 前言撤回。仏様じゃないです。なんか怖い人に見えます。
 兄ちゃん。ああ、くそ。兄ちゃんには助けを求めないぞ。
 父さんなんかもってのほかだ。
 うわー、誰なら助けてくれるんだー。
「まあ、詳しいことはうちで話をしようか。僕は川島義章。この研究室の責任者です」
「研究室?」
「なんだと思ってたの」
 くすくすと彼は笑いながら白衣を脱いだ。
 ぽい、と机の上に放り投げて私の側まで来る。
「腐っても大学職員なんで、あんまりへんな事はしないはずです。行こうか、結衣ちゃん」
 付いていっていいのか? 本当にいいのか?
 でも行く場所はどこにもない。
 彼はお金を出してくれる。
 住むところを提供してくれる。
 それは、三月上旬の寒空に放り出され、一文無しになった、十七歳――くどいようだがもうすぐ十八歳――女子にはとても辛いことで、なにより朝から何も食べていない腹が不平の大合唱で、私はあしもとに置いていた荷物を抱え上げると、川島義章という名前しか知らない男に付いていくことにしたのだった。

2008年11月25日