Chaparral




 リアは目を覚ました。
 大気を切り裂くような風の中、ギターの音が響いている。
 極度の疲労からか一瞬眠ってしまったようだ。意識を失ったという表現の方が近いかもしれない。
 洞窟の中は焚き火で暖をとっていても肌寒かった。
――それにしても
 リアは不思議だった。
 マチダが奏でる演奏。
 それはこの先の人生の漠然とした不安と期待を。
 そして、自分と向かい合う意欲を与えてくれるかのようだった。
――音楽とは、こういうものだったのか
 例え同じ音色を酒場で聞いても、同じように聞こえたのかどうか。
 それを試すことを欲している自分も不思議だった。
 感傷など、自分がこれまで否定してきた多くのものの一つに過ぎないのだから。

 先ほどから演奏は長くは続かない。
 一曲弾き終えるとマチダが
「では、今宵はこの辺りで……」
 と区切ろうとするが
「……」
 じっとリアに睨まれる。すると根負けしたマチダは酒を口にし、黙って再び弾き始める。
 それを先ほどから繰り返しているのだ。
 傍のダグとグレーガンがそれを咎めないのはマチダが満更でないのが分かっていることもあるし、今の絶望的な状況を思えば同じような気持ちになるのかもしれない。
 リアはうたた寝している割には演奏を強いている自分がおかしかった。
 再び曲に聞き入る。
――自分にしてはいい時間を持てている
 素直にそう思えていた。
 マチダの演奏する曲が誰もが知っている有名な曲であろうと、どこかエキゾチック雰囲気の耳慣れない曲であろうとそれは同じ。
 しかし、彼女は吟遊詩人の奏でる曲というものは魔物狩りの、もっと言えば闘争の道具としてしか見ていなかった。
 このようなものを魔物との争いに用いらなくてはいけないとは。
 人の業とでもいうものを考えずにはいられない。
 彼女は今のような絶望的な状況ですらそのような感慨を抱く自分が不思議だった。

 だが、それは自分だけでは無いだろう。
 剣を抱いたまま目を瞑っているダグも、苦しげに横になっているネイに膝を貸しているグレーガンも何かしらの感慨を持って曲を聴いているに違いない。
 それについては核心が持てた。
 だがそれが一体何なのか。
 彼らが何を想っているのか。
 それは具体的には分からない。
 要するに、同じようなものを共有しているように見えてもその正確な中身は違う。
――その差を埋めることが、果たして可能なのだろうか?
 疲れきった身体に不思議と冴えた頭。
 新たな疑問は次々と生まれる。
 何しろ彼女のこれまでの殺伐とした人生において、こうして誰かと共に音楽を聴きながら、酒を呑むような状況。
 そういったものを今まで体験してこなかった。
 そして、これからも自分にはそのようなものは無縁だと考えていた。
 だが、この一体感。
 ギルド「Braveheart Level」は結成されてか1数ヶ月だが、本当の仲間とはそういうものらしい。


 時間は真夜中。
 暗い洞窟の中である。
 火を中心にメンバーが思い思いに坐ってマチダの演奏を聴いていたが、やがて一人ずつの見張りを置きながら休む事にした。
 最初の見張りはリアであったが、10分と経たないうちにダグがむくりと起き上がり、火に燃料を投げ入れた。
「寝れないか」
 リアが声をかける。
「ああ」
 心ここにあらずといった様子のダグ。
 普段はブロンドの栄える細面は疲労に沈んでいる。
 だが、原因がそれだけでないことは明らかだった。
「休んでおくといい」
 出発の時間は決めていない。夜が明け、外の吹雪が止むまでは出れなかった。
 武装を外せない状況では睡眠を取らねば疲労はたまる一方だろう。
「……」
 しばらく火を見つめていたダグだった、急にリアに向き直った。
「リア……済まなかった!」
 深々と頭を下げる。ほとんど土下座だ。
「どうした」
「今回こうなってしまったのは、俺の判断ミスだ」
「……お前だけではないだろう」
 リアは答えた。
「安全策を考えるべきだったんだ」
「何度言えば分かる? お前をリーダーと認めているのは私たち全員の総意だ。つまりお前に任せられた判断は私たちの判断だ」
「だが……」
「お前が判断を委ねられて判断した。その結果だ。仕方ないと考えているよ」
「……」
 拳を握り締めたまま、火を見るダグ。
「そこまで責任を感じているのなら、見張りまでは休んでおけ。脱出時に少しでも役に立てるようにな」
「……ああ」
 ダグはようやく頷いた。
 横になって毛布を被る。
「だけど、これだけは聞いてほしいんだ」
「……」


 彼ら「Braveheart Level」は数多く存在する冒険者達の間でも、着実に名が知られつつあるギルドであった。
 その理由としては酒場で依頼されるクエストには素早く解決し、無茶な依頼や小さな依頼に対しても対応力を発揮していたことが大きい。
 つい先日の事だが、そんな彼らに対しついに公宮からのミッションがあったのだ。
 公宮からの依頼は、結成から何年も活躍している中堅の存在として認められているほどのギルドでも中々声がかからない。
 「Braveheart Level」の結成からの期間を考えると異例と言えた。
 若きリーダーであるダグはこの抜擢に大い発奮したが、事前に片付けなければならないクエストがあった。
 そのアイテムの収集が今回の目的だった。

 今回の冒険では、ダグには恐らくリーダーとして下した二つの大きな判断があった。
 一つは交易所から要求のあった物資を手に入れた後。
 すぐにでもアリアドネの糸を用いて街へと帰還しても良かった。
 だが、物資の収集に成功した時点で思いのほか余力があった為に、アイテムの収集を続行したのだ。
 その判断は冒険においてはよくある判断と言える。
「その判断自体は冒険につき物だ。悔やむことでは無い」
「結果としてミスだった」
「あんな大群に遭うとは私も予想しなかった。グレーガンも初めて遭ったと言っていただろう、あんな大軍は」
「……もう一つの判断が大きかった」

 魔物の大群を迎え撃った彼ら。
 その中で、一時間近くに及ぶ戦闘を何とか乗り切った。
「大丈夫か、皆」
 肩で息をしながら、メンバーを振り返ったのはグレーガン。
 全身を覆う武装がかなり痛んでいることから、戦闘の激しさが窺えた。
「ああ」
 マチダが近づいてきた。
 彼の援護が無ければ、もたなかったであろう。
「……」
 リアも、長い髪を押さえながら歩み寄ってきた。
「ダグとネイ坊は?」
 グレーガンが辺りを見渡す。
 グレーガンの傍を離れたがらないネイであったが、さすがに長時間の戦闘ではそうはいかない。
「ネイは傷を負っていたようだが」
 リアは乱戦の中でネイの悲鳴を聞いていた。
「見ろ」
 マチダが指差す先に、ダグとネイが居た。

「大丈夫かい? ネイ」
「うん……」
 ダグはネイを介抱していた。
 途中で魔物の爪の一撃を喰らっていた。
 あの敵は確か毒を持っていた筈。それも、対応が遅ければ人間一人の致死量には十分達する強さ。
 そして、ギルドの医術師であるネイは大人とはとても言えない年だ。
「すぐに楽にしてあげるからね」
 ダグは毒消しを取り出そうと、自らの雑嚢を開いた。
「!?」
 邪悪な気配に体が跳ね起きていた。
 一匹の魔物が背後の樹木の陰にいた。
 ダグが振り返ると同時に魔物は炎を吐き出さんと口を開けた。
 彼はネイを抱くととっさに意識を集中させた。
 聖騎士たる彼の得意技の一つ、ファイアガードを発動させた。
 愛用の盾・ホワイトラウンドに魔力が宿る。
 ゴォッ!
 炎が凄まじい勢いで彼らを飲み込んだ。
「ギィッ」
 だが、響いたのは魔物の断末魔。
 リアの氷の術式の餌食となっていた。
「大丈夫か!?」
 グレーガンが声をかける。
「ええ、ボクもネイも大丈夫ですが……」
 荷物が完全に焼けていた。
「アリアドネの糸が……それに毒消しも」
 自分の声と思えないほどにその声は弱弱しかった。


「あそこで、ネイよりも荷物を優先して防ぐべきであったと?」
「……そうだ」
「馬鹿を言うな」
 リアはわざと呆れた声を出した。
「人間、そこまでロジカルにはできていない。特に咄嗟の時にはな」
「……」
「なんだ」
「そうではないんだ」
「?」
「俺は、あそこで咄嗟に判断が出来ていたんだ」
「なに?」
「傷ついたネイは医術師だ。彼女無しでは長い旅は不可能。だが、糸さえ使えれば問題ない。今思えば、俺はリーダーとして冷酷であったと非難されることが怖かったからこそ、安易な判断を下してしまったかのように思えるんだ」
「……」
「やはり俺には、リーダーの資格は……」
「お前は若い」
 リアはダグを止めていた。
 自然に口から出た言葉だった。
「もっと経験を積むべきだ。無論、リーダーとしてな」
「……」
「もう一度言うが、少しでも悔いがあるならば休め」
 ダグは顔を背けた。背中越しに
「ありがとう……」
 微かな声で確かに紡いでいた。
 しばらくすると、寝息が聞こえた。
 疲労からか休息をとるという義務感からか。

「大した姉っぷりだな」
 ダグが眠ってから暫く経ってのこと。
 いつの間にか目を覚ましていたのか、グレーガンが声をかけてきた。
「お前が起きたのなら、私は寝る」
「そう素っ気無くするなよ」
 少し話そう、と欠伸をしながら言う。
「……」
「今回、生きて帰れるものかな」
「……」
「錬金術師殿の考えはどうだい?」
「さてな、簡単でないことは確かだ」
「豪気だな。殆ど不可能だろうぜ」
「それで? 楽に死にたいなら手伝うが?」
「まさか」
 リアの拒絶的な態度を愉しむかのようなグレーガンであった。
「せめて、こいつは帰してやりたいんだ」
 自らの膝で眠るネイの髪を撫でた。
「確かお前とネイとは長かったな」
「三年程になるかな。とんだ押しかけ相棒だが」
 「Braveheart Level」の結成については、リア・ダグ・マチダの3人とグレーガン・ネイの2人が同じギルドになったという表現が正しい。
 グレーガンとネイの信頼の深さは窮地などにおいてよく見ることが出来た。
 普段の態度についても兄妹に近い。
「とにかく、この嵐が収まるまでは動けないな。燃料が尽きるまでに収まってくれればいいんだが」
「お前、何故このギルドに参加している?」
「突然だな」
 驚いたような顔のグレーガン。
「お前こそどうなんだ? お前ほどの実力ならば引く手あまただろうに……」
「答えろ」
「分かった分かった。そんなに殺気立つなよ」
「……」
「あるアイテムが望みだ。それと、出来れば取り立てられることかな」
「……」
「信じられねえって顔してるぞ」
「もういい」
「そうかい。お前さんも早く寝な。ただでさえ疲れきってるのに、慣れない事してると頭がパンクしちまうぜ」
 慣れない事とは、自分がこのように積極的にコミュニケーションを図っていることだろう。
 馬鹿にされた事は不問にした。
「まあ、生き残らねばな」
「その通りだ」
 それを最後にグレーガンは目を閉じた。
 彼も冒険者としての経験は長い。休息が必要であることは心得ていた。
 リアは炎をじっと見る。


 ダグと出会い、「Braveheart Level」に参加してからの自分は、かつての自分を否定したがっていると感じることがある。
 かつての自分とは、例えば昼間は外を出歩かずに夜道を歩くことであり、自らを客観視すること、効率的に他人を殺めることだ。
 だからこそ、腹の探りあいはあまり好きではない。
 グレーガンが何を考えているか知らないが、過去は伏せておけばいい。ただそれだけなのだ。
 だが、自分は選択しなければいけない。
 何かを得る為に、何かを捨てなければいけない。
 自分の目標はあくまで迷宮の奥深くに到達すること。
 そして、其処に存在するといわれるあるアイテムを得ることだ。
 ダグが共にいることは特に必要では無い。
 むしろ、もっと経験豊富なギルドに参加することが彼女の実力ならば出来る。
 早く目標に到達し、今回のような窮地にも立つことはなかっただろう。
――頭で考えても、うまくいかないかも知れない
 理性で抑えていたものが、蘇る。
 彼女はいつの間にか、黒い感情が渦巻くのを感じていた。

 リアは記憶の奥に居る、或る若かりし頃の自分を思い出す。
 その彼女の手は誰かに軽やかに引かれていた。
 白く細い、精巧な造り物のような指先が、彼女の手を引く。
 彼は自分の手を握り、彼女も確かに握り返していた。
 彼の顔をよく覚えていないように、逢瀬の始まりはよく覚えていない。
 だが、秘匿の中の関係であったことは覚えている。
 会うこと自体が限られ、会っても出来ることは限られていた。
 だからこそ、会えた時は。
 彼女はいつしか世界を愛し、運命を信じ、彼を掛け替えの無い存在と思うようになっていた。

 だからこそ、裏切られた時の衝撃は大きかった。

 息を切って走った家路。
 赤く染まった空を忘れることは無い。
 リアはある都市の要人の娘だった。
 幼い頃から錬金術師として期待されていたリアは、軍事上の情報を知っておりそれを利用されたのだ。
 男は巧妙に、リアから情報を聞き出していた。
 そしてリアがいつもの様に男との逢瀬に向った時。
 都市から離れたその場所に男はおらず、街は襲撃されていた。

 都市に戻り、身も心もぼろぼろになった彼女が自らの家に戻った時。
 家は焼け焦げ、彼女の家族も消し炭となっていた。
 それを見た彼女は胃の内容物を吐いた。
 彼女は思う。
 その時に、彼女が吐き出したのは彼女その物なのだと。
 だからこそ、其れまでの彼女と其れからの彼女は別のものなのだと。

 それ以来のことだ。
 彼女は炎の術式を使わなくなった。使えなくなっていた。
 力自体に罪は無い。
 それを使う人間こそ
 頭で分かっていても出来ないこともあるのだ。

 彼女の目的。
 それは復讐である。
 あの男の素性について、突き止める方法が樹海の中にあることは分かっていた。
 それ以外は考えず、冒険をしてきたのだ。

 グレーガンの意図を詮索したのも初めてだ。
 以前の自分ならば考えられないことだが。
 自分が護りたいのは何なのか。
 ダグなのか、こんな窮地にすら安息を覚えている自分自身か。はたまたこのギルドか。
 分からなかった。
 だが、それならば全てを護りきってしまえばいい。
――まずは、無事に帰還しなければ
 彼女の心もその炎のように揺らいでいることは、誰も知らないことだった。





 一面の雪。
 生い茂る緑も辛うじて形成されている通り道も全てが、白く染まっている。
 夜が明け、嵐は止んだ。
 しかし、洞窟の外はこれまで以上に雪がかなり積もっていた。
 これではかなりの動きが制限されかねない。

 キンッ!
 鋼と鋼の打ち響く音。
 グレーガンは敵と向かい合った。
 否、彼にとっては見上げ、有翼の敵……黒き翼竜にとっては見下ろす形である。
「……ふぅ」
 グレーガンは軽く息を吐く。
 足元は雪が積もり、踏み込みがどうしても甘くなる。
 洞窟を出て半日は歩いているが、下階への階段は未だ遠い。
 そして――
 ヒュンッッ!!
「チィッ!」
 グレーガンは翼竜の滑空をすんでのところでかわす。
 それは恐ろしい切れ味の攻撃であった。
 翼竜はただでさえ発達した筋肉の翼で力強く空を舞っているが、風の力を巧く使い更に速度を増している。
 最早、その攻撃の風圧のみでもダメージを受けかねない。
 このフロアに限らないが、樹海の住民であるモンスター達は樹海の特性を実に巧妙に利用して攻撃してくる。
 再度滑空してきた相手に対し、グレーガンは剣を合わせる。
「ぐっ!」
 だが、圧力に弾き飛ばされた。
 翼竜は嘲笑うかのように、中空を漂っている。
――これは、長期戦狙いだな
 グレーガンはため息とともに考えを改めた。
 彼の後方では、四人の仲間達がもう一体の翼竜と対峙していた。
 敵は二匹である。
 洞窟を出てここまでは雑魚との小競り合い程度であったが、ここに来て厄介な敵であった。
 自分が一匹をひきつけている間にもう一匹を早く片付けて欲しいという期待はある。
 だが、その支援はしばらく受けれそうに無い。
 敵は翼竜だけでなく、地上にも多くの敵がいた。そちらにも対応しなければいけない。
 相手を視線に捉えたまま、後方に意識を向ける。
 雷術の音が響き渡る。リアの雷術だろう。
 その直後に鋼同士の音が響いた。
 ダグは何とか踏ん張っているようだ。
 だが、自分の限界を超えようが、生き残らなければ意味がない。
 グレーガンは嫌というほど知っていた。

 術式を起動し、隙が出来たリアをダグが護っていた。
 味方に闘争心と守護を与え、敵の属性攻撃を弱めるマチダの演奏がなければ、互角以下の戦いとなっていただろう。
 何とか堪えている状況だ。
 リアは何度となく雷撃を放ち、地上の敵を倒していた。
 だが、彼女が使用できる雷の術式は決して広範囲ではない。
 氷の術式ならば大氷嵐だろうと起こることが出来るが、この氷雪のフロアの相手は炎には弱いが氷がほとんど効かないものが多い。
 雷撃で各個撃破するしかなかった。
――炎が使えれば……
 今ほどそれを強く思ったことはなかっただろう。
 リアは度々の術式起動により確実に消耗していた。
 術式の起動とは自らの精神力を削っていく作業に等しい。
 それが、このような緊迫した場面ならば尚更だ。
 だからこそ、幾度もの実戦で一定の能力を発揮できる錬金術師は賞賛される。
 だが数日にも及ぶ冒険に彼女は未到達の極限状態に至っていた。
――あと一度でも、使って無事で済むかどうか……
 凛然とした立ち振る舞いの彼女だが、その疲労は誰の知る所ではなかったのだ。


 ギルド「Braveheart Level」の基本戦術として、その切り札は錬金術師リアである。
 彼女の素早く正確な属性解析・属性攻撃は炎が使えない欠点を除けば、無類の殲滅力を誇る。
 ダグがガードしつつ、グレーガンが血路を開き、リアの術で仕留めるのが定石だった。
 だが、今回のように医術師ネイが動けない状態では更にリスクを避けるしかない。
 2匹の翼竜に対して1匹はグレーガンが誘き寄せ、相手の組織的な動きを封じる。
 ダグ・リア・マチダの三人で一匹ずつ確実にしとめる狙いだ。
 だが、相手もリアの強力な術式を警戒している。うかつには近寄ってこないのは誤算であった。
 動けないハルを見て、上空と地上からじりじりと攻めてきている。
 明らかにこちらの消耗を狙っていた。
 更に、これはグレーガンの勘ではあるが魔物が多く集まりつつあった。
 時間をとられている暇は無い。
「それならば……」
 長身のグレーガンだが、低く構えて少しでも相手の滑空が困難なものになるようにする。
 翼竜は滑空してきた。
 タイミングはこれまでの接触で掴みつつある。
 魔物達の狙いに付き合うわけにはいかなかった。
 あとは、自分が腹を決めてタイミングを合わせるだけだ。
 キンッ!!
 再び鋼と鋼の打ち合う音が響いた。
 同時、否。鋼の打ち合う音が彼に届く前に、彼の信頼する剣に手応えがあった。
 ドゥッ!
 数瞬遅れ、彼の背後に何かがしたたかに叩きつけられた音。
 翼竜はその片羽から血を流していた。
 グレーガンの剣が捉えていたのだ。
「悪いな」
 グレーガンはのた打ち回れ暴れる翼竜に悠然と近づく。
「相棒の都合でな。時間が無ぇんだ」
 剣を振り下ろした。

 一匹の翼竜が倒れたことにより、もう一匹にも変化が生じていた。
 それこそが、リアの待っていた機であった。
 彼女は翼竜に対し、術式を起動せんと、ダグの前に進み出る。
 だが、今までリアの術式の後を狙って攻撃していた翼竜は、起動前の彼女を狙った。
「っ!?」
 だが、これこそがリアの狙い。
 彼女が進み出たのは単なる誘い。
 彼女は攻撃する気配も見せず、敵の滑空をかわした。
 目標を失った翼竜を横手から強撃が襲う。
 ドカッ!!
 凄まじい破壊音が響いた。
 ダグの切り札、盾を相手にぶちかます強烈なシールドスマイトであった。
 マチダの演奏により反射神経・腕力・集中力など全てが向上していたダグは的確に、翼竜の頸の付け根に命中させていた。
 地に落ちた魔物はピクリとも動かない。
「……やるな」
 思わずリアが感嘆する程の、見事な一撃。
 ダグとの連携で難敵を倒せたことに、リアは頬を緩めた。ダグに近づく。
「よくやった、それでこそリーダー……」
 リアは最後まで言えなかった。
 誰かに突き飛ばされた、と思ったその刹那。
 ダグが倒れた翼竜に襲われていた。
 ダグの叫び声。
 一瞬遅れ、グレーガンの剣が翼竜の頭骨を割っていた。
 そして、再び地上の魔物が大挙して押し寄せてきた。
 たちまち乱戦となった。


「済まない……」
 乱戦を制した後。
 メンバーはダグを中心に集まっていた。
 傷薬はない。グレーガンが布でダグの傷を縛った。
 負傷は左脚の太股だった。範囲は広くないが、傷が深い。
 よく、これであの数の魔物との戦いを凌いだものであった。
「大丈夫だ、これ位なら」
 ダグは笑ったが、顔には大粒の汗がにじんでいる。
 リアの後悔は深かった。完全に自分の油断であったのだ。
「片脚でも皆を護ればいいさ。それより急ごう」
 その時、リアは気付いた。
 グレーガンの背後にスノーゴーストが忍び寄っていることを。
「グレーガン! 後ろだ!」
「っ!?」
 グレーガンは振り向き様に、剣を振るう。
 だが、仕留めたと思った一撃は、あっさりと敵の腕に止められていた。
 スノーゴーストは腕を振るう。
 グレーガンは盾で防いだが、体ごと吹き飛ばされた。
「なっ!?」
 ダグが慌てて盾を構えた。
 グレーガンとの一瞬の攻防。その威圧感。
「違うっ。ただの雑魚じゃない!」
 解析の能力を持たないダグにも、只の雑魚とは違うことが分かった。
 その攻撃の前では、防御のスペシャリストである自分ですらどれだけ耐えれるか分からない。


――倒すしかない。
 リアには敵の弱点が分かっている。
 だが、それは自らが忌避してきたもの。炎であった。
 その魔物には氷は意味をなさず、雷も一撃では効果が無いだろう。
 そして、リアは術式の起動は一度出来るかどうか、というところだった。
 マチダが弓で攻撃したが、殆ど問題にしない。
 魔物はゆっくりと、ダグに近づく。
 ダグは剣を支えに辛うじて立ち上がった。


 炎。
 赤い炎。
 敵を燃やし、炭にするもの。
 その力を使おうとすると、必ず思い出す光景。
 炭になったリアの両親。
 嘔吐した自分。
 そして、強烈な嘔吐感すらも思い出される。
――駄目だ
 集中できない。
 それどころではない。
 過去の過ち。
 その時に別のものとなった自分。
 もう、人並みのものは望めないと思っていたのだ。
 様々なものが、彼女を締め付ける。
 だが、倒さねば確実に――ダグが死ぬ
 リアは、ダグを見た。
 脚に力が入らないのであろう。立っているのも辛そうだ。
 剣と盾を構えている状態がやっとのように見える。
 だが、その目に怯えは無い。
 立ち向かう気力に満ちている。
 いったい何に、なのだ?
 リアはダグに問いたかった。
 何に対してそんなにもお前は希望を持っているのか?
 何故持っていられるのか?
 そして、私は何故希望を失ったのか?
 ずっと考えていた。
 自分が生きている意味。
 ダグがいなくなったら、意味はあるのか?
――分からない。
 だが、あのダグのような目になるには、どうすればいい?
「……!?」
 そのとき、ギターの音が響く。
 マチダだった。
「危機だな」
「なに?」
「さて、俺もいい加減に精神力が尽きた。出来ることは無い。が……お節介くらいは焼けるかな」
「……」
「味も素っ気も無いことを言えば、奴を倒さねば全滅だが……お前にとってはもっと大切なことがあるのではないのか?」
 マチダのストレートな言葉。
 それはリアの記憶を抉る。思わず言い返していた。
「お前に何が分かる」
「誰も何も知らん。だからこそ、何をするお前の自由だ。それだけだ」

 リアは気づく。
 自由……そう、全ては私の自由。
 ダグのようになるには、前を見ればいい……
 だが、出来るか……!?
 能書はたくさんだ。
 やってみるしかない。
 術式起動――火の術式。


 死を覚悟していた。
 目の前の魔物は、強い。
 そして、解析するまでも無く氷には強い魔物だろう。
 だからといって自分のすることは一つだ。
 ギルドの先頭で立ちはだかり、障害となる。
 恐らく自分の剣では倒せないだろう。
 ならば、味方を信じて少しでも食い止める。
 それだけだ。
 左脚だけでない。
 全身が痛む。
 だが、それがどうしたというのか。
 能書は沢山だった。

「来いっっ!!」

 叫んだ直後だった。
 ゴォッ!
 と爆音が響くと同時に魔物を火が包んだ。
「これは……」
 ダグは驚愕した。
「火の術式……」
 普段は超然としたマチダですら、見とれている。
 長い間、火炎の中で白雪の魔神は苦悶の表情を浮かべ、声にならない叫びをあげていた。
 やがて火が収まったとき、魔物は跡形もなく消えていた。
「凄ぇな」
 いつのまにか、マチダの傍にいたグレーガン。
「大悪党が地獄で焼かれる業火だろうと、こうはいくまいに」
 苦笑していた。
 リアは自らの手を見る。信じられない物でも見るかのように。
「使えた……私が」
 そして、ダグと顔を合わせた。
 生き延びた。自分もダグも。
 気が抜けた。
 体の力もふっと、抜ける。
「リアッ!」
 倒れたリアの元へ駆け寄ったダグ。
 顔を歪ませながら抱きかかえる。
「大丈夫か!?」
「お前こそ……大丈夫か?」
 ダグの目に涙がにじむ。
「俺は大丈夫だよ! お前が助けてくれたから」
「そうか……無事か……今度は助けると決めていた……」
「!?」
「何、大丈夫だ」
 リアは立ち上がる。だが、フラフラだ。
「良い雰囲気の所、誠に悪いが」
 マチダが周囲を睨みながら言った。
「囲まれたぞ」
 周囲を旋回する黒影。
 ダグは急いで数えた。1、2…
「5匹だ。近くで様子を見てたか、それとも仲間の断末魔に誘われたか」
 グレーガンも寄って来ていた。
「どちらにしても、ただで帰してはくれまい」
 翼竜たちは5人の周りをゆっくりと旋回している。
 その様子は、獲物が恐怖に身を竦ませるのを愉しませるかのよう。
「総力戦って訳だ」
 苦虫を噛み潰す。そんな表現の似合うグレーガンの表情。
「私が……」
 リアが立ち上がろうとするが、足元がおぼつかない。
「よせ! 無理だ」
「クッ……」
 だが、リアの術式無しで5匹の翼竜……
「向こうが2匹迄ならな……」
 グレーガンは剣と斧を構えた。同時に切り伏せる、との意思表示。
「グレーガンも焦らないで下さい。隙を見せるのを待っています」
「ダグ君も……少しは頼り甲斐が出たかな」
 多少関心した様子のグレーガン。
「奴らは滑空する時に多少の隙が出る」
「俺が勢いを止めますから、何とか切れませんか?」
「その前に、その盾がもつかね?」
「……んっ?」
 翼竜の動きに気を配るダグとグレーガンを余所に、マチダの耳が何かを拾っていた。
「どこかで聞いたな。この、心の奥底の何かを無理やり呼び覚ますような声色は……」
 マチダは一人呟くが、ダグとグレーガンはそれどころでは無い。
「来ますよっ!」
「チッ!」
 グレーガンの舌打ちが響く。
 翼竜は5匹が同時に動いていた。
 等間隔の環を形作っていた彼らの飛行。
 その環が突然大きくなったと思うと一匹が滑空してきた。
「クッ!」
 ダグが前に出て、思い切り盾をぶつける。
 バランスを崩した相手にグレーガンが斬撃を加えていた。
 羽の根元を切られ、地面にしたたかに叩きつけられた翼竜。
「次っ!」
 ダグが鼓舞するように吼える。
 だが、空白。次は無かった。
 代わりにしゃがれ、くぐもった声が響く。
「……我が命は絶対、我が言は至上、我を畏れし異形の人外共よ……」
「……え?」
 ダグは呆然とした。
「やはり」
 マチダだけが状況を理解していた。
「命ず、汝が輩を喰らえ……」
 瞬間。
 ザシュッ!
 翼竜たちは、ダグ達を襲った時以上の激しさをもって、互いを啄み始めた。
 辺りを夥しい量の血飛沫が舞う。
 肉が裂け、臓物が地に落ちる。
 魔物たちの本能を上回るほどの攻撃性が、その同胞に向けられているのだ。
 その迫力たるや凄まじい。
「……」
 ダグは言葉が出ない。
「大したものだ。かなりの呪い師だな」
 次々と落下していく翼竜を眺めながら、マチダは頷いていた。
 呪言師の代名詞とも言えるテラー状態からの操作。
 それは、呪言師の能力の差が最も顕著に出る禁呪であるという。
 当然ながら、相手の意思を操る術は物理的なダメージや苦痛によって阻害される。
 それが、翼竜たちは数度にわたり、互いを傷つけ合っていた。
 それは催眠状態がかなり深いものであったことを意味する。

「危ないっ!」
 そして、最後に残った一匹がこちらに突っ込んできた。
 そこにはリアがいた。
 ダグが盾を構え、防ごうとする。
 だがその一匹は横からの颶風の如き剣閃に切り伏せられていた。
 それはグレーガンを遥かに凌ぐ切れ味。
 それは女だった。
 軽装ではあるが鎧をしているところを見ると、剣士かもしれない。
 魔物に一瞥をくれると、ダグを見下ろす。
「フン」
 機嫌悪そうに鼻を鳴らし、振り返る。
 近づいてきたのは、一組の男女。
 一人は一目で職業が分かる男だった。
 黒いローブと胸に掲げられた鐘。
 だが、その格好よりも禍々しい雰囲気こそが彼らの特徴かもしれない。
 呪言師。
 対象の意志を操り、意のままに操る能力を持つ職業である。
 どこか得体の知れないイメージがあり、同じ人間にも避けられやすいと聞いている。
 その男は、フードを外した。
「初めまして。助太刀させていただきました。私たちはギルド「the elm」の者です」
 眼鏡をかけた黒髪の男だった。
 翼竜たちの同士討ちは本当にこの男の為しえたことであったのかと疑うほどだった。
「呪言師のモートレットと申します」
 礼儀正しく名乗る。
「ほら、君も」
 笑顔で女に促す。
「アタシはナラカ」
 不貞腐れたように横を向いてそれだけを言った。
「我がギルドは本当はもう少しメンバーはいるのですが、今日は私たち二人だけでして」
「助けていただいた上に、ご丁寧にありがとうございます」
 ダグが答える。
「私たちはギルド「Braveheart Level」のものです。私はリーダーのダグ」
「リーダー!?」
 女は吹き出した。予想していないことに思わず笑った、といった感じだ。
「よくあんたみたいなヒヨッコに務まるね」
「ナラカ」
 モートレットがたしなめるように言う。
「だってそうでしょ。さっきだって翼竜をアタシが倒さなきゃどうなってたことか。その身体で護るだけかい? アンタだってそんなフラフラな様子じゃあ吹き飛ばされて一緒にやられるのがオチさ。違う?」
 ダグは突然自分の非を指摘されると呆然としたが、本当のことだと思っていたので何も言い返せない。
「弱いね。覚えときな、リーダーがそんなじゃあ、ギルド全体が見下されるんだよ」
 下を向いたダグにナラカは言い放った。
 パンッ……!
 乾いた音が響く。
「……!?」
 その場にいた全員が驚いていた。
 どこにそんな力が残っていたのか、というのを考えたのはずいぶん後だった。
 頭は沸騰していたことまでは覚えている。
 リアは女の頬を張っていた。
「助太刀は心より感謝する……がな、この男もそう捨てたものでは無い。無論私達もな」
 その女に向ってニッと笑ってやった。叩いた右手を見せ付ける。
「こいつに免じて見直してやってくれれば望外だ」
 ぽかん、とした周り。してやったり。
 緊張の糸が完全に途切れた。
「そういう訳だ、リーダー」
 ダグに向かい直った。
「少し、休む……」
 目を閉じたのと、ダグの自分を呼ぶ声が同時だった。
 少し休むだけなのに。大げさな。
 そう思いながらリアは眠った。
 冷たい鎧に抱かれているはずなのに、妙に温かく心地よかった。





 リアは目を覚ました。
「ここは……」
 見慣れたフロースの宿ではなかった。
 どうやら公国薬泉院の一室らしい。
 部屋は薄暗い。
 清潔なベッドに横になっていた。
「……ダグ」
 ベッドの横の椅子で舟を漕いでいる。

 どうやら、死んだわけではないらしい。
 記憶が混濁していた。
 翼竜たちに囲まれ、別のギルドに助けられ、その後は……
「おぉ、気がついたか」
 扉を開けて部屋に入ってきたのはグレーガンだった。
 頭に包帯を巻いている。

「どうやら、生き延びたか」
「そういう事だ」
 グレーガンは苦笑した。
「俺は、本当に駄目かと思っていたがな」
「恐らく、私は記憶が一部ないな」
「まあ、途中で気を失ってたから……って、あまり喋るな。お前は町に戻って、3日近く寝てたんだぜ」
「じゃあ、話しかけるなよ」
 今後はリアが苦笑した。
「その様子なら、大丈夫そうだな……あの後な、助けてくれたギルドの「the elm」とかいう奴らにアリアドネの糸をもらって無事ご帰還さ。ネイも今は別室で寝てる。しかし、全く命知らずな奴だぜ」
「何がだ?」
「今回は全体的にだが……最後にあの剣士女を……」
「ああ、私……あの女を張っていたな。あの後、どうだった?」
「おう、あの女な。特に何ともなかったぜ。むしろ、お前には一目置いたんじゃないか。こいつには厳しかったけどな……っと、騒ぎすぎたかな。邪魔者は消えるぜ」
 グレーガンはそそくさと、部屋を出て行った。
 ダグは目を覚ましていた。
 だが、何も言わない。
「……」
「……」
 長い沈黙だった。破ったのはダグ。
「気絶する程の消耗だったとはな」
 声がわずかに震えていることに、リアもダグも気づかない。
「……」
「何で言わなかったんだ」
「あの状況だ。言ってどうにかなるか? それに……」
 抱きすくめられていた。
「お……お前、何を」
「俺が言いたいのはそんな当たり前のことじゃない」
 ぐすっと鼻を啜る音。頭のどこかで逆だろと思ったが、頭の大半はうろたえていた。
「知ってるのと知ってないのじゃあ全然違う。お前が倒れた時もどうなるかと思ったし……第一」
――俺は、お前を知らなさ過ぎる。
「……」
「……」
 またもや、沈黙が続く。
 リアは観念した。
「分かった。いつか、な……」
「いつかっていつだよ」
「いつか、だ」
 子供じみたやり取り。
「約束だぞ?」
「ああ。で、いつまでそうしてるんだ」
 ダグはあわてて飛び退く。
「痛っ」
 左脚の傷にさわったらしい。
 そんなダグの様子にリアは笑っていた。
 だが、再び意識が朦朧となる。
 まだ一時的に目が覚めただけのようだ。
「すまないが、寝る……」
「そうか」
 ダグは毛布をリアにかけた。
「じゃあ、ゆっくり休めよ」
 そんなダグに返事をしたかどうか、定かではない。
 リアは幸せという言葉を取り戻して眠れるのは久しぶりであった。
 だが、彼女自身も含めてそれは誰も知らない事実であった。


   (了




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