Chaparral
【プロローグ】

「世界は斯くも……」
 手慰みに執務机に置かれた地球儀を回していると、船室の扉が開いた。
 途端に室内の温度が下がる。
 頬を刺す冷気に顔を顰めながら扉の外を見ると、船員の若い男が立っていた。
 目的地に着いたのだろうか。
「もうすぐ、グリンラッドに着きます」
 事務的に告げた船員の口からは言葉と共に白い息がこぼれた。
 グリンラッド。地球儀を回し、その場所を指で押さえる。
 ははは、どおりで寒いはずだ。最果ての地ではないか。
 世界の最北端に位置する氷の島。
 その島を指で押さえながら船員に問いかける。
「君は初めて船に乗った時、どう思った」
「どうとは?」
「そうだな。例えばこの地球儀、これを見るとこうは思わないか」
 そう言って俺は白く短い息を吐きながら、再び地球儀をゆっくりと回す。
 カラカラと音を立てながら回る小さな世界を見つめながら、私は徐に口を開く。
「世界は斯くも丸かったのかと」
 一個の球として完成された世界の美しさは、魔王という脅威さえも卑小なものに思わせた。
 意図が掴めなかったのだろう。船員は困惑した顔で立ち尽くす。
 これ以上、引き留めても可哀想か。
 戻ってよいと口を開こうとした瞬間。
「――俺は、いえ、私は感動しました。祖国の為に働けるのだと。それも陛下と共にですからっ」
 見ると、まだ年若い船員は緊張気味に震えていた。
 寒さの所為もあったろう。
 だが、この初陣を果たした青年の精一杯の発言でもあったのだろう。
「君は祖国を愛しているのかね?」
「はい、もちろんであります!」
 少し硬い敬礼をした青年に下がってよいと合図を送る。
 扉を閉めかけた青年に。
「君の働きに期待する」
「ありがとうございますっ――ロマリア王」
 パタンと音を立て扉が閉まった。
 室内に静寂が戻る。
 ……王か。
 私は他者に尊敬されるような王ではないのだがな。
 吐息をこぼし、卓上の地球儀に視線を戻した。
 地球儀に描かれた世界地図。
 いくつもの大陸や島々、その中でさらに数多の国に別れ、世界を形成している。
 だが今や、世界の半分は一つの王国のものだった。
 征した国の名は、ロマリア。
 元は世界の北西に位置する一国に過ぎなかった。
 その国がなぜ、世界の半分を治める大国となったのか。
 始まりは――そう、一人の戦士がロマリアの王となった、あの日からだ。


【ロマリア】

「なあ、いつまで王の代わりでいるつもりだ?」
 玉座の横に立つ俺をアレルは不安そうに見上げた。
 その問いには答えず、俺はこの一週間で把握したこの国の内政、外交、軍事、経済状況を思い返す。
 比較して、他国の勢力図と魔王軍勢の脅威も。
 いうならば絶妙なバランスで各勢力は拮抗している、それが現状の最も正しい認識であろうか。
 それらを踏まえた上で、どれだけ早くこの国が一歩先へ抜き出るか。
そこが大勢を決める勝負の分かれ目だった。
 懸念すべき国家は今の所、北西の雄エジンベアぐらいか。
 ならいけるっ!
 後は舵を取る者の力量次第だ。
 頭の中でこの先取り得るいくつものプランを検討した末、俺はそう判断した。
 ここまで一緒に戦ってきたアレルには申し訳ない。
 聡い彼のことだ、俺が何を言うのか薄々は気付いているだろう。
 いまだ困惑の表情を浮かべるアレルの前を横切り、玉座に腰を下ろす。
 そして勇者である彼を見下ろしながら、己が出した答えを告げる。
「アレル、俺はロマリアの王として魔王を倒す」
「フルカス、おまえ……」
 そう、それが俺の目指す新たな道だった。
 一介の戦士の身では魔王を倒す方法はない。
 ならば勇者に協力して、共に道を歩むのか?
 それも悪くはない。
 だが……
 渦巻く自分自身への疑念。
 本当に俺は、それで満足できるのかと。

――勇者の仲間のヒトリで終わることに。

 その問いに対する答えは、お前が断ったこの玉座に座った瞬間出てしまった。
 尚も口を開こうとしたアレルを手で制止し俺は、
「ここでお別れだ。勇者よ、君のゆく道に幸あらんことを」
 はっきりと決別の言葉を口にした。

 肩を落とすように王の間を後にするアレルを見送る。
 去りゆく姿にふり切った筈の良心がとがめる。
 別れを口にした瞬間のアレルの顔がちらつき離れない。
 何をと驚き、嘘かと疑い、まさかと呆け、本当なのだと理解すると同時に浮かんだ、裏切られた友の顔。
 その顔は、共に魔王を倒すと誓った筈だろうと俺を責めている気がした。
 だが、お前なら前に進む事を止めたりしない。
 俺がいなくなろうとも、きっと新たな仲間ともに進んでいく。
 そうして遠くない日、魔王を倒し戻るだろう。
 何より俺自身、その未来を信じて疑わない。
 だから、これは時間との勝負だ。
 お前が未来を勝ち取るまでに、俺がどこまでたどり着けるか。
「アレル、魔王を倒すのはお前じゃない……」
 繰り返し言葉にし、その思いを決して譲れぬ強固のモノとした。


【商人の町】

「本当にいいんですか?」
 私は探るようにロマリア王を見る。
「構わん」
「ですが……」
 いくら好きにしろと言われても、こちらは構うのだ。
 第一、話がうますぎる。
 ふらりとルイーダの酒場を訪れた昔なじみ。
勇者と旅に出た筈の男が何を言うかと思いきや協力しろときたもんだ。
 何をどう上手くやったかしらないが、今じゃロマリアの王様になったという。
 怪しいニオイがぷんぷんする話だったが、このままアリアハンの一旅商人で終われる筈もなく話だけでも聞いてみることにした。
 そうしていつの間にか船に乗せられ、連れて来られた遠い北東の果て。
 新大陸の東の外れにある草原だった。
 やっこさんの話では、この草原に町をつくり大きくしろという。
 前からこの地に住み着いた老人の願いでもあるみたいだが……
「私の言葉が信用できないと?」
「はあ、税は一切とらないと言われましても」
 加えて、商品や資材の調達と輸送にロマリア船団が全面的に協力するという至れり尽くせりぶり。
 将来性を見越して、ロマリアに対しては優遇貿易協定を結べという話だったらまだ分かるのだが、それもない。
 こちとら腐っても商人。
 互いに利のある話でなければ信用できない。
 大体、アンタは慈善事業するタマでもないしな。
「無論、条件はある」
 そら見たことか、顔の筋肉が引き攣れる。
 多大な援助の見返りに、どんな無理難題を言われるかと身構えた。
「――研究者や発明家の育成と支援を頼みたい」
「はぁ、それは一体?」
 戸惑うこちらを気にもせず、王様は話を進める。
「空を飛ぶ手段が欲しい。なるべく多くの兵士を運ぶための」
 空を飛ぶ?
 一体全体何の為。
「空を飛べるなら、いや、在る場所に兵を送れるなら何であろうと構わない。新たな魔法の品でも、鳥の羽をもった船のようなものでもな」
 その時、すっと細まった眼差しに、俺は野郎の本気を悟った。
 何の為だって?
 馬鹿野郎がッ!
 あの酒場に集まった人間なら誰もが分かって当然の事だった。
 いくら勇者に選ばれず、腐ってくだを巻くだけの身になったといえ、ただ一つを成す為に俺はあの酒場に赴いたんじゃなかったのか?
 そしてそれは、あの場に集まった全員の共通した望みだった。
 それをオメエは……勇者無しでやろうっていうのかよ。
 気づくと胃の奥から熱い何かがこみ上げていた。
 俺はそれを無理矢理のみ下し、
「――ヘ。おもしれえじゃありませんか。ただし完成の暁には、せいぜい高く買ってもらいますよ?」
「フ、強欲ジジイめ。好きにしろ」
 そう言って、口元を歪めながらロマリアの王は去っていく。
「今度はどちらへ?」
 何気ない問いに、王は一度ついっと南の空を眺めたかと思うと、
「――国を一つ落としにいく」
 近所へ使いに行くといわんばかりの気軽な返答。
 あっけにとられながらも、この王であるなら本当にやるかもしれないと、苦笑して見送った。
 後日、風の噂で流れてきた話を聞き、私はより一層町の発展に力を注ぐこととなる。


【海賊の家】

 夜の帳が下りた頃、海賊たちが戻ってくる。
 意気揚々と彼らのアジトへ。
「へへ、今回もチョロいもんでしたね」
「まあね。けどありゃ詐欺じゃないかい?
 ポルトガルの商船っていうからには、もっと歯ごたえあると思ったんだけどねぇ」
「そりゃ、仕方ねえっすよ。
いくら足が売りのポルトガル船とはいえ、速度で俺たちに敵うはずもねえっすから」
「けど、それにしたってもっと気張ってくれないと、こっちも張り合いないじゃないか」
「まあまあ、今回の稼ぎで当分は困らないんですから、良しとしましょうよ。
暫らくは、ほとぼりを冷ます意味でのんびりすればいいのでは?」
「あーそうだね。暫らくは真っ当に漁でもするかい」
「げっ、完全に休みじゃねえんですか」
「そうそう、たまには町に繰り出して命の洗濯なんかも」
「馬鹿野郎ッ、何腑抜けたこといってやがんだ。
あたいらは船乗りなんだ。船に乗らなきゃ腕が鈍るだろうが!」
「……はぁ、分かりました」
「だから、夜の時間は好きにしな。
品を捌くついでにどこの町へ寄ろうとお前たちの自由でいいよ」
「さすがお頭ッ。話が分かるお人だぜ」
「たっく、下手こいて捕まったりするんじゃないよ。
暫らくは各国の監視が厳しいんだからね」
「ですがお頭、サマンオサに近づくのだけは止めときましょう」
「なんでだい?」
「どうも国王が乱心したかとしか思えない状況でして。
国民、外国の人間に関わらず、酷い扱いみたいです」
「そいつは困ったね……」
「はんっ、サマンオサっていっても大したことねえよ。
いずれ俺たちが王様もろとも身包み剥がしてやんだからよぉ。ねえ、お頭?」
「──ハッ。調子にのんじゃないよ、コイツは」
 すでに彼らは何処かで勝利の美酒を呷ってきたのか。
 微かに酒気を帯びた海賊たち。
 火照った頬に潮風が心地よい。
 今宵も勝ち星を手土産に、明日の勝利を疑わず、海賊たちは帰還する。
 威勢良くアジトの扉を開けた。
 ──潮風が凪いだ。
 暗闇から真っ直ぐ伸びる何者かの気配。
 誰かいる。
 背筋を凍らせ、海賊たちの足を止めた。
「ほう。それは都合がいい」
「テメエ、誰だ!?」
「いや、夜分遅くすまない。誰もいなかったのでな、先に失礼させてもらった」
「誰だって聞いてんだよぉッ」
「そう怯えずとも、まだ危害を加える気はない。安心しろ」
 闇から人影が浮かび上がる。
 海賊たちは無意識に一歩後ろへ下がっていた。
 そんな中、唯一前へ進み出た海賊の女頭領。
「お頭!?」
「あんたらは下がってな」
「ですがッ」
「いいから、周りをよく見な!」
 言われて海賊たちはアジトの周囲へ目をこらし探る。
 そして気づいた。
 突き刺すような視線の数々、多勢に無勢。
 すでに囲まれていた。
「──ぅ、お頭、逃げる準備をして下さい」
 動揺したのも束の間、海賊たちは女頭領を守るように円陣を組み始める。
 だが、彼らの動きを当の本人が制止した。
「待ちなって、こちらのお兄さんもすぐにどうこうするつもりはないよ。ねえ?」
「さすがは名をあげてる海賊たちの頭といったところか」
 ついに侵入者が闇から抜け出て姿を現す。
 海賊たちの目にその正体が映し出された。
 傍目は屈強な一兵士。
 有り触れた鋼の鎧姿に剣を携えた偉丈夫であった。
 変わった所といえば、右腕に高価な金の腕輪のようなものをしていることか。
 成金趣味のお飾りの士官かとも考えたが、即座に打ち消す。
 あまりにも男の眼光は鋭すぎた。
「それで、どこの将軍さまか知らないけど、あたいらに何の用だい?」
「配下に組しろ。それが嫌なら協力関係を結んでもらう」
「ハッ、随分と上から見下ろしてくれるね。ちなみにどちらも嫌だと言ったら?」
「──海賊の一団が地上からひとつ消えるかもしれないな」
「やってみろ。ゴラァッ」
「勝手に吠えんじゃないよッ!」
 手下の怒号を一喝で静める。
 内心は彼女自身も啖呵を切ってやりたかったが。
 一人冷静に機会を窺がう。
 最初から相手に協力する気など毛頭ない。
 どんなに脅されようとも、権力へ尻尾を振るなど真っ平だった。
 なんとか仲間全員無事に逃げ出す隙がないか。
 交渉の合間にその糸口を探っていた。
「にいさん、随分と勝手な言い草だけど、あたいらが協力する義理は何もないだろうが。
それとも不満を抱えた部下を仲間に入れても構わないと?」
 暗に告げる。
 いつか必ず裏切ると。
 その問いに答えはなく、男が告げたのは別のことだった。
「ここより西に乱れてしまった国がある。その国を正すべきとは思わないか?」
「……アンタ、どこの国の者だい」
 敵は思った以上に大きかった。
 男の目的は、狂王が支配するというサマンオサ。
 ならば必然、その後ろには国家規模の勢力がついている。
 これは国と国の争いだった。
 単に一軍の権益拡大に使われるのかと思いきや。
 国同士の争いに投下されるとなると話は異なる。
 命がけの所業だ。
 彼女個人の価値観としても、民へ横暴を振るう国王は許し難い。
 当然、可能であるならば是正したかった。
 だが、国家そのものを敵に回す愚を犯す気にはなれない。
 事は部下の命まで懸かってくる。
 たとえ自らの心情がどうであろうと、安易な決断は許されない。
「──ふぅ。いや、確かに面白い話だけどさ、今回は遠慮させてくれないかい?
 そういう事なら、あたいらも物資の提供ぐらいはさせてもらうからさ。
 アンタも嫌だろ? 無駄な抵抗で貴重な部下を失くすのも」
 妥協点を示し、落とし所を探る。
 一国が相手だ、下手に意地を張ればどうなるか分からない。
 万が一交渉が決裂すれば、彼女の部下は盾となっても彼女を逃がすだろう。
 それだけは避けなければならなかった。
「──今は立場が立場でな」
 男が徐に口を開いた。
 目の錯覚か。
 何処か男の纏う雰囲気が変化した。
「気軽に下げられる頭は持てん」
 それは、あたかも他者を統べる指導者から一介の武人へと。
 よりそれは、男に相応しいと思えるものに変化した。
「だから一度だけ、尋ねる」
「──な、何を?」
「魔王を倒したくはないか、自らの手で?
 勇者と共に歩めずとも、我らの手で勝利を勝ち取りたくはないか?」
「何を馬鹿な事をッ!?」
「馬鹿な事かもしれん。だが俺は本気だ」
「だったら、アンタの頭がイカレてるんだ。魔王だよ?
 どの国だって匙を投げてる。唯一の希望が勇者さまさ。それをアンタは本気で……」
 言葉が出ない。
 荒唐無稽の話の何が、そんなにショックだったのか。
 彼女はそれ以上言葉が出なかった。
「本気だ。だから俺は王となった。一人では無理だから国を求めた。その先も同じ事だ。一国で無理なら、全ての国で魔王を倒せばいい」
 愕然と王と名乗った男を見る。
 そして、彼女はある話を思い出した。
 遠く海を跨いだ一国で、勇者の仲間が王になった話を。
 その話を聞いた時、なんと馬鹿な奴だ、と彼女は嘲笑った。
 かつては夢に見た、勇者共に魔王を倒す己の姿。
 だからこそ、彼女が手にできなかった夢をあっさり捨てた男を理解できず、妬ましさゆえに見下した。
 その男が今、目の前に立っている。
「できると思うのかい?」
「その為に力を貸せ」
「本当に魔王を倒すのかい?」
「倒す」
 嘘はない。
 男の考えにいまだ理解が及ばずとも、その言葉に嘘はない、そう思った。
 故に彼女は一世一代の決断をする。
「あたいらは、今からこの王様に協力する!
 目的はなんと魔王討伐だ!
 タチの悪い冗談をあたいも本気にしたくなっちまったのさ!
 異論がある奴は今の内一家を抜けなッ!!」
 動く海賊の部下は皆無。
 誰もが彼女の決断ならばと従った。
 たっく、馬鹿な奴らだと、彼女は笑いを噛み殺し王へ告げる。
「王様、我らが共に歩む限り、海の覇者はアンタのものだ――約束するよ!」
「承る」
 この日より、世界に覇を唱える、ロマリア海軍が誕生した。


【サマンオサ】

「──グヌゥ、何故きづいたぁ!?」
 玉座を立ち上がった巨漢。
 サマンオサの王は、片目から血を流し怒り狂う。
 目には一本の矢が刺さったまま。
 その矢を強引に引き抜き放り捨てたかと思うと、見る見る、王の姿を人ならざるものへと変化させる。
 優に兵士が三人分を超す巨体へと。
 醜悪な緑の肌と頬まで裂けた口をもつ鬼の顔。
 片眼から垂れる血が、より一層の鬼気をその魔物に与えていた。
 そこにはボストロールの姿があった。
「知ったからには、生きて帰れると思わんことだ!」
「ほう、本当に入れ替わっていたとはな。噂もたまには当たるものだな」
 正体を現した魔物の前にロマリア王が歩み出る。
「本物の王はどうした?」
「さあな、今頃は地下牢で泣いて暮らしているだろうよ」
「──フム。殺してないのか、面倒だな。だが魔物であっただけでも好都合か」
「ぬぅ? キサマ、何を言っている」
 ボストロールは己の耳を疑った。
 目の前の相手は新しい人間の王の筈だった。
 その王が仲間の王の死を望むというのか。
「この国を支配していたのは魔王の指示か?」
「さて、どうだろうな。
 だとしても気にする必要はない。
 何故なら、キサマはここで死ぬのだからな──!!」
 相手は狩るだけの獲物だ。
 無駄な時間はかけないと、ボストロールは飛び掛る。
──ヒュッッッ!
 三方向からの鋭い射撃。
 苦しげな悲鳴。
 直後、大きな衝撃音と共に震動する王の間。
 魔物の巨体が地へ撃ち落とされていた。
 すかさず影に潜んでいた一団が、唯一手薄だった魔物の後方に回り込む。
 苦痛の呻きが収まりかけた頃、彼の前に王が再び進み出てくる。
「質問には正確に答えろ。次からは倍だ」
「──人間風情が、俺様に歯向かうか!」
 再び王に飛び掛ろうとした瞬間。
──ヒュッッッッ!!
 今度は四方向から矢の豪雨が降りかかる。
 巨大な針鼠と化した魔物の悲鳴が王の間に木霊した。
「もう一度だけいう、質問に答えろ」
 これが下級の魔物であれば違ったのであろうが、ボストロールの知能が人間同等に優れていたのが仇となる。
 彼は初めて感じる死の恐怖に従うほかなかった。
「……そうだ。魔王さまより、この国を内部から崩壊するよう指示された」
「すると、今も魔王とのやり取りがあるのだな?」
「あ、ある」
 ボストロールは周囲を窺がう。
 至る所に矢が刺さり、全身が痛みを訴えていたが、無理すれば動けないことはない。
 己が助かる道を必死で考えた。
 その為に今は時間を稼ぐのだと、魔王を裏切っている自分を正当化する。
「ならば、今後も今まで通りこの国を治め、魔王とやり取りを続けろ」
「なぬぅ?」
 再び耳を疑った。
 この人間の男は今何と言ったのだ。
「分からなかった? 魔王を裏切ってこちらに情報を流せと言ったのだ」
「……俺が裏切ると?」
 怒りで顔が赤らむ。
 手酷い侮辱を受けたのだと、否応なく悟った。
「ああ、お前は裏切るさ。自分の命が一番惜しいタイプみたいだからな」
 そして彼が何かを言う前に、王はさっと片手を上げた。
──ヒュッ、ズシュ!
 狙い過たず、片眼の傷をさらに抉る。
 壮絶な痛みに知らず懇願の悲鳴を上げていた。
「よく分かったろう。死にたくなければ言うことを聞け、大人しく従えば、魔王を倒した後で命だけは助けてやる」
 全く信用できぬ言葉に、ただただ従うほかなかった。
 また一歩、王が近寄ってくる。
 つられて後ずさろうとしていた。
 人間相手に恐れる心を馬鹿なと打ち消すも、彼の心は折れる寸前だった。
 手を伸ばせば、届きそうなくらい近く。
 王が顔を近づけて聞いてきた。
「私は常々疑問に思っていたことがある。魔王の城は天然の要塞だ。人間が無事に通れる道はない。だが──」
 何を聞かれても、答えるしかない。
 何を言われても、従うしかない。
 そんな諦めが彼の心を支配していた。
 けれど、ただ一つそれだけは、どうか聞いてくれるなと、祈りに似た思いで念じた。
「──魔物なら、通れる抜け道があるのだろう?」
「…………」
 今しかない。
 この男を人質にして、逃げるほか自分が助かる道はない。
「──死ね!」
 飛び掛った。
──斬!
 血煙を吹き上げ、ボストロールは両断された。
 王は抜いた剣の血糊を払い鞘に収める。
 斬り捨てた死体を眺め、王は毒づいた。
「使えん奴め。どうせなら最後まで生き恥を晒せばいいものを」
 吐き捨て王の間を後にする。
 それに従う兵士の一人。
「陛下、如何いたしますか。やはり抜け道など……」
「ある」
 驚き目を剥く兵の横で、王は口元のみで皮肉げに笑った。
「最後の問い答えずとも、アレは目を逸らしたからな」
 目は口ほど物を言う。
 悟られたからこその最後の抵抗だったのだと、果たしてボストロール自身も気づいていたかどうか。
 死に怯えた彼をそれ以上に恐れさせたのは、仲間全体から恨まれるという恐怖だった。
 それを理解したからこそ、王は魔物へ毒づいた。
「と、ところで、陛下。先ほどの言葉はいくら嘘とはいえ、軽率だったのでは?」
「嘘ではない」
「な?」
 兵は絶句した。
 王の言葉が真実であったのならば、何が嘘ではなかったのか。
 魔物を助けるといったことか?
 他国の王の無事を惜しんだことか?
 それとも本気で魔王の情報を手に入れる為に、他国の不幸を見過ごす気であったのか?
 兵はおののく。
 何が正解であったのか、恐ろしくてとても聞けない。
 王が魔王を倒そうという思いだけは疑いようもなかったが、その為に何処まで犠牲を許容しようというのか。
 いずれ魔王を倒した後、世界中の人々から弾劾されても構わないと?
 どこまでも孤高に前を進む王を兵は恐ろしくなった。
 そんな自らの気持ちを振り払い、
「サマンオサ王を地下牢からお連れしてこようかと思います」
「そうしてくれ」
 ただ今は王に従うしかない。
 芽生えた疑念を誤魔化すよう、逃げるように駆け出した。


【エジンベア】

 遠く霧に包まれ霞んで見える島国。
 目に余る驕りさえ、自らの優位に裏打ちされた故の表われか。
 世界でも無比の武力を有す小国、エジンベア。
 それを囲む、今や覇王の国と呼ばれるロマリアを首席とするロマリア連合王国。

 エジンベアという島国の周囲の海を埋め尽くす、船、船、船、数多の軍船。
 その軍船の群れの中央、軍の本陣に位置する一際目立つロマリア王家の旗を掲げた軍船。
 その船内では高まった緊張感が今にも爆発しそうになっていた。
 船内の会議室。
 世界情勢に詳しい者がいれば目を見張るほど、各国の著名な顔ぶれがそろっていた。
「陛下、ロマリア、ポルトガ、サマンオサ、各国の軍は全て準備できておりますぞ」
 王の補佐役であるロマリアの老将軍が口を開く。
 同じようにひげを蓄えた各国の重鎮たちも上座に座る王を見た。
 だがしかし、注目の的である王は無言。
 眠るように目を閉じてさえいた。
「陛下、付け加えますならば、イシスからは不可侵条約をいただいております。
 アリアハンはいまだ沈黙をつらぬいていますが、なに問題はありませんとも。
何か動きがあり次第、偵察部隊が知らせる手筈となっております。
 さあ後は全軍に指示していただくだけです。敵を討てと」
 詰め寄る将軍にも王は全く反応しない。
 痺れを切らした将軍は、興奮で顔を赤らめ大喝した。
「──陛下、いつ動くのですか!」
「最近、夢を見る」
 唐突に告げられた言葉。
 室内の全員が疑問符を浮かべる。
「そ、それはどんな夢を?」
「いや、よく覚えていないのだが……」
 珍しく王にしては言いよどむ。
「夢見た望みが叶うようでもあり、全く望んでもいなかった夢の形のようでもあった」
「……?」
 室内に一層困惑が広がった。
 さきに痺れを切らしてみせたのは、老将軍。
「近頃は夢見が悪いということですか?
 まさか体調不良を理由に作戦を延期するなどというつもりではないでしょうなっ!
 なにそれでしたら、陛下には後方から観戦していただくだけで構いません。
 後は我々臣下が指揮を執り勝利をご覧に入れましょう」
 口調の端々に焦りを隠せず、捲くし立てた。
 ここに来て各国の重鎮たちを不安にさせるわけにもいかない。
 たとえ王が実際に不調であろうと、ここまで大規模な作戦が動き出せば止められる筈もなかった。
 だが、そんな老将軍の心配は現実のものとなる。
 王の手前、沈黙を保っていた各国の重鎮たちの幾人かが私語を交わし始めた。
「どうしたというのだ?」
「あのロマリア王が何を弱気に?」
「まさかこの戦が勝てないとでも?」
 口々に上る勝利への疑い。
 高まっていた士気が、傍目から分かるほどに落ちていく。
 これでは勝てる戦も勝てなくなる。
 懸念していた事態に老将軍は泡を吹き倒れる一歩手前となった。
 不敬にも己の主を心の底から睨んだ。
 ──王は一体全体何を考えている!?
 その時、王はかすかに口を開いた。
「──まだか」
 苛立たしげな王の呟き。
 立ちこめていた暗雲が一気に吹き飛ぶ。
 将軍は悟った。
 王は何かを待っておられるのだ。
 さらにこの戦を決めるもう一手を。
 だが、それを待つ猶予はない。
 その前に諌言するのも臣下の務め。
 最悪、己の首を懸け王へ進言するべく。
 将軍は王の前に進み出た。
 その時、船室の扉が大きく開け放たれた。
「──陛下、失礼致します。依頼品は海を渡り、間もなくこちらに到着するとの事です!」
「──諸君、聞け! 今回の戦は魔王城攻略の演習を兼ねた作戦である。
 これより我々は海上からの攻撃と同時に、新兵器を用いた空からの奇襲を仕掛ける。
 繰り返す、これは魔王城攻略を兼ねた作戦である。
 如何に屈強なエジンベア軍であろうと、我が連合軍の前では張子の虎同然である。
 よって私は宣言する、今より三日以内にエジンベアは我々の傘下に入るであろう!」
 室内が騒然となる。
 まさかと疑問の声が飛び交う。
 合わせてこの王であるならば、真実あり得るとの言葉も。
 いつまでも興奮冷めやらぬ会議室。
 各国の重鎮を残したまま、甲板へ顔を出すロマリア王とその臣下たち。
 今かと今かと号令を待つ全軍を一望し、王は大きく頷いた。
「──全軍、突撃!」
 覇王の軍勢が一斉に鬨の声を上げ動き出す。
 目指すは、霧立ち込める国エジンベア。
 その時、誰かが気づき声を上げた。
「見ろ、霧が晴れた。あれは!?」
 天はロマリアの勝利を予見したように、今まで敵・味方からその姿を隠していた新たな軍勢の顔を覗かせた。
 エジンベア兵は新種魔物と見間違え慌てふためき、
 事前に話を聞いていた連合軍の兵でさえ、多くの者が一瞬そうかと疑った。
 世界初、空を舞う飛行船団。
「陛下、我々の勝ちですな」
「……それはさすがに早急よ」
 感無量といわんばかりの老将軍に、さしもの王も相好を崩す。
「これで、久方ぶりによく眠れそうだ」

 宣言通りに事は相成る。
 一夜明け、エジンベアは正式にロマリア連合国への参加協力を表明した。


【夢の城】

(人間の王よ。お前は本当にそれで満足なのか)
 声が聞こえる。
 どこからともなく、闇の奥深くから声が聞こえる。
(バラモスを倒すことだけが目的ならば、何故勇者に協力を求めない)
 声は彼を問い詰める。
 王としてではない、戦士としての彼の不安を掻き立てた。
(我には分かる。お前の本当の気持ちが)
 何を言うのか。
 甘言を吐いて誑かすオマエは何者か。
 闇に潜む声の主は姿を現すことはなく。
(我はお前の真なる心、隠れた願いよ)
 彼自身の心の声だと嘯き囁く。
『確かに俺はまだ満たされぬものがある』
 戦士としての彼は頷く。
『否、目的の達成こそがもっとも優先されるべきである』
 王としての彼は否定する。
(ならば、何故お前は勇者を無視するのか?)
 そうだ、俺は何故アイツを避ける?
 目的の為なら手段は選ばず、ここまで来た。
 ならば、勇者という協力な手札を何故用いない。
 自己矛盾ではないか。
 合理的でない己のあり方に、王としての彼は悲鳴を上げる。
 だが、それこそ譲れぬ一線だと頑なに叫ぶ、戦士としての彼。
(迷うことはない。我がお前の望む姿を教えて)
「──ただの意地だ。消えろ、妄念」
 闇を一閃する。
 いつの間にか手には剣を握っていた。
 反射的な一撃は鋭く、闇さえも斬り裂く。
 ふっと息を吐き、肩から力を抜いた。
 声はもう聞こえない。
 遠く闇の先に光が見える。
 目覚めは近い。
 近頃、増えた声の正体。
 あれは一体何なのか。
 果たして本当に己自身の心の声なのだろうか。
 いまだはっきりとした答えはでない。
 揺れる心が静まる頃には光はすぐそこまで近づいていた。
 目を覚ます直前、まぶたの裏に映る日々鮮明になる光景。
 魔王を討ち果たした筈の城の王の間で対峙する二人。
 玉座に腰掛ける己の姿。
 己に剣を向け問う勇者の姿。
『この日を待っていた。決着をつけよう』
 猛る心のままに剣を抜く。
 もはやここに来て、無粋な会話は不要。
 あとはどちらかの命尽きるまで、戦いの饗宴を続けよう。
 そして、剣と剣が打ち合わされる。
 それは近い将来あるかもしれない、未来の光景。
 そうあれと望む心と拒む心。
 まだ結論は夢の中へと、ゆるやかに揺れながら沈んでいった。


【エピローグ】

 一人剣を振る。
 今は王ではなく、一人の戦士として。
 無心に戦士は剣を振るう。
 月の明かりを浴びた剣が時折鈍く光を反射し、戦士を妖しく映し出す。
 海を漂う船上で誰も傍に近づけず、一心不乱に剣を振るう戦士がいた。
 王となったその後も、戦士は剣を振るう事を止められなかった。
 いつも彼の目にはある人物の姿が映る。
 日に日に力を増す現実の相手をなぞるように、イメージの中の相手も力を増していく。
 その人物を相手に、彼は幾度も剣を振るった。
 惨敗する時もあれば、鼻の差で勝利を拾うこともあった。
 決して完勝ままならない得難い宿敵。
 目指した目的が間近に迫った今もそれは変わることはない。
 想像の影の相手を恐れるように、愉しむように戦士は剣を振り続けた。
 突然、戦士は剣を止める。
 それから徐ろに甲板の影に向かって声をかけた。
「覗きは感心しないが?」
「──ッ!?」
 慌てて転がり出る人影。
 月光に照らし出される若い男の姿。
「ああ、君か」
 見覚えのある新兵の青年。
「す、すみません。つい見入ってしまいまして」
 しどろもどろと口ごもる青年。
 戦士は気にしないでいいと首を横に振った。
「正直、もう終えるところだった。特に用がなければ俺は引き上げるが、君はどうする?」
 思いがけない戦士の言葉。
 青年は目を見開き、身を乗り出す。
「ほ、本当ですか。でしたらっ」
 だが、一度躊躇い口を閉じる。
 それでもやはり耐えきれずに再び口を開いた。
「よろしければ、一手お相手お願いします──!」
 緊張で震え、どことなく言葉までもおかしくなる。
 恥ずかしさに耐え、その場で直立して待っていると。
「……君は腕に覚えは?」
 予想外の返答。
 驚きのあまり答えられない青年へ。
「素人相手は危険すぎる」
「──問題ありません。剣の腕なら、上官相手でも勝てます!」
 戦士は、青年の言葉が嘘ではないと見取り頷く。
「よし。ではやろうか」
「お願いします!」
 互いに剣を抜く。
 構え、相手の隙を窺がう。
 どちらもその場から動けない。
 否、動けないのは青年の方だった。
「来ないなら、こちらから行くが?」
 まだ青年は動けない。
 大きくゆっくりと息を吸って吐く。
 極限まで己を高める。
 船板に張り付いた足に、剣を握る手に力を込める。
「────ァ」
 向かってくる青年の姿に戦士は在りし日の自分を重ねた。


『貴方が戦士フルカスですか』
『そうだとしたら?』
『僕の名前はアレルといいます。実は』
『知ってるさ。勇者アレルだろ。話は聞いている』
『良かった。でしたら仲間になってはいただけませんか』
『それはまず、君の実力を見てからだ』
『え?』
『仲間になるかどうかはそれから決める。簡単な話、手合わせ願おう』


 完敗だった。
 相当な腕だと自分では自負していた。
 それなのに、手も足も出ずあっさり勝負はついた。
 そうして思った、やはり目の前の人物は、
「──すごい」
 膝を着いた青年の口から感嘆の言葉が漏れる。
 呆れてフルカスは苦笑した。
「おいおい、あっさり負けて悔しくないのか」
 自分の時とは大違いだ。
 あの時は、自分でも見苦しいくらい負けを認めるのに苦労した。
 何度ももう一勝負をアレルに請い、その度に打ち負かされて。
 ようやく今の己の力量では適わないと、認める頃には既に日が暮れていた。
 しぶしぶ負けを認める時でさえ、
『今は俺の負けだが、次は勝つ!
 だからそれまではオマエの仲間になってやろう』
 そのあまりの意地の張り方に、アレルさえも堪えきれずおかしそうに笑っていた。
 そうして何度もアイツに追いつこうと腕を磨いた。
 けれど俺の腕に比例してアレルも腕を上げていくのだから、より一層ムキになったあの頃。
 こうして未だに剣を振るっているのも、期待の現われか。
 いつかまた……
「どうしたら、そんなに強くなれるんですか」
 いつの間にか起き上がった青年。
 尊敬の眼差しが面映い。
 そんなに大したものじゃない。
 己より優れていると相手を認め、教えを求めてくる青年。
 戦士はその素直さが羨ましいと思った。
 そんな純粋な気持ちを持てれば、きっと自分も勇者と共に旅を続けられた。
 なぜ、俺はアイツと一緒に行けなかったのか。
 過ぎた事ながら、悔やむ気持ちがなかったといえば嘘になる。

「俺ですごいって言うならば、勇者はもっとすごいぞ?」
「陛下よりも?」
 青年に頷く。
 今ならどうか。
 剣を握った右手が疼く。
「今はどこでどうしているのか」
 王になった当初は尋ねまでもなく、自然と噂に耳を傾けていた。
 それがいつからか、勇者の動向を気に留めなくなった。
 忙しさに追われたからか。
 無意識に避けたのか。
 今となっては、無性に行方が知りたくもあり、また聞かない方がいい気もする。
「陛下よりすごいだなんて、さすがは勇者アレル。
 そういえば今は……確か。
 不死鳥を復活させる間近って話ですもんね」
「――――」
 青年が目の前で興奮気味に語っている。
 だが、もはやその言葉は彼の耳には届かなかった。
 なぜなら戦士は食い入るように夜空を眺めていた。
 闇の先まで見通そうかというように。
 痛快だといわんばかりの顔を歪めて。
 遥か先にいる相手を見ていた。
「そうか、アレル。もうそこまで来ていたか。
 さすがだな。だが……」
 そこで言葉を呑み込んだ。
 戦士は再び王の仮面を被る。
 まだ早いと。
 魔王を倒すのは、王でなければならないと。
 勇者が早いか、王が早いか。
 彼の最初の目的は、勇者に競り勝つことだったのだから。
 その為に彼は王の道を駆け抜けてきた。
 だが、もし。
 もし再び、戦士の姿へ戻るその時は――勇者、君の前へと立ちはだからん。
 心の奥底で燻ぶっていた小さな種火。
 隠れた欲望が、今激しく燃え盛ろうとしていた。





(fin)
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