「あ、クリス先輩、見つけた!」
トレーニングルームのドアから顔を覗かせた沢村が、ぱっと顔を輝かせてクリスに駆け寄る。
「どうかしたのか?」
「え、別に何か用って訳でも無いんですけど、用がなかったら来ちゃ駄目ですか?」
真っ直ぐにクリスを見る沢村は、言葉に出す感情も真っ直ぐだ。僅かに苦笑して、クリスは首にかけていたタオルで汗を拭う。
「駄目だというわけではないが、あまり相手はしてやれないぞ?」
「クリス先輩は何してたんですか?トレーニング?」
その質問には、正しく答えた物かどうか、僅かに戸惑いを覚えた。だが、変に隠せば、それこそ無駄に気を使わせるかもしれない。
クリスは僅かに間をおいて、努めて感情を押し殺した声で返答した。
「トレーニングというよりは、リハビリだな。合宿中でトレーニングセンターまで出向いてリハビリする時間は無いが、寮内でも出来る程度のことはやっているだけだ」
「あ・・・・・・」
途端に落ち込んだ表情になって俯いた沢村に、やはりと思いつつ、溜息をつく。
「沢村。リハビリは、復帰するためには必要なことだ。俺は復帰したいと望んでいるからリハビリをする。リハビリに渋い顔をするのは、まるで復帰を望んでいないように見えるぞ」
「ちち、違います!違います!俺っ・・・!」
沢村が慌てて顔を上げた。クリスは微笑みかける。
「分かっている。だから、リハビリをしていることを隠さなかった。・・・・・・分かるな?」
「は、はいっ!」
真面目な顔になった沢村が、はっとして慌てた。
「あっ、じゃあ俺もしかして邪魔ですか?!」
「相手はしてやれんが、いるのはいい。好きにしろ」
「ええと、じゃあ、そこのベンチに居ます」
クリスが脱いだジャージを置いていたベンチに、沢村が座って膝を抱える。
クリスはそれに歩み寄り、置いておいたジャージを沢村の肩にかけた。
「え?」
「動く分にはいいが、トレーニングルームは広いせいで少し冷えるからな。上に着ておけ」
「あ、ありがとうございます」
目を瞬かせ、頬を染めた沢村の表情は可愛らしい。クリスは少し微笑んで、それからリハビリへと戻った。
ラバーチューブについてる取っ手を握り、ゆっくりと引く。
普段なら独りでもぎゃあぎゃあ騒がしい沢村は、無言でクリスを見つめていた。
傷ついた部分の筋肉をことさら意識し、そこに集中して動かす。
手術した筋肉を動かすリハビリテーションには、結構な痛みが伴う。
殆ど治っているとは言え、やはり重点的にその筋肉を動かすのには、少なからぬ痛みがあった。
外のトレーニングセンターでずっとリハビリを行っていたのは、そちらの方がリハビリ向きの施設があると表向きには言っていたが、実はそんな痛みを感じている表情を、チームメイトに見せたくないと思っていたことのウエイトも大きい。
だが、今目の前に沢村が居る。
邪魔だから戻れ、と追い返すことも出来た、しかしそれをする気にはならなかった。むしろ居てほしいと思っている。
その、理由は。
「あの、クリス先輩」
沢村のことを考えていたのにその本人に声を掛けられ、内心で僅かに動揺する。が、顔には出さずにクリスは沢村に視線を向けた。
「どうした?」
「やっぱり俺邪魔じゃないッスか?」
「何だ、やっぱりじっとしているのが暇になったのか?」
「じゃなくてその、見られてると気が散るとか、大丈夫かなって思って・・・・・・あ、何か手伝えることないッスか!?」
「何も無い。お前はそこに居ればいいんだ」
あっさり断れば、また沢村がしょぼんと俯いてしまう。
「俺はクリス先輩に色々してもらってるのに、俺がクリス先輩にしてあげれることって無いんですよね・・・・・・」
「何も出来ないと思っているのか?」
「だって、そうじゃないですか。クリス先輩のために強くなる、それは分かってますけど、クリス先輩に直接何か出来ることって何も無いんです」
沢村の目に涙が溜まった。クリスは僅かに眉を上げ、歩み寄って沢村の隣に腰を下ろす。
「俺は、他の人間にリハビリを見せたことは無いぞ。見られたく無いからな」
「じゃあ、俺もやっぱ邪魔・・・・・・」
「結論を急ぐな。お前が邪魔だなんて一言も言っていないだろう。少しでも邪魔だと思っていたら、戻らせている。・・・・・・いや、明日の試合にはお前の登板予定もある。どちらでもいい、と本気で思っていたら戻って身体を休めさせているだろうな」
好きにしろ、とは言ったが、そう言えば沢村はここに残ることは分かっていて言ったのだ。少しずるい回答だった。
「クリス先輩・・・・・・?」
クリスを覗き込んだ沢村が、不思議そうな顔をしている。クリスは微苦笑を浮かべた。
「俺は、お前にここに一緒に居てほしいと思っている。それでお前がここに居る。それでは駄目なのか?」
「そそそそそんなことは!! そ、その、嬉しい、です」
沢村の顔が一気に朱に染まる。その様子を暫し眺めた後、クリスは視線を正面に向けた。
「お前、リハビリをするときに最も重要なものは何だと思う?」
「え?えーと・・・・・・何でしょう」
「少しは考えろ。まあ、お前は怪我には縁が無いタイプではあるけどな。・・・・・・的確なトレーニングが出来るトレーナーや状態を継続的に見てくれる医者、必要なものは沢山あるが、何よりも重要なのは『絶対に治すという意志』だ」
「なら、クリス先輩なら全然大丈夫じゃないッスか!」
嬉しそうな沢村に、クリスは少し苦笑する。
「・・・・・・お前と組まされる前は、俺は少し腐っていた。口では選手を諦めないと言っていたが、本当に復帰できるのか、自分で信じていなかった。お前も俺に向かってそう言った事があるだろう?」
「え? あ、いやでも、それはっ・・・・・・」
「お前は間違ったことは言っていない。いつになったら元通りの肩を取り戻せるのか、先が見えずにまるで闇の中に居るようだと思っていた」
クリスが沢村から視線を外し、正面を向くと、膝の上に載せていた手にそっと温かい感触が載せられた。見れば沢村の手が乗っている。
「でも!クリス先輩は!」
沢村の手が、ぎゅっとクリスの手を握った。クリスもその手を握り返す。
闇の中に居る自分に、手を差し伸べた人間は、他にも何人も居た。だが、闇に飲まれていた自分には、その手を取ることが出来なかった。
そんなときに沢村が現れた。
「リハビリというのはな、復帰できないんじゃないかなどと思いながらやっていると、100%の効果を発揮することが出来ないんだ。しかし、そういう負の感情が良くないと分かってはいても、それをコントロールすることはそう簡単じゃない」
沢村は手を差し出すのではなく、無理矢理手を掴んで引っ張るような奴だった。光のある場所へ連れ出すのではなく、沢村そのものが光なのだと、そう思うようになるのに時間はかからなかった。
そして、気がついたときには、その光が完全に自分の闇を吹き飛ばしてしまっていた。
「だが・・・・・・今は、必ず復帰すると強く思っている。目標があるからな」
「目標、ですか」
「ああ。行き着く先が見えなかったリハビリに、目標とするゴール地点が出来た。だから、頑張ろうと思える」
「それって、どんな目標なんですか?」
覗き込んでくる沢村に、クリスは微笑む。
「お前の球を、もう一度受けることだ。公式戦でな」
「え・・・・・・?」
「青道での試合にはこだわらない。大学だろうがプロだろうが構わないから、公式に記録が残る試合で、もう一度お前と組みたいんだ」
沢村が目を見開いて息を飲んだ。
「クリス先輩・・・・・・」
「お前が目の前に居ると、その目標を強く再確認できる。だから、居てくれればいい。お前の存在そのものが、俺の力になる」
途端に、沢村の目から涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「泣くな。全く、よく泣く奴だ」
濡れた頬に触れれば、沢村の体がクリスの腕の中に飛び込んできた。
「クリス先輩、俺、俺っ!! 俺も、先輩と、もう一度組みたいです!!」
「お互いに野球を続けて、最高の選手になれば、必ずどこかで実現できるはずだ。だから、お前も・・・・・・がんばれ」
「はいっ!」
その身体をしっかりと抱きとめて、腕の中に閉じ込める。
涙の跡に2,3度唇を触れさせ、それから唇と唇を重ね合わせた。


 
5巻のキャラ設定を見てなんとなく・・・・・・
クリス先輩が珍しくはっきり口説いてますね。

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