「全く、なんだってこんなことに・・・」
列車のコンパートメントの中、ぼやいたロイを、窓の外を眺めていたエドワードが振り返った。
「それなりの結果は出してみせるっての。それに、ずっと机に縛り付けられてるよりは、たまにはこういうのも良いんじゃねーの?」
事の起こりは数日前。エドワードが、突然真っ赤に染めた軍服を着てきたことが発端だった。
地方の司令部なら兎も角、中央で、それもやたらと目立つエドワードの行動とあってはお目こぼしなどあるわけも無く。
エドワードとロイは上層部に呼び出しを食らったのだった。
呼び出しを受けても着替えず、真っ赤な軍服を着たままで将軍達を目の前にして、エドワードがのたまって曰く。
「ここに提案書があります。提案書を作って正規のルートで通そうとしても、お忙しい将軍閣下たちに目を通していただくことは中々難しいと判断しましたので、意図的にこういった機会を作らさせていただきました」
エドワードが出した提案書の内容は、軍の中の縦割りの所属の他に、少数精鋭を選抜して特殊部隊を作成し、少人数でテロリストグループを制圧するというもの。
「小隊を率いてテロリストのアジトを襲撃しようとすれば、隊を動かしている間にテロリストはそれを察し、逃亡してしまいます。そのためにアジトを一度は突き止めながら、テロリストの逮捕に失敗している例は、残念ながら枚挙にいとまがありません」
−ならば。ごく少数の精鋭に人数を絞り、より迅速な動きが出来るようになれば、テロリストの検挙率は上がる。その発案はいたってシンプルだ。
「理屈ではそうだがね。エルリック少佐、少人数で本当にテロリストを制圧できるのかね?」
半ば嘲りにも近い笑みを浮かべた一人の将軍に、エドワードはにっこりと笑って見せた。
「・・・私が軍に入隊する前、閣下の部下の部隊が取り逃がしたテロリストを、私と弟の二人で制圧したことがあったと記憶していますが」
見事な嫌味に、その将軍と対立する派閥の将軍達が失笑を漏らす。
「・・・現実的な問題として、一度中央が解体されているため、軍の地方に対する支配力が低下してしまっています。テロが頻発し、軍に不審を抱いた地方領主が、軍の要望に反発する例も多くなっています。更に地方の部隊は、多くの士官が中央招集になったためにまとまりが無く、テロに対して効果的な動きが出来ていません。このままでは、テロリストが他国の軍と結びつくような事態があれば、すぐにも国土を切り取られてしまうでしょう」
エドワードの指摘は現実的だ。実際、地方から上がってくる報告に芳しいものは無い。
比較的まともな感性を持つ将軍達が、エドワードの提案を検討してみてはどうか、と言い始めたところで。
エドワードが言ったのだ。
「最近北方で幅を利かせている北部解放戦線。このテロリストを、5人以内の兵で2週間以内に制圧してご覧に入れましょう。私のような若造に指揮を任せるのが不安だと仰るのであれば、マスタング大佐を指揮官として5人の中の1人に数えていただければ構いません」
そんなわけで、ロイ・エドワード・リザ・ジャンの4名は現在北部に向かう列車に乗っているのだった。
「しかしね、鋼の。私が指揮官と言うことは、全責任を負うのは私で、失敗したらそれは全て私に掛かってきてしまうのだがね」
『ロイを指揮官に』と言う条件を、反マスタング派も了承したのはそれが理由だ。こんな計画成功する筈が無い、失敗して失脚してしまえというわけだ。
「逆に成功すれば手柄総取りだろ」
「失敗する可能性のほうが高いだろう?そもそも北部解放戦線はどの程度の規模のテロ集団なのかさえ、軍で把握できていないんだぞ?ノースシティ中心に活動しているのは分かっているが、アジトも割れていない。この状態で、2週間で潰せるわけが・・・」
「アジトはノースシティから3駅離れた地方都市。最近軍に反発気味の領主が治めてるとこな」
「何?」
「規模は150人くらいかな。オレと大佐がいて潰せないわけないってレベルだな」
「エドワード君、知っているの?」
驚いたようなリザに、エドワードが肩をすくめる。
「知ってるって言うより、気づいたってトコかな。前にあの町にいったことがあんだけど、ただ変な町だなと思っただけだった。けど、軍に入って軍の資料と照らし合わせてみると、ああこりゃテロリストのアジトだったんだなって」
「・・・そのテロリストが北部解放戦線だという保証は?」
「95%以上の確率で北部解放戦線だよ。もしも違ったとしても、間違いなく繋がってる。だったらさっさと潰して締め上げて、北部解放戦線のこと吐かせればいいだけだ」
「2週間って提案はその分のマージンなんスよ。ビンゴだったら1週間掛からないはずなんで」
横から口を挟んだジャンに、ロイが顔を顰めた。
「ハボック、お前知っていたのか」
「じゃ無きゃ大将が家から赤軍服着て出てきたのを、素直に車に乗せて軍に出勤するわけないっしょう」
「成程な・・・」
「まぁ見てろって、こないだの兵の訓練の借りとかぜーんぶまとめて返してみせるからよっ!」
ニカッと笑ったエドワードに、ロイが苦笑する。
「軍人ならば、他の者のフォローをするのは当たり前のことだ。まして直属の上司・部下ならばな。貸し借りなど、今更言う必要は無いんだぞ?」
「オ・レ・が・イ・ヤ・な・ん・だ・よ。薄気味悪くて」
ふいっと顔をそむけるエドワードに、ロイが僅かに寂しそうな顔をする。
「・・・ところで大佐、呼び名を決めた方がよろしいのではないですか?身分を伏せるために私服で来ているのですし」
リザの指摘にロイは頷いた。
「そうだな。・・・と言っても階級でさえ呼ばなければ良いようにも思うが」
「では私は大佐のことはマスタングさんとお呼びします。ハボックとエドワード君については、このままで構いませんね」
「そうだな。私は君のことはリザと、ハボックはこのままで・・・」
そこまで言ってロイはエドワードに視線を向けて眉を顰めた。
「鋼のと呼ぶわけにもいかんな。エドワード・・・いや、エドと呼ぶか」
「うわっ、気色悪ぃ〜〜〜〜!!」
うげぇ、と舌を出したエドワードにロイがムッとする。
「仕方がないだろう。・・・ハボック、お前はどうする」
「あー、じゃあ俺も大佐はマスタングさんで、中尉はホークアイさんで。大将は・・・一応変えるか?じゃ、エドで」
エドワードがジャンに視線を向けてぴたっと動きを止めた。それを見たロイがからかうような笑みを浮かべる。
「ハボックにそう呼ばれるのは嬉しいのかな?」
「なっ何言ってっ・・・バババッカじゃねーのっ!!」
こういう時に赤くなって即答するからからかわれるのだということが、未だに分からないらしい。ロイはクククッと笑いをこぼした。
「まぁ、いい。問題は君が誰かを呼ぶときだな。全て階級呼びだ」
「あー・・・中尉はホークアイさん、で。大佐は・・・どうすっかな」
んー、とエドワードが顎に指を当てる。
「・・・マスタングさん、かなぁ。うわ痒っ!!変!!」
「いっそファーストネームで呼んでみるかね?」
「キモイ、ぜってーやだ。あっ、じゃあアレだ!!パパにするか!!」
エドワードの言葉に隠し子事件を思い出し、ロイがあからさまに眉を顰め、ジャンとリザが噴き出した。
「それは勘弁してくれ・・・」
「いや、前にもうそう呼ばれたことあるじゃないっスか、大佐」
「うるさい。それなら姓で呼びたまえ、鋼の」
「まぁ、結局それが妥当な線だよな。少尉もじゃぁ、ハボックさんかなぁ」
「・・・なんでそうなる。君はそれこそハボックのことはファーストネームで呼ぶべきだろう」
ロイの突っ込みにエドワードが硬直する。そこにすかさずジャンもロイの意見に同調した。
「いいこと言うッスねー大佐!!大将、やっぱ俺ファーストネームで呼んで欲しいなぁ」
「え・・・いや、でも・・・」
目を逸らしたエドワードにジャンがにじり寄る。それを察してエドワードが後退するも、狭いコンパートメントの中、あっという間に壁に追い詰められた。
「そ、その・・・オレと少尉の歳の差でファーストネーム呼び合うのも変だし?」
「ちっとも変じゃないって。ほら、呼んでみろよ『ジャン』って」
「鋼の、名前などただの記号だよ?そこまで嫌がらないでも良いだろう?」
ジャンとロイが徒党を組んでニヤニヤと追い詰める。うろたえたエドワードが周囲に視線を走らせ、リザと目が合った。
「・・・っリザさん!助けて!!」
呼ばれた本人も、追い詰めていたはずの二人も驚いて目を見開いた。だが、リザが止める前にジャンがエドワードから身体を離して立ち上がる。
「・・・中尉のことはそんなに簡単に呼ぶのに、俺を呼ぶのはそんなに嫌かよ・・・」
ジャンはそのままずかずかとコンパートメントを横切り、派手な音を立てて扉を開いた。
「煙草吸ってくるッス」
そういい捨て、ジャンがコンパートメントを出て行った。
「・・・鋼の」
ロイが扉を顎でしゃくる。それを見たエドワードが立ち上がり、コンパートメントを出て行った。
「・・・大佐。からかいすぎですよ」
リザがロイに苦言を呈する。
「・・・仕方ないだろう。アレが子供らしい顔をするのは、ああいうときだけなんだ」
「エドワード君もそろそろ子供ではありませんよ」
「分かっているよ」
ロイは大きな溜息を吐いた。
「中尉。君はアレに一方的に善意で何かを与えることに成功したことがあるか?」
「・・・どういう意味ですか?」
「何でも良い。お菓子をやったとか、寝る場所を提供したとか、職務に関係しない部分で何かを与え、礼の言葉以外は何も返されなかった経験があるか、と言うことだ」
言われてリザが記憶の糸を辿る。
「・・・お菓子はよくあげましたが・・・大抵その次に来たときにそのお礼、とお土産を買ってきてくれていました。それ以外のことも何かにつけお礼をしてくれたように思いますが・・・」
「君でも駄目か。やはり、まだ年端もいかない頃から大人の世界に引っ張り込んでしまったのがまずかったのかもな」
「大佐・・・?」
ロイが窓の外に視線を向けた。
「あの子の人間関係には『貸し』『借り』と『交換』しか無い。一方的に受け取ることを、絶対によしとしないんだ」
「でも、家族やそれに近しい相手とならばそんなことも無いのではありませんか?」
「・・・国家資格を取り、鋼のの軍属としての後見を私が行うと決まった時に、アレを育てた老婦人から手紙を頂いたんだ。かなりの高額の小切手が同封されていてね。何事かと思えば、鋼のが彼女に支払った機械鎧代とのことだった。孫同然の鋼のから金を取る気は無いと、どんなに説き伏せても頑として首を縦に振らなかったらしい」
「・・・」
「だから、後見となった私に、鋼ののことで金を使うことがあれば、その金から使って欲しい、と手紙には書いてあったよ。聞くところによれば、ロックベル嬢にメンテナンスを依頼するときも正規の料金を支払うようだし。それに、ロックベル嬢とアルフォンスは、鋼のにとって守るべき対象だ。どうあっても甘える相手ではないだろう」
ロイが目を伏せる。
「おそらく、国家資格を取ると決めたときからそうなんだろう。誰にも頼らず、他者の手が必要なときは必ず対価を支払い。必ず自分が弟を元に戻すと、決めたその日から・・・弟を取り戻した今でもな。その内面に刻まれた傷は、消えていない」
「大佐・・・」
「成長期の1年には、大人になってからの数年分の価値がある、と私は思う。その期間を、鋼のはずっと自分を責め続け、軍と戦いの中で過ごしてしまった。だから普通の人間ならその期間に必ず経験しているはずの、甘えると言う行為を鋼のは知らないんだ」
その道を示したのが自分であると、少し悔いているようなロイに、リザは微笑んだ。
「けれど、そのお陰で彼らは無事に望みを果たしました。もう少し遅れれば手遅れになっていた、とエドワード君から聞いています」
「それは、そうかも知れないが・・・」
「それに、エドワード君は少しずつ甘え方を覚え始めています」
ロイが驚いた表情でリザを振り返る。
「先日、大佐が膝枕をしていらしたじゃありませんか」
「あれは君にサボりを告げ口しないと言う交換条件だよ」
苦笑したロイをリザは真っ直ぐに見つめる。
「例え交換条件があったとしても、エドワード君が自分で甘えたいと表現したのは初めてではありませんか?私はそれは進歩だと思います」
「そう・・・か。それは、そうかもしれないな・・・」
「無条件に素直に甘えるどころか、本当に甘えたかった相手に甘えることすら出来なかったようですけれど。それは、これから時間をかけて、エドワード君に甘えたいという感情を教えた人間が教えていくでしょう。その相手と出会わせたのも、本当は想い合っているのに手を拱いていた二人を、からかう振りをして結びつけたのも、大佐ではありませんか?」
にっこりと笑ったリザにロイが苦笑する。
「君は、本当に私をコントロールするのが上手いな。・・・それにしてもハボックか。アイツにももう少し余裕を持ってもらいたいものだが・・・。いちいちああいったことに目くじらを立てていたら鋼のの相手など務まらんぞ」
「違いますよ、大佐」
リザがクスクスと笑う。
「ごまかしの無い感情をぶつけるからこそ、少尉はエドワード君の心に入ることが出来たんです」
ジャンは列車最後部のデッキに座り込み、壁に背を預けて煙草をふかしていた。
車内に続く扉が開く音がして、視線だけそちらに向けるとエドワードが立っていた。
「・・・何しに来たんだよ」
ぶっきらぼうに告げると、エドワードはジャンの前に膝をついた。
俺は怒ってるんだけどな、でも可愛い顔で『ごめん』とか呟かれたりしたら速攻許しちゃうんだろうなー、結局惚れたほうの負けかなーなどと考えながら煙草を口に運ぶと。
次の瞬間、エドワードの右の拳が、ジャンの左頬の直ぐ脇の壁に物凄い轟音を立ててめり込んだ。
「たっ・・・!?」
「何しに来ただぁ?!怒りに来たに決まってんじゃねーーーかっ!!!」
「な・・・?」
立ち上がるエドワードに、恐る恐る轟音を立てた壁を振り返れば、鋼鉄の壁がものの見事に凹んでいる。
「いや、怒ってたのは俺・・・」
その瞬間、今度はジャンの右頬の脇で壁が轟音を立てる。エドワードの蹴りで凹んだ壁を見て、ジャンは口をつぐんだ。
「テメェが!!悪いんだろーが!?」
「す、すみません何がそこまで怒りに触れたのかさっぱり分かりません」
エドワードのあまりの勢いに、すっかり怒りが削がれ、ジャンはホールドアップする。
「少尉が!!大佐と一緒になってオレをからかったりするから!!!」
「いやでもな、ホントに呼んで欲しかったんだって。ちょっとからかいすぎたかもしれ」
「オレだって呼びたかったのに・・・」
「は?」
言い訳の途中で遮られた呟きの意味が分からず、ジャンは目を丸くする。
「前から名前で呼んでみたかったけど、人の居るところじゃ恥ずかしいからいつか二人っきりのときにちょっとだけ呼んでみようって思ってたのに!!なのに何で大佐とかも居るところであんな冗談みたいに言うんだよこんの馬鹿少尉っ!!!」
言っていることは恐ろしく可愛いのに、ジャンの頭上では再び壁が凹む恐ろしい音がしている。
こんなのを顔面に食らったら歯の1、2本では済まないだろう。前に腹を殴られたときによく骨が折れなかったな、としみじみ思う。
いや、もしかするとアレでも一応加減していたのだろうか・・・。
「ゴメン・・・鈍くて」
素直に謝ると、エドワードは再びジャンの前に座り込んだ。俯いて口を尖らせているエドワードの頭を撫でてやる。
「バカ。おまけに・・・なんだよ怒ってるって」
「や、だってさ・・・なんか中尉に先越されたみたいで。俺より中尉の方が好きみたいじゃねーか、あれじゃ」
「アホッ!からかって来るのが嫌だったからからかってこない人の名前呼んだだけだ!!」
「あ・・・そういうことか・・・」
エドワードがジャンの胸に顔を埋める。ジャンはその小さな身体をしっかりと抱きしめた。
ぐりぐりと頭をこすり付けてくるエドワードに、ジャンは笑みをこぼす。
「・・・いやぁ、でもやっぱ悔しいわ。中尉に先越された気がやっぱりする」
「何でだよ。大体オレはアルだってウィンリィだって名前呼びだ」
「そりゃ普通弟と幼馴染は苗字では呼ばないだろ。そうじゃなくてさ、軍人の中での初名前呼びがさ・・・」
「初はシェスカ。すんげー昔」
「う」
昔ヒューズにエドワードが紹介したと言う女性事務官の名前が出て、ジャンは言葉に詰まる。
「・・・まぁそーんなしょうもないことにも嫉妬するくらい、俺は惚れちゃってるんです。それは覚えててくれよな、エド?」
わざと名前を呼べば、ジャンの胸からエドワードが顔を上げた。しっかりと視線を合わせて、ジャンは笑う。
「好きだぜ、エド」
見る見るうちにエドワードの顔が赤く染まっていく。
「お、オレも・・・。ジャン」
ようやく名前を紡いでくれた唇を、ジャンは自分の唇で塞いだ。
この話はまだ続きますが、ちょっと長くなりそうなのでここで一度切ります。
最初の予定ではどうしても名前が呼べなかったエドが走って逃げ出して、
列車の後部デッキに追いかけていくのがハボさんだったはずなのに、
気がついたら立場逆転してました。
しかも怒ってでてった人より追いかけていった人の方が怒り狂ってます。
次へ→
戻る
06/05/29 脱稿