浄土宗 天光山 清心院 浄泉寺 | |
慶長年間に当時この地を領していた繁沢元氏が開基で浄念寺と言ったが、明治期に宗泉寺と合併して浄泉寺と改称された。元氏の位牌が安置されている。 ■JR「周防高森」駅~徒歩10分 岩国市周東町下久原1404 |
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黄檗宗 大梅山 通化寺 | |
大同年間に弘法大師が創建した古刹。幕末には来嶋又兵衛が陣営を置いた。 ■JR「周防高森」駅~徒歩45分 岩国市周東町上久原西午王ノ内1957 |
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天野隆重夫妻の墓 | |
通化寺の境内に、月山富田城代だった天野隆重夫妻並びに息子の元嘉の墓がある。毛利氏が関ヶ原後に防長2ヶ国に減封となった際、元嘉は通化寺近くに館を築き移った。 ■JR「周防高森」駅~徒歩45分 岩国市周東町上久原西午王ノ内1957 |
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繁沢元氏の墓 | |
通化寺の境内に、阿川毛利家の租で吉川元春次男の繁沢元氏の墓がある。 ■JR「周防高森」駅~徒歩45分 岩国市周東町上久原西午王ノ内1957 |
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鞍掛城址(鞍掛合戦古戦場) | |
厳島合戦後の毛利氏の防長侵攻時に、最初の本格的な戦い「鞍掛合戦」の舞台となった。 ■JR「玖珂」駅~徒歩10分(登山口) 岩国市玖珂町 |
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千人塚 | |
鞍掛合戦で討死にした鞍掛城主・杉隆泰の家臣達を祀る。直線状に3基建立されている。また、杉氏の家老であった宇野筑後守の子孫である宇野千代直筆の追悼碑も建っている。 ■JR「玖珂」駅~徒歩7分 岩国市玖珂町 |
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曹洞宗 宝山 祥雲寺 | |
大内氏の重臣・杉氏の菩提寺。弘冶元年の鞍掛合戦で焼失した。慶安年間に吉川氏の援助により再興、城泉寺と改め、元禄年間に現在地に移った。元文年間に寺号が祥雲寺に戻された。 ■JR「玖珂」駅~徒歩5分 岩国市玖珂町 |
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杉貞泰・隆泰父子の墓 | |
祥雲寺境内に、大内氏三家老の一人で、鞍掛合戦で討死にした鞍掛城主・杉隆泰と父である貞泰(宗珊)の墓がある。 ■JR「玖珂」駅~徒歩5分 岩国市玖珂町 |
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鉾八幡宮 | |
貞観年間に創建。大内氏や吉川・毛利氏が社殿の修理や造営を行った。 また、文禄の役の際、豊臣秀吉が戦勝祈願を行った。 ■JR「通津」駅~徒歩5分 岩国市通津3067 |
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桜井戸 | |
吉川広家も上田宗箇もここの水を愛でたと伝わる。 ■JR「通津」駅~徒歩8分 岩国市通津 |
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吉川広家終焉之地 | |
吉川広家は家督を嫡男・広正に譲った後、次男・彦次郎を連れて通津の本呂尾に隠居所を構えた。 ■JR「通津」駅~徒歩30分 岩国市通津 |
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浄土真宗 日照山 専徳寺 | |
かつて岩国の領主であった弘中隆兼の曾孫にあたる了善法師を開基に迎え、浄土真宗の門徒の家臣等の為に吉川広家が寛永元年に光照寺(現在の専徳寺)を建立した。 ■JR「通津」駅~徒歩10分 岩国市通津2764 http://sentokuji-iwakuni.net/ |
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弘中隆兼の墓 | |
厳島合戦において討死にした弘中隆兼の墓を昭和16年に専徳寺境内に移築した。 ■JR「通津」駅~徒歩10分 岩国市通津2764 http://sentokuji-iwakuni.net/ |
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天下御免田浦大相撲発祥の地 | |
豊臣秀吉が文禄の役で肥前名護屋城へと向かう途中、風待ちの為に通津浦に仮泊し、兵士の士気を鼓舞する為に田浦で相撲をとらせたとされる。 ■JR「通津」駅~徒歩8分 岩国市通津 |
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