「おーし!! いい感じ!!」
顔を洗って部屋に戻る途中、何故か寮の外で壁に向かって喜んでいる沢村を見かけ、クリスは声を掛けた。
「何をやってるんだお前は」
「あ! クリス先輩!!」
ぱっと振り返った沢村が満面の笑みになる。
ふと視線を下ろすと、沢村の手には小さなじょうろがあった。
「それは……?」
「クリス先輩、コレ見てくださいよー!」
沢村が嬉しそうに指をさした先には真っ直ぐに成長している、何らかの植物。
「前にランニングしてたときに、近所の小学生から向日葵の種貰ったんス。んで、ここに植えたんですよ」
「変なところに勝手に植えるな。怒られるぞ」
「え、ダメでしたかね」
呆れて溜息をつくと、沢村は『しまった』という顔になった。
「一本くらいなら見逃してくれるかもしれないけどな。お前は何か勝手に行動する前に、周囲にことわる癖をつけたほうがいいな」
苦笑して頭を撫でると、沢村は首をすくめてへへっと笑う。
「それにしても、結構大きくなってるな? このあたりは日当たりがいいのか」
「そうみたいッすねー」
まだつぼみもつけていない向日葵は、既に沢村の胸辺りの背丈にまで育っていた。
丁度今水をやったところなのだろう、その葉の上の水滴が、日光を浴びてキラキラと輝いている。
「最初は、中々芽がでないし、ひょろひょろだし、毎日水やるの面倒だな〜とか思ってたんですけど。だんだん大きくなって、成長してきたなって思い始めたら、だんだん楽しくなってきたんですよね!!」
沢村の言葉に、ふと思い当たるものがあって、クリスは吹き出した。
「え? ク、クリス先輩?」
「いや……お前が向日葵を育てているという話を聞くのも妙だと思ったんでな」
「へ?」
「まあ、成長してくると育てるのが楽しくなるというのは、俺もよく分かるぞ」
クスクス笑いながら同意すると、沢村が首を傾げる。
「クリス先輩も、何か育ててるんスか?」
「ああ、向日葵のようなのをちょっとな」
「向日葵の、ようなの?」
「最近は随分足腰も強くなってきて、コントロールもついてきたようだしな」
そう言って笑うと、沢村にも何のことを向日葵と言ったのかがわかったらしい。
「あ……あー。そっか、俺クリス先輩の向日葵なんだ」
「……お前を花に例えるなら、向日葵が一番イメージに近いと思っていたんでな。向日葵が向日葵を育てているわけだ」
「あははは! 俺が向日葵なら、俺の太陽はクリス先輩ッスよ!!」
嬉しそうな沢村に、クリスは肩を竦める。
「何だ、それじゃ俺のことばかり追いかけて、俺ばかり見てるみたいだぞ?」
「そうっすよ?」
……確かに。
「でも俺向日葵かぁ、なんかいいッスね!! 俺が向日葵でクリス先輩が太陽なら、春っちとか降谷とか金丸とかは風で、倉持先輩とか増子先輩とかは水で、同じ部のみんなとかグラサンたちとかは俺が立つ場所の土台をしっかり作ってくれる土かなぁ」
ごく当たり前のことのように言う沢村に、クリスは目を細めた。
クリスばかり見ている、とは言うが、沢村はクリスさえいれば他はどうでもいい、なんてことは言わない。
本人はあまり意識してはいないのだろうが、周囲の人間から受けている愛情を、きちんと感じ取っているから自然とこういう言葉が出てくるのだ。
そして、自分のエゴを主張するばかりではだめだと、周囲の人間に認められてこそなのだということは、クリスが一番最初に沢村に教えたことだ。
それがきちんと沢村の中で根付き、成長の糧になっていることがありありと分かり、クリスは微笑んだ。
「皆から色々貰って、大きな花を咲かせて沢山の種が出来たら、皆に種を分けてあげられたらいいなぁ」
「……お前はとっくに、色んな人間の心の中に種を植え付けているだろう」
「へ?」
不思議そうに沢村が首をかしげる。その頭をクリスは無言で微笑んだまま優しく撫でた。
それを見上げた沢村が、じっとクリスを見つめてくる。
「クリス先輩」
「どうした?」
「キスして欲しいです!」
あっけらかんと言い放った沢村に、クリスは呆れ半分で苦笑した。
「お前……もうちょっと誘い方というものがあるだろう……」
「え、ダメですか?」
「ダメとは言わないが、野球以外のことももう少し覚えろ」
顔を近づけ、唇を一瞬だけ触れ合わせると、沢村は幸せそうに笑った。
沢村の蒔いた種はクリスの中にも根付いて、それは愛情と言う名の花を綺麗に咲かせていた。
時間軸的には裏のお初よりも前に来るべき話です。
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2007/8/29 脱稿