「何というか……まあ、意外ではあった、な」
そう述べた丹波の言葉に、クリスが心外だという表情で眉を上げる。
「何故だ? ……と、言うのも変か、男同士だしな」
丹波は今、休日を利用してクリスとともに買い物に来ている。
そこで何とはなしにクリスと沢村の関係についての話題になったのだ。
「いや……男同士だとかいう問題ではないんだが」
最早クリスと沢村の関係については野球部内の公然の秘密だ。クリスの方も隠そうとはしない。
「じゃあ、何が意外だったんだ」
「いや、お前があんなに簡単に変わるとは……変わる、いや、元に戻ったと言う方が正しいんだが、しかしお前、なんだか急に吹っ切ったように感じたからな」
というよりは、クリスが怪我を負ってからの1年間、クリスを気にかけて声をかけていたのは丹波や御幸に限らない。伊佐敷や亮介、結城、増子、皆が皆気にかけていた。
それでもクリスの瞳が輝きを取り戻すことはなく、1年が過ぎようとしていたところだった。
それなのに、それを入ってきて2ヶ月やそこらの1年生が成し遂げたのだ、少しくらいからかいたくもなる。
「それはタイミングの問題もあるだろう? 最後のチャンスだったわけだし。まあ、沢村の影響があったのは否定しないが」
「いや、沢村の影響が大半だろう」
丹波が思わず即座に突っ込みを入れると、クリスは無言になって目の前の棚からマグカップを手に取った。くるくると片手の中でマグカップを回している仕草は、そのカップが気になっているというより、ただ単に気まずいのをごまかそうとしているように丹波には見える。
「……そう、見えるか?」
「誰に聞いてもそう言う気がするが」
「ああ。よく言われる」
視線をそらしてそうつぶやくクリスに、丹波はあきれて軽くため息をついた。
「当たり前だ。認めたくないのか」
「認めないわけじゃないが、あまりにそう言われるのも恥ずかしいじゃないか」
「恥ずかしいとは思っていたんだな」
クリスも沢村も当たり前に普段からいちゃいちゃしているから、てっきり丹波は二人とも全く気にしていないものだと思っていた。
「冷やかされて平気というわけじゃない。だが、そこでうろたえるのもみっともないじゃないか」
「だったら人前でべたべたするのを止めればいいだろう」
「いや……」
押し黙ったクリスに、丹波は眉をひそめる。
「まさかお前、いちゃいちゃしているつもりはないなんて言わないだろうな」
「そんなことは……」
やけに歯切れの悪いクリスに、丹波は視線をクリスに向けた。
クリスは頬を赤く染めて、手の甲で口元を押さえている。
「こうして、話していたり、一人きりになったときはそう思うんだ。アレはやりすぎたとか考えることもある。だが、その、沢村を前にすると、そういうのがすべてどこかに飛んでいってしまってな……」
丹波が唖然としてクリスをぶしつけなほどに見つめると、クリスはマグカップを手に持ったまま、足早に移動した。
丹波もその後を追って歩き出す。
「聞いているのが馬鹿らしいな、ここまで来ると」
「それ以上言わないでくれ、自覚はある」
「いいや、言わせてもらうぞ。ただの馬鹿ップルもいいところだな!」
「亮介にも散々言われたんだ!」
「照れるくらいならのろけるな! 沢村もお前のことしか基本的に見えていないと思っていたが、お前も大差ないじゃないか!」
言い合いをしつつも歩を進めると、クリスがレジの前で足を止めた。
「何だ、買うのか、それ?」
丹波とクリスは当初の目的の買い物はとっくに済ませていて、この店にはクリスの希望で立ち寄ったのだ。何を買うのかも丹波は聞いてはいなかったが、マグカップを買うのならそれがクリスの目的だったのだろうか。
「しかしクリスお前、マグカップは寮にあっただろう? それに、そのカップは……何か野球のルールが書いてあるのか? 何だってそんなカップを……」
「いや、その……」
クリスの歯切れが悪いのを見て、丹波にはピンときた。
「沢村か」
「いや、この前マグカップを壊したらしくて、それを店の前のウインドウにマグカップが並んでいるのを見たら思い出したんでな」
「お前……本当に普段から沢村のことしか考えていないんじゃないだろうな?」
「そこまでではない! ……と、思っている」
「何だその自信のない答えは……」

 
「あっ、クリス先輩、お帰りなさい! 丹波先輩も!!」
「俺はおまけか」
寮につくなり飛び出してきた沢村の言葉に丹波が思わず突っ込みを入れると、沢村はわたわたと手を振った。
「あっ、いや、そうじゃなくてっすね! クリス先輩が出かけたのは知ってたんすけど、丹波先輩も一緒だってのは知らなかったっていうか!」
そんな様子を見て、クリスがくすりと笑う。
「それは兎も角、何をしていたんだ?」
ふと目をやれば、クリスはそれは優しい目で沢村を見ていた。
全く持って、この二人が一緒にいるところに立ち会うのはバカらしいと、丹波は小さくため息をつく。
「クリスが帰ってくるのを外で待ってたんじゃないのか?」
「何? コラ、それはだめだぞ、日射病になる」
「あっ、違うっすよ、布団干してたんす!!」
沢村が指差した先には、布団が数枚並んでいる。それを見たクリスが、ふと何事かに気づいて首をかしげた。
「沢村、アレは……」
「俺の布団を干したあと、まだ時間あったから、クリス先輩の布団も干そうと思って!」
敷布団が並んで干され、上掛けのタオルケットがはためいているのはおそらく洗濯したのだろう。どう見ても2人分あるのは、沢村自身の分とクリスの分か、と丹波は納得する。
「……しかしお前、クリスに確認も取らずに勝手にやったのか?」
「は!! だ、駄目でしたか? 最近暑くて寝てるときに汗かくもんだから、布団がじめっとしてて、だからクリス先輩も干したほうが気持ちいいんじゃないかと思ってっ」
「いや、嬉しい。ありがとう。お礼……と言っても、そのつもりで買ってきていたわけではないが、コレをやろう」
笑ったクリスが、マグカップの入った紙袋を沢村に渡すと、沢村はきょとんとした。
「何すか、これ?」
「マグカップだ。お前、この前割ってしまっていただろう?」
「えっ、マジっすか? 家宝にします! 大事に棚に飾って!」
「馬鹿、使え」
じゃれ合っているような二人を眺めながら、丹波はもう一度小さくため息をつく。
だが今度のため息は、呆れたため息ではなく、苦笑交じりのため息だ。
確かに暗い目をしていたクリスにずっと声を掛けていたものはいた、が、沢村ほど全てにおいてクリスを優先しようとした者は確かに居なかったように思う。
悪い意味ではなく、皆自分だって選手なのだから、それほど他の者にばかり気を取られるわけにはいかない、当然のことだ。
沢村は違う。自分が1軍に入るより、クリスに上がって欲しいと、そう意思表示をした。
それも一つ、沢村と他の人間との違いだったのだろう。それほどまで強く慕っているからこそ、クリスも真摯に応えようとした。
現に今だって、目の前にクリスが居なくとも常に沢村はクリスのことを思っているのが分かり、クリスも同様に行動している。
だからこそ、共に過ごした時間が短いなどということは、二人にとっては何の意味も持たないことなのだろう。期間は短くとも、密度が違うのだから。
だが、しかし。
それはともかくとして、傍から見ている分には。
「馬鹿っプルなのは間違いないな」
「ちょっ、おい丹波!」
一気に赤くなったクリスに肩をすくめ、丹波は二人を置いて寮へと足を向けた。



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2008.12.03 脱稿