「倉持。沢村はどうした?」
朝練の開始時刻になってもグラウンドに姿を現さない沢村に、キャプテンの結城が寮で同室の倉持を呼んだ。
「それが、分かんないんスよ。アイツはいつも朝練の前に走りこみやってるんで、早く起きてるんスよね。今日も、先に出て行ったはずなんスけど、いないし・・・・・・」
「携帯電話は?」
「グラウンドに沢村が居なかったんで、さっき鳴らしみました。そしたら」
倉持が自分の物ではない携帯電話を取り出す。
「しっかり、寮の部屋にありました」
それをみた伊佐敷が腰に手を当てた。
「携帯を持って歩かなかったら、携帯の意味がねーじゃねぇか、あの馬鹿」
「いつまでうだうだ待ってるの? 朝練の時間なくなるよ?」
亮介の言葉に、結城が溜息をついた。
「仕方が無い、先に始めるか。クリス、頼む」
「ああ」
何を頼むのかを言わなくとも、沢村を探すなり何なりの対応を任されたことはツーカーで伝わる。
と、グラウンドと外部を仕切るフェンスがガシャンと音をたて、全員の視線がそちらに向いた。
「スンマセン!! 遅れましたーーーー!!」
息を切らせた沢村が、フェンスを掴んでいる。
「何やってたこの馬鹿!! 外に出んなら携帯くらい持っていけ!!」
顔を見るなり怒鳴った倉持の肩を結城が掴んだ。
「いい、倉持。説教は後だ。練習を始めるぞ」
朝練の最中、沢村は疲労困憊で、半分へろへろだった。
そのあまりの様子に、自他共に認める沢村の世話係であるクリスの眉が寄る。
朝練が終了するなり、クリスと結城が地面に座り込んでいる沢村の元に向かった。
「沢村、今日は一体何をしていた?」
その様子に気がついた他のメンバーも、そちらへと意識を向ける。
「あ!! クリス先輩、これ!!」
クリスの顔を見るなり、沢村が何かを差し出した。
条件反射で受け取ったクリスの掌に、結城とクリスの視線が集まる。
「何だ、これは?」
「お守り、か」
「それ買ってきたんスよ!怪我に効く神社だって聞いたから」
「沢村、もっと順を追って話せ」
あまりにも断片的すぎて、訳が分からない沢村の言葉に、クリスが呆れて溜息をついた。
「ええと、だからッスね・・・・・・」
沢村の説明によると、いつもより早く起きてしまったため、グラウンドのランニングではなく、ロードワークに切り替えたらしい。その途中、通りすがりの人間にその神社の存在を教えられ、ついでにその神社まで行ってきたというわけだ。
「純、その神社知ってるか?」
いつの間にか集まってきていた伊佐敷に、結城が話を振る。
「ああ、昔東さんにチラッとだけ聞いたことがあんな。確か、必勝祈願と怪我の平癒にご利益がある神社だとかナントカで、東さんが1年の頃までは、部員全員で毎年御参りに行ってたとか聞いたぜ。多分あそこだろ?」
「多分そうっすね。俺に神社を教えてくれた人も、昔は青道の野球部が毎年お参りしてた、って言ってたんで。だから行ってみようと思ったんすけど、思ったより遠くて」
たはは、と笑った沢村の頭を倉持が小突く。
「引き返さなきゃやばい時間だと思った時点で戻れ、この馬鹿」
「と、飛ばせばぎりぎり間に合うと思ったんスよ〜」
「じゃ、栄純君チームの勝利祈願と、クリス先輩の治癒祈願してきたんだ」
「へ?」
春市を振り返った沢村が、目を丸くして固まった。
嫌な予感が・・・・・・といった面持ちで増子が口を挟む。
「沢村ちゃん・・・・・・まさかもうじき本選が始まるのも忘れて、クリスの治癒祈願だけしてきたんじゃないよな・・・・・・?」
「あは、あはは、あははははは!」
「っだーーーー!!マジかよ!!ありえねぇだろお前!!」
「お前の頭ん中ってマジでクリス先輩しか入ってねぇのな!! ヒャハハ!」
「いだだだ!! 痛い!! 痛いッス!!」
笑って誤魔化そうとした沢村を倉持や伊佐敷がビシバシ叩いた。そんな中で、ふとクリスがずっと自分の掌をみていることに気がつき、御幸が肩越しにクリスの掌を覗き込む。
「つーか沢村、お前さぁ」
「御幸!」
口を開こうとした御幸をクリスが制した。だが、御幸は黙らない。
「いや、だってクリス先輩。そのお守り、交通安全のお守りじゃないッスか」
「へ?」
「は?」
「え?」
揃って皆でクリスの手の中のお守りを覗き込むと、そのお守りにはしっかり「交通安全」と書かれていた。
「ヒャハハハハ!!バッカでーコイツ!!」
「必勝祈願はしてきてない、クリスへのお守りは間違って買ってくる。朝練に遅刻してまで、何しに行ってきたんだろうね」
ニコニコしながらきついことを言う亮介に、宮内がそれとなくフォローになっていないフォローを入れる。
「まあ、ただの長距離ロードワークだな。それだけは無意味でも無い」
泣きそうな顔になった沢村が、急に立ち上がった。
「俺!もっかい買ってきます!!」
「コラ、待て!」
すぐに走り出そうとした沢村の首根っこをクリスが掴む。
「一日に何キロロードワークする気だお前!確か、あそこまでは片道で15キロはあるぞ! それに、授業も始まるだろう!」
「で、でも〜・・・・・・」
「栄純君、せめて明日にしたら・・・・・・?」
「いい考えだな」
春市が示した妥協案に、結城が頷いた。
「え?」
「折りしも明日は土曜日だ。午前中の練習で、ロードワークがてら、必勝祈願に行くとしよう」
「え、哲さん、部員全員でッスか?」
「当然だ。必勝祈願とはそういうものだろう?」
亮介が肩を竦めて笑う。
「1年生、沢村以外はついてこれないんじゃない?」
「が、頑張るよ!」
一生懸命な様子で春市が言い返した。降谷は無表情だが、周囲に渋いオーラが漂っていて、嫌そうなのがありありと分かる。
「途中で脱落したものは置いて行く。帰りに拾えば問題ないだろう?」
「そりゃ全員って言わねぇだろ、哲・・・・・・」
呆れたような伊佐敷の言葉に、結城は反応しなかった。
翌日、2軍の3年生は自転車でサポートに回り、それ以外のメンバー全員でのロードワークとなった。
1軍ではない3年生では、唯一クリスのみ一緒に走りながら、1軍のサポートに回る。
最初は全員が元気良くグラウンドを後にしたが、時間が経つにつれ、みるみる間に1年生の元気が無くなっていった。
通常ならばもう少し長い距離は走れるはずなのだが、ペースメーカーの結城ががんがんにスピードを上げるために、ついていくことが出来ないのだ。
サポートの3年生から、適時様子を見てドリンクが渡されたが、それでも7kmを越す頃からぽつぽつと遅れる1年生が出始め、10kmを過ぎた地点で降谷も脱落した。
そして、12kmを越える頃には、残っている1年生は沢村と春市のみになっていた。
その春市も、13kmを超えたあたりで、足をもつれさせる。
「は、はるっ、ち!」
「触るな沢村!!」
思わず息を弾ませながらも手を伸ばした沢村に、亮介から叱責が飛んだ。
「沢村。お前は前を向け」
隣を併走していたクリスにも注意され、沢村は少し春市を気にしながらも前を向きなおす。
次第に遅れていく春市の姿が見えなくなった頃、結城が告げた。
「ラスト1キロだ。スパートするぞ」
「うっす!」
ただでさえぎりぎりだったスピードで、更に加速され、沢村ももう後ろを気にする余裕は無い。
最後に100段以上ある石段を登りきったところで、沢村も地面にへたり込む。その首根っこをクリスが掴み、無理矢理立ち上がらせた。
「急に足を止めるな。少し歩いてクールダウンしろ」
「は、はい・・・・・・」
のろのろと歩きながら、手渡されたスポーツドリンクに口をつけると、倉持が寄ってきた。
「沢村お前、昨日も来たんだろ? 何へろへろになってんだよ」
「き、昨日は、もっとペースが遅かったんスよ。このスピードはちょっときついッス」
他の1軍のメンバーやクリスは、汗はかいているものの、皆平然としている。2年生の2軍のメンバーも、多少きつそうな顔はしているが、へたばっている者はいなかった。
「帰りは遅れた1年を拾いながらになるしな。もう少しペースを落とすか」
「まあ、午後からの練習に影響が出ない程度にしておいたほうがいいかもな」
結城の言葉に伊佐敷が同意する。
周囲を見回した亮介が口を開いた。
「結局1年でここまでこれたのは、やっぱり沢村だけ、か」
「御幸、降谷はどうした?」
「アイツは10km過ぎくらいにゃもう遅れ始めてましたよ」
「とりあえず、お参りを済ませたらどうだ?」
増子の提案に頷いた結城が、集合の声を掛ける。
「沢村ァ、今度はちゃんとチームの勝利を祈れよ!」
「クリス先輩のことばっか祈んなよ? ヒャハハ!」
「わ、分かってますよっ!」
部員たちがわいわいと横に2列に拝殿の前に並んだ。全員が並び終わったところで、誰からとも無く無言になり、拝殿へと身体を向ける。
結城の二拍手一拝に倣い、部員たちも二拍手一拝で頭を下げた。
「よし、ではこれから20分間の休憩にする。 20分後、遅れずこの場所に集合すること!」
「おすっ!」
結城の言葉に全員が元気良く返事をし、思い思いに散らばった。
石段の上からから外を見つめ、ずっと仁王立ちをしている前園が気になり、沢村はそこへ向かった。
「何してるんすか?」
「何や、沢村か。・・・・・・小湊が、来るんやないかと思ってな」
「春っちが?」
よくよく周囲を見れば、亮介も石段の下が見える位置で木に寄りかかっている。
「ああ。アイツが遅れたときは、残り1キロだけやったからな。諦めずに休憩時間分20分歩いとったら、着くはずなんや」
そう言う前園の手では、未開封のスポーツドリンクのペットボトルが汗をかいている。
その様子が、来るはずとは言いつつ、来ると確信しているようにも見えて、沢村も石段に座り込んだ。
それから無言のまま暫し時間が過ぎ、5分ほど過ぎた頃、石段の下に春市が姿を現した。
「春っち!!」
沢村は慌てて立ち上がり、石段を駆け下りる。
「手ぇ出すな!! 自分で登らせろ!!」
上から降ってきた亮介の声に、沢村が石段の上を振り仰ぐと、前園も『どけろ』と手でジェスチャーをした。
よろよろと石段を登り始めた春市に、沢村は触れないよう、邪魔にならないよう気をつけながら、励まして一緒に階段を登る。
「がんばれ、後少しだ!」
一段、また一段と、一歩ずつ春市が石段を登っていく。どうやら春市のサポートでついてきたらしい桑田が、石段の下に自転車を止め、その後ろを登ってきた。
最上段までなんとか上りきった春市がガクッと崩れ、倒れて仰向けにひっくり返る。
それを立ったまま見下ろして、前園がペットボトルを差し出した。
「ほれ!クールダウンもちゃんとせい!」
「大丈夫だろ。最後の方は、もうずっと歩いてたからな」
春市のすぐ後に石段を登りきった桑田を見て、前園が軽く頷く。
前園のペットボトルの蓋を開け、沢村が春市に手渡すと、春市は僅かに身体を起こしてそれを受け取り、一気に飲み干した。
「っあーーーーー!きつ・・・・・・」
「このくらいで音ぇあげんなバーカ」
亮介が一言だけ声を掛けて立ち去っていく。
その背中がなんだか嬉しそうにも見えて、沢村は少し首を捻った後、春市に向き直った。
「良かったな、間に合って!」
「他のメンバーはもうお参り済ませとるからな、一人でお参りしておけよ。それから、休憩はあと10分で終わりやからな」
「あ、はい。ありがとうございます」
前園も手を上げてその場を離れて行く。それを少し見た後、春市が笑った。
「でも、何とかここまで来れて良かったよ。栄純君は最後までちゃんとついて来たんだよね?俺も、次に来るときは遅れないように頑張らなきゃ」
その笑顔が満足げに見えて、沢村ははっとした。
きっと、沢村が手を貸していたなら、春市はこんなに満足そうな顔はしなかっただろう。
多少遅れても、自分でちゃんとやり遂げた、だから満足しているし、次は頑張ろうとも思える。
そうなることが、亮介や前園には、ちゃんと分かっていたのだ。だから、沢村が手を出すのを止めた。
辛そうだからと言って、その場で手を差し伸べるばかりが優しさではない。春市ならやり遂げると思っていたからこそ、信じて突き放したのだろう。
「なんか、スゲー・・・・・・」
「え? 何が?」
「あ、いや・・・・・・」
亮介も、前園も。それに、今回サポートに回った3年生たちは、「これから部を背負っていく奴が走れ、サポートは任せろ」と自分たちから言い出したのだと聞いた。
「何か、先輩たち皆スゲーと思ってさ!!」
「? うん、そうだね。 ・・・・・・ところで栄純君、今度は間違わないでお守り買ったの?」
「・・・・・・あ!!」
神社に到着したとき、疲れ果てていたせいですっかり頭から抜けていた。
「まあ、今日は本人がここに居るんだし、自分で買っ・・・・・・栄純君!?」
春市の言葉を皆まで聞かず、沢村はお守りの販売コーナーへ向かって全力疾走した。
無人のお守り販売所で、怪我に効くお守りを探して沢村が唸っていると、クリスがやってきた。
「小湊が無事に着いてよかったな」
「あ、知ってたんスか? 俺が春っち待ってたって」
「あのメンバーであそこにたむろしていたら、他の人間を待っているとは思わないだろう」
「あ、なるほど」
それもそうか、と納得して目当てのお守りを探す。
「でも、亮介先輩とかゾノ先輩とか、皆すごいっすよね」
「何がだ?」
「さっき、手を出すなって怒られたのは何でだろうって思ってたんスけど。あれって、春っちの為だったんすね? 俺なんか、心配だったら絶対すぐ手だしちゃうし。黙って信じて見てるほうがつらいっす。・・・・・・そう言えば、クリス先輩が厳しいのもそうですよね」
「・・・・・・」
クリスが無言で沢村の顔を見る。沢村はそれを気にせず、言葉を続けた。
「それに、今日自転車でサポートしてくれた先輩たちだって、やっぱり俺達後輩のことを信じてくれてるから、サポートになってくれてるんだろうし。そういうのスゲーかっこいいッスよね」
ようやく目当てのお守りを見つけ、沢村はそれを一つ手に取り、料金箱に小銭を放り込む。
「クリス先輩、どーぞ!」
満面の笑みで沢村がお守りを差し出すと、クリスが苦笑した。
「お前、もう俺が自分でそれを買ったんじゃないかとは思わないのか?」
「えっ!?」
「まあ、買っていないけどな。ありがとう。それから」
クリスがポケットから別のお守りを取り出し、沢村の手に乗せる。
「これは俺からお前に、だ」
「え?」
そのお守りには『無病息災』と書かれている。
「病気や怪我が無く、無事に過ごせるように、な」
「クリス先輩・・・・・・」
嬉しくてじっと顔を見上げれば、クリスが微笑んだ。
「お前は信じるのがすごいというが、それは信じる側信じられる側、どちらか一方がすごいというものではない。お前が・・・・・・お前たちが必ずその信頼に応えるから、信じられるんだろう?」
クリスの手が沢村の頭に乗せられ、わしわしと撫でまわす。
「俺は、お前が必ずエースとして、青道を優勝させると信じている。その信頼に、応えて見せろ」
「はいっ!」
「さて・・・・・・そろそろ休憩も終わりだし、戻るか」
「はい!」
クリスの言葉が嬉しくて、横を歩きながら見上げれば、クリスも微笑んで沢村を見下ろす。
このお守りは、きっと宝物になるだろう、と沢村は思った。
個人的にはこのくらいのそこはかとないのが好きなんですが、クリ沢の場合、下手をすると原作の方がラブラブだったりするのが困りものです(笑)
戻る
2007.04.09 脱稿