食堂でのミーティングの終了後。
ちょうどプロ野球の試合が中継されている時間で、テレビ画面の中のバッテリーを見て、ふと川上は歩を止めた。
「ん? どうした、ノリ?」
御幸に声をかけられ、川上はテレビ画面を指差す。
「あれ、キャッチャーいつもの正捕手じゃ無いだろ? あのチームのキャッチャー怪我したんだったっけ?」
チームのエースピッチャーの球を受けていたのは、いつもは控えの捕手として登録されている選手だった。その画面を振り返った倉持が、横から口を出す。
「ああ、何だお前知らねぇの? あのピッチャーの時は絶対あのキャッチャーだぜ?」
「えっ、そうなのか?」
「ああ、あのピッチャーの指名なんだってよ。ま、流石エースって感じだな」
御幸が続けた言葉に、川上はまじまじと画面を見つめた。
正捕手ではない捕手を、わざわざ自分の女房役に指名する。と、言うことは、監督からみて重要だと思う部分より、このピッチャーにとって重要なものを、その捕手が持っていると言うことなんだろう。
それが「こいつなら絶対に後逸しない」という安心感か、「ランナーを出しても刺してくれる」という依存にもにた感情か。それともリードの内容が自分の投げやすいリードなのか。それはそのピッチャーに聞いてみなければわからない。だが、ピッチャーならば皆似たようなことはあるもんだと、川上は苦笑した。
「お前だったらどうなわけ? ノリ」
「えっ?」
御幸に呼ばれて、川上は思案の空から意識が引き戻される。御幸を振り返って首をかしげると、御幸はにやりと笑った。
「もし、お前がキャッチャー選ぶとしたら、誰選ぶよ?」
「え、ええ!?」
うろたえて思わず周囲に視線を走らせると、立ち止まってこちらを見ている宮内と目が合った。
「あ……」
御幸を見れば、笑顔を浮かべてはいるが、目が笑っていない。
「……」
川上は、地雷を踏んで、足を上げる直前のような気分になった。
絶対にどちらの名を上げても、後で何か厄介ごとがおきる。
何か、何とか誤魔化せないかと更に周囲を見渡して、今度は沢村と目が合った。
「っさ、沢村は? お前なら誰がいい?」
「クリス先輩ッス!!」
即答で答えられて、一気に脱力した。
「ノリさぁ、そいつに聞いたって意味ねぇだろ」
「そーだよな……沢村はそういうヤツだよな……」
苦笑交じりの御幸の言葉に、脱力したまま川上は頷く。
「で、ノリは?」
重ねて更に問うて来る御幸に、川上は苦笑を向けた。
「俺は、選ばないと思うよ。どの捕手も信頼してるから」
「ええ〜〜〜」
不満そうな御幸の声に、倉持がヒャハハと笑う声が重なる。
「日和ったな」
頭上から降ってきた声の方を見上げれば、青道のほかの二人のピッチャーと、クリスもいた。
「丹波さん」
「選べばいいだろう、それくらい」
「いや、でも……丹波さんなら誰ですか?」
水を向けても、丹波は動じない。
「俺ならクリスか宮内だな。同学年の方がやりやすいのはまあ、当然だろう」
川上は思わず横目で御幸をうかがった。御幸はいつもの笑顔を、貼り付けたように浮かべている。
すると、丹波が一瞬ふっと笑みを漏らした。
「だが、実際問題今は御幸に投げづらいとも思わないし、不満に感じてもいない。無理に選ぶことは無いだろうな」
途端に、御幸が一瞬目を見開いて、それから困ったように床に視線を落とす。
素直じゃないな、と思って川上は苦笑した。
御幸は、辛いときほど笑っていて、嬉しいときは戸惑った顔をする。人間関係の話題においては、特に。
(だから最初のうちは丹波さんに随分誤解されてたんじゃ……)などと考えていると、横で沢村が不満の声を上げた。
「ええ〜、不満無いんスか〜?」
「お前は黙ってろ沢村!」
沢村の声に反応するかのように笑顔に戻った御幸が、沢村の頭をわしづかみにする。
「ぎゃ!! 痛い、痛ぇって!」
「今のは沢村が悪いかもしれんな。降谷はどうだ?」
(丹波さん今「かも」って言ったよな……)と思いながらも話の矛先を振られた降谷を見ると、降谷はゆっくりと首をかしげた。
「……受けてもらえれば、別に」
「……お前もそういうやつだよな」
「まぁ、御幸センパイは確実に取ってくれるんで、御幸センパイでいいです」
降谷の場合は川上のように周囲を気にして選ばないのではなく、選ぼうとも思ってもいないからこういう言葉の選び方になる。選ばれてもこれでは嬉しく無いだろう。
「っとに、今年のルーキーピッチャーは恐れを知らないというかなんと言うか」
川上だって、捕手については思うところが無いわけではない。
むしろ、選手として……ではなく、人として惹かれていると思う相手がいる。
しかし、だからといって自分の捕手に指名するかと言われれば、それはしないと思う。むしろ試合中にそれを意識なんかしてしまったら、上がってしまってまともな球が投げれなくなるような気がするからだ。
「……キャッチャーってのも大変だよな」
ぼそりと呟くと、御幸が川上を振り返った。
「ん? なんでよ、ノリ」
「だってキャッチャーとしての技術だけじゃなくてさ。こうしてピッチャーに気に入られるかとかも考えなきゃいけないんだろ? それこそピッチャーに変な誤解されるってくらい気を使ったりさ」
「それは違うぞ、川上」
自嘲もこめての発言を否定され、川上はクリスを振り仰ぐ。クリスは微笑んで、御幸のアイアンクローを食らった沢村の頭を撫でていた。
「それを大変だと思うやつは、キャッチャーにはいないだろう。自分に目掛けて、全力で投球してくるピッチャーを好きにならないキャッチャーなどいるものか」
そして、何もかもを見透かすかのような瞳で、川上を見る。
「だから、お前はもう少し自信を持って我侭を言ってもいいと思うぞ?」
瞬間、心臓が飛び上がったのかと思った。
一体クリスは、どこまで気づいているというのだろうか。
「俺は観察眼には多少の自信はある、特にピッチャーに関しては……、だが」
クリスが、ふと苦笑した。
「すまん、流石にこれは余計なお世話だったかもしれないな」
「い、いえ……」
本当に、心臓が止まるかと思った。
気づかれているとも思っていなかったし、ましてそれをこんな場で匂わせられては心臓が持たない。
丹波にも沢村にも指名される人気のクリスだが、自分はこの人では無いほうがいいかもしれない、と川上は内心でため息をついた。
2009.10.04 脱稿