「クリス先輩〜〜!!」
食堂でクリスの姿をみつけた沢村が、全力疾走でクリスに向かって駆け寄った。
そのままの勢いでクリスに飛びつき、クリスの持っていたトレイの上で味噌汁が零れる。
「あっ!」
かろうじてトレイの上でのみ零れ、なんとか周囲には被害は出なかったものの、クリスは沢村を振り返り厳しい視線を向けた。
「沢村!! 危ないだろう!!」
「すっ、すみません!!」
翌日の食堂で、再びトレイを持っているクリスに沢村が駆け寄ってくる。
クリスの近くに居た宮内と丹波が、それに気がついて無言でクリスから距離をとった。
が、クリスに駆け寄った沢村は、クリスの目の前で急停止する。
それから、そっとクリスに抱きついた。
「……沢村」
「味噌汁、零れなかったッスよね?」
「確かに零れなかったが……お前、『零れないようにそっと抱きつく』じゃなくて、『食堂では抱きつかない』という選択肢は選べないのか」
「ええっ、ダメっすか?!」
しょぼんとした沢村にクリスが苦笑する。
「まあ、構わないけどな」
「「いや、構うだろう!!」」
クリスの言葉に、思わず宮内と丹波が声をそろえてツッコミをいれた。
二人一組で柔軟体操をしながら、春市はふと沢村に話しかけた。
「あ、栄純君、兄貴が栄純君の携帯の番号知りたいって言うから教えちゃったんだけど、良かった?」
「ん? ああ、別にいーぜ。春っちの兄貴もかー」
あっさり頷いた沢村の言葉に、春市は首を傾げる。
「兄貴『も』?」
「うん。 俺、何かやたらと3年の先輩にケーバン聞かれるんだよな」
「え、なんで?」
「さあ? 兄貴に聞いてみたらいいんじゃねー?」
「あ、そっか。そだね」
そこにちょうど亮介もやってきた。
「あ、沢村。お前後で俺の携帯の番号登録しておいて」
「あ、はい」
「ねえ兄貴、さっき聞き忘れたけど、なんで栄純君と携帯の番号交換しようって思ったの?」
「ん? クリスの携帯だから」
亮介の言葉の意味が分からず、春市と沢村は顔を見合わせる。すると亮介がクスっと笑った。
「だーから。クリスって携帯持ってないだろ? まあ、校内とか寮に居る時はいいんだけどさ、外出してるときにつかまえらんないから困ってたんだって。そしたら」
亮介がぴ、と沢村を指差す。
「リハビリ以外で外出するときは、90%以上の確率で一緒に居る奴がいる、だろ? そいつが携帯持ってるんなら、ちょうどいいじゃん」
「あ、あー……。だから『栄純君がクリス先輩の携帯』ってこと……」
半分感心、半分呆れで春市が納得すると、沢村が携帯を取り出してのぞき込んだ。
「それでかぁ」
その携帯を春市ものぞき込んで目を丸くする。
「うわ、凄い!?」
普通はあまり3年生と番号を交換したりはしない。精々、事務的な連絡をする必要があるキャプテンの番号だけは知っている、というくらいのものだ。春市の携帯も、3年生は亮介と結城と、寮で同室の桑田の番号しか入っていない。
それなのに、沢村の携帯には部内の3年生の名前がズラリと並んでいた。
「皆考えること同じだな。沢村、それもしかして部の3年全員入ってんの?」
「えーと……そうっすね、多分亮介先輩のが最後っす」
「ああ、俺は春市に後で聞けばいいやって思ってたからな」
と、遠くで沢村を呼ぶ声がした。バッテリーに集合がかかっているらしい。
沢村がそれじゃ、と言って走っていく。
「……栄純君、それでいいのかなぁ」
その背を見送ってふと思ったことを呟くと、亮介が首を傾げた。
「何が?」
「いや、えっと、携帯扱いってあんまし嬉しくないと思ったんだけど」
「別にいいんじゃないか? 逆にそれを理由にくっついていけるってのもあるんだしさ」
「え?」
振りかえれば亮介はクスクス笑っている。
「クリスの携帯って立場なら、出かけるクリスにそれを理由にしてくっついて行ったりもできるだろ? ってこと! ま、くっついて歩くから携帯代わりにされるのか、携帯だからくっついて歩くのかって、卵が先か鶏が先かみたいな話しだけどな」
「すみません、なんだか色々付き合ってもらっちゃって」
春市が少しはにかんでいるような様子で前園を見上げる。前園は笑って首を横に振った。
「別に謝ることあらへん。 俺もちょうど買うもんあったしな」
部活が休みの日に、前園と春市は揃って街に買い出しに来たのだ。
まだ地元から出てきたばかりの春市は、生活必需品はどこに行けば揃えられるのかがよく分からなかったらしい。
兄の亮介に聞く、という選択肢もあったのだろうが、それよりも先に自分に頼ってきたのが、実は結構嬉しかった。
「でも、ゾノ先輩はゲームとかあまり興味ないでしょう? ゲーム屋にまで付き合ってもらっちゃったし」
「別にかまへんって言ってるやろ。それにしてもお前、かなりゲーム好きなんやな。ゲーム見えるとき、めっちゃ嬉しそうやった」
買うわけでもないゲームソフトの棚を、見ているだけでも春市は随分楽しそうだった。
「そうですね、結構次は何買おうかな〜とか思ってるだけでも楽しいです。でもゲームだけじゃなくて、何か欲しいものを物色して、色々見てるときって結構楽しくないですか?」
「んー……ほうか? 俺はあんま悩まへん方やからな」
どちらかと言うと、前園は買うものを悩んで吟味するより、さっさと決めてぱっと買ってしまうタイプだ。
首を傾げた前園に、春市が少し困ったような顔になる。
「あ、えっと、すみません、もしかして俺がずっと色々見てたの迷惑でした?」
「そんなことあらへんて」
「でも、その、楽しく無かったですよね?」
少し落ち込んでしまった春市に前園は慌てた。こんな顔をさせたかったわけではない。
「いやだから、俺は商品みとるより、楽しそうなお前みとるほうが楽しいだけやし」
慌てすぎて思わず本音が出た。
はっとして口を押さえると、春市は口をあけて前園を見上げる。
それから、一気に耳まで赤くなった。
「あ、あの、その」
「す、スマン! つい!」
「い、いえ! え、ええと、嬉しいです」
「い、いや、そこ喜んだらあかんやろ!」
「え、え、ええと」
自分も相当混乱しているが、春市も混乱しているらしい。
なんとも困り果て、前園は顔を押さえた。