「俺からもクリス先輩に色々してみたいんですけど」
突如妙なことを言い出した沢村に、クリスは内心で戸惑いつつ、あまり表情は変えずに問い返した。
「急にどうしたんだ」
「そ、そのう。今日、校舎の裏を通ったら、知らない人たちが……その、ちゅーしてるのを偶然見ちゃったんスよ。そんで、そういえば俺、いつもクリス先輩にぎゅーってしてもらったりとか、ちゅーしてもらったりとかするけど、俺からはしたことってあんまり無いなって」
少し首を傾げながら、沢村が隣に座っているクリスをみる。
「……抱きついては来るだろう、お前は」
「だってそれは何ていうか……俺からしてもぎゅーってされる感じって言うか」
「ああ……それは体格の差はあるわけだしな」
「それで、俺からもしたいなぁって思ったんですけど」
したい、と主張はするものの、それを勝手に行動に移す気は無いらしい。
「しかし、抱きつくのでは駄目、という事だな、それは」
「そうなります……かねぇ」
「言っている本人が、そこで首を傾げてどうするんだ」
「だから、何がしたいって言えないんですよ。何かしたいな、って感じなんで」
沢村の話す言葉は、感覚的なものが多い上にボキャブラリーがかなり貧困だ。結果的に、聞き手側がどれだけ想像してやれるか、に対話が成立するか否かを決定する。
「要するに、自分が主導権を握りたい、ということか」
「そ……ですね。そんな感じです」
言いたいことは理解した。
……が、また困ったことを言い出したものだ、とクリスは頭を悩ませる。
沢村の希望を拒絶する理由も無いが、では自分はどう対応するのかというのが思い浮かばない。
別に嫌だというわけではない。そのくらいの希望なら叶えてやりたいと思うくらいに沢村を可愛いとは思っている。
だが、どうにもそれが想像できないのだ。妙に違和感がある。
無言で地面に視線を落とし、暫し黙り込むと、沢村が口を開いた。
「あの、駄目ならその、別に」
「いや、駄目というわけでは無いんだ。が……」
自分でも理屈で説明できないというのは妙な気分だ。沢村でもあるまいし、とクリスは首を捻った。
「想像したことが無かったんでな。戸惑った……という表現が一番近いか」
自分でも確かめるように言葉を紡ぐクリスの顔を、沢村がじっと見つめている。
「そうだな……試しに、お前からキスでもしてみるか?」
「え?! いいんスか?!」
「まあ、ものは試し、だしな」
答えが出せないなら、実際に経験してみなければ分からないこともあるだろう。
「お前が嫌ならしないでも構わないが」
「します! させてください!」
「そうか」
沢村が並んで座っていたベンチから立ち上がり、クリスの正面に立った。
「よろしくお願いしやす!」
気合を入れながら頭を下げた沢村に、クリスは少し苦笑する。色気もムードも何もない。
沢村がベンチに片膝をついた。クリスの肩に手をかける。
そして、ゆっくりと緊張した面持ちで顔を近づけてきた。
唇がふれあい、互いに軽く啄ばむ。と、すぐに顔が離れていった。
「ええっと……」
沢村はあからさまに困惑顔だ。やはり、どうすればいいのかよく分からないらしい。
後ろ頭に手を回して引き寄せる。そのまま唇もう一度唇を触れ合わせ、戸惑う舌を誘い込むと、肩に置かれた沢村の手がピクリと揺れた。
その反応に満足を感じ、違和感の正体に思い当たる。
自分は主導権を握る方が好きなのだ。自分が与え、それに沢村が返してくる嬉しそうな反応を見るのが何よりの幸せなのだ。与えられるより、与えたい。
舌を軽く噛んでやると、沢村の身体から力が抜けた。その身体をしっかりと受け止め、膝の上に抱きかかえるようにして今度は舌を侵入させる。
口内を存分に味わってってから唇を開放すると、沢村は蕩けそうな瞳でクリスを見上げた。
「お前、本当は主導権を握るよりも、導かれる方が好きだろう?」
クスクス笑いながら指摘すると、沢村は少し拗ねたような顔をしつつ頷いた。
「そうみたい……ッス」
「不満そうだな」
「だって……」
沢村がぽす、と音をたててクリスの肩に顔を埋める。
「俺は、クリス先輩にちゅーしてもらったり、ぎゅうってしてもらうとスゲー幸せな気持ちになれるから……だから、クリス先輩にもそういう気持ちになって欲しいのに、俺出来ないんスもん……」
「そんなことを考えていたのか」
クリスが苦笑すると、沢村はクリスの背に手を回してぎゅうとしがみついた。
「俺ばっかり嬉しいんじゃ嫌です」
「言っておくが、俺は十分いつも幸せな気分になっているぞ?」
「え?」
沢村が顔を上げる。不思議そうな沢村に、クリスは微笑みかけた。
「どちらかと言えば、俺は主導権を握って、お前にキスしたり抱き締めたりするほうが幸せな気分になれるな。そういうのは、どちらがいいかは人それぞれだろう」
「そう……なんスか」
「少なくとも俺はそうだな」
「じゃあ、じゃあ……俺はクリス先輩にちゅーしてもらうのが好きで、クリス先輩がしてくれるのが好きなら、いつでもどっちも幸せってことですか?」
「そういうことだな。何の問題も無いだろう?」
クリスの微笑みに、沢村が満面の笑みで応えた。
「はいっ!!」
嬉しそうにしがみついてきた沢村の背を、あやすようにぽんぽんと叩いてやる。すりすりと頬を摺り寄せてくる沢村が、愛おしいと思った。
「さて……納得したなら、そろそろ夜も遅いし、戻るか」
膝の上に載せたままだった沢村を立ち上がらせ、クリスも立ち上がる。
「じゃあ、ゆっくり休めよ」
頭の上に手をのせ、真っ直ぐな髪をかき混ぜるように撫でると、沢村はじっとクリスを見上げた。
「沢村?」
「あ、いえ……お休みなさい」
「ああ、お休み」
沢村とその場で別れ、各々の自室へと向かう。クリスがドアノブに手をかけると、後ろから呼び止められた。
「クリス先輩!!」
「沢村? どうしたんだ、忘れ物でも……」
振り返ると、沢村が駆け寄ってきて、クリスの腕に掴まって背伸びをする。
クリスが事態を把握する前に、沢村の唇がクリスの唇の端に触れ、一瞬で離れていった。
「お休みなさい!!」
呆然としているクリスに、沢村はお辞儀をして全力で走り去っていく。
その台風のような背が見えなくなってから、クリスは赤面して口を押さえた。
さっきキスをされたときには別に大きな動揺は無かったのに、こんな幼い子供のような、別れ際のキスにこれほどまで喜びを感じるなんて。
「全く、暫く部屋に入れないだろうが……!」
どうにも、顔のほてりが治まりそうにない。主導権を握っているつもりでも、結構いつも振り回されているな、と内心で苦笑して、クリスは寮の壁に寄りかかった。


で、次のときは今度は沢村の部屋のドアの前で別れて、クリス先輩にデコちゅーされた沢村が(仕返し)赤面して恥ずかしくて部屋に入れず、「うきゃー!」とか騒いでて結局倉持先輩に発見される、と。

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