窓の外をTシャツ姿でふらりと歩いていく人影に目を留め、クリスは顔をしかめた。
自分がアイツを見間違うはずが無い。沢村だ。
時間ももう11時を過ぎている。1軍の人間は、合宿の疲れでもう皆寝ているはずの時間だ。
まさか今から練習する気じゃないだろうなあの馬鹿、とふと心配になり、クリスはウインドブレーカーをつかんでその後を追った。
沢村は、グラウンド横の草むらに足を投げ出して座り、ぼーっと月を眺めていた。
「沢村」
「うわ!?」
背中から声をかけると、沢村は飛び上がって驚く。
「ク、クリス先輩! どうしたんスか!?」
「どうした、はこっちの台詞だ。こんな時間に何をしている」
「あ・・・・・・えと・・・・・・」
少しうろたえたような沢村に、クリスは頭からウインドブレーカーをかぶせた。
「わぷ!?」
「体を冷やすな。合宿の疲れで、1軍メンバーはとっくに寝てる時間だと思うんだがな」
「あー・・・・・・そうっすね、増子先輩も倉持先輩も、もう寝てるッスよ」
沢村が、少し苦笑しながらウィンドブレイカーを肩に羽織る。
クリスはその隣に並んで腰をおろした。
「クリス先輩は、どうしたんスか?」
「・・・・・・本来もう体を休めているはずのどっかの馬鹿が、薄着でうろついているのを見つけてしまったからな」
「はうあ!! す、すみません!」
「別にいい。で、お前は何故寝ないんだ?」
「俺は・・・・・・さっきまではすげー眠かったんですけど、ベッドに入ったら眠れなくなっちゃって」
「・・・・・・疲れているだろう?」
夢も見ず、それこそ死んだように眠り込むほどの練習内容を、課したはずだ。
「そうなんすけど、なんか色々考えてたらだんだん、眠くなくなって。先輩たち起こしちゃうと蹴られるし、だからちょっと散歩にきたんです」
顔を覗き込めば、沢村の表情がゆがむ。
「俺、全然駄目っすよね・・・・・・。毎日タイヤ引いて、体力だけは自信あったのに、今日先輩たちに全然ついていけなかったし」
「当たり前だ。皆、この1年2年、ハードなトレーニングを積んできているんだぞ。たったの2ヶ月で追いつかれては困る」
「それに、守備もちっとも上手くなれなくて。クリス先輩たちに、あんなに練習付き合ってもらったのに、全然できるようになれなくて・・・・・・。付き合ってもらってるのが申し訳なくなってきちゃって」
横顔でも、クリスにも沢村の目が潤んだのがわかった。
沢村はいつでも真っ直ぐで純粋だ。普通の人間ならば、隠そうとする脆さや弱みの部分を、ありのままに曝け出してしまう。
「分かってるのに、出来ないんですよ。焦れば焦るほど、どんどん訳わかんなくなっちゃって・・・・・・」
「本当に、分かってるんじゃないか。焦れば焦るほど、出来ないものだと」
俯いていた沢村がクリスに視線を向けた。その目はやはり、涙に濡れている。
「頭で考えてやろうとするから焦る。何も考えずに体が反応するまで反復練習をこなして、できるようになるものだ」
「けど、それじゃ、俺・・・・・・」
「今出来なくてもいい。合宿中に何度でも練習して、公式戦までに出来るようになっていればいいんだ。そのためにサポートメンバーがいるんだぞ」
「クリスせんぱ・・・・・・」
「お前は焦りすぎだ、と俺はお前に何度言った?」
クリスが苦笑すると、沢村の目から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「俺・・・・・・っ」
「よく泣く奴だな。まったく、手がかかる」
沢村の髪をクリスの手がかき混ぜると、沢村は鼻をすすり上げて涙をぬぐった。
「ほら、もう戻るぞ。明日の練習もハードなんだからな、早く寝ろ」
「はいっ!」
その顔に笑顔が戻ったのを見て、クリスは少しホッとする。沢村はよく泣くタイプだが、できれば笑顔でいて欲しいとも思うのだ。
先に立ち上がり、沢村に手を伸ばす。
「立てるか?」
「あ、大丈夫っす・・・・・・っと!」
「大丈夫だと思っていても、あれだけ酷使すれば足腰ががたがただろう?」
よろめいた沢村をしっかり抱きとめ、クリスは沢村を見下ろした。
ふと、クリスの影が月明かりから沢村を隠す。
何も考えなかった。考える間も無く、クリスは沢村の唇に自分の唇を触れさせていた。
気がついたときには、沢村がこれ以上ないと言うほど目を丸くして、クリスを見上げていた。
「・・・・・・戻ろう」
「へっ、あっ、はいっ」
何事も無かったようなふりをして体を離す。
だが、いつもはうるさいくらいに騒ぎながらついて来る沢村が、無言でクリスの後ろを歩いているのが、何事も無くは無い何よりの証だった。
ふと、前方に人影を認める。と、その人影が叫んだ。
「あ、あーーー!! 居た!! 沢村!! このバカ!! ってクリス先輩も!?」
「倉持か」
「あれ? 倉持先輩、寝てたんじゃ・・・・・・」
沢村が首をかしげている間に、倉持が全力疾走で駆け寄ってくる。
「いつまでほっつき歩いてんだこのバカ!!」
「あいてーーー!!」
駆け寄るなり倉持は拳骨で沢村の頭を殴った。
「明日も合宿は続くんだぞ!! 寝なかったら回復しねぇだろうが!!」
どうやら倉持は沢村を心配して出てきたらしい。倉持とて1軍メンバーなのだから、相当疲れているはずだ。
「倉持、お前も大概面倒見がいいな。探しに来たのか」
「へっ!? あ、いや、便所に起きたらいないってことに気がついただけですって、んな訳無いじゃないっすか」
ひゃはは、と倉持が笑ったところに、増子も現れて駆け寄ってくる。
「倉持! 沢村ちゃんいたのか!」
倉持の誤魔化しが台無しだ。二人揃って探していたらしい。
「増子、お前もか・・・・・・。外に出る前に伝えておけばよかったな」
「クリスが一緒だったのか。いや、沢村ちゃんのことだからまさか走りに行ったんじゃないかと思ってな」
「流石に無理っす、脚がたがたで・・・・・・」
「だったらさっさと寝ろ!! このバカ!!」
横で思わずクリスが吹き出すと、倉持が慌てた。
「いや、だからあの、心配したとかではなくってッスね!!」
「分かった分かった。沢村、迎えも来たことだし、部屋に戻れ」
「はい。あ、クリス先輩、これ」
ウインドブレイカーを脱ごうとした沢村を、クリスは押しとどめる。
「いや、それは明日でいい。ちゃんと寝るんだぞ」
「はい」
「じゃあな」
軽く後ろ手に手を上げて、クリスは3人に背を向けた。
しかし沢村は、今度はキスを思い出して眠ることが出来なくなり、ベッドの中であーとかうーとかぎゃー!とか叫んでは、倉持にうるさいと殴られたのだった。
ツンデレなもっち先輩。
沢村は(クリスを筆頭に)いろんな人の愛情を受けて日々成長しているのでした。