|
やがて冷たく静かな庭は闇に覆われ、私は知覚を取り戻した――
どうやら、私は横たわっている。
周囲は真の闇。その空間は、私の魔眼をもってしても何一つ視認できるものはない。
それに加え、この体中に圧し掛かる、小さな箱庭に蓋を閉めたような圧迫感。
他の誰もおらず、この空間には私一人しか居ないことだけは何となく分かった。
同時に様々な疑問が頭をもたげる。
何時から、何故このような所に居るのか。一体ここは何処なのか。
何一つ分からないが、恐らくはこの空間の雰囲気からして、最悪な理由であり、ロクな場所でないのだろう。
ただ、私が何時からここにいるかについては全く思い浮かばない。そこだけが思考し得ない。
いや、そもそも近々の出来事に対しての認識というもの自体が鈍いようだ。
――私は誰だ?
これは即答できる。メデューサ。ゴルゴン三姉妹の末女にして愚かにも神々に唆された人間の英雄ペルセウスに討ち取られた魔物。反英霊と呼ばれるにふさわしい化け物。
聖杯戦争にて、とあるマスターに召喚され現界する。だが――その辺りからの記憶がはっきりしない。
――呼び出されたからには戦ったのだろうか、この私が。
二人の姉を自ら消滅させた失意に陥ることもなく、思いのままに狂っていたこの私が。
――いえ、そもそも私を呼び出したマスターとは?
いくら考えても出てこない。
私は魔眼殺しの眼帯の中で見開いていた目を閉じる。
いくら考えても出てこない。その上疲労が濃く、また寝てしまいたかった。再び目覚めるかも定かではなく、わずかに恐怖感はある。
しかし、不思議と疲労に身を任せた心地は悪くなく、私はあっさりと考えるのをやめた。
自分が最悪な場所だと直感したこの雰囲気。じっと感覚に身を委ねる。ふと考え付いたが、それは自らの心の在り様を写し出しているのかも知れない。虚ろにして、どこか生気もなく無意味。
私にうってつけではないか、と自嘲した所で――自分はこれからどうなるのか――はじめて、そのような疑問が生じた。
やがて、他人の気配に目が覚めた。
それも一人ではない。3,4人といったことに私は気付く。
暗闇の中に姿は見えないが、気配からして皆が力なく腰掛けるか、横たわっているらしい。私と同じく疲労困憊といった様子だ。
私が目覚めるのが分かったらしい。一人が近寄ってきた。
サーヴァントであろうその男は、長い槍を片手に地面に腰掛けた。いや、へたり込んだと言ったほうが正確か。座っても顔は俯いたままである。
「――」
「――」
互いに探り合うような沈黙である。おぼろげながら、それは永遠に近づくかと思われた。
ふと、他の存在に目をやる。否、ここでは遠くの姿は見えず、ただ感じ取るしかない。
どこか憶えのあるような魔力の弓兵、圧倒的な霊位を誇るであろう強大なる狂戦士、狡猾さと哀しさを含んだ魔術師、飄々とした暗殺者、そして目の前の槍の男。
「おめぇよ」
「――」
沈黙を破った声に、私は気配で答えた。
「もう死ぬぜ」
男は頭を上げたが、私を正面に捉えず、わずかに横を向いたまま告げた。鋭い目つきではあるが不貞腐れた少年のような、どこか哀しげな様子。
「えぇ。それに……」
自分が理解しているかすらも疑わしい事を、驚くほど自然に受け入れて口にしていた。目の前の男の儚げな気配を感じ、自分の運命も暗に理解したのかもしれない。そのまま、思いついたことを話してしまう。
「きっと貴方も」
「そうだな」
私の弾むような声に、男は苦笑した。男は槍を置き、地に横たわる。
「何故だろうな」
ひどく人間くさい、自らに問いかけるような口ぶり。
「おめぇもそうだろうが、何でこんなことになったか全く思い出せねえ」
「えぇ」
「ただ――」
男の双眸に力が宿ったかに見えた。矜持を重ねたかのような重い表情。
「敗れたんだろうな、俺もおめぇも」
敗れた――私は止まる。思考が、息が、疑問が止まる。
「どうした」
訝しげに男が尋ねる。
何時からこんな所にいるのか。その理由すら見当もつかない。はずであった。
しかし男の闘争心を秘めた魂に触れ、触発されたのだろうか。
ふと気付けば全て思い出していた。
ライダーのクラス。偽臣の書。切り札を使用し、勝負をかけた私を無尽蔵の魔力で消滅させた騎士王の聖剣。
そう、私は敗れたのだ。
それならばこの身と場所についても心当たりがないわけでない。
「思い出したか」
関心の薄い様子で男は呟く。
「えぇ。ですが恐らく私も貴方も、もうじき消えてしまうでしょう」
「そうか。それじゃあ俺も急いで思い出す必要もねぇな……で?」
「?」
「どうだったんだよ、おめぇ。満足して逝けそうか」
「……」
男の真意がいまいち読めなかった。自らが消えてしまうならば、この状況について慌てて知りたがるのが道理。だが男は必要ないという。
――妙な男。
男の質問について考える。全力ではなかったとはいえサーヴァントに敗れたのだ。満足はしていない。それどころか結果については当然屈辱感しかない。
だが、私は思い返す。
ほんの一時ではあったが、この魂が確かに感応したのだ。
本来の主である、間桐桜。
言葉は必要なく、召喚されてラインが繋がったその瞬間に分かった。
この少女も、私と同じく奪われて生きてきたのだ、と。
この世に生を享けたからには約束されたはずである人並みの幸福ですら遠く届かない。
何が大切なのかも分からず、周りを傷つけ自らも傷つく。
だが、わずかな傍に居る人に知らぬ間に励まされ、また傍に居たいと思う。そして、いつか傷つけてしまわないかと恐れる。
そんな、荒んだ魂。それに感応したのだ。
こうやって記憶を取り戻したのも、マスターへの執着が失わせなかったのかもしれない。いや、そうに違いない。
まったく、しぶといだけが取り得の自分らしい。
――サクラ。
思い返す。どうしても守らなければならなかった。
せめて万全の状態の自分で全身全霊を持って闘い、そして敗れなければならなかった。それすら叶わない運命には改めて呪詛し、悔いる。
だが、マスターの勝利とは別に願っていたものがあった。
思考は男の笑みに遮られる。
箱庭の中に、新たな人物が登場したのだ。
黄金の魂を持つ王。箱庭に現れた、7人目のサーヴァント。彼も敗れ、壊れたのであろう。無為に腰掛けていた。
「どうやら俺も思い出したぜ」
男は私を見た。
「あのヤロウが敗れるとはな、おもしれえ」
男はつぶやき、捨てていた槍を無造作に拾い、立ち上がった。
「では、又な」
ぶっきらぼうに言い捨てた男に、何か声をかけたかった。
敗れ、この場所で虚ろな無気力感に苛まれていた私であったがこの男の勝敗への執念に触れた。恐らくこの中の敗れ去ったサーヴァント全員が無気力に苛まれている。ここはそういう場所だ。その中で、この男だけがそれを保持していた。そして思い出せた。だが、無知な私は生憎こんなときに掛ける言葉を知らない。
男は去っていく。男だけでなかった。敗れ去っていったサーヴァント達が、歩みを始めている。
自分も、行かねばならなかった。
箱庭の正体。それは聖杯の中身。
破れ去ったサーヴァント達の仮初の拠所。決して長く居れる場所ではない。消えなければならない。
立ち上がる。歩みを進めるサーヴァント達の背中を見つめ、呟く。
「この中の誰が私たちほどの理解を持っていることでしょう。恨みますよ、サクラ。もしも次があるならば……」
彼女は叶わぬ願いに諦念する。
彼女は見果てぬ夢に思いを馳せる。
やがて、光が彼女を包んだ。
全てを受け容れた時、今際だと悟った時――
「聖杯は、必ず貴方の手に」
黒衣の騎兵たる彼女も消え、誰も居なくなった虚空には、一陣の風すら吹かず、音も無い。
その情熱すらも聖杯は飲み込み、後にはただ、彼らの残した熱気を推し量るのみである。
|
|
|
|