「クリス先輩、クリス先輩!!」
騒がしく沢村がクリスの部屋を訪れる。
それは最早、ほぼ毎日行われている日課でもあった。
「どうした?」
いつも大した用事ではないのだが、それにそう答えるのも日課のうちだ。
「来て下さい!!」
嬉しそうに沢村がクリスの手を取って引いた。
引かれるままに立ち上がり、ふと思い立ってクリスはウインドブレイカーを掴んで沢村に部屋を連れ出される。
そのまま寮の裏手まで歩くと、沢村は満面の笑みで夜空を指差した。
「今日、スッゲー月がまん丸で綺麗なんですよ!」
にこにこしている沢村を暫し見つめた後、クリスは夜空を見上げる。確かに、見事な満月だった。
「綺麗だったから、クリス先輩にも見て欲しくて」
沢村もクリスに並んで月を見上げる。
その大きな瞳に月が写りこんでいるのを見て、クリスは目を細めた。
沢村は、普通ならあまり気にも留めないようなものに目を向ける。そして心を動かす。
そして、その感動を、他でもない自分と分かち合いたいといってくれる。
その、透き通るような純粋さこそが、他のどんなものよりも綺麗だと思った。
「綺麗だな」
「でしょう?!」
嬉しそうな沢村に苦笑して、クリスはその肩にウインドブレイカーをかけた。
「それはともかくとして、風邪を引くぞ」
「え、あ……あ! だ、駄目です! クリス先輩が着て下さい!」
「俺はいい」
「良くないです!!」
無理矢理ウインドブレイカーを返そうとする沢村に苦笑して、クリスはウインドブレイカーを肩に羽織る。
そして包み込むように沢村を背中から抱き締めた。
「うわ!?」
目を丸くして肩越しに振り返った沢村に微笑みかけ、腕に力を篭める。
「こうすれば二人とも暖かいか」
「は……はい!」
「もう少しだけ……な」
静かに囁くと、沢村を抱き締めたクリスの手に沢村の手が重ねられ、きゅっと握られた。
「……クリス先輩」
「何だ?」
「ちゃんと、月見てます?」
「ああ」
「でも、俺の肩に顔埋めてませんか?」
「そうだな」
「そしたら月見えてないでしょう?」
「そうかもな」
「クリス先輩ってば!」
増子×沢村
マガジン28号ネタバレ。
「お、沢村ちゃん、戻ったのか」
沢村がタイヤ引きを終わらせて部屋に戻ると、増子が胡坐をかいてプリンを食べていた。
「あ、うぃっす」
「練習熱心なのはいいが、無理はするなよ? 今日だって結構な球数投げてるんだから、疲れてるだろう? 休むときは休まなくちゃ駄目だぞ」
「……でも、俺」
今のままでは先輩たちに迷惑かけるだけだし、と繋げようとして、沢村ははっとした。
今日の試合、ヒット性の強い打球を身体で止めてくれたのは、他でもない増子だった。
「増子先輩!!」
靴を脱いでどたどたと部屋に上がる。
「ん?」
「腹、あざになってないっスか!?」
「ああ、アレか。別にだいじょ……沢村ちゃん!?」
増子の胡坐の上に手をついて、Tシャツをめくろうとすると、増子がうろたえてTシャツの裾を押さえた。
「コ、コラ!! 大丈夫だから!」
「見してください!!」
「あんなの大したことない、気にするな」
「でも、すげー音しましたよ!? 俺が打たれたせいだしっ」
後退ろうとする増子を追って、膝の上に乗りあがる。
「鍛えてるから本当になんてことはないんだ! 勘弁してくれ!!」
「鍛えてたって痛いもんは痛いっしょ!?」
「その場ではちょっと痛かったかってくらいだ! 本当に!」
「見せてくれたら信じます!!」
増子の脚の上で正座すると、増子が諦めたように溜息を吐いてTシャツを放した。
Tシャツをめくってみると、鍛えられた腹筋の上に赤黒い跡がある。
「やっぱり、跡になってる……」
少し悲しくなって、その跡にそっと掌を乗せると、その直後にがちゃりと部屋のドアが開く音がした。
「あ、く、倉持……」
うろたえたような増子の言葉に、振り返れば目を丸くしている倉持が立っている。
数瞬の沈黙。
その後。
「おーーーい!! 御幸、来て見ろよ!! 増子さんが沢村に襲われてんぞ!!」
「くくく倉持!! 違う!! 違う!!!」
慌てた様子の増子に、抱っこされて膝から降ろされ、何を慌てているのだろう、と沢村は首を傾げた。
倉持×沢村
胡坐をかいて右手を床について、左手で脚の上の雑誌のページをめくる。
ふと、同じように床に座って雑誌を読んでいた倉持が身じろぎした。
体勢を変えた倉持の左手が、沢村の右手の指先に少しかかったのに気がつき、沢村は倉持を振り返る。
だが、倉持はまったく反応せず、雑誌のページをめくっていた。
無言でそっと指先を倉持の手の下から引き抜き、倉持の手の上に乗せなおす。
そのまままた左手で雑誌のページをめくると、右手の下から倉持の手が引き抜かれ、再び沢村の手の上に乗せられた。
「……」
「……」
手をもう一度下から引き抜いて乗せなおすと、その途端に倉持も手を抜いて、沢村の手の上に乗せなおす。
更に手を抜こうとすると、上から強く押さえられた。
それでも力づくで手を引き抜いて上に乗せようとした瞬間、倉持がさっと手を避ける。
お互いに手を上げたままじっと見つめあうと、倉持が沢村の手をがっと掴み、そのままの勢いで床に押し付けた。
「く、倉持先輩スッゲーわがままっ!」
「テメー人のこと言えんのかよ!! 先輩のやることに逆らうんじゃねぇ!!」
そして結局その手は、お互いに雑誌を読み終わるまでずっと握られたままになったのだった。
「お、こりゃまた懐かしいもんが」
何事かを探して引き出しをひっくり返していた増子が、一冊の冊子を手に持って動きを止めた。
「何すか、それ?」
沢村が覗き込むと、増子が冊子の表紙を開く。
「俺達が1年の頃の写真だ」
「へぇ……ってうわ!!」
その中にあった写真に、沢村は飛びついた。
「うわー、うわー、うわー!!! これ、クリス先輩っすよね!?」
「ん? ああ。1年の頃、同学年で撮った集合写真だからな」
倉持も寄ってきて一緒に冊子を覗き込む。
「うわ!! 増子さんも純さんもヒゲはやしてねぇ!!」
「そりゃお前、そうだろ」
「うわー!! このクリス先輩なんかいい!! 増子先輩、この写真下さい!!」
「焼き増しならしてやるぞ」
「やったああああ!!」
嬉しくてぴょんぴょん跳ねると、倉持が呆れた顔で沢村を見た。
「お前、ほんっとクリス先輩好きだよな〜」
ふと、増子が思い当たった表情をする。
「ああ、でも」
「?」
「クリスの写真なら、もっと沢山持ってる奴が居るぞ」
「まじっスか!?」
「聞いてみるか」
増子が携帯電話を取り出して、いずこかに電話をかけ始める。と、倉持も手を打った。
「あ、そういやアイツもじゃね? クリス先輩のなら多分結構持ってるはずだよな」
倉持もすぐにいずこかにメールを打ち始める。
わくわくしながら待っていると、数分後、ノックの音の後に部屋の扉が開いた。
「増子、アルバム持って来いって何の用だ」
やってきたのは丹波だった。手にはアルバムを持っている。
「いや、沢村ちゃんが、クリスが1年の頃の写真を見たいと言ってな。お前なら結構持ってるんじゃないかと」
途端に丹波の眉がピクリと上がった。そこに扉が閉まりきっていなかった扉から御幸がひょいっと顔を出す。
「何だ倉持、クリス先輩の切抜き持ってこいってそういう事かよ。沢村お前、クリス先輩本人ゲットしてるくせに」
「まったくだ」
御幸の言葉に丹波が憮然として同意した。
「ええ、だって見たいんすよ!!」
「……まあ、見せんとは言わないが……」
丹波が手に持っていたアルバムをぺらりとめくる。
「うわあああ!!」
喜んで身を乗り出すと、御幸が口に手を当てた。
「……そう言えば雑誌に載った記事は全部集めたけど、クリス先輩が1年の頃のプライベートスナップは見たこと無かったんですよね。これは中々」
眼鏡の奥の目を光らせた御幸が丹波を見る。
「……お前の方は雑誌の記事だって?」
横目で御幸を見た丹波に、御幸がにやりと笑った。
「中学の頃、初めて対戦したときから、クリス先輩に関する記事は全部集めてありますよ」
「中学の頃のもあるのか。俺は中学の頃は、アイツのことはよく知らなかったからな……」
御幸の持ってきたファイルを開き、丹波が真剣に覗き込む。
アルバムとファイルを交互に覗き込み、沢村は顔を上げた。
「あの!! これ焼き増しとコピーしてください!!」
「断る」「嫌だね」
丹波と御幸に即答で声を揃えて断られて、沢村は口を尖らせた。
「えええっ! 何で駄目なんですか!?」
「クリス本人手に入れてる奴に、何でただでそこまでしてやらなきゃならん」
「沢村、こういうのはギブアンドテイクだぜ? 一人だけ美味しい思いしようなんて無理な相談だ」
そう言った直後に、御幸が丹波に取引を持ちかけ始める。
「これ、写真の焼き増しと切り抜きのコピー交換しませんか?」
「……ふるい物とは言え、ある程度広範囲に出回った切抜きと写真とじゃ価値が違う。写真1枚に切り抜き3枚なら考える」
「え!? けちなこと言わないでくださいよ、それじゃ写真全部は手に入らないじゃないですか。1:1.5枚でどうです?」
「1:2.5」
なんだかのけ者にされてしまい、沢村はむくれてある人からもらった写真の束を取り出した。
「ちぇ……こんなことなら、もっと下さいって頼めばよかったかな……」
ぶつぶついいながら、未だ開いたままの扉のへりに背を預ける。
「っさ、沢村!!何だその写真は!!」
「えっ?」
背後からかけられた声に振り返ると、扉のすぐ外にクリスが居た。
「寄越せ!! 何でお前がそんな写真を持っている!?」
「うわわっ!!」
写真を取り上げられそうになり、慌ててかわそうとして手から写真がこぼれた。
床に広がったそれを見て、丹波と御幸が一瞬硬直する。
「うわーーーー!! これ、子供の頃のクリス先輩!? 幼稚園くらいだよな!?」
「何で沢村がこんな写真を持っているんだ!? クリスがやったのか!?」
床に手を着いて写真をじっくり見ようとした御幸と丹波に、クリスが慌てて床から写真を拾い集めた。
「違う!! 沢村お前、どこでこれを手に入れた!?」
「く、クリス先輩の親父さんからッス。この前メアド交換して」
「何でお前がクリス先輩の親父さんと交流してんのよ!?」
「え? なんか『優がアメリカに行くときはユーも一緒に行くんだろう?』って言うから、『高校卒業してたらどこまででも着いてきます』って言ったらお近づきの印にってくれました」
大騒ぎの4人を尻目に、倉持と増子が親公認か、と呟く。
「沢村!! 切り抜きコピーしてやるからそれ焼き増ししてくれ!!」
「こっちの写真も焼き増ししよう。交換ならありだ」
「おいコラ、御幸!丹波!!お前ら何を言っ」
「いいっすよ! いやー親父さんすごかったッスよ!!家の一部屋、全部本棚の部屋があって、全部クリス先輩の写真と切り抜き」
「黙れ沢村ー!!」
その後、沢村と御幸と、丹波までクリスの拳骨を食らう羽目になったのだった。
一番のクリスマニアはクリスパパ(笑)
これ書いててふと、丹波さんが御幸が嫌いな理由の一つは、過去クリス先輩を取り合った間だからだったりして、とか思いました。
結局沢村に掻っ攫われてますが(笑)