Never End 〜序章〜


「俺は・・・もう、アンタの隣には居られない」
少年は無表情に脱ぎ散らかされた −少年が自分の意思で脱いだ物ではないが− 服を拾い上げた。
「・・・そうか」
男は視線を合わせずに、ただ呟く様に答える。
下着に鋼の足差し入れた少年は、止まることなく黒い衣装を身につけていく。
「・・・国家錬金術師も辞めるつもりかね?」
感情の感じられない問いかけの声に、ふと少年は手を止めて男を見た。
男と少年の視線がぶつかりあう。
「まさか。まだ目的は達してない」
不敵に笑みを浮かべた少年には余裕さえ感じられた。
「もうアンタには抱かれない。それだけだ」
男の口からため息が漏れる。
「・・・まぁ、キミが国家錬金術師の資格を返上しない限り、私との関係性が完全に絶たれることなどありえないのだがね」
どこか揶揄するような言い回しの男の台詞を、少年は鼻で笑い飛ばした。
「ほざいてろ。アルの身体を取り戻したら、こんな資格速攻で返上してやる」
赤いコートを翻し、振り向きもせず少年が部屋を後にする。
独りベッドに取り残された男は、先ほどまでは欠片も見せなかった沈痛な面持ちを浮かべ、顔を伏せた。
「せめて・・・別れ話をするときくらい、私のために感情を動かしてくれないかね・・・鋼の」
男は知らない。少年が、自らの宿泊する宿に戻ったとたん、泣き崩れたことを。
男は知らない。見守るしか出来なかった少年の弟が、変わることのない鎧の表情の下で怒りの焔を灯したことを。
それは、少年が14歳の秋のことだった。


年月は過ぎ、少年・・・エドワード・エルリックは16歳になった。
弛まぬ努力の末、エドワードは念願を達成し、弟の身体を取り戻すことに成功した。
ただし・・・エドワード本人の右腕と左足を取り戻すことは叶わなかった。
「まぁ・・・さ。予想はしてたんだ。そうなるんじゃないかって」
元に戻ったアルフォンスに抱きあって喜び合い、ようやく喜びが収まってきたところでエドワードの四肢に話題が移る。
「兄さん!じゃあ分かっててボクだけ戻したの?!一緒に元の身体に戻ろうって約束したじゃないか!!」
憤慨するアルフォンスの姿は、15歳の少年の姿だ。魂が肉体を離れていた間も、肉体は成長していたらしい。
「足はともかく、腕は論理的に無理だろ。・・・ま、現実には足もダメだったわけだが」
「何でさ?ボクの身体を『扉』から引っ張り出せたんだから、兄さんの身体だってダメってことないだろ」
アルフォンスは納得がいかないふうだが、最初から予想済みだったエドワードには全くショックの色はない。
「足は本当にただの『通行料』だからな。でも、腕は『通行料』だけじゃなくて、お前の魂を鎧に定着させるための『代価』も含まれていた。『代価』になった分は扉の向こうにもあるわけねぇだろ」
「それは・・・」
うつむいてしまったアルフォンスに、エドワードが苦笑して弟の頭を撫でた。
「一緒に元に戻ろう、って約束破ったのは悪かったよ。でも、同じ練成で元に戻すことが出来ないんだから、しょうがねぇだろ?」
「でも・・・」
「それに、この身体コレはコレで便利なんだよ。確かに生身の方がいいって時だってあるけど、機械鎧で良かったって時だってあるわけだし。・・・少なくとも、お前が鎧だった時みたいに生きるのに不自由な制限があるわけじゃないしさ」
眉をハの字にしてしまっているアルフォンスの眉間を、エドワードの鋼の指が軽くつつく。
「んな顔しないで、笑ってくれよ、アルフォンス。俺はずっと、・・・お前の笑顔が見たかったんだ」
「兄さん・・・!」
アルフォンスの腕がエドワードをかき抱く。苦しいくらいしがみ付くアルフォンスの後ろ頭を、エドワードは笑いながら撫でた。
「あのね、兄さん」
「何だよ」
「兄さんがボクの体を戻してくれたから。今度は、ボクが兄さんの身体を元に戻すよ」
真剣なアルフォンスの声に、エドワードが身体を離してアルフォンスを見る。冗談を言っている目ではないことは、エドワードには直ぐに分かった。
「アル。もう人体練成には絶対手を出すな」
「でも!」
「でもじゃない!!ようやく取り戻せた身体だってのに、別に命に別状無いようなモン取り戻そうとしてまた持ってかれたらどうするんだ!!」
「じゃ、じゃあ!人体練成じゃなくて、医療系の錬金術研究するよ!危険な研究はしない、無茶もしないから!!だから、研究はさせて!!」
「アル・・・」
エドワードを見つめるアルフォンスの目は真剣そのもので、どう宥めすかしても言うことを聞きそうになかった。
「本当に別に戻れなくても困らないんだけどな・・・」
エドワードのため息混じりの呟きを聞きとがめ、アルフォンスが反論する。
「兄さんが困るとか困らないじゃなくて!ボクがそうしたいんだよ!」
「ああ、分かった分かった」
逆の立場だったら自分も同じことを言うと確信出来るがゆえに、エドワードも強く否定は出来ない。
「危険なことはしない、無理も無茶もしない。約束できるか?」
「うん。約束する。ていうか無理と無茶なんか兄さんの専売特許じゃない。ボクはしないよ」
「どういう意味だそりゃあ!」
聞き捨てならない台詞にむっとして問い返せば、アルフォンスはアハハ、と声を上げて笑った。
「ボクずっと兄さんが無理と無茶ばっかりしてたの見てたもの。止めたって聞かないしさ。兄さんが無茶するたびに、ボク心臓が止まりそうな思いしてたんだから」
「お前心臓なんかなかっただろうが」
「もう!比喩表現につっこまないでよ!!」
苦笑したアルフォンスが、一瞬ふっとどこか悲しげな微笑を浮かべエドワードを見る。
「無茶と無理ばっかりする人を、心配しながら見ているしか出来ないことが・・・どんなに辛いか、ボクは誰よりもよく知ってるから。だから、兄さんにそんな思いはさせない。約束するよ」
両の手をしっかりと握られて、再びエドワードはため息を吐く。自分が、この優しい弟に・・・どれほど心配をかけてきたのかの自覚くらいは、エドワードにだって、ある。
「分かった。じゃあ、お前に・・・頼むよ。俺の身体のコト」
「兄さん!」
笑いかけて了解すれば、アルフォンスはぱぁっと表情を明るくして微笑んだ。
「ボク、頑張るからね!」
「あんまり頑張らんでもいい」
「何言ってるんだよ!頑張るくらいさせてよ!!無理はしないって言ってるんだからさ」
「あーはいはい分かったって」
口を尖らせたアルフォンスに、エドワードがこつん、と額をあわせる。と、急にアルフォンスの頬が紅く染まった。
「に、兄さん・・・。顔、近すぎ・・・」
「さっきまで散々抱き合っておいて今更何を言っとる。大体兄弟で照れることなんか何もないだろ」
「に、兄さんはそうなのかもしれないけどさ・・・」
視線を逸らしまばたきを繰り返すアルフォンスの頬を、エドワードが両手で挟むように触れる。
「ああ、アルフォンスだ・・・。笑った顔も、怒った顔も、照れた顔も、皆・・・」
静かではあるが、強く深い想いを濃縮したようなエドワードの言葉に、アルフォンスが微笑んでエドワードの背中に手をまわす。
「うん。ボクだよ、兄さん」


「・・・納得がいかん」
「・・・ってボクに言われてもな〜」
取り戻したアルフォンスの身体をあらためて調べると、アルフォンスの方が僅かに数センチエドワードより身長が高かった。
「でも兄さん、このくらいなら兄さんのあの分厚〜いシークレットブーツ履けば兄さんの方が背が高くなるよ」
「分厚いシークレットブーツ言うな!クソッ、俺だってこれからはもっと身長伸びるんだからなっ!!」
「はいはい。ボクも伸びると思うけどね」
「お前は止まれ!!」
「無茶言わないでよ。伸ばそうと思って伸びるものでも、止めようと思って止まるものでもないって、兄さんが一番知ってるだろ」
「う・・・」
立ち上がったアルフォンスは一糸も纏っていない。10歳の時に着ていた服では今の体格では入らない。当然である。
「ま、でもコレくらいなら兄さんの服入るかな?兄さん、代えの服貸してよ」
「おう」
何歳の姿で身体が戻るか分からなかったため、敢えて服は用意しなかった。
「服を着るなんて動作もスッゴイ久しぶりだよね〜」
下着を履き、エドワードが差し出したタンクトップを身につけながらアルフォンスがしみじみと言う。
「鎧のときは服なんか着ようもなかったもんな」
そんなアルフォンスを眺めながら、エドワードが苦笑した。今であれば、もう笑って話せることだ。
「今はもう服着るのも嬉しいよ・・・、って、あれ?」
あとはズボンのボタンを閉めてベルトを閉めるだけのアルフォンスが、ぴたりと手を止める。
「どうした?」
「・・・閉まんない・・・」
「ああ?」
エドワードが近づいてよく見れば、チャックすら上がっていない。確かに閉まりそうにない状態だ。
「・・・デブ」
「なっ!?ち、違うよボクがデブなんじゃなくて兄さんが細すぎるんでしょ!?」
「んなコトねーもーん」
「兄さんてば縦だけじゃなくて横にも足りないんだ」
「ぬな!?テメェ今チビって言ったな!?」
互いにムッとして怒鳴りあう。
「アルのデブデブデブデブ!!」
「兄さんのチビチビチビチビ!!」
「身長大差ねぇのに閉まんねぇなんてデブだろ!?」
「言っとくけどね!!腰周りだけじゃなくて脚の丈も足りてないからね!!兄さんの短足!!」
「なんだとこのデブアルーーーーーッ!!」
「兄さんなんか兄貴のくせにボクよりチビのくせにーーーーッ!!」
不毛な言い争いを息が切れるまで繰り返し。
息切れでようやく止まると。
どちらからともなく、噴き出した。
「しょーもな・・・」
「身体戻ってから、初ケンカだね」
アルフォンスが鎧の頃は、なんとなくお互い気を使ってしまってそうそうケンカなんて出来なかった。
「これからはケンカもいくらでも出来るな」
「あんまりしたいモノでもないけどね〜」
お互いの顔を見て苦笑して。くだらない内容でケンカして、簡単に仲直りできるのも、兄弟の特権。
「コレ、ポケット消して質量を外側に回せばとりあえず足りそうだな。練成してやろうか?」
「自分でやるよ。兄さんにやらせるとダサくなるんだもん」
「・・・おい」
ジト目で睨んだエドワードを無視して、アルフォンスが手を合わせる。
「うん。ピッタリ」
アルフォンスによって練成されたズボンは、綺麗にサイズが修復された。
「何にせよ、服とかお前のモノ一通り揃えないとダメだな。何一つ無いもんな」
「ボク、兄さんのと同じのがいいな。コレと同じの」
「あ?」
そう言ったアルフォンスが羽織ったのはエドワードの紅いコート。さしものエドワードも荷物になるためコートは一着しか持っておらず、アルフォンスが着ているのは先刻エドワードが脱いで置いておいたものだ。
「お前オレのことダサいだのなんだの文句言うくらいなんだから、ファッションとかに興味あるんじゃないのか?何もオレと同じにしなくたって」
「コレがいいの!兄さんと同じがいい。・・・ダメ?」
「お前がそうしたいって言うなら別にいいけどよ。好きにしろ」
「やったーーー!!」
コートを翻してくるくる回るアルフォンスにエドワードが失笑する。この歳になって兄弟揃いの服もどうかとはちらりと思ったが、アルフォンスが喜ぶなら大したことではない。
「ていうかさ、兄さん」
回転をやめたアルフォンスがエドワードを振り返る。
「何だ」
「服揃えるとかはともかくとして、これからどうすんの?」
「これからって?」
「この先っていうか・・・どうやって生活していくのか、とかかな?」
「ああ・・・」
これまで、他の全てを犠牲にして叶えようとしてきた目標は叶った。最早旅を続ける必要性は無く、生活の全てを錬金術で埋め尽くす理由も無い。
「そうだな。まずは国家錬金術師資格の返上だな」
「えっ?」
「ん?何か不都合でもあんのか?」
「え、あ、いや・・・。兄さん、国家錬金術師続けるって言うんじゃないかと思ってたから・・・」
「何でだよ」
戸惑った様子のアルフォンスを笑いながら、エドワードが銀時計を取り出す。
「権力も金も、もう必要ない。それに、コイツを持ってると危険な目に合う事も多いだろ?俺は別に危険だってかまわねーけど、俺のせいでお前まで巻き込まれるんじゃたまったもんじゃねーからな」
エドワードが空中高く放り上げた。アルフォンスがそれを目で追いかける。
「そっ・・・か」
落ちてきた銀時計をエドワードが勢いよく掴むと、パシッと小気味良い音がした。
「その先のことは、それから考えよーぜ。時間はたっぷりあるんだからさ」


どうせ銀時計を返すだけだから、と、エドワードとアルフォンスは二手に分かれて用事を片付けることにした。
エドワードは軍部へ向かい、国家錬金術師資格の返上を。アルフォンスは、今後必要となる最低限の生活必需品の買出しを。
一緒に軍部に向かっても良かったのだが、アルフォンスは鎧姿で軍部に出入りしたことが何度もある。せめてもう少し落ち着くまで、アルフォンスを知り合いに会わせたくないというのがエドワードの本音だった。
エドワードが歩きなれた軍部の廊下を歩いていると、知った声に呼び止められた。
「あら、エドワード君」
振り返ると大量の書類を抱えたリザがいる。
「うす。ホークアイ中尉」
エドワードが片手を挙げて挨拶をすると、リザがエドワードに歩み寄った。
「大佐、いる?」
「逃亡を図っていなければ今は執務室にいるはずよ。これからこの書類を持っていくところなの」
リザの抱える書類の量に、内心うへー大変だーなどと思いながらも、エドワードはいつものように悪態を吐いた。
「相変わらず仕事してねぇのかよ、あの給料ドロボウ」
「相変わらず、いつもどおりね」
「中尉も大変だな。半分持つよ」
「あら、ありがとう」
半分にしてもかなりの量で、結構な重さがある。リザが優秀な軍人であるとはいえ、女性が持つには少々重過ぎる。
「・・・エドワード君て、意外と紳士なのね」
半分より少し大目に持ったエドワードに、リザが微笑んだ。
「何だよソレ。俺そんなにヤな奴?」
イタズラっぽくエドワードが笑えば、リザも笑顔を崩さずかぶりを振る。
「そういうことではないわ。そうね・・・どちらかと言うと、こういうことはアルフォンス君のイメージが強いものだから」
「アルは優しいからな。・・・ま、アルなら半分じゃなくて全部持つって言いそうだけどさ」
目的の部屋に到着し、ドアを開ける。幸いにして、本日はロイ・マスタングは逃亡していなかった。
「何だ、鋼のじゃないか」
逃亡はしていないとはいえ、仕事もしていないロイがすぐにエドワードに気がつく。
「相変わらず仕事してねぇな。働けよクソ大佐」
ロイの机の上に書類を置いたリザが、エドワードからも受け取って更にその上に書類を重ねて置いた。
「大佐、追加の書類です。エドワード君の言うとおり、働いてください」
「ああ、分かった分かった。だが折角鋼のが来たんだ、多少の時間はくれるだろう?」
「俺をサボリの理由にするな。それにすぐ帰るよ」
「キミも相変わらずせっかちだねぇ」
「そうでもないよ。もう急ぐ必要も無い」
怪訝そうな表情を浮かべたロイを見て、エドワードが再び声を発する。
「昨日、アルの身体を元に戻すことに成功した」
「何っ!?」
「エドワード君、本当なの!?」
リザの問いかけにエドワードが感無量の表情でゆっくり頷いた。
「俺の身体は戻せなかったけど・・・アルは完全に元に戻った。今、買い物に行ってるよ。服とか何も無かったからな」
「おめでとう、エドワード君」
「ありがとう、中尉」
礼を言ったエドワードの表情に、リザがしばし目を細める。少年らしい笑顔ならば何度も見たことがある。けれど、この時ほど無垢の笑顔を浮かべたエドワードは見たことが無かった。
それが、逆にエドワードが今までどれほどその心に重荷を抱えていたのかを想像させる。
他にも事情を知っている、東方司令部からの付き合いの面々が、エドワードの周囲に集まり始めたときだった。
「戻った、のか」
どう考えても喜んでいるようには聞こえない、重々しいロイの言葉に、リザが視線を向ける。
ロイは、手を組んで鋭い視線をエドワードに向けていた。
「ああ。だから・・・コイツを返しに来た」
ロイの態度も意に介さず、そう言ったエドワードが取り出したのは、国家錬金術師の証の銀時計。
「目的は達した。もう俺には必要ない」
真っ直ぐな眼差しをロイに向けながら、エドワードが銀時計を差し出す。
「国家錬金術師を辞めるというのかね」
「俺はアンタに言ったはずだ。アルの身体を取り戻したらすぐに返上する、って」
突如不穏な空気を漂わせ始めた二人に、周囲の人間が戸惑って顔を見合わせる。
「私がそれを受け取ると?」
「なんでアンタに許しを請わにゃならん」
エドワードが銀時計をロイの机の上に放り投げる。銀時計は、ごとん、と音を立てて転がった。
「手放してもらえると思っているのか?」
「可笑しなことを言うな。務めを果たさなければ剥奪されるような資格、本人にやる気が無かったら持ち続けられるワケないだろ」
エドワードが鼻で笑うと、ロイがゆっくりと立ち上がった。
エドワードに向かって歩み寄るロイに、周囲の人間が無言で道をあける。
眼前に立ち、無言で見下ろすロイをエドワードも無言で真っ直ぐ見返した。
「本気、か」
「勿論」
次の瞬間、エドワードの額にごり、と銃口が押し当てられ、安全装置が外される音が響き渡った。
「大佐!!何をなさるんですか!?」
「黙っていろ!!」
止めようとしたリザをロイがぴしゃりと封じる。
「こんなモノでオレの意志を曲げられるとでも思ってるのか?」
視線を逸らすこともなく、侮蔑を込めた言葉をエドワードが発した。
ロイが微妙に眉を顰めるが、すぐにその顔に冷笑を浮かべる。
「キミに向けられている限りは、だな」
「何・・・っ!?」
込められた意味に感づいたエドワードが顔色を変えた。
「キミの最愛の弟君は、生身の身体でうろついているのだろう?」
「テメェ・・・・ッ!!」
歯噛みしたエドワードにロイがクッと喉の奥で笑う。
「あの鎧だったならこんなモノで撃っても何ともないだろうが、生身の身体ならばこの銃も、私の焔もさぞやよく効くことだろう」
「ざけんな!!アルに・・・アルに指一本でも手ぇ出してみろ・・・!!」
ざわり、とエドワードの周囲の空気が騒いだ。
「そん時は・・・オレが・・・アンタを、殺してやる・・・!!!」
エドワードが発する空気が周囲の全てを圧倒し、支配する。
「キミは本当に弟のことでしか動かないのだな」
まさに殺気としか表現しようのない気配を発したエドワードに、ロイは動じもせずに口の端をゆがめた。
「手を出されたくないなら自分の手で銀時計を拾いたまえ、『鋼の』」


「つぁ〜〜〜〜・・・・・・」
エドワードが立ち去った司令部で、ロイとリザを覗いた面々が一様にため息を吐く。
つい先刻までは空気が張り詰めすぎていて、息をするのもままならなかったのだ。
「普通にしてれば頭の回転の速いただのガキなのにな・・・」
「アルフォンス君はまさに温和な次男坊ってタイプなんですけどね〜・・・」
「軍人の俺たちでさえ息が詰まるんだからな。どこの野生の獣だよ」
「戦場で感じるプレッシャーの方がいくらかマシなくらいでしたね・・・」
ぐったりしている同僚たちを尻目に、リザがロイに歩み寄る。
「大佐。事情の説明をお願いいたします」
抑揚のない声だったが、ロイには分かる程度には怒りの含まれた声だった。
「あ!!そうッスよ大佐。一体何だっつーんですか」
リザの声に我に返ったジャンも顔を上げる。
銃をデスクの引き出しに閉まったロイが、無表情に目を閉じた。
「・・・説明の必要があるのかね?」
「お止めしなくてはなりませんから」
きっぱりと断じたリザに、ロイが苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべる。
「協力すると言う選択肢はないのか」
「正当な理由をお伺いできない限りはありませんね」
『正当な』と但し書きをつけたリザは理由に既に思い当たっているのだろう。『理由』が、ロイの個人的な感情に起因しているということを。
しかしそれを・・・ロイが、口にしてしまえる理由もなく。
「・・・アレは軍の内情を知りすぎている」
リザの眉がピクリと上がった。
「しかもあれだけの能力をもった錬金術師だ。特定人物の魂の練成だけではなく、更に肉体の練成まで成功している。ことが知れれば、どんな手段を使ってでも軍に強制的に縛りつけようという輩も当然出てくるだろう」
「じゃあ、下手に軍から離れるより現状維持の方が安全だから・・・ってことですか?」
首をかしげたフュリーにロイがあいまいに頷いて、窓に向かって歩み寄る。
「分かったら追え。セントラルから出られんように監視しろ」
全員ががたがたと立ち上がる中に、リザの凛とした声が響いた。
「お断りします」
驚いて立ち止まる他の部下たちを、ロイが手でいいから行けと促す。
二人以外全員が出払った執務室で、ロイとリザは向き合った。
「私が言った事を聞いていなかったのかね?」
「私も申し上げたはずですが。「お止めする」と」
「君が止める理由は何だ?」
「先刻大佐がおっしゃった『理由』が嘘だからです」
指摘する言葉のよどみの無さが、リザには駆け引きをする気すらないことがはっきりと分かる。
「嘘とは穏やかではないな。仮にそれ以外の理由もあったとしても、私が言ったことは間違っていないはずだが」
「彼らが『知りすぎた』軍の内情について周囲に明かすことがあれば、おのずと彼らが成功した禁忌についても推察されるでしょう。そうすれば自分たちの身に危険が及ぶことが分からないほど彼らは愚かではありません。彼らが自発的にそれを口にすることは無いでしょう」
リザの指摘に、ロイは無言で答えた。
「そして彼らの禁忌について知る人間はごく限られています。我々が口外せず、彼らが軍に出入りすることを辞めたならばそれが軍に知られる可能性はかなり低いと言えます。よって、軍に追われたが故に軍の内情を知ることを利用する可能性もかなり低いはずです」
こういう時、リザの表情は鎧だったころのアルフォンス以上に変化が無い。それが、「怒らせると最も怖い人間」と言われる所以である。
「この矛盾に対する返答をいただきたいのですが」
瞑目したロイが、ようやく口を開いた。
「何も聞かずに協力して欲しい、と言っては駄目かね」
リザに隠し事をしようと言う方が無謀なのだろう。苦笑いを浮かべているロイに、リザはため息をついた。
「事が事ですから、受け入れられません」
「どうしてもか」
「協力は出来ません。ですが、ご自身の職務に影響が出ない程度に収めていただけるなら妨害まではしないことにします」
リザの言葉にロイが意外そうな表情を浮かべる。
「中立ということかね?てっきり鋼のの味方をするのだと思ったのだが」
「私が貴方を裏切ってエドワード君の味方をすれば、エドワード君に余計な心労を負わせるだけでしょう。それに・・・」
「それに?」
「そういった立場を取る人間が居た方が、いずれ双方のためになると思うからです」



「歯ブラシも買ったし・・・あと何かあるかな?」
両手に大きな袋をぶら下げて、アルフォンスは首をかしげた。
今までは必要なかった、『普通の』人間には生活必需品の物・・・ここ何年かは自身は使わなかったとは言え、大雑把な兄の買出しに常に口出しをしていたのが役に立った。少なくとも、何が必要なのか分からないということは無い。
「まー足りなかったら何かで練成すればいいんだけどねー」
実際、アルフォンスは服は練成するつもりで材料の布だけを買い込んでいた。エドワードの服は彼の意思でデザインされた特注品で、市販されてはいないのである。
「うーん。確かに普段着は同じのがいいのはいいんだけど・・・兄さんの言うとおり、おしゃれもちょっとしたいかなぁ・・・」
買い物も楽しくて、浮かれすぎてついつい独り言が口をついて出る。
「よーし、余分に布買っちゃおう!兄さんにも新しい服作ってあげたいし!」
うきうきとあれやこれやを買い込むうちに、大変な量の荷物になってしまった。
「う・・・お、重い・・・」
鎧の身体の頃は、重さなんか感じなかった。だから、どんな重い物でも平気で運べたのだが、ついそのつもりで買い込みすぎたらしい。
「重いの感じれるのも嬉しいけど・・・重いー!!」
馬鹿みたいなこと言ってるなぁ、と自分でも失笑しながら荷物を運ぶ。
「腕がちぎれそう・・・折角戻してもらったのに早速腕ちぎれたとか言ったら兄さんに怒られる〜・・・」
人の身の腕がそう簡単にちぎれても困るのだが。だから、人には痛覚がある。限界を超えた物を抱えてしまわないように。
「今度から気をつけよう・・・っと。あー疲れた」
ようやく宿の部屋にたどり着いたときには、アルフォンスは汗だくになっていた。
「兄さーん。帰ってる〜?」
部屋には人の気配はない。
「まだなのかな?まーいーや、とりあえず練成するもの練成しちゃおう」
ばさばさとファッション雑誌と布を広げる。これからは着たい服が着れると思ったら思わず雑誌などまで買い込んでしまっていた。何はともあれ、これからは兄にふんどし一丁だなんて馬鹿にされる心配だけは無い。
「どれがいいかな〜・・・あっこれ兄さんに似合いそう!!」
パラパラと雑誌を捲っていると、物凄い勢いで宿の階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。アルフォンスがエドワードの足音だと判別するより早く、部屋の戸があけられる。
「兄さん、おかえ・・・」
「ちっくしょぉぉぉぉっ!!!」
部屋に飛び込むなり、エドワードが床に何かを叩き付けた。何事かと転がるそれに目を向ければ、そこには国家錬金術師の証、銀時計があった。
「兄さん?」
驚いてエドワードを見ると、視線がぶつかった瞬間強く肩を掴まれた。
「わ・・・な、何?」
「アルッ!!なんとも無いか?どこも怪我してないか?!」
「え?ど、どうしたの兄さん?」
戸惑ったアルフォンスには答えず、エドワードがアルフォンスの身体をぺたぺた触って確認する。どこも怪我などしていないことを確認できたらしいエドワードが、安堵のため息を漏らした。
「どうしたの?ボク買い物に行っただけだよ、怪我なんかするわけ無いじゃないか」
苦笑してエドワードの行動を咎めてみるものの、どうも様子がおかしい。
「それより、銀時計返しに行ったはずじゃなかったの?」
出来る限り優しい声で事情の説明を促してみる。何かがあったのだろうという事は確信できていた。
「大佐、が・・・」
エドワードが唇をかみしめてうつむく。
「大佐が、資格の返上をさせないって・・・」
「はぁ?!何それおかしいじゃない!毎年査定があるような資格なんだよ?!」
「オレもそう言ったよ!でも・・・そしたら、銃向けられてさ・・・。命が惜しけりゃ、返上を諦めろって・・・」
アルフォンスの肩に額を乗せて俯いたエドワードに、違和感を感じる。
エドワードは銃を向けられたくらいで動じるような人間ではない。それにプライドの高い兄が、脅しなんかに簡単に屈するとは思えなかった。
じゃあ何故?何のために兄はそのプライドを折ってまで、脅しに屈したのか?
部屋に駆け込んできたときのエドワードの態度を反芻して、アルフォンスははっとした。
「兄さん・・・あのさ、間違ってたら言って?」
額をアルフォンスの肩に押し付けたままのエドワードの背に、そっと手を回し、アルフォンスは問いかけた。
「盾に取られたのは、兄さんの命じゃなくて・・・ボクの命、なんだね?」
エドワードの肩がビクリと揺れた。返答は無かったが、アルフォンスが確信するには充分な反応だった。
(なんてことを・・・あんのアホ大佐っ!!)
今のエドワードにとって、これ以上効果的な脅しは無い。だが、だからこそ絶対やってはならない事でもあった。
背に回した手に力を込めてきつく抱きしめると、エドワードの手もアルフォンスの背に回された。エドワードは、かすかに震えているようだった。
「オレの・・・オレのせいで、またお前が危険なめにっ・・・」
「兄さん間違えないで!悪いのは兄さんじゃない、大佐だよ!!」
エドワードは酷く傷ついてしまっている。
当然だ。全てを捨てて苦労して苦労して、ようやく取り戻した幸せなのだ。ともすれば夢を見ているのではないかと未だ信じきれないほど、苦労に苦労を重ねてきたのだ。
やっと強張った心を解きほぐし、手にした幸せを味わおうという時にそれを奪い去られようという恐怖は、並大抵のものではあるまい。
「兄さん。ボクは死なないよ。殺されたりなんかしないよ。今までだって、どんな危ない目にあったって二人で乗り越えてきたじゃないか。大丈夫。大丈夫だよ・・・」
優しくエドワードの背中をさする。
けれどその日は結局、エドワードの顔に笑顔が戻ることはなかった。



→NEXT


プロローグ編、です。まだまだ続きます。アルエドメインとか言っておきながらしょっぱなからロイエドで飛ばしてしまいましたが(^^;
しかしどうもアルが・・・微ヘタレ通り越して頭が足りない子に見えるような(笑)
カッコいいアルは、今後の頑張りに期待です。

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