豊栄神社 | |
明治期にこの地に移された元就を祀る神社。隣に敬親を祀る野田神社もある。境内には能舞台も残っている。 ■JR「上山口」駅~徒歩12分 山口市天花1-1-1 | |
今八幡宮 | |
大内氏の山口入府以前から存在したと伝わる。大内氏・毛利氏の尊崇篤く、屋根瓦に毛利氏の家紋も見られる。 ■JR「上山口」駅~徒歩10分 山口市八幡馬場22 | |
曹洞宗 豊国山 俊龍寺 | |
元は弘中家の菩提寺の献殊院だったのを、豊臣秀吉の冥福を祈る為、輝元が柳沢元政に命じ牌所とし、秀吉の法名に因み俊龍寺に改称した。 ■山口市コミュニティバス停(大内ルート)「木町橋」~徒歩6分 山口市天花2-12-1 | |
豊臣秀吉、足利義輝・義昭兄弟等の供養塔 | |
慶長3年、輝元が柳沢元政に命じ、俊龍寺の境内に豊臣秀吉から拝領の鎧を納め秀吉の供養塔とした。また、その前年に、元は足利将軍家の家臣だった柳沢元政に輝元が命じ、足利家の法会を執り行わせ、その際に供養塔を建立した。 画像右から、秀吉、足利義輝、義昭、慶寿院(義輝の母)の供養塔。 ■山口市コミュニティバス停(大内ルート)「木町橋」~徒歩6分 山口市天花2-12-1 | |
柳沢元政の墓(柳沢家墓所内) | |
俊龍寺の裏山に、柳沢元政をはじめとした柳沢家の墓所がある。 ■山口市コミュニティバス停(大内ルート)「木町橋」~徒歩6分 山口市天花2-12-1 | |
弘中隆兼の墓(弘中家墓所内) | |
俊龍寺の元は献殊院であり、弘中家をはじめ、大内家重臣の菩提寺であった。俊龍寺境内に弘中隆兼の墓がある。 尚、弘中隆兼の墓は通津の専徳寺にもある。 ■山口市コミュニティバス停(大内ルート)「木町橋」~徒歩6分 山口市天花2-12-1 | |
サビエル公園 | |
日本で最初の教会があった場所で、ここで歌ミサが行われたのが日本で最初のクリスマスと云われている。サビエルを大内義隆に引き合わせたのは、大内家重臣で隆元の舅でもある内藤興盛だと伝わる。 公園内には大内義長の裁許状の石碑もある。 ■JR「上山口」駅~徒歩10分 山口市金古曽町4 | |
浄土宗 導衆山 曼陀羅院 善生寺 | |
大内氏の重臣で、隆元の舅である内藤興盛の菩提寺・西方寺だったが、輝元側室の二の丸(児玉氏)が葬られた後、寛文年間に二の丸の法名に因み周慶寺と改名された。更に明治期に善生寺が移された。 ■JR「上山口」駅~徒歩5分 山口市古熊3-7-1 | |
内藤興盛夫妻の墓 | |
善生寺の雪舟庭奥にある裏山の中に、内藤興盛夫妻の墓がある。 ■JR「上山口」駅~徒歩10分 山口市古熊3-7-1 | |
二の丸(児玉氏)廟所跡 | |
善生寺の雪舟庭奥にある裏山の中、内藤興盛の墓のすぐ上に、輝元側室で秀就の母である二の丸の廟所の跡がある。 ■JR「上山口」駅~徒歩10分 山口市古熊3-7-1 | |
矢野(毛利元康正室)の墓 | |
善生寺の雪舟庭奥にある裏山の中、二の丸廟所跡の向かって左手に、元康正室で吉見広頼の娘である矢野の墓がある。 ■JR「上山口」駅~徒歩10分 山口市古熊3-7-1 | |
臨済宗東福寺派 香山 常栄寺 | |
毛利隆元の菩提寺。永禄年間に吉田郡山城内に建立され、慶長年間に山口の国清寺と合寺され、更に文久年間に現在地に移り、妙寿寺(隆元正室の菩提寺)と合寺された。 現在地は元々は大内政弘が建てた別邸で、後に母の菩提寺(妙喜寺)とした。雪舟庭の奥に政弘母の墓がある。 ■防長バス停「雪舟庭入口」~徒歩8分 山口市宮野下2001-1 http://sesshu.jp/ | |
仁保氏館址 | |
恒武平氏の流れを汲む平子重経は、冶承4(1180)年の石橋山合戦の功で、源頼朝から恩賞として周防仁保庄の地頭職を許されこの地に下り、子孫は在地名の仁保を名乗った。仁保氏の館がこの辺りにあったと伝わる。 ■JR「仁保」駅~徒歩20分 山口市仁保下郷 | |
曹洞宗 仁楽山 源久寺 | |
平子重経が源頼朝没後に頼朝の牌所として源久寺を建立した。重経没後に仁保平子家(仁保氏)の菩提寺となった。 ■JR「仁保」駅~徒歩25分 山口市仁保下郷土井2910-1 | |
三浦元忠の墓 | |
仁保家の菩提寺・源久寺の境内に、仁保(三浦)家を継いだ三浦元忠の墓がある。 尚、供養墓は山口駅近くの性乾院にある。 ■JR「仁保」駅~徒歩25分 山口市仁保下郷土井2910-1 | |