eighteen 3


 ぐったりする私を抱えたまま川島さんは自分を抜き出すと、シャワーを私にかけつつ、てろりと情けなく伸びたゴム風船を外した。
 ぼんやりとそれを見ているのに気が付いたんだろう。川島さんは
「まだだけど、一回外に出したら付け直した方がいいから」
と説明した。
 そんなもんなのか、と思いながら熱いお湯の下でぐずぐずと溶けていきそうな体をバスタブに預けていると、そのお湯も止められた。
 見上げると川島さんがタオルを持ってた。
「自分で、は無理でしょ」
 くるむようにして優しく拭いてくれる。
 もうくたくただ。
 足ががくがくする。
「その様子だと立てないだろうから次は横になってていいよ」
「次?」
「まだ一回目だ」
「うそ……」
 へなへなと崩れそうな私の体を、川島さんはものともせずに抱えてベッドへと移動した。
「さて」
 私をベッドに寝かした川島さんは、足の方に座るとパッケージを破いて装着した。
 力が抜けている私の足を広げさせて、そこに体を入れてくると覆い被さってきた。
 足の間に川島さんの熱いのがあたる。
 時折ぴくんと動いてる。
 川島さんはすぐにはせずに、あんまり体重をかけないように上に乗って抱きしめてくれてた。
「つらい?」
「え?」
 辛そうな顔してたのかな。
「いや。すぐでもいい?」
 そういうことかい!
 嫌だ、ってのは通用しなさそうだし、休ませてももらえなさそうな気がする。
「キスしてくれたら」
 甘いキスをしてくれたら、あとはいいや、と思ってそう言った。
 好きだよって言ってくれる代わりのようなキス。
 川島さんはゆっくりと、花が咲いていくように笑った。
 男の人に対しての表現じゃないと思うけど、ふんわりとゆっくり笑顔になっていく様子は花が開くのを連想させた。
「もちろん。なんだったらキスしたままでも」
「そこまではいいです」
 そんなサービスはいらないです。
 苦しくなるのが目に見えてます。
 川島さんは音を立てて額にキスをした。
「え?」
 すぐに唇が離れる。にこにこしながら私を見てる。
「もっと?」
 う。それを言わせたいのか。
「……もっと」
 ちゅぱ、と音がして今度は鼻の頭に。
 なんでよー。
「まだ違う?」
 わかってて聞いてるよ、この人。
「違う」
「じゃ、どこ?」
「ふ、つうに……」
 なんでだか唇に、って言うのが恥ずかしかった。
「ふつう? じゃあ」
 まっすぐに降りてきた川島さんの顔は直前でずれて、頬に。
 あああ、もうっ!
 嫌じゃない。嫌じゃないよ!? でもさ! こういう状況でキスをねだって、そんなところにするほうがおかしいでしょ!
 絶対、唇、と言わずに唇にキスさせてやる。
 何の意味があるのかよくわかんないけど燃えてきた。
「違います」
「まだ違うんだ。結衣はどこにキスが欲しいの? もしかしてこっち?」
 抱きしめてくれていた腕をほどいて、川島さんはするりと胸の上を撫でた。
「んはっ…」
「それともこっちかな」
 手は滑らかに動いて太ももの内側を撫で上げる。
「ゃあ…ん」
 こんちくしょう。そんなところの可能性は失念してたぞ。
「違う……。川島さん、そっちじゃ」
「じゃあ、もっと奥?」
 口元がにんまり笑ってるけど、また目が怒ってる。
 そんなに『川島さん』って呼ぶのが気に入らないんだろうか。
――ああっ!?
 これだ! 閃いたぞ。
 くったりと力の抜けている腕を上げようとしたら、自分の腕じゃないみたいに重かった。
 でも持ち上げて、川島さんの首に回す。
 川島さんみたいに、ふわっと笑えるといいんだけど。
「義章さん……キス、して」
 どう!?
 さあ、どう!? これならしたくなるでしょ!
 目を丸くした川島さんは、しばらくすると、くっくっと喉を鳴らすような声を立て始めた。肩が震えてる。
 あれ?
「そんな眠そうな顔で言われても……」
 そんなひいひい笑わなくても。
 へんだな。私の目指したところはふわっとした笑顔ですよ。
 けぶるような眼差しですよ。眠い顔じゃないんだけどな。
「まったくもう。かわいいなあ!」
 川島さんはそう言うと、まいったまいった、と呟きながらやっと唇にキスしてくれた。
 触れあう。
 すぐに離れる。
 ええ、やっぱりそんなキス? と思ったらまたすぐに唇が触れあった。
 今度はちゃんとしたキスだ。
「んぅ」
 表面を舌で舐められる。首を傾ける角度が変わる。交わりかたが深くなる。
 お酒も飲まない、タバコも吸わない川島さんから、男の人のにおいがする。
 胸がきゅうっとなる。
 気持ちいい。
 濡れた唇も、熱くて柔らかい舌も気持ちいい。
 私、キスするの好きかも。川島さんとキスするの好きなのかも。
 息がしづらくて、互いのせわしない呼吸で空気が熱く湿ってくるのも好き。
 夢中で唇を吸うだけしかできない私と違って、ゆっくりと私の身体を撫でてくれる川島さんの大きくて温かい手も好き。
 唇で唇を挟むようにきゅっと噛まれて、小さな痛みに口を開けると、つい、と舌が入ってくる。それをどうしたらいいのかわからなくて、舌先を絡める。
「ん、ん ふぅ ん」
 舌の厚さに合わせてうっすらと開けていたはずの口は、舌の動きが激しくなるにつれて、ああん、と大きく開けていて、飲み込めない唾液が垂れそうになる。
 それを川島さんの舌は舐め取って、一度離れて、またちゅう、っと。
「んっ、んんぅ…ん?」
 ぬるんとした舌と一緒に川島さんの唾液が。
 流し込まれるぬるい液体。
 唇が離れた。
「飲める?」
 飲むのか。
「無理はしなくていい」
 でも飲んだ方がいい? その方が川島さんは喜んでくれる?
「んんー」
 飲み下しにくいそれを、ごくりと飲み込んだ。喉の音させて飲み込む、ってあんまり美しくないなあ。
「結衣」
 ほう、と満足げな溜息のように私の名を呼んで、川島さんは嬉しそうな顔をした。
「すっごいいい」
「はぁ……」
 喜んでくれたらしい。
「そのうち違うのも飲んでね」
 違うのって、やっぱり……アレ? 予測が付くところが自分でもすごく嫌だ。
「なんかぞくぞくしてきた」
「風邪ですか?」
「違うよ! 何も知らない子にいけないことを教えてる、って感じにぞくぞくする」
「はあ……」
 なんにも知らないわけじゃないですよ。そりゃほとんど耳学問だけど。
「たまらない」
 川島さんは腰を押しつけてきた。
 広げた足の間でそんなことをされると、私のぬるぬるになってるそこに、川島さんの先端が擦れて――いや、擦れてない。ぬるぬるだから擦れる摩擦をほとんど感じない。滑るように行き来する。
「ぁ、あ…うぅん」
 だんだん慣れてきてるんだろうか。嫌がってるっぽい声が出なくなってるような気がする。
「かわ……、っと。義章さん」
 川島さんが苦笑した。
「いいよもう。言い直してまで言わなくて」
「ん。ごめんなさい」
 早く横に並んで立てるように頑張るから。二十年の差はそう簡単には埋まらないだろうけど、手を繋ぐことができる距離まで行きたいから。
 頑張りたい、って思える目標が目の前にあるって幸せなことなんだなあ。
「義章さん、大好き」
 言える間に言っておこう。
「結衣!」
 ほらね。こんなになっちゃうんだから。
 川島さんは目をきらきらさせて、人なつっこい犬が飛びつくみたいに覆い被さってきてそのまま――。
「あっ、ああ…っう」
「ごめん。もう止めないから」
「止めないから、って、それ…っ、あ、あ はぅ」
 ぬるぬるさせて場所を探ってたんだろうか。川島さんは迷いもせずにするりと。
 するりと、って私の体も馴染みすぎなんじゃ……。
「んぅ…… ふ、 はぅ…っ あ、そんなに、した、ら…っ」
 飛びついた勢いが嘘のように、川島さんはゆっくりと動く。
 形的に張り出してる部分が、私の中を削るように擦っていったかと思うと、何もなくなって狭まろうとした場所を押し広げて元の位置へ戻っていこうとする。
 そのリズムがゆっくりなくせに一定じゃないから、なんだか変な気分になる。
「ん、あっ あ、あふ…ぅん」
 何の理由もないのに、枕に後頭部を押しつけるように、いやいやと首を振る。
 気持ちいいのが恥ずかしい。まだ二回目なのにこんなふうになるのが。
「だめぇ… 変になるぅ…っ」
「なって。いっぱい」
「や、やぁ… だって、恥ずかし…っ」
「恥ずかしくない。二人で気持ちよくなろうとしてるんだから、気持ちよくなっていいんだ。おかしくなっていい」
 そんなふうに言われて、背中の下に腕を回して抱きしめられて、湿った濁った水音と体のぶつかり合う音の中で、額にも頬にもたくさんキスされて。そしたらもうなんにも考えられなくなってきて。
「あ、う んっ、 んん… あ、そこぉ…っ や、だめ…っ ほんとに…っ」
「ここ? ここがいいの?」
 ずりゅずりゅ、と川島さんが中で動く。
 ぴたりとくっつき合ったその部分が蠢くのをどう表現したらいいのかわからない。
 今まで知らなかったことなのに、あまりにも当たり前にそれに馴染んでしまう。与えられる気持ちよさにくらくらしてくる。
 川島さんが奥に来るたびに気持ちよくて、腰を揺らしてしまう。
 川島さんにしがみついて、動きやすいように川島さんに体重を預けて揺らす。
 いや、とか、だめ、とか言ってるくせに、じん、と甘く痺れる感じがもっと欲しくて、すっかりいやらしくなってしまったそこを川島さんになすりつけるように動いてしまう。
「んっ、んっ! だめぇっ いや、あ ゃ、ゃあ、ひゃ んっ ひあ ああ …ああ」
 すがりつくように川島さんの背に回した手に力が入った。
 中が煮えてる。ぐらぐら沸騰したお鍋みたいにぶくぶく大きな泡がいくつもいくつもふくらんで、体が爆発しちゃいそう。
「かっ、かわしまさぁんっ…も、だめ…ぇ!!」
 叫んだと同時に川島さんが一番奥を細かく擦るように突き上げてきて、私はふーっと気が遠くなった。
 もー、むりだ……ぁ。

 時々へんな夢を見る。
 あの実験とは関係ない。小さい頃から見る、脈絡もなく脚立を昇ってる夢だ。
 いつもその前がどんな夢だったのか、思い出せない。
 右足は大丈夫。二段目に左足をかけて、三段目に右足を、と左足だけに体重がかかった瞬間、二段目を踏み外してガクン、と落ちる。その瞬間目が覚める。
 口から心臓が飛び出しそうなくらいびっくりしてて、その後もなかなか寝付けなかったりする、あまり好きじゃない夢だ。
 また、ガクンってなった。
「ぅは…っ」
 びくん、と大きく体が動いたせいだろう。
「ん、あ?」
 横に寝ていた川島さんもぼんやりと目を開けた。
「結衣?」
「あ、ごめんなさい。起こしちゃった」
「いやいい」
 一重まぶたの目が細く開いてる。眠いんだろうな。
「大丈夫か」
「うん。平気です」
 多分。体を動かしてみないとわからないけど、今のところ別にどこも変な感じはない。
「そうか」
 川島さんはあくびをしながら言ったから、それは『ほうか』って聞こえた。
「ごめんな」
 ううん、と首を振ろうとしたら。
「三回する、って言ったのに二回で終わってしまった」
――そこは謝らなくていいです。
 なんか力が抜けた。
 それでも川島さんはまだ三回目にこだわって、じゃあせめて楽な姿勢で、ってことになって、私は川島さんの上に引きずり上げられた。
「あ、いかん」
 眠そうな声で川島さんは枕元を探ってコンドームを手に取る。
 それは私を乗せる前に付けた方がよかったんじゃないだろうか。
 川島さんがごそごそするたびにお尻に川島さんの手やあれが当たって、くすぐったいような変な気分になる。
「よし。結衣、おいで」
 いや、もう乗ってます。
 そういう意味じゃないですよね。
 なんだかガクガクする膝で体を支えて、川島さんのと位置を合わせる。
「や……。これやっぱり恥ずかしいです」
「そこがいいんだからゆっくりでいいよ」
 必死で眠気を堪えてる顔のくせに、川島さんはまだにやっと笑おうとした。
「しませんよ」
「ん? じゃ、一気に奥まで、のほうがいいの?」
「……えっち」
 まだぬめり気の残るそこは、あっけないほど簡単にひとつになった。
「ん、はぁ…ん」
 ごりごりって感じで入ってくるその感覚に、思わず背中が反る。
「おいで」
 川島さんが手を伸ばす。
 その手を支えにして川島さんの上に倒れ込んだ。
「ふ、は」
「気持ちいい?」
「ん。いいです」
 川島さんの体も私の体も汗をかいた後でぺたぺたしてるんだけど、温かくて気持ちいい。もうこのまま眠ってしまいたいくらい気持ちいい。
 顔を横に倒して、胸板に頬を乗せる。
 このままでいい。
 もう私動けない。
 川島さんもなんだかぐったりしてるように見える。というか……寝てない?
 呼吸に合わせて大きく胸が上下した。
 寝てる。
 やっぱり一晩に三回なんて無理よね。
 これ、このままでいいのかな。
 よくわからないけど……私も眠いよ。

 やけに冷たい、と思って目を覚ましたら、私は川島さんに乗っかったまま、川島さんの胸によだれ垂れて寝てた。
 大変、と思ったんだけど川島さんはぐうぐう寝ているくせに私の背中に回した腕をほどいてくれなくて、私はティッシュに手が届かない。
 でもよだれをこのままにはできない。
 シーツで拭くわけにもいかない。
 元はといえば私のよだれだ。ここは覚悟を決めて。
「ん……。結衣? 何してる」
 どうしてそこで起きるかなあ!
 胸に垂れたよだれをじゅるじゅる啜って、舐めてるときに起きられちゃったりしたら。
 川島さんの顔がじょじょににんまりとした笑顔になっていく。
 あああ。やっぱり? やっぱりそうなる?

 宣言通り三回できた、と川島さんはすごく満足そうだった。
 あんた、三十八って絶対嘘だろう!
 痛む腰をさすっていたら、
「昨日のうちに渡せなかった。これプレゼント」
と川島さんは小さな箱を出してきた。
 昨日のデパートのアクセサリー売り場でのことを思い出す。
「まさか」
 勝手に何か買った?
「指輪もだめ、ネックレスもだめ。でもどうしても、僕の、って結衣ちゃんには思っててほしかったからさ」
 川島さんは私の目の前で箱を開ける。
 バングルタイプの腕時計だった。
「これなら毎日使うでしょ」
「合う服が……った!」
 ぺちん、と軽く叩かれた。
「使うよね!」
「……はい」
 額がぶつかる寸前まで近づいて睨むんだもの。それ以外にどう返事をしろって言うのよ。
 川島さんは、よろしい、と言いたげに頷いて、まだ裸の私の手に付けてくれた。
「ちょっといいと思わない?」
 軽く手を持ち上げられる。輪はするりと手首から腕の方へ落ちてきて止まった。ほのかにピンクが混じったような柔らかい銀色の金属の心地よい冷たさ。
「きれいですね」
 うん。これならアクセサリーと違って無くしたりはしないと思う。
 大人っぽすぎて私にはまだ似合わない感じもあるけど。
「そうじゃなくて」
 川島さんはにこにこして言った。
「手錠みたいでさ」
「なんですか、それ!」
 もうやだ。もうわかんない。この人、ほんとにわかんない!
 それなのに、
「離さないからな」
って笑顔のまま言われてぎゅうって抱きしめられたら、なんだかどうでもいいような気がしてしまった。
 指輪もネックレスも、腕時計も。なんにも無くても、私は完全に川島さんに掴まってると思う。
「離れませんよ」
 聞こえたらまた大変なことになりそうな予感がしたから、私は抱きしめられた腕の中で、絶対に川島さんに聞こえないように小さな小さな声で言った。

2009年2月8日