「あれ、混んでるね」
電車に乗り込もうとした鳴が、キョロキョロと車内を見回して、戸口からあまり進まない位置で立ち止まる。
「しょうがねぇ、帰宅ラッシュくらいの時間だしな」
それについで車内に乗り込んだ雅功も、当然のように鳴の近くで立ち止まった。
稲実野球部のメンバーがぞろぞろと乗り込んだ電車の中は、部員たちが乗り込む前からかなり混雑しており、空いている席はおろか、掴る場所があるかもあやしいほどだった。
「ったく、バスなら楽なのに! 練習試合の朝に部長がぎっくり腰になるとかって! 鍛え方足りないよね!」
鳴がいつものごとくぴーちくぱーちく騒いでいる。少し離れたところに乗り込んだ樹などは静かにしていると言うのに、これではどちらが先輩なのだか分からなくなりそうだ。
「鍛え方でどうこうできるか知らねぇけどな。ちゃんとつかまれ、それからもう少し大人しくしろ」
横で鳴を嗜める雅功の言いようも、最早母親が幼稚園児にでも言い聞かせるような内容になっている。
そんな雅功に対して口を尖らせて文句を言うのは、鳴が甘ったれているときの仕草だ。
「でもつり革塞がってるし〜」
見た限りでは、鳴の近くに掴れそうな場所は無いようだった。一方で、雅功はちゃんと戸口脇の手すりに掴っている。
その雅功の手を見た鳴が、悪巧みでも思いついたような表情にぱっと変わった。
「そうだ! とりゃ!」
突然、鳴が雅功に覆いかぶさるようにしがみつく。
「おい! 何しやがる!」
「へへーん、つかまるとこないんだからしょうがないじゃん?」
鳴が雅功にくっついたままニマニマと雅功を見上げると、電車ががたんと大きく揺れて動き出した。
僅かに体勢を崩して更に雅功にしがみついた鳴に、雅功がやれやれと言った表情を浮かべる。
「にひひ。だからいいでしょ?」
「いいわけないだろ。こっち掴れ」
雅功が身体をずらし、自分の掴っている手すりを鳴に進めると、鳴は素直に雅功を放して手すりに掴った。
「ったく……大人しくしろッつってんだろうが」
雅功が手をすっと動かし、鳴の手の上から手すりを握りなおす。
その手と雅功の顔を交互に見比べた鳴が目を瞬かせたあと、少し俯いて幸せそうに微笑んだ。
「……うん、大人しくする」
そんなエースと主将の様子を眺めていた平井に、真横から声がかけられた。
「なあ、じゃんけんしねぇか?」
平井と並んでつり革に掴っている吉沢である。
平井はそちらの方は振り返らずに返事をした。
「んー? 何で?」
「どっちがあのバカップル殴りにいくか決めようぜ」
「お断り。アレの身内に見られたくないしね。気になるなら吉沢自分で殴ってきなよー?」
2010.08.07 脱稿