「何だぁ、寝ちまったんすかコイツ!」
ベンチに座っているクリスと沢村に倉持が近づくと、沢村はクリスの左肩に寄りかかり、すやすやと眠っていた。
「ああ。張り詰めていた糸が切れて、どっと疲れが押し寄せてきたんだろう」
「ったく、先輩に練習付き合せておいて、その上先輩の肩を枕にして寝る奴があるかっての!」
倉持が沢村の足を軽く蹴ると、クリスがそれを諌めた。
「倉持、起こすな。寝かせておいてやれ」
「いいんスか?」
「ああ。こいつに今一番必要なのは、肉体的にも精神的にも休養を取ることだからな」
そう言ってクリスは自分の肩に頭を預ける沢村を見る。その目は限りなく優しい。
「うぅ…ん」
むずかったように沢村がクリスの肩に擦りついた。
「沢村? 起きたのか?」
「すぅ……」
再び深い眠りに落ちていった沢村が、寝言を呟いた。
「クリスせんぱ……い」
「ん? 倉持、沢村をたたき起こすって言ってたんじゃなかったのか?」
引き返してきた倉持に御幸が声をかける。
倉持は肩をすくめて首を振った。
「あそこに居るとピンクの空気に染められそうになるんだよ」
青道高校の野球部寮から、学校までは200mばかりの距離がある。正しくは、グラウンドを挟むがゆえにその外を歩いていくことになる。
朝練を追え、その道を歩いて学校に向かう途中、クリスの脚に急に何かが当たった。
「ん・・・・・・?」
立ち止まって見下ろせば、茶色の子犬がまとわりついている。
「あ、犬だ」
すぐそばを歩いていた沢村も立ち止まった。
子犬はクリスの脚に捕まって立ち上がり、尻尾を振っている。
このまま脚を踏み出せば蹴ってしまいそうで、クリスは子犬を抱き上げた。
ところが、クリスが抱き上げた途端、子犬がじょーとおしっこをした。
「なんだ!?」
放り出すわけにも行かず、クリスは慌てて身体から放す。
「あはは、うれしょんしてら」
笑った沢村をクリスは振り返った。
「うれしょん?」
「あ、クリス先輩知らないッスか? 子犬って、どうしようもなく嬉しいときにおもらしするんスよ」
その様子を見ていた亮介が笑う。
「はははっ! クリスに抱っこされてうれしょんか! 沢村みたいな犬だな!」
「ええっ!? 亮介先輩、何でッスか!? 俺、うれしょんはしないッスよ!?」
ショックを受けた沢村に、春市が呆れた様子でつっこみを入れた。
「栄純君、否定する部分が間違ってると思うよ・・・・・・?」
「あっ、クリスせんぱーーーい!!」
少し離れた場所にいたクリスを見つけ、沢村が走り寄ろうとする。
「あっ、おいコラ沢村ちょっとまっ」
近くにいた御幸が止めるのも間に合わず、その進行ルートにあった籠に沢村が思い切りけつまづいて倒し、中に入っていたボールが辺りに散らばった。
「あーあーあーあー」
御幸と一緒に居た倉持が呆れた声を上げる。
おろおろしている沢村に、遠目でも溜息をついたのが分かったクリスが歩み寄った。
そのまま二人でしゃがんで、ボールを拾い集める。
御幸と倉持も近寄って、一緒にボールを拾った。
「お前は不注意すぎる」
クリスの小言に沢村がしょぼんとする。
「スイマセン・・・・・・」
「ていうか、沢村ってブリンカーついてんじゃないっすかね」
御幸の言葉にクリスが首をかしげた。
「馬がつけてるやつか?」
「そっす。真っ直ぐしか見えないように、視界を狭くするやつ。こんなかんじで」
御幸が自分の目の両脇に手でブリンカーを真似て覆いを作ると、倉持がひゃははと笑った。
「沢村の場合、クリス先輩がいるとそこしか目にはいんなくなるから、クリス先輩ブリンカーってとこだな!」
「沢村お前、そのTシャツはどうしたんだ」
ある日の朝練に、穴の開いたTシャツを着て現れた沢村に、クリスは呆れて声を掛けた。
「あー、この前の朝練の時に破っちゃったんスよね」
「だったら捨てろ」
「でも俺、Tシャツ3枚しか持ってないし。これ捨てると、洗濯し忘れた時に困るんスよ」
あははは!と笑った沢村に、クリスは絶句する。
「3枚は少なすぎないか?毎日替えるものだろう?」
「もっと沢山持ってはきてたんですけど、俺なんか次々破いちゃって、どんどん捨ててたらなくなっちゃいました」
「・・・・・・」
クリスは沢村のTシャツの破けた部分をつまんだ。かなり、薄い。
おそらくスーパーなどで3枚1000円などで売っているタイプのTシャツだ。
中学の頃はこのタイプのものでも問題なかったのだろうが、青道の練習はかなり厳しい。おそらくそのせいで、安物のTシャツでは簡単に擦り切れてしまうのだろう。
残った2枚も同じタイプのものであれば、あっという間に全滅するのは目に見えている。
「沢村、後で俺の部屋に来い」
「え? はい、でもどうしてですか?」
「俺が昔着ていたTシャツが何枚か残っているから、お前にやる。サイズが小さくなって着れなくなったものだから、お前の体格にちょうどいいくらいだろう」
次の日の朝練時。
丹波が沢村に声を掛けた。
「沢村、お前そのTシャツはどうしたんだ? 2年前にクリスが着ていたTシャツと同じシャツに見えるが・・・・・・」
「あっ、これクリス先輩に貰ったんスよ!!」
無邪気に嬉しそうな沢村に、丹波の眉が僅かに動く。
耳ざとくソレを聞いていた御幸が、ニヤニヤしながら口を挟んだ。
「沢村、男が誰かに服をやるときって、ソレを脱がすためだって知ってるか?」
「へ?」
きょとんとした沢村に、クリスが慌てて割ってはいる。
「おい、何を馬鹿なことを言っているんだ。そんなわけないだろう!」
「そうッスか〜?」
「大体これは古着だぞ。サイズが合わなくなったものをやっただけだ」
古着、と聞いて少し考え込んだ沢村が、着ているTシャツの襟首をつまみあげてクンクンと匂いをかいだ。
「何をやっている!嗅ぐな!!」
「いや、クリス先輩の匂いしないかな〜って・・・・・・」
「洗濯してあるに決まっているだろう!?」
そのやり取りを遠巻きに見ていた春市がぼそりと呟いた。
「栄純君、あれきっと匂いがしたら嬉しいんだね・・・・・・」
その隣にいた降谷も首をかしげる。
「2年前クリス先輩が着てたTシャツを覚えてる丹波さんもすごいね」
「そ、そうだね・・・・・・」
「すごい記憶力がいいんだ」
「そ、ソレは違うような気がするよ、降谷君・・・・・・」