Chaparral
  後編

「まずッ、洒落になっていないわ。アレ」
「むしろ当然なのでしょうね。その名の通り現代最高峰の魔術師ザ・クイーンとしては」
 開始早々、私たちの旗色は最悪一歩手前だった。

 決闘直前、バルトメロイはハンデと称し魔力で編んだ風を纏った。
『正直、私とあなた方では逆立ちしても勝負にもなりません。そこで考えたのがこの風の鎧です。もしあなた方がこれを破り一撃でもこの身に当てることができたのならば、その時は特別に私の負けを認めましょう』
『へぇ。随分、手を抜いてくれるのね』
『それと言い忘れましたが、私自身は一切攻撃をしません。安心なさい』
『上等ッ』
『その油断が間違いだったと教えて差し上げますわ』
『ですから。さあ、存分に踊りなさい』
 そうして彼女と私たちの決闘は始まったのだ。
 こちらとしても願ってもないハンデに、付け入る隙ができたと期待したのだが、それはどうしようもなく甘い考えだった。

「何よ。あの風、自動攻撃って反則じゃないっ」
「いえ、あれはこちらの魔力を絡め取り、増幅させて送り返しているだけですわ」
 なるほど、思い返してみるとルヴィアの言葉は最もだった。
 試しに放ったガンドも、続く宝石魔術も傷一つ付けられず、強固な鎧に阻まれた。
 それどころか風の鎧から直ぐさま返ってきた反撃の一撃を危うく相殺する羽目になった。
 言を違え、彼女が仕掛けてきたのかと疑ったが、そんな気配もなく、ならばこちらの攻撃に反応する自動防御の一種かと予想したのだが、どうやら違ったみたいだ。
 確かに見た目は風の魔術でも、言われてみると核となる部分は私たちが放った魔力の塊だったことを思い出す。
 だがどちらにしても厄介な事に変わりない。
 下手したらあの風王結界より強力な風の鎧を打ち破るには、手持ちの宝石だけでは不可能。だからと言って何もしなければジリ貧確定。
 さてどうしますか。
「それで何か策はあるんですの?」
「あると思う?」
「まさかないとでも?」
「わたしが聞いてるんだけど」
「それなら鏡を見ることをお勧めしますわ」
 そう言って苦笑するルヴィアに、自分の頬に手を当ててみる。
 ははは、こんな時に笑ってるのかわたし。
 自分でもホント良い根性している。
 内心そう思いながらも、私はルヴィアに小声で囁く。
「研究中のアレ。今持ってんのよ」
「貴方まさかッ。ですがアレはまだ実験段階では、」
「けど、ここで使わなきゃ。どこで使う気?」
 この窮地を打破する可能性があるなら何であろうと賭けてみたかった。
 失敗した時のことなど今は考えない。
 だから私は敢えて大胆不敵に笑ってみせる。
「あとは乗るか、反るか、でしょ?」
「……分かりました」
 考える素振りも僅か。
「ここまで来たら一蓮托生。私も覚悟を決めますわ」
 合わせてルヴィアも笑ってくれた。
「サンキュ、じゃあ行くわよ」
「ええ、どうぞご随意に」
 ルヴィアに顔を近づけようとするも、彼女の顔は強ばりその瞳は大きく開いたままだった。
「ちょっとやりにくいから、目ぐらい閉じなさいよっ」
「わ、分かってますッ。さあこれでよろしいのでしょうっ」
 頬が引き攣るほど固く瞳を閉じたルヴィアへ、私は勢いよく自分の顔を寄せた。
 途中、唇を噛み切り流れる血をすい液に混ぜる。
 それを躊躇わずルヴィアの口内に流し込んだ。
 チュッ
 さてこれで簡易パスは通った。あとは、と次の事を考えていると。
「くっ何故、私がこんな屈辱を受けなければ」
 途端に沈んだ表情で俯き愚痴を溢すルヴィアに振り返る。
「今のはノーカンッ。人命救助の一種と割り切りなさい」
 私だって何が悲しくて女性と口吻を交わさなければならないのか。
 それもこれも全部、呆気なくキスされた士郎の所為だ。
 八つ当たり気味にそう結論づけ、私は懐から取り出したものをルヴィアに放り投げる。
「ほら位置につきなさい。一発勝負なんだから、頼むわよ」
「言われなくとも分かっています。貴方こそ、この場面でポカミスなんてしたら承知しませんわよ」
「はははっ、言ってくれるじゃない。それじゃあ第二ランドと行きますか」
 私は視線で反撃開始の合図を送る。
 ルヴィアも視線で頷いた。
 それから私たちは互いに真逆の方向へ駆けだした。


「まだ。何かあるのかと待ちましたが。まさかもう終わりですか?」
 あからさまに失望の色を見せるバルトメロイに私は無言で応じる。
「もし気を逸らし背後から仕掛ければあるいは。などといった考えなら浅慮にほどがあり、」
 前を向いたままだったが彼女は背後に陣取ったルヴィアの存在に当然気付いている。
「それとも、挟み撃ちによる同時攻撃だというなら、愚鈍としか言いようがありません」
「惜しいわね。さすがに私もそこまで芸のないことはしないわ」
「ほう。それでは何を見せてくれるのですか。期待しても?」
「当然。ご期待にはお応えしますわ。ザ・クイーン」
 顔には笑みを形取り、腕には魔力を溜めながら、ルヴィアと思念で同調を開始する。
(行くわ)
(よろしくてよ)
((3、2、1))
 パスで繋げた思念で私とルヴィアは、ぴったりと間逆の位置で一切の狂いのない3カウントを唱え上げる。
 それで準備は呆気なく整う。
 私とルヴィアは懐から素早く取り出したソレらを同時にある焦点へ向けた。
「「接続、解放、一点射撃――――ッ!!」」
 そして放たれる二つの試作宝石剣による小さな魔力の渦。
 その魔力の渦は私とルヴィアを直線で結んだ丁度中間、バルトメロイを焦点に劇的な反応を見せた。
 二つの魔力の渦が複雑に絡み合い、風の鎧に取り込まれる直前、極微小な次元の隙間をこじ開ける。
 奇しくも、風の鎧はその隙間から流れ込む膨大な魔力を引き寄せ、それらは互いに衝突した――――
「すごっ」
 眼前で巻き起こった魔力の大爆発に思わず感嘆の声が洩れた。
 ぶっつけ本番。
 まさかここまで上手くいくとも思わなかったある試み。
 本物の宝石剣の代わりとして考えついた二つの簡易宝石剣を用いての魔力の重ね合わせによる多重次元屈折現象。
 どうやら、その無謀な挑戦は成功に終わったようだ。
 その代償として試作宝石剣は粉々に砕けてしまったが、一度もっただけでも充分過ぎた。
 でも手の中の宝石の欠片を眺めているうちに、やっぱりもったいなかったという感情が沸き上がってくる。
 これだとルヴィアの方も同様だろうな、と考えていると。
「リンッ!」
 鋭いルヴィアの叫びに、我に返った私は慌ててその場を飛び退く。
 続いて響いたのは耳を突き刺すような轟音。
 それは地面が破裂する音だった。
 もし一瞬でも飛び退くのが遅れていたら、私は肉片一つ残さず消滅していただろう。
 そう思うとぞっとしたが、これも彼女を本気にさせてしまった証拠だった。
 突如、背後に現れた気配に本能がけたたましく警報を鳴らす。
 今すぐ逃げろ、でなければ死だと。
 だが万に一つでも逃げられるとでも、否。戦況を正しく分析した理性は、冷酷なまでに背後の怪物から逃げるのは不可能だと告げていた。
 だからむしろ私は開き直り軽口を叩くように口を開いた。そこに億に一つの可能性を探すために。
「どうしました。ご自慢の聖骸布にお傷でも?」
「貴君を侮った非礼を詫びます。同時に私の身を傷つけたことへの名誉を与えましょう」
 研ぎ澄まされた聴覚が連続して地面を打つ小さな水滴の音を聞く。
 たはは、予想以上に深手を与えちゃったのか。
 名誉ではあるがそれで彼女の怒りを買ったのなら本末転倒だった。
 背後で膨れあがっていく魔力に、しまらないなぁ。とぼんやりと思う。
 仕方なく後のことはルヴィアに任せ、私は覚悟を決めた。
「では死になさい」
 その声に膨大な魔力が弾けようとした瞬間、周囲を炎が走った。
 同時に彼女が急に飛び離れ、背後に現れる慣れ親しんだ一つの気配。
「無事か遠坂?」
「遅いわよ。もう」
「悪い。でもあとは任せろ」
 まったく期待しなかったといえば嘘になる声に、私はわざと仏頂面を作りながら振り向く。
 そこにはどこか見覚えのある短剣を構える士郎がいた。
 思い出す。そうだ忘れるはずがない。だってあれは、アーチャーの剣だ。
 その姿があたかも彼自身に見え、私はそれ以上かける言葉を失ってしまった。
 そうしている間に微かに賛嘆の籠もった声が士郎に投げかけられる。
「目覚めましたか」
「ああ、お陰様で」
「それは重畳です。貴君は見事、私の期待に応えました。それで私と戦うと?」
「ああ、アンタが遠坂達を許さないって言うんならな」
 一転、凍てつくような視線を放った彼女を意にも介さず、士郎ははっきりと剣を向けて戦う意思を示す。
 士郎を暫し思案顔で見つめていたバルトメロイは突如、鷹揚に頷いた。
「よろしい。では許しましょう。私も少々誓約違反でした」
「へ?」
「許すと言ったのです。何か不満が?」
「いや正直まったく勝てる気がしないから、退いてくれるのはありがたいけど」
 困惑顔で首を振る士郎の言葉に、ああやっぱりかと思う。
 勝ち目がないと知りつつも虚勢を張っていたのだ、このバカは。
 あとでどうお仕置きしてやろうか。そんなことを考えていると、徐にバルトメロイが口を開いた。
「では約束を守りましょう。衛宮士郎」
「え」
 突如繰り広げられた理解不可能な異次元の光景。
 目の前の二人は抱き合うほどの距離でぴったりと顔をくっつけている。
 凍り付いた脳裏を辛うじて過ぎったのは、
 コイツら一体何してるの?
 そんな問いだった。
 それは、目を丸くしながらキスされる士郎と無表情でキスをするバルトメロイだった。
 どのくらい二人はキスをしていたのだろうか。
 まともな思考が戻りかけた頃、ようやくバルトメロイは士郎から顔を離す。
 彼女の唇から糸のように伸びたすい液が酷く扇情的で不覚にも見入ってしまった。
「これで約束は果たしました。確認なさい」
 慌てて確認すると、確かに彼女と士郎の間に繋げられたパスは跡形もなく消えていた。
「ええ、大丈夫です」
「ではこれで私は失礼する。またの機会があれば、その時こそ、此度の決着をミス・トオサカ」
 冗談じゃないと首を振る私に、バルトメロイはふっと初めて見せる微笑混じりの一瞥を寄越し、去っていった。
 遠ざかる彼女の背を警戒したまま見届け、ようやく完全に視界から消えるとどっと溜息が出た。
 だらしなくも腹の底から盛大に。
 それでようやく周囲を見渡せる余裕ができた。
 すると、なんと士郎は、このバカは顔を赤らめ、ぼぉーとしていた。
 そのしまりのない顔に、私の脳内で繰り広げられた法廷では、完全無欠で公明正大な判決を満場一致で瞬時に下す。
「士郎、アンタ有罪。というか後で死刑ね」
 途端に必死で首を振りながら青ざめた顔を向ける士郎に、私はにこやかに笑って唇だけを動かして見せる。
 も・う・お・そ・い。

******************

「良かったのか。彼を解放して?」
 私は決闘場から引き上げてきたバルトメロイに視線で問うと。
 彼女はさも不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「なにを白々しい。こうなるのは、恐らく貴君の予想通りでしょうに」
「さあ、どうだろうな」
 内心ではどちらでも良かった。
 あのまま彼女の部下に身を落とすのも、それはそれであのバカ弟子の為にはなっただろう。
「ですが、確かに貴君が薦めただけはありました。まさか固有結界の使い手とは。あれなら我が隊に入る資格は充分でしょう」
「それなのにわざわざ解放したのか?」
 私の胸に驚きが過ぎる。
 まさかこの女が自分の眼鏡に適った者を手放すとは。
 私の驚愕を嗅ぎ取ったのか。彼女はより一層、眉間に皺を寄せ不快そうな顔をする。
「当然です。まさか私が約束を守らないとでも? それに、わざわざ今連れて行かなくとも、いずれ彼は自ら私の元を訪れるでしょう。そう。彼が真に力を欲する限り」
「それは予言か」
「予言? 違います。これは確定した未来です。何故? 決まっています。彼は私の、このバルトメロイの祝福を受けたのですよ」
 またも私の胸に驚きが過ぎる。
 まさかこの女のこんな表情が見れるとはな。
 苦笑を溢す私の横を我らが時計塔の女王は通り過ぎていく。
 そんな彼女の頬はうっすらと艶やかな弧を描いていた。

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 最も危険な嵐は過ぎ去ったが、その嵐の残していった災害処理が今にも崩れかかった山積み状態で残っていた。
 というかもはや無駄と知りつつ開き直るしかなく。
「いや本当に酷い目にあった。なあ遠坂?」
 さも当然といった顔で、俺は同意を求めてみる。
「へぇそう。まるで少女漫画のヒロインみたい頬を赤らめていたのは、どこの誰だったかしら」
「なっ。遠坂、いやあれは仕方ないというか、不可抗力というか、つまりだな。正常な男子にとっては当然起るべくして起る生理現象というか。いえ何でもないです。ごめんなさい」
 ものすごい形相で睨んでくる遠坂に俺は潔く白旗を振った。
 それ以上弁解を重ねたところで、飛んでくるのは罵声とガンドの山でしかないことは、この身が痛いほどよく分かっていた。
「それよりも士郎。さっき魔術、アレって。まさか?」
 別の意味で殺気の増した遠坂に、俺はゆっくりと首を振った。
「帰ったら説明する」
「そう。まあいいわ」
 意外にもあっさり引き下がってくれた遠坂にほっと胸を撫で下ろす。
 どうやらこの場は許してくれたらしい。
「それじゃあルヴィアを待って引き上げましょう。とりあえず帰って寝たいわ」
「ああ俺もだ」
 よく見ると、さすがの遠坂もげっそりと疲れた顔で、もう立っているのがやっとなほどふらふらだった。
 ルヴィアが来たらすぐに帰るとしよう。
「シェロ――――ッ」
 噂をすればなんとやらだった。
 ルヴィアが火が付いたような勢いで駆け寄ってくる。
 そんなに急がなくとも逃げやしないのに。
 俺は苦笑しながら彼女を待つ。
「シェロ――ッ!」
 そうこうするうちに、ルヴィアの声も姿もどんどんと近づいてくる。
 って、おい、危ないだろ。そんなに勢いつけたまま走って。
 俺はだんだん嫌な予感を覚えた。
「シェロッ!!」
 近い、近い、近すぎるッ!?
 ルヴィアはトップスピードを維持したまま俺めがけて飛びかかってきた。
 そして首に回される彼女の両腕。
 ルヴィアを抱き留めつつも俺は、彼女のあまりの剣幕にチョークスリーパーで絞め殺される事を覚悟した。
 しかし予想に反して起ったのは、
「ン――ッ」
 ルヴィアの柔らかな唇による窒息だった。
 半分イカレかけた頭で考えたのは、いつの間にキスの呪いでも受けたんだ俺? という間抜けな疑問だった。
「何してんのよォォォ――!?」
 そんな俺が我に返れたのは、一重に遠坂の絶叫のおかげだった。
 その叫びに離れてくれたルヴィアは不機嫌そうに遠坂を見つめる。
「見て分かりませんの。パスを繋げたのですわ」
「んなこと、見れば分かるわよッ。だから何でアンタがやってんのよッ!」
「今回の事で私思い知りました。シェロにはもっと積極的な保護政策が必要です」
 俺は天然記念動物か何かかっ!!
 怖いので口にはしないが、とりあえず心の中では突っ込んでおく。
「それとも身体を重ね合わせる方がよろしくて?」
 そう言ってルヴィアは頬を赤く染めながらも誘うような目つきで俺を見つめてくる。
 そ、それって。
 思わず生唾を呑み込んでしまった後に気付く。
 すぐ側では遠坂の怒りゲージがMAXをはるかに超えて吹っ切れていたのを。
 あ、俺。死んだな。
 この時、不条理極まりなくも、我が身に訪れる事が確定した未来を俺は悟った。
「この天然ジゴロがァァァ――ッ!!」
 その絶叫よりもなお速く、遠坂の光速右アッパーは俺の顎を精確にとらえた。
 かくして俺は天高く舞上げられた後、地上にきりもみしながら落下したのであった。
 散々な一日であったが、目覚めは顔を林檎のように真っ赤に染めた遠坂の人工呼吸だったことを追記しておこう。

(FIN)




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