御幸とクリスがスコアブックを見ながら色々話をしていると、沢村がやってきて口を開いた
「くひふへんひゃい」
「何を言っているんだ、お前は」
クリスが呆れた表情で沢村を見やる。
すると沢村は口をぱかっと開いて舌を出し、その先を指差した。
「ん?」
二人でよくよく覗き込めば、その舌の先に小さな突起がある。
「これか?」
クリスが指先でその突起にちょん、と触れた。
「いひゃい!!」
「口内炎の一種だな。お前、ここの所いつもスナック菓子のようなものを食べていただろう。あの手のものはビタミンやミネラルなんかの栄養素の吸収を阻害する。食事がきちんとしているからと言って、あんなものを沢山食べたらバランスが崩れて当然だ」
「ふぁい・・・」
叱られてしゅんとした沢村にクリスが苦笑して頭を撫でる。
「俺のビタミン剤を分けてやるから、後で部屋に来い。口内炎の薬も、確かあったはずだ」
「ふぁい!!」
ぱっと笑顔になった沢村が、両手を握り拳にしてぺこっと頭を下げて走り去っていく。
その背を見送ったあと、御幸は苦笑してクリスを見た。
「クリス先輩、前から気になってたんですけど―――」
「何だ?」
「沢村に、甘すぎじゃないッスか?」
御幸の指摘に、クリスが僅かに目を見開く。
「そうか?」
「そうっすよ。大体まず、普通舌は触らないでしょう」
「……まぁ……」
口ごもった様子のクリスが、ふと視線を逸らせるのを見て、御幸は苦笑と溜息の混じった吐息を漏らした。
普通はやらない。そしてそれ以上に、御幸の知るクリスという人物は、自分にも他人にも厳しい人物だった気がする。
一時期、人を寄せ付けなくなっていた時期を除いても……それ以前にだって、自分が責任を負うべきものは各自自分で責任を持つべきだと、そういう考え方で、他人にべったり寄りかかられるのを許す人ではなかった。
今ではすっかり、沢村の影響で、というよりは沢村を甘やかしているのが自然に見えるくらいになってしまったが。
「別に、際限なく甘やかしているわけじゃないぞ」
「そりゃあ、知ってますけど」
勿論部活の最中は絶対に甘やかさないのは知っている。でも、それ以外の時間にだって、こんなにも甘やかす人ではなかった。
「……それに、沢村だからな」
「ノロケですか」
苦笑してツッコミを入れれば、クリスも苦笑する。
「違う。あいつの性格の問題だ」
ふと、クリスは沢村が走り去っていった方向に視線を向けた。その眼差しは、まるで愛しむかのようにも見える。
「自分自身に対して甘い人間には、それは勿論厳しくする必要があるが、沢村は自分を甘やかしたりしないだろう? むしろ逆に、自分を追い込みすぎてオーバーワークになる方が心配なタイプだ。そういう奴には、厳しくするより落ち着かせる方向に動くのは当然のことだろう」
「そりゃまあ、そうなんですけどね……」
理屈としては全く間違ってはいない、が。そんな、今にも蕩けそうな優しい眼差しを沢村に向けておいて言われても、あまり説得力はない。
「じゃあ、俺は用があるから戻る。何かあったらまた来てくれ」
「あ、はい。ありがとうございます」
立ち去っていくクリスの背中を見て、御幸は『用』って沢村が部屋に来ることだよな、と思って苦笑した。
「何だ、もう来ていたのか」
「ふぁい!!」
部屋に戻ると、沢村は部屋の前で待っていた。
どうも、同室の者も全員出払っていたために中に入れなかったらしい。
別に時間を指定したわけではないのだから、一度戻って頃合を見計らって再度訪ねてくればいいものを、こうして待っていてしまうのが沢村だ。
「入れ」
鍵を開けて促すと、沢村はペコリと頭を下げて中に入った。
口内炎の薬を探すクリスを、沢村がキラキラした目で見つめているのが視界に入り、クリスは僅かに苦笑する。
御幸の指摘は、当たっている。野球以外のことに関しては、自分はコイツに、甘い。
でも、そのくらいはいいじゃないか、とも思う。
野球に関しては、甘やかさない。絶対に。
だからこそ、野球と関係ない場合くらい、愛しくてたまらない、可愛らしい子犬のような恋人を甘やかしてもいいだろう。
「沢村、舌をだせ。塗ってやる」
「ふぁい!!」
口内炎の塗り薬を持って振り返ると、沢村は素直に舌を差し出した。
その疑おうともしない様子に微笑んで、クリスは沢村の肩を掴む。
そしてそのまま、差し出された舌に噛み付いた。
おまけ。
「んっ!」
キスの途中で顔を顰めた沢村にはっとして、クリスは口を離した。
「すまない。口内炎が痛んだか」
すると沢村はぷるぷると首を横に振った。
「いえ、きひゅ、うれひーかはいいへふ」
にかっと笑った沢村に少し苦笑して、クリスは沢村の頭を撫でる。
口内炎の痛みよりも、キスされるのが嬉しいことの方が優先なのか。
「しかし、口内炎が治るまで暫くキスはおあずけだな」
「えーーーっ!?」
「治ったら、お前の気が済むまでしてやるから」
途端に不満げだった沢村は目を輝かせる。
「治ひまひゅ!! ひゅっげー治ひまひゅ!! ひゅぐ治ひまひゅ!!」
「分かった分かった。ビタミン剤を飲んで、暫くお菓子の類は控えておけ」
「ひゃい!!」
胸元にすりついてきた沢村を抱き締め、クリスは沢村の額に唇を落とした。
相変わらず。
戻る
2007/9/24 脱稿